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    聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第九章 予告された耳の治癒

    2015.07.05 Sunday

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      『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

      第九章 予告された耳の治癒

       さて、マリア庭園の着想を語ったついでに、その完成までを引きつづき述べたので、今ふたたび姉妹(シスター)笹川に話をもどすには、造園開始の一九七四年五月にまでさかのぼることになる。
       私が姉妹笹川のノートをよみ、”聖母のお告げ”に接して、まず感じたのは、医学的に全聾とされる彼女が、天使の言葉や聖母のお告げのお声を聞く、という不思議であった。それは自然の聴力の問題ではなく、霊魂の感覚を通して悟るいわゆる”霊語”に属するもの、としか考えようがなかった。だいいち、天使の言葉や天国におられる聖母のお声は、この自然の次元に住むわれわれの耳には聞きとれぬ、超自然界に属するはずのものである。姉妹笹川自身も「それは、その時だけ耳が治ったかの如く鼓膜にひびいてくる、というような普通の音声ではなく、聞こえない耳を通してはっきりと心にひびいてくる声なのです」と説明している。
       ところで、聖母が彼女に御像を介して語られた一九七三年七月六日の最初のお告げに「耳の不自由は苦しいですか? きっと治りますよ。忍耐してください」とのおはげましの言葉がある。私はこの報告に接したとき、これは彼女の耳がいつか完全に癒されぬかぎり、聖母像の関する超自然の出来事の真正性もみとめられぬことになると思った。それも医療の結果でなく、超自然の力、すなわち奇跡をもって治されるのでなければ、聖母のお言葉の超自然性の証明とならぬように感じた。
       それはともかく、私としてはその治癒が、どんな方法にせよ、聖母のお約束のごとくやがて実現することは、ごく素直に信じられた。そこで、姉妹笹川にノートを返すとき、「あなたの耳はいつかきっと聞こえるようになるでしょう。しかし神がこの犠牲をよろこんでおられる上は、癒されても癒されなくても、すべて思召しのままに委せて、耐え忍びなさい」とさとした。そうは言っても、本人にとってはさぞつらい犠牲であろう、と思われ、こちらの唇の動きを読みとっているその静穏な表情を見ても、神の御手のうちに安住しつつもやはり治癒の恵みを祈らずにいられぬであろう、と察したことであった。

       一九七四年五月十八日。朝の聖体礼拝の終わったとき、姉妹笹川は私に話したいことがあると言い、次のように報告した。
       「お礼拝のロザリオから念祷に入ってしばらくすると、守護の天使が現れて、こう告げられました。
       『あなたの耳は八月か十月に開け、音が聞こえ、治るでしょう。ただし、しばらくの間だけで、今はまだ捧げものとして望んでおられますから、また聞こえなくなるでしょう。しかし、あなたの耳が聞こえるようになったのをみて、いろいろの疑問が晴れて改心する人も出るでしょう。信頼して善い心でたくさん祈りなさい。そしてあなたを導くお方にこのことを話しなさい。あなたはその日が来るまで、他に話してはなりません』と」
       のちにそのお言葉を写したメモに、彼女は書き加えている。
       「はじめはほほえみのお顔だったが、あとはきびしい表情に変わった。私は夢を見ているようだったが、きびしいお顔を見て、ハッとし、体が緊張して、ひれ伏してしまった。
       心は躍り上がるほどの歓びでいっぱいになると同時に、すべて聖旨のままに、という思いも入り交じっていた。そして聖主の御あわれみに深い感謝をささげていた。
       神父様にこのことをお知らせすると、大きくうなずかれ『八月か十月とおっしゃたのか』とくり返して、また深くうなずかれた」
       私のほうは、こうたしかめたとき、それが八月に起こるとすれば聖母被昇天の祭日の十五日か、それとも聖母の他の記念日であろうか、むしろ十月のロザリオの月のほうがふさわしいのではあるまいか、などと想像をめぐらしていたのであった。

