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2017.01.04 Wednesday

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    15のつづき イエズスはトマと一緒の使徒たちに現れる

    2015.04.20 Monday

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      マリア・ワルトルタ『復活』あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳編より
      15のつづき イエズスはトマと一緒の使徒たちに現れる

      「私はあなたたちに罪をゆるす権能を与えた。しかし自分が持っていないものを他人に与えることはできない。したがって、あなたたちは、罪に汚されて来るであろう人々を清めるために、罪で汚れた者であれば、どうして他人を裁き清める事ができようか。(2) ゆるしの権能を完全に持つには、最も清い者でなければならない。また、自分の目に針があり、さらに心に地獄の重荷を持っているならば、どうして他人を裁けようか。自分の罪のために、自分と一緒に神を持っていないのならば、どうして私は神の名によって、あなたをゆるすと言えようか。あなたたちは尊さ、威厳を考えよ。先に私は裁くため、また、ゆるすために人々の中にいた。そして今、私は御父の所に、私の天に戻る。それによって、私に裁きの権能がなくなったのではなく、むしろその権能はすべて私の手中にある。御父は私にそれを委ねられた。この世において、ゆるしを得られない人々を裁き、それにすべての人々が、自然の死によって役に立たない遺体を残し、自分の霊だけを持って、私の所に来るであろう時、私は最初にその人を裁くであろう。(3) それから人々は、神の命で取り戻した肉体に戻り、小羊たちは牧者と共に、また野生の山羊はその拷問者と共に、それぞれ二つに分けられるであろう。だが洗礼の清めの後、私の名においてゆるす人がいなければ、(4) 牧者と一緒にいられる人間はどの位であろうかl、そのために私は司祭をつくる。私の血によって贖われた人々を救うためである。だが私の血が救ったとしても新たに死に落ちる。そうであれば勢力を持っている人は七十回絶えずして、その人々を洗うべきです。死の餌食とならないように。それはあなたたちとあなたたちの後継者で行うように。それゆえに、あなたたちをすべての罪から解放する。なぜなら罪は、霊魂にとって神なる光を取り去り盲目にする。あなたたちには、見える必要がある。それにあなたたちには、理解する必要もあるからである。罪は、神なる理性の理解力を取り去り、人を愚かにさせてしまうから。あなたたちには清める霊があるが、その代わりに罪は、神なる霊の清さを取り去ってしまう。私の名において、裁きとゆるしを与えるあなたたちの使命は大いなるものである。人々のために、パンとぶどう酒を聖別する事によって、私の体と血になる時に、あなたたちは大いなる超自然的な崇高な事を行う者となろう。それを相応しく行うために、あなたたちは清くあるべきです。あなたたちは清さそのものにふれ、神聖なる肉体で養われるであろう。心、知恵、肢体とにおいて清くあるべきです。心で聖体を拝し、その神的な愛には世俗的な愛を混ぜるべきではない。そして知恵においても清くあらねばならない。その愛の奥義で理解するべきである。
