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    ヘロデの前のイエズス

    2013.09.13 Friday

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      アンナ・カタリーナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』より 光明社刊

       27 ヘロデの前のイエズス

       広場や、イエズスが引き立てられたもう道筋には、過ぎこし祭の巡礼の群れが押し合いながら立っていた。かれらは知り合い同志で一団となり、出身地別になっていた。全国からの怒り狂ったファリザイ人たちは、無定見な民衆をイエズスに反対するよう駆り立てようと、各々同郷人の群れの前に立っていた。ピラトの館のかたわらにあるローマ兵の見張り台の前や、街の重要な地点には大勢のローマ兵が配置されていた。
       行列は一隊のローマ兵に護衛されて来た。この兵士たちはイタリアとスイスの中間地方からの出身者であった。イエズスの敵たちはこうして歩き回らねばならぬことを非常に憤慨し、そのはらいせに主を罵倒した。総督の使いは、その間にヘロデの所へ行き、行列の来るということを知らせた。
       ヘロデはすでに大きな広間で褥(しとね)付き玉座の安楽椅子に座ってイエズスを待っていた。かれの周囲には大勢の宮臣や兵士たちがとりまいていた。大祭司たちは回廊を通って中に入り、両側に立った。イエズスは入口に立たれた。ヘロデは非常に得意になっていた。そえはピラトが大司祭たちの前で、ガリレア人を裁く権利をかれに与えることを公然と宣言したからである。かれは今や非常にいそがしくたちふるまい、尊大振っていた。またかれの前に出ることをさげすみをもって避けていたイエズスが、こんな情けない恰好でかれの所へ来たことをかれは喜んだ。ヘロデはヨハネがイエズスについて大変荘重に語るのを聞き、密告者や間諜(かんちょう)たちからもナザレト人についていろいろの報告を受けていた。そして主に自ら会うことを非常に望んでいた。かれは自分の宮臣や、大司祭などの前でおおげさにイエズスの訊問を行った。自分がいかにこの事件の内情に通じているかを、この両方の者たちに見せてやろうと手ぐすね引いて待っていた。
       しかしかれはまたピラトがなんらの罪をもイエズスに認めなかったという報告も受けていた。このことは告発人たちを用心してあしらってやった方がよいという暗示をへつらい者のヘロデに与えた。しかしそのために告発者たちをかえってますます激昂させてしまった。かれらははいってくるやいなや、非常に激しく訴え出た。ヘロデはしかし物めずらしげにイエズスを眺めた。そして汚れ果てた着物に包まれて、かくもみじめに虐げられ、髪は乱れ、打ちたたかれ、血に染まった主の顔を見て、この柔弱な王は気分を悪くしながらも同情を禁じ得なかった。かれは顔をそむけて司祭たちに言った。「この男を連れ出せ、きれいにして来い。」すると下男たちはイエズスを前の広場に連れて行った。そして水とボロ切れの入った鉢を持って来て、乱暴に主を洗った。かれは主の傷ついている顔を痛めようがどうしようが容赦なく洗った。ヘロデはかれらのひどい取り扱いをとがめた。それはピラトのしぐさをまねようとするかのようであった。「かれを見るがよい。―屠殺者の手にかかったようだ。今日おまえたちはもう時間前に過越し祭を始めてしまったではないか。」しかし大司祭たちは自分らの訴えと起訴をうるさく持ち出した。その時イエズスが再び連れて来られた。ヘロデは主に親切心を見せようとした。そして主がすっかり弱り果てているだろうからと、酒の入った杯を持って来るように命じた。しかし主は頭を振られて、その飲物を飲まれなかった。
       ヘロデは何かとしゃべり散らし、主に対しお世辞がましく、自分が主について知っていることをならべ立てた。始めかれは少々質問をした。また何か主が奇跡を行うことを望んだ。しかし主は一言半句も答えられずずっと静かに下を向いて居られた。ヘロデは非常に怒った。かれはみんなの前で恥をかかされたのだ。でもそれを人に気づかれまいとした。そして、質問ときまり文句をたてつづけにぶちまけるのだった。かれは言った。「余はおまえがひどい罪を負わされているので気の毒でならない。余はおまえのことをいろいろ聞いて知っている。ところでおまえはローマ総督から余の所へ送られて来た。そして余の裁判を受けるのだ。おまえはみなの訴えに対して何というのか。何? おまえは黙っているな。みなはおまえの話や教えのすぐれた知識について余に聞かせてくれたが、余はおまえから告訴人たちへの反駁を聞きたいのじゃ。なんとおまえは言うのか。おまえがユダヤの王というのは本当か。おまえは神の子か。おまえはだれだ。おまえは大きな奇跡を行ったそうじゃが、さあ、余の前で自分の証しをたてろ。しるしを見せろ。余はおまえを放免することができるのじゃぞ。おまえは生まれながらの盲目を見えるようにしたというが、それは本当か。おまえはラザルを死からよみがえらせたって。なぜおまえは返事をせんのじゃ。奇跡を一つ見せてくれ。それはおまえのためになるぞ。」
       しかし、イエズスは黙って居られた。ヘロデはますますせき込んで話した。「おまえはだれだ。だれがおまえに全権を与えたのだ。なぜ今はもう、何もできんのか。おまえの生まれにまつわって奇妙な話があるじゃないか。最近余の聞くところによると、民衆はおまえのために神殿へ凱旋行列を行ったそうだが一体あれはどういう意味があるのだ。それが今、こんな結果になったということは一体どうしたわけだ。」