       その後、姉妹笹川には、その恩寵の準備のように、意外な内的外的の試練がつづいていたようである。

      天使のおことば(一九七四年六月二十八日金曜日、シスター笹川カツ子に告げられた言葉)

       この日は、朝食後、いつもの日課のように一時間の聖体礼拝が行われた。シスター方と共に、私はロザリオ五連を唱えて、念祷(沈黙の祈り)に入ってしばらくたった時、ふと気がつくと、シスター笹川が畳の上にひれ伏しているのが、後ろの席から見えた。その時は、単に深い祈りに没入しているだけなのか、それとも何か常ならざることが起こっているのか、わからなかった。その時の彼女の姿と場面は、二十六年が過ぎた今日でも、わたしの脳裏にはっきりと浮かんできます。そのとき、彼女が天使から受けた神よりのメッセージを、長らく二人の長上のことを慮り、発表を遠慮していたのですが、この際、真実を公表して、皆様の公正、賢明なる判断を乞わねばならない時が来たと考え、あえてこの本での発表に踏み切ることにしました。この天使のメッセージは、前年の一九七三年六月に諸般の事情で、聖体奉仕会の指導司祭を離任なさったヨハネ・望月神父の後任として、私が着任するまでの九ヶ月間、シスター方が会の指導司祭を求めて神様に祈りを捧げていたことが背景となっているようです。次の通りです。

       『先に、あなた方の祈りによって、この会に準備された神父様が、あなた方と共におられることを心に決められました。あなたの長上にお従いして、同じ心をもって、あなた方を導いて下さろうとしておられます。あなたの長上も喜ばれるでしょう…と考えて。
       あなた方の願いが聞き入れられ、あなた方を導く司祭の与えられたことを伝えたのに、なぜ歓びをもって、早くみなさんに伝えないのか。(少し間をおいて)
       この会は、あなたの長上だけのものではありません。あなた方を導いて下さろうとしている司祭は、すべてを投げうって、あなたの長上に従い、この会に捧げようとしておられます。それなのに、この与えた司祭に、あなた方の導きのすべてを頼み、まかせようと願わないのか。
       わたしを遣わされたお方に愛されたこの会とあなたの長上は、私の遣わされた言葉によって今日まで沢山導かれた筈です。
       私の遣わされた言葉を喜びと信頼をもって、早くみなさんに伝え、与えられた司祭に、導きのすべてを頼み、まかせるよう願いなさい、と申し上げなさい。何をためらっているのですか。ためらわず、信頼をもって伝えなさい。さもなければ、あなたの長上に与えられる恵みと導きがなくなるでしょう。
       勇気をもって、あなたの長上に告げなさい』