       世間の知識が残れば、あなたたちの中の神の知恵は死ぬ。更にあなたたちは体の清い者であるべきです。なぜなら、あなたたちには神のみ言葉が下るであろうから。あなたたちの、肉となるみ言葉を迎える心が、どのようなものであるべきかには、生きる模範がある。原罪なくして私を担った私の母、マリアである。ヘルモン山の峰が冬の雪のヴェールにまだ包まれている時、どんなに清らかであるか見なさい。橄攬山から見ればその峰は、百合の花束の積み重なったもの、あるいは青空の平原に、四月の風に運ばれた雲々、清さに向かって、ささげもののように上がる泡のように見える。しかし自分の香りを放って開く百合の花びらさえ、先に言った清さは、私の母となった懐ほどは清くはない。雪山に風が運んだ埃(ほこり)と、絹のような花びらの上に風が落とした埃がある。だが人間の目にはそれがつかめない。それほど軽いから。だがその埃は清さを汚す。王笏を飾るために、海の貝から採取した真珠を見なさい。その真珠は貝のくぼみにできる。肉体の接触を知らないその真珠層は、サファイア色の深海の中に爪立ちして完全である。それでも私を担った懐ほど清くはない。その中心には砂の一粒がある。非常に細かいけれども地上的である。三位一体の海に生まれた真珠であるマリアには、罪の一粒もなく、また罪の邪欲の元もない。この世に第二の位格を運ぶためであるその真珠は、地上的な邪欲の種ではなく、永遠の愛(5)の炎で煌めき、その貝に深く一つに固まり集まっている。煌めきはその真珠に万能を見つけたので、神的な流星の渦巻を生んだ。その渦巻は今、神の子らを自分に呼び寄せる。明星であるマリアの汚れなきその清さを模範にするように。後に海の中に手を入れて、罪を犯した哀れな人々の汚れた服を清めるために、その血を汲む時、より大きな罪に汚されないように、まったく清い者でなければならない。神の血に触れるためには先に述べた厳しさをもって、弱い人々に対し神の思し召しを教え導かねばならない。キリスト的でない厳しさ、あるいはそれを拒み、愛徳と正義に背けば、小羊たちの牧者ではない。おお!私の愛する弟子たちよ、あなたたちが私の始めた業を続けるために、世界中に司祭を派遣する。あなたたちはその業を続ける間、私が先に言った事をいつも思い出しなさい。私がこう話すのは、あなたたちを聖別し、さらに聖別されるであろう人々が、これらおことを人々に繰り返すためである。私は未来の世紀を見る。未来の限りない群集は、皆私の目前にある。私は見る。虐殺や戦争、偽りの和睦と恐ろしい皆殺し、肉欲と傲慢を見る。
       悪の毒が人間を怒りで病気にしてから、まれに十字架に戻る人々に、砂漠の乾いた砂の中に清い波を知らせるオベリスクのように、私の十字架は愛をもって救いの水辺に建てられた。苦しむ霊魂は子鹿のように、また、つばめや鳩のように、それぞれの苦しみから立ち直り新たに希望するために、休みと安らぎを与えるその水辺に走り集うであろう。その十字架の業は、丸屋根が嵐と酷暑から守るように、悪を追い払う(6)しるしを持って、人間がそのように望む時まで蛇や猛獣を近づけない。