       しかし、ヘロデはすべてこれらの問いにイエズスから一言の返事も得られなかった。主がかれにお話しにならなかったのは、洗者ヨハネをかれが虐殺し、またヘロディアスとの姦通のせいであったことがわたしに知らされた。
       アンナとカイファは救世主の沈黙に対するヘロデの不機嫌を利用してその訴えをまた改めて述べ立てた。かれらは特にイエズスがヘロデを狐と呼び、すでに以前から王室の滅亡を企てていたということや、新宗教を始めようとして過越しの羊をすでに昨日食べてしまったことなどを訴えた。
       イエズスの沈黙にヘロデは実際非常に憤慨していたが、ある政治的もくろみを忘れなかった。かれは救い主を裁こうとは思っていなかった。かれは主に何か言い知れぬ恐怖を抱いていた。またヨハネを虐殺したことでかれは時々不安におそわれていた。また他方かれは大司祭たちをきらっていた。それはかれらがかれの姦通を決して是認しなかったためと、またそれゆえにかれを犠牲の祭りから除外したためである。しかし、ピラトが主の無罪を宣告したということが、主を裁きたくなかったおもな理由であった。かれは司祭長たちの前で、ローマ人にへつらおうとしたのである。今やかれはイエズスに軽蔑的な毒舌を浴びせかけ、下僕や護衛兵に命じて言った。「この馬鹿者をつまみ出せ。笑い者の王さまにふさわしい敬意を表せ。こいつは罪人と言うよりかおろか者と言った方がいい。」かれらは救い主を広い庭に連れ出して言葉につくせぬ虐待や侮辱を加えた。この庭は館の一画に囲まれていた。ヘロデは平屋根の上からこの虐待をしばらく見下ろしていた。しかし、アンナとカイファは常にかれの後に付きまとい、イエズスの判決を決定するようにといろいろ手をつくした。しかし、ヘロデはローマ人たちに聞こえよがしに言った。「もし余がかれを裁けば、余は最大の罪をおかすということになる。」しかし、実際はていねいにも、イエズスをわざわざ自分のところに送ってよこしたピラトの判決に、反対するのがかれにとっては最大の罪であるということを意味していた。
       司祭長や他のイエズスの敵たちは、ヘロデがどうしても自分らの思うようにならないことがわかると、その仲間二、三人の者に金を持たせ、大勢のファリザイ人がちょうど滞在しているアクラ市区に走らせた。そしてかれらはファリザイ人に、その同郷人の者といっしょにピラトの館に行くようにうながした。また司祭長らは多額の金を、ファリザイ人を通じて民衆の間にばらまかせた。それは民衆にイエズスの死をさわぎ立てて要求させるためであった。他の大司祭の使いたちは民衆の間に、―もしかのガリレア人を生かして置けばきっと神の裁きが民の上に来るだろうという脅迫を言いふらして歩いた。主の敵たちは、もしイエズスが許されれば、イエズスはローマ人と結託するだろう。それがかれのいつも言っていた王国だ。そうなればユダヤ人は永久に滅びてしまう、と宣伝した。また一方ヘロデは、かれに有罪の判決を与えたが、万一かれが許されると、かれの帰依者どもは祭日をめちゃめちゃにしてしまう危険があるから、民衆もまたその意思表示をしなければならぬと言ううわさを広めさせた。こうして混乱、ひどい不安をかもす噂が広まり、民衆がみな激昂し、怒り立つように手配した。同時にヘロデの兵卒たちには金を与えて、イエズスを死ぬほど乱暴に虐げさせた。それはピラトが主を放免することを恐れ、主の死を望んでいたからである。
       これら礼儀知らずの神を恐れない悪党たちのために、わが主はもっとも侮辱的な嘲弄と、もっとも残酷な虐待とをこうむらなければならなかった。かれらは主を庭に引き出すや、一人の兵卒は門番の小屋から大きな白い袋を持ち出して来た。かれらはその袋の底に穴を作り、嘲笑のうちにそれを主の頭からかぶせた。その袋は足の方まで垂れ下がった。他の一人の兵卒は、赤い布きれをカラーのように主の首のまわりにまきつけた。そして、主が自分たちの王に返事をされなかった腹いせに、その前におじぎをしたり、あっちこっちに突き飛ばしたり、罵倒したり、つばきしたり、顔を殴りつけたり、またあらゆる侮辱をこめた敬意の礼をつくした。そして、兵卒たちはあたかも主を躍らせようとするごとく引っぱり回した。主は長い引きずるような愚弄のマントに足を取られ倒れた。さらに主は庭のまわりにある建物に沿って流れている溝の中に引きずり回された。そのため聖なる顔は柱や隅石などに打ちつけられた。ついでかれらは主を再び引っぱり上げた。するとさらに新しい騒ぎが起こった。ファリザイ人から金をもらった者が、ひしめき合い棍棒でその頭を殴りつけた。主に新たなる虐待が加えられるごとにかれらの間には高笑いが巻き起こった。そこには主に同情を寄せる者はただの一人もいなかった。わたしはイエズスがひどく出血し、三度までもその打撃のためにお倒れになったのを見た。しかしわたしには天使が泣きながらそのお顔に油をぬっているかのように見えた。わたしには、この打撃は神の助けがなければ、全く致命的なものであったことが示された。
       しかし、大司祭たちは間もなく神殿に再び行かねばならなかったからせきはじめた。かれらはすべての指令が達せられたという報告を得るや、さらにもう一度ヘロデにイエズスの判決を迫った。しかしかれはひたすらピラトを気にしていたので、イエズスを愚弄のマントを着せたままで総督のもとに送り返した。