       これらの言葉は、天使から姉妹笹川に伝えられたものですが、その当日の六月二十八日は聖ペトロ、聖パウロの祝日の前日であった。その当日、彼女が書いたメモが今も残っていますが、彼女はこれらのメッセージを受けた時、「頭をガンと叩かれる思いで、ひれ伏し、泣いてしまった」と述懐しております。メモによると、天使はしばらく間をおいた後「今後はいつもロザリオの祈りを助けて下さる時のように、やさしいお顔」をなさり、
      『心配しなくともよい。信頼して祈りなさい。あなたは、私の遣わされた言葉を忠実に伝えて来たから、どのような困難や妨げがあっても、この会とあなたを守り導くでしょう。信頼して、もっともっと沢山祈りなさい。多くの人々とこの会とあなたの長上のために…』と言って、その姿は消えた。彼女のメモは、「こうしてペンをとっている今も怖い…」と言葉で結ばれています。
       この出来事のあった一九七四年(昭和四十九年)六月、伊藤司教は、その年の春先から長い患いがやっと癒えて、聖ペトロ、聖パウロの祝日の祝いをするために、山の聖体奉仕会を訪ね、二日前から滞在していたのです。彼女は聖体礼拝が終わると同時に、告白場に司教を招いて、その場で天使の言葉を直接告げたのです。司教は、その言葉の重大性を強く感じとり、新潟に帰る日に数人のシスターを呼び集めて、「天使のお告げによって、この会の指導者として安田神父を任命します」と述べたことを、私は今も覚えています。しかし、改めて文書をもって広く任命を発表することがなかったので、あくまでも会の内部に限られた、非公式なお知らせにとどまったと記憶しています。実際、メッセージとは裏腹に、「導きのすべてをまかせる」方向に動かれることはなさいませんでした。
       一九八五年六月九日、伊藤司教は定年となり、後任司教が教区長職を受け継いだ約二年後、わたしは聖体奉仕会に定住することが禁じられ、静岡県浜名湖の聖霊修道女会の聖霊寮の留守番として転任することとなりました。この時、一九七四年の天使のお言葉は、神様の御摂理として後任教区長に伝えられたのです。
       その三年後の一九九〇年四月十四日、聖土曜日に、この天使の言葉が再び、姉妹笹川に告げられたことを付記して、皆様の参考に供したいと思います。次の証言は、その当日、彼女が書いたメモに記録されているものです。
       『夕の七時から伊藤司教様の御ミサが捧げられた。御聖体拝領して自分の席につき、十字の印をして感謝の祈りに入ろうとしていた時、天使のお声がして『前に伝えた私の言葉がまだ実現していない』とおっしゃったので、何のことでしょうと一瞬ハッとしたと同時に、一九七四年六月二十八日、聖体礼拝の時に告げられた天使のお言葉と、その時の場面をはっきりと見せて下さった。」

       『先に、あなた方の祈りによって、この会に準備された神父様が、あなた方と共におられることを心に決められました。あなたの長上にお従いして、同じ心をもって、あなた方を導いて下さろうとしておられます。あなたの長上も喜ばれるでしょう…と考えて。
       あなた方の願いが聞き入れられ、あなた方を導く司祭の与えられたことを伝えたのに、なぜ歓びをもって、早くみなさんに伝えないのか。(少し間をおいて)
       この会は、あなたの長上だけのものではありません。あなた方を導いて下さろうとしている司祭は、すべてを投げうって、あなたの長上に従い、この会に捧げようとしておられます。それなのに、この与えた司祭に、あなた方の導きのすべてを頼み、まかせようと願わないのか。
       わたしを遣わされたお方に愛されたこの会とあなたの長上は、私の遣わされた言葉によって今日まで沢山導かれた筈です。
       私の遣わされた言葉を喜びと信頼をもって、早くみなさんに伝え、与えられた司祭に、導きのすべてを頼み、まかせるよう願いなさい、と申し上げなさい。何をためらっているのですか。ためらわず、信頼をもって伝えなさい。さもなければ、あなたの長上に与えられる恵みと導きがなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げなさい』
       続いて、『勇気をもって、あなたの長上に告げなさい。この事を実現するために、あなたの長上は生かされました。これを実行しなかったら、前にも告げたように、あなたの長上に与えられた恵みと導きがなくなるでしょう。勇気をもって、このことをあなたの長上に告げなさい…』とおやさしいけれども威厳のあるお声でおっしゃいました。そのお声だけで、お姿は見えませんでした。

       この天使の言葉は、夕の御ミサの直後、伊藤司教様に姉妹笹川から伝えられた上、このメモをもととして記録されました。伊藤司教様は驚いて、教区長退任後も御自分が住んでいた新潟の司教館に帰った際、後任の教区長様に、再び、伝えられたことと思いますが、天使の言葉は尊重されず、今日までそのままになっているのです。伊藤司教様は一九九三年三月十三日、自分の誕生日に肺炎で御死去なさいました。
       (一九九八年七月に天使の言葉の二回のメモをそのまま封筒に入れて、若い一人の姉妹に渡しました。「わたしが死んだ後に、開けて見てください。天使の言葉がほんとうであったか、どうか確かめてください。それは私に取ってどうでもよいことですから」それはどうなっているのか、今もって分かりませんが、天使の言葉として、考えても差し支えないと思っています。著者の注)  

      聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第七章 つづき2

      2015.07.04 Saturday

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        『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

        第七章 第三のお告げ つづき2

               隣人愛

         一九七四年二月二十五日、月曜日。
         夕の聖務に先立つロザリオの祈りの時であった。二連が終わり、第三連に移る瞬間、姉妹笹川に守護の天使が現れて、こうささやかれた。
         「いま悩み苦しんでいるひとりの姉妹がいます。あなたはこの姉妹の身につけている物を一つ借りてきて、初金曜日まで身代わりになってあげなさい。その日になったら、その人への返事をしましょう」
         そして姿を消されたので、彼女はロザリオの祈りからそっと脱け出て、まっすぐ台所へ行ってみた。ちょうど当番で働いていた一人の姉妹にかけ寄り、身につけている手ごろな物を考える間もなく、首のメダイに目が行き、いきなり鎖をはずし「これをちょっとわたしに貸してください。お話はあとでするから」と言うが早いか自分の首にかけ、聖堂の祈りのグループに戻って行った。それは自分でもおどろくほどの早業であった。
         ところがそのあと、もっと驚くべきことが起こった。聖堂に戻って、祈祷のつづきに加わってみると、まるで今までの自分がどこかへ行ってしまったように、全然祈りというものができない。
         いま神の尊前にいる、心をこめて祈りを捧げねばならぬ、と理性は命じるのに、精神の集中がまったくできない。思考は散漫となり、心には雲のごとき雑念が去来する…。
        ”祈りができない”とはこういうことだったのか、とはじめて覚らされた気がした。
         これまでもこの姉妹から「気が散って祈れない」との打ち明けを聞かされてはいたが、その訴えが理解できず、「なんで?」と問い返すばかりだった。「気が散るって、どういうこと?」とほかの姉妹たちにもたずねたりするうち、だれでも常に祈りに投入できるとは限らず、多かれ少なかれ心の散漫とたたかっているのだ、とわかり、自分の例外的恩恵をひけらかすごとき質問をつつしむようになっていた。
         たしかに姉妹笹川は”祈りの人”として稀な特典的恵みを受けていた。もともと幼い時から集中力に秀で、何をするにも一心に没頭するため、勉強も稽古事も上達が早かった。そのような具合だから、信仰に入ってからは、まっすぐに祈りに沈潜するようになった、という。
         祈るのはどのようにするのか、と問いただしてみると、答えは実に単純明快で、洗礼を授けた指導司祭が、祈りとは神様とお話しすることだ、と教えたので、以来その通りにしているだけ、という。もともと父親にかわいがられた父親っ子だから、神様にも父に対するようにお話する。マリア様には、やはり母に向かう気持ちでお話ししている…と天真らんまんである。”幼な子のごとく”と言われるのは、こういう心根をさすのであろうか。それでも、祈りの途中でほかの考えが起こることはないのか、と念をおしても、神様の前に出てお話ししているのに、どうしてほかのことを考えられるのか、と不審そうである。それに口祷の時は、その祈祷文の意味を思うし、また今ときに祈ってあげるはずの人々の顔がずらりと見え、そのひとりひとりに心をとめてゆけば、時間がたりぬほどで、余計なことを考えるひまなどない、という。またそれがだれでも当然、と思っているらしい。
         そういう恵まれた境地にいただけに、この経験は大きなショックだった。考えが右往左往するばかりがか、周囲のすべてが気になる。今まで”人前をつくろう”とか”気どる”ということは、言葉としてしか知らなかったが、はじめてわが身に実感された。
         そんな心の状態のむなしさ、苦しさというものに、ようやく合点がゆき、深い同情をもって身代わりの祈りを捧げようとつとめたのであった。
         一方、当の姉妹は、「こんなにお祈りに集中できるなんて、はじめて!」とあかるい笑顔ではしゃいでいた。
         一日おいて二十七日は、四旬節の水曜日に当たり、大斎・小斎を守る日であった。かねて福音書に学んだ通り、この種の悩みには断食を伴う祈りが効力をあらわすことと思い、姉妹笹川はとくにきびしい断食をした。胃の具合を口実に、水一滴とらず一日を過ごし、ただ心をこめて、祈れぬままに「主よ、憐れみたまえ」を連発し、聖母に向かって「お助けください」と、言葉にならぬ射祷を必死にくり返していた。
         その夜七時半から”十字架の道行”の祈りがあった。暗く閉ざされた精神をむち打って、苦しい信心業を終えたとたんに、暗黒のかなたから魂にサッと一条の光がさし込んできた思いがした。心の片隅に一点の灯火がともったようなたのもしい感じであった。同時に、われに返ったように、いつもの祈りの精神がもどってきた。そうして翌日もそのまま、晴朗な朝をむかえた。
         ところが、例の姉妹のほうはすっかりふさぎ込んでおり、人ともろくに口をきかず、ついに一日部屋にとじこもってしまった。その内心の苦しさというものを今は身に沁みて知る姉妹笹川は、たびたび見舞ってなぐさめ「お互いの弱さ醜さをみんなマリア様にさらけ出して、いっしょにお助けを願いましょう」と、同病相憐れむ態度で力づけた。かげでは、できるだけ断食と祈りをつづけていた。
         ようやく月が替わり、天使に約束された初金曜日が来た。朝、例の姉妹と出会うが早いか「お祈りありがとうございました」とあかるい笑顔であいさつされた。そのおかげをはっきり感じた、という。こちらはなおも気をゆるさず、祈りをつづけた。
         その夜の”十字架の道行”のあと、暗い聖堂にちょうど二人で残っていると、守護の天使が姉妹笹川に現れた。「信じなさい、委せなさい、祈りなさい」と隣りの姉妹への忠告のように言われる。そのままをくり返して伝え、その姉妹が「信じます、委せます、祈ります」と答えると、天使の姿は消えた。とたん姉妹笹川は、前に借りたメダイを無意識に手に持っていることに気づき、それを隣りの姉妹に返した。彼女はすぐに首にかけ、聖母像の前にすすみ出てひれ伏した。「マリア様、私は信じます。委せます。祈ります。」と声をあげて祈ったとあとから言っていた。
         こうしてこの姉妹は、十字架として与えられていた苦しみから一挙に解放されたわけではないが、やがて遠い将来にせよ、試練をのり超えられる信頼と希望の光を、恵まれたのであった。