       私は見る。人間また人間…。女、子供、老人、兵士、研究家、博士、それに農夫たちを見る。皆、それぞれの希望と苦しみの荷を背負って通る。そして多くはよろめきながら通るのを見る。苦しみがあまりに多く、そして希望が重い積荷から滑ったからである。それに多くの人々は道端に倒れるのが見える。なぜなら、もっと力強い、あるいはそれほど荷のない人々に、道端で押されるからである。また、ある人々は、通ってしまう人々に見捨てられたと感じて、死ぬほどたまらなくなり、憎しみや呪いまでに至ってしまう。哀れな子供たちも続いている。生活に打ちのめされて通る。そして倒れる人々の中に、私の愛は、憐れみ深いサマリア人、善い医者を、夜の中に光を、沈黙の中に声々をわざと配った。それは倒れる弱い人々が助けを見つけ、光を再び見出し希望するために。あなたは一人ぼっちではない。あなたの上に神がおられる。あなたと一緒に、イエズスがおられると言っている声を再び聞くように。私がわざとこうするのは、私の哀れな子らが、父の住まいを失って霊に死なないようにである。そして私の代理者たちが私の反射を見て、愛である私に(7)に、続いて殉ずるようにと望む。しかし私の心臓の傷、ゴルゴタで開けられた時と同じく、私の心臓から血を流させるこの苦しみよ! 神なる私の目には何を見ているか? 通り過ぎる数知れない群衆の中に司祭がいないのか? そのために私の心臓は血を滴らせている。また神学校はからっぽなのか? 私の招集はもはや人間の心に響かないのか? 人間の心はもうそれを聞けないのか? いや未来の世紀にわたり神の学校は存在し、その中に司祭を望む者がおり、そこから続いて司祭が出るだろう。なぜなら、少年期における私の招集は天の声で、多くの心に響き、そして彼らはそれに従うであろう。だが若さが成熟したとき、他の声が入り込み、私の声は、その少年たちの心に響かなくなる。世紀にわたって聖職者に話す私の声を聞く彼らは、今のあなたたちのような使徒であるように。司祭の服は残った。けれども司祭は死んだ。世紀にわたってあまりにも多くの司祭にその事は起こり得るであろう。彼らは何の役に立たない影。彼らは人を上げるてこ、渇きを取る泉、飢えを取る麦、枕となる心、闇の中の光、先に言った事を繰り返す声とならないであろう。彼らは哀れな人類に対してのつまずきの石、死の重荷となるであろう…。
       おお! 恐ろしい事、未来における私の司祭たちの中にもユダを見つづけるであろう。友人たちよ、私は今、栄光の中にいるが、それでも泣いている。私は限りない群衆、牧者のいない、あるいはまれな牧者しか持っていない羊の群を哀れむ。限りない哀れみ! だが私の神性に誓って言うが、私は彼らに私の業に選ばれた人々が与えようとしないパン、水、光と声も与えるであろう。未来の世紀にわたって、パンと魚の奇跡を繰り返そう。
       少ない魚と少ないパンをもって…。私は多くの人々の飢えを満たし、その人々を哀れむために残る! そして哀れな人々が滅びるのを望まない。また、このような者になれる人は祝されよ。それは、そのような者であるから祝されるのではない。自分の愛と犠牲によってそうなれたからである。また、使徒として知るであろう。司祭たちも最も祝される者であるように!
       私の貧しい小羊たちのために、特別な光で輝く者であるように。友人たちよ、立ちましょう。そして私と一緒に来なさい。
       私はあなたたちに祈ることを教えよう。祈りは使徒の力を養うもので、神へと至らせる」
       そしてイエズスは立って狭い梯子の方へ向かう。
       しかし、その梯子の一段目に至った時、振り向いて私を見る。自分の”小さい声”を捜す。弟子たちの頭の上に私を見て微笑み、私に我を忘れさせる。何という喜び、そして、私に祝福を与えて言う。
      「平和があなたと共に」