             *      *       *

         今回の出来事は、だれの目をおどろかすこともない、純然たる内面の世界の話である。ただ、一姉妹の内心の苦しみにともにあずかって祈った友情ものがたり、ともみえるが、実は姉妹笹川自身にとって、一つの予備的な恩恵であった。
         三つの忠告をもって信・望・愛の重要性を示し、これから起こるかずかずの困難にたいする見通しと心がまえを与えられるものとおもわれる。

         現代の風潮では、宗教家でも神や仏をただ信じるというより、信仰の対象を学問のように究明して、知的に把握することを重んじる傾向がある。カトリック界でも、神学的知識がむやみともてはやされ、求められている。しかし、研究して理解したことだけを信じるのでは、信仰といえるであろうか。それは知識に過ぎないのではないか。
         だいいち、いくら人知をつくしたところで、神の神秘の深淵をきわめられるものではない。いくらかでも探りたければ、神から与えられる信仰の恵みによるほかない。
         人はよく、まず知らなければ、神に祈ることもそのはからいに身を委ねることもできない、などという。そのように考える人は、自分の能力を信じ、自分にだけ頼る傾きがある。全くの他者であり、およそ計り知れぬ神という存在に祈る心にはなれないわけである。
         目にみえる世界からして、そこに充満する神秘はわれわれの知識の遠く及ばず、理解をはるかに超えるものである。目にみえぬ精神界のふしぎにいたっては、人知の微かな光では何もつかめず、信仰の光によってのみ無限の神秘をさぐりうるのである。知識万能主義の人には、精神界の苦しみとその身代わりの事実など、およそ荒唐無稽の夢ものがたりとして、一笑に付せられるだけであろう。

         姉妹笹川が、天使のすすめに従って、一姉妹の精神的苦痛にともにあずかってあげたことには、更に、隣人愛の模範を見ることもできる。
         こんにち、このような種類の隣人愛は、あまり顧みられぬようである。教会史上に残る聖人たちは、自分自身苦しみに身をゆだねて、隣人を愛する人々であった。わが身は安らかに保って、ただ宣教に従事しても、神のみ言葉は安易に実るものではないのである。
         姉妹笹川を通して天使が教えたものは、目に見えぬ業とはいえ、具体的な隣人愛の実行にほかならない。現代は物質的なやりとりのみを、それも懐の痛まぬ程度の応酬を、隣人愛の実施としているようであるが、真に神の聖旨にかなう業であろうか。キリストはきびしいことを言っておられる。「自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなたがたに何の報いがあろうか。自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、何か特別なことをしたのであろうか」
         この試練に際して「信じなさい。委せなさい。祈りなさい」と教えられたことは、その後の二十数年間の苦難のかずかずを思うとき、他の誰よりも、姉妹笹川にとって貴重な恵みであったと言えよう。司教委嘱による二度の調査委員会から受けた心身の打撃―真相糾明という大義名分も先入観に牛耳られると、しばしば毒ある針をふくむことになる―に加えて周囲の疑惑の目―姉妹たちも弱い人の子であり、権威筋の断言には同様せずにいられなかった―などの苦悩の嵐の中で、ひたすら信じ、委ね、祈ることに支えを見いだしていた。ここにも神の慈愛のはからいを見るのである。
         
         以上、書きつづけてきたことは、私が湯沢台の聖体奉仕会修道院に来る前の一年ほどの間に起こった事実である。自分で見聞きしたわけではないから、詳述するについては、姉妹笹川の日記をもとに、その折々の事情をあらためて本人に問いただして正確を期した。
         一九七四年三月十日、まだ雪深い湯沢台にひっそりと住む姉妹たちの許に、私は身を寄せることになった。私にとっては社会でも宣教生活に一年の休暇を許された形であったが、今思えばこれが半生の長い宣教生活にピリオドを打つものであった。
         ここで聖母像をめぐるふしぎな出来事に出合ったことは、私個人の予想や希望と全く関わりのないめぐり合わせであり、天の配剤の前に頭を垂れるのみである。

         次章からは、私が直接見聞きした事柄を報告することになろう。
         思えば、若いころ司祭職にあこがれたのは、神のみことばの宣教のつとめに惹かれたからであった。念願の司祭となった以上、わき目もふらず宣教ひとすじに生きるつもりであった。みちのくの山深い里の一修道院に、姉妹たちとかくも長期間生活をともにすることなど、毛頭考えず、意図せぬことであった。
         今にして深まるのは、聖母の御心に惹かれるまま、まさに摂理の霊妙な糸にあやつられて来た、という感慨である。 

        聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第七章 つづき

        2015.07.03 Friday

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          『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

          第七章 第三のお告げ つづき

           一九七四年

           年があらたまって、一月三十日にまた一つ、変わった出来事が起こった。
           この年は、秋田気象始まって以来という大雪に見舞われたことで、人々の記憶に残っている。とくに一月三十日は、一日中烈しい雪が降りつづけた。
           その夜、姉妹笹川は、真夜中過ぎと一時半と三時四十分に目をさましたが、三回とも、雪の重みで屋根がつぶれそうになっている夢におびやかされた。夢の中で、つぶれかかってくる天井を両手で懸命に支えていたので、目がさめると、肩はこり胸は苦しく汗びっしょりになっていた。夢でよかった、と思いながらも、なおも降りつづけている雪が気になった。夢の中では、落ちかかってくる天井の重みに、さし伸べた腕が堪えられなくなるたびに、守護の天使が現れ、代わって支えてくださった。三回とも、そうして助けられた。
           どうもこの降りようでは、相当に雪が積もって、ほんとうに屋根に危険な重圧がかかっているのではなかろうか。朝になったらすぐ雪下ろしの作業を願わねば…と夜の明けるのが待ち遠しかった。
           四時半の起床では外はまだ暗いが、降りつづいている雪を透かして、向かいの司祭館の屋根に白いものが二メートルほども積もっているのが、みとめられた。これはあぶない、と思ったが、自分は力仕事など手も出せぬだけに、そういうことに口を出すのも常々遠慮がちであった。
           朝の祈りが終わり、朝食になるのを待って、管理を受け持つ姉妹に、心配を話してみた。危険を暗示するような夢を三度も見たことを告げ、一刻も早く雪下ろしを、と願った。ところが全然相手にされない。この家を建てる時、太い柱を十分に使っているからこのくらいの雪ではビクともしない、と自信たっぷりである。こちらは、妙高での雪の猛威の経験を持ち出し、重圧で二階家もおしつぶされる怖ろしさを、しつこく説いてみたが、てんで受けつけてもらえない。
           それでも不安で居たたまらず、他の姉妹に訴えて、口添えをたのんだ。一応念のためと外に出て見た責任者の姉妹は、二階の屋根を見上げて、色を失った。
           すでにかなりの垂木が折れたとみて、母屋の屋根の大部分が窓がかまちの上十センチ位まで落ち込んでいる。しかも、ふしぎなことに、姉妹笹川の部屋の上だけ元の高さに保たれているので、凸字形に左右になだれ落ちている。
           夢の話の真実性をまざまざと見せられて、この目上の姉妹は
          「ほんとうに、これこそ神通力で助けてくださったのね。まったく大したものね」
          と感にたえて皆に告げた。
           それから、早く手を打たねば、と大さわぎになった。思わぬ大雪で、家々はどこも雪下ろしにう忙殺され、働ける人はすべて動員されていた。ようやく、下の村人がふたり救援にかけつけて、大屋根にのぼり、軒先に白い崖をめぐらすほどに雪を落としてくれた。
           なおも降りしきる雪空を仰いで、姉妹笹川は、もしもあのまま誰も何も気づかずに過ごしていたら…と思うだけで慄然とした。目前に迫っていた惨禍を免れさせて頂いた恵みを、心から感謝したのであっった。
           もっとも彼女自身には、夢の中での奮闘が、現実の身にひどくこたえていた。両腕の筋肉は固くこわばり、足全体は登山でもしたように萎え、胸は苦しく、体中の力が抜け、まさに疲労困憊の極みにあった。何事にもがまん強いがんばりやが、とうとうその午後は目上に願い出て、休養を取ることにした。
           その後、屋根は春の雪どけを待って修復されたが、大工は被害におどろいて、垂木が四十二本も折れている、と告げた。一同愕然として、あらためて感謝の祈りをささげたのであった。
              *     *      *

           今回の”事件”は、直接マリア像に結びつくものではなく、姉妹たちの間に起こった二つの出来事である。
           その一つは、十七日の間めぐまれた天上の香りに代わって、堪えがたい悪臭に三日間なやまされたことである。芳香はあきらかに聖母像から発散していたが、臭気の根源はつきとめられなかった。もしやネコかネズミの死骸でも、と手分けして探してみたが、何もみつからない。各自の前に忽然と現れた蛆虫も、どこから這い出たか、ついに分からずじまいであった。
           悪臭も何かこの世ならぬ神秘なものを感じさせただけに、このふしぎな蛆も、象徴的な意味を荷って出現したように思われた。そういえば、まるで腐臭の溜まり場のように、いちばん臭気の甚だしいのは香部屋で、ここは皆の告解場に使われている。誰からとなく、私たちの罪の臭いだ、と言いだし、頭を垂れてうなずき合った。タクアンの腐ったような汚臭は、”まさに私たち日本人の罪の臭いだ”とたびたび強調したという姉妹小竹の感想は、なかなか穿った指摘といえる。「芳香はマリア様の体臭で、この悪臭は私たち本来の臭いだった。良い香りのお恵みにいい気になっていたから、真実を思い知らされた」という姉妹笹川の告白は、一同の思いを代弁するものである。さらに、目の前につきつけられた蛆虫に、各人が自分の姿を見るごとく、おぞ気をふるって、「本来お前は何者か。神の尊前には一匹のみにくい蛆に過ぎないではないか」と反省をせまられていたという。
           それにつけても、最初は自分の前の虫に気がつかず、めいめい隣人の蛆が目についた、というのも、意味深い。「己のあさましい姿は、自分からは目につかないものなんですね」という彼女たちの述懐は、まことに当を得ていると思う。
           それに、蛆虫というものは、聖書にも罪の汚穢と苦渋の象徴として用いられている。地獄のおそるべき却罰の状態を「その火は消えず、その蛆は死なず」と、キリストも描写される。
           われわれの生きているこの現実の世界は、神の祝福と恵みのゆたかに薫る場ともなれば、また、至聖なるおん者の不興と呪いを受けて悪臭をはなつ場ともなりうる。前者は神の恩寵のはたらきのもとに、やがてその光栄の充ちみてる天国へと導かれる前庭と考えられ、後者は神に唾棄されて自他ともに憎悪と絶望の底なき淵へとひらく断崖を想わせる。
           これらは、イエズスの言葉にどのように従うか、世の人々に示された分かれ道の道標のように、くっきりと明暗を現わしている。
           そして、聖母像を通じての第三のお告げの直後の出来事であるだけに、とくに意味を含み、真摯な反省をうながす契機と考えられるのである。

           その二は、天使に扶(たす)けられた姉妹笹川の夢の世界での”奮闘”によって、豪雪の被害を免れた事実である。彼女の弱い身体を楯として、聖体奉仕会の全員が自然の猛威から守られたことも、一つの象徴として見ることができよう。守護の天使の超自然的援助によることも含めて、聖母のお告げを遵守する者に、神の加護が約束されることを示しているごとくである。

           こんにちの文明世界におけるキリスト教は、カトリックにおいても科学偏重にかたむいて、現実の世界にはたらく超自然の干渉を軽視しがちである。秘跡における超自然の有効性はみとめても、それ以外の分野では軽くあしらうきらいがある。現代人は、天上界に属する天使のはたらきや干渉が、この地上の人間社会に及ぶことを嫌うかのようである。とくに人文科学として心理学を尊重し、それによって宗教的超自然や天使の存在なども片づけようとしている。
           今の場合、姉妹笹川の超自然的夢の世界とわれわれの現実の世界が、雪害との戦いを通して、まぎれもなく結びついていることをさとされる。これは、天上界とこの地上界とが、天使のはたらきと仲介によって緊密に結ばれている真理の、一つのあかしではなかろうか。
           聖母マリアが神の”みことば”をやどす神秘は、大天使ガブリエルのお告げによってはじまる。
           天上界の至聖なる三位一体の神と、この地上の現実に生きるひとりの人間おとめマリアとのまじわりが、天使の仲介によってはじめて成立した。それを思えば、こんにちも神の聖旨の仲介者として守護の天使のはたらきかけがあることは、一向ふしぎではない。むしろ、神がすべてをしろしめしたもうという真理の一端を示すもののようである。
           以上の一見ささやかな出来事にも、聖母像を通して与えられた”お告げ”の重要な意味を理解する助けが含まれているのではなかろうか、と思うのである。

          つづく