      (2)それは絶対的な不可能ではなく、ゆるしのその使命を最も効果的に果たせる不可能の事である。
      (3)個人の裁きを示す。
      (4)ゆるしの秘跡。
      (5)至聖なるマリアはだれよりも神に一致した者で男の愛によってではなく、神の愛によって処女的に、イエズスを懐胎した者である事を暗示している。
      (6)エゼキエル9章、マテオ24・29~31。
      (7)一ヨハネ4・7~16。 

      15 イエズスはトマと一緒の使徒たちに現れる

      2015.04.20 Monday

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        マリア・ワルトルタ『復活』あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳編より

        15 イエズスはトマと一緒の使徒たちに現れる
         イエズスが言われる。"小さいヨハネおいで、そのビジョンはあなたの気に入った小さなベンヤミンのように、あなたの手を私の手の中に置いて、私はあなたを私の恵みの園に連れて行こう。あなたのためと、他の人々のために、恵みに恵みを重ねよう。私があなたに現わし、またいう事は、どんな事でも大きな恵みです。だがあなたはその値打ちすら知らない。それは霊的な値打ちの事ではなく、あなたにとって無限のものである。今、言うのは文化的な値打ち、あるいはこの言い方を好むならば歴史的な値打ち、それは最も高値な宝石である。あなたは子供のようにそれを手の中に置いている。
         あなたよりも知識深い、だがあなたほど愛されていない他のある人々がそれに注意して、私があなたに与えるこの宝石を、渇望をもってあなたに頼み、観察し、研究して、あなたの知識よりも大きな知識をもって評価し、そして人々の意志が、あなたの愛し方のようであるようにと願う。だがそれは複雑である。なぜなら彼らにとって非常に難しい事だからです。単純に、純粋に、まじりけなく愛し得るのは、小さな子供たちだけである。あなたは私に対していつまでも愛をもって残りなさい。そして私があなたに贈る様々の宝石を寛大に喜びをもって、待っている人々に与えなさい。私はあなたの小さな手を宝石で いつまでも満たすでしょう。恐れる事はない。与えなさい。与えなさい。あなたは小さい人々のために尽きる事のない宝石箱をもっている"
         そして私は次の事を見る。
         使徒たちは晩餐の部屋に集まって過越祭の晩餐の時のテーブルを取り囲んでいる。けれども尊敬のためか、中央のイエズスの席は空席のままに残っており、使徒たちは皆の席を決める人がいないので、適当に席に着く。ペトロはその席にいるが、ヨハネの席には、今はタデオのユダがいる。そして使徒たちの中で、一番長老のバルトロメオが次の席を占めており、それにヨハネの兄のヤコボが続いている。私から見れば、テーブルの右側の角にヤコボ、その近くのテーブルの狭い側には、ヨハネが腰掛けている。別の側にはマテオ、トマ、フィリッポがいる。その次にはアンドレア、タデオのユダの兄弟のヤコボと続き、それに他の側には熱心者のシモンがおり、ペトロの向かいは空席になっており、だれもいない。窓には閂(かんぬき)がかかっているし門もそうである。二つの芯のついている灯りは、テーブルだけに弱光を放っており、大きなその部屋は半影である。戸棚を背にしてヨハネは、仲間たちのために素朴な食事を準備し始める。
         魚、パン、蜂蜜、それに新鮮な小型のチーズなどを、テーブルの上に並べている。そして兄に頼まれてチーズを配ろうとテーブルを回った時に主を見る。イエズスは不思議な方法で現われ、前の時と同じようにドアを開けず、それはあたかも母から生まれた時のように、硬い壁を通して現われた。テーブルについている人々の、後方にある壁の中央の床から高さ1メートル位に、夜の暗闇の中にだけ分かるような光が見え、ついで2メートル位の大きさになった光は卵形になる。照明の中に光を放ちながら、霧のヴェールの裏から進むかのように、徐々にはっきりとイエズスの姿が現れる。
         私はよく説明できているかどうか分からないが、その体は壁を通して湧き出るかのようである。壁は開かれたのではなく、そのままに残っているのに体は通る。初めの光がイエズスの体から発され、イエズスが近寄るのを告げるかのようである。その形は最初は光の弱線みたいで、天の御父と聖なる天使とを見るような形のものである。それがますます物体化し、実際の体の姿を取る。栄光の主の神秘的な体。私はその姿をとらえるには、かなりの時間がたったように思えたが、その出来事はごくわずかの間に起こった。イエズスはよみがえって聖母に現れた時のように、白い服を着けている。非常に美しく、愛深く、微笑みながら、手を使徒たちに向けて差し伸べている。両手の二つの傷は、非常に強い光線を放ち、ダイヤモンドの二つの煌めきかに見える。服に覆われている足と脇腹とは見えない。けれども地上的ではないその服の布で神的な傷が隠されている所からは、光が漏れている。
         初めには、イエズスが月光の白さの体だけであるかに見える。だがその後、後輪のほかに、具体化されて現れると、その髪の毛と、目と、皮膚とは、自然の色を持つイエズスである。神なる人のイエズス。そしてよみがえった今は、さらに荘厳になっている。ヨハネはそのイエズスを見る。他の使徒たちは、だれもその出現に気付かなかった。ヨハネは飛び上がって丸い小形のチーズの皿をテーブルの上に落とし、それから隅にもたれて、まるで磁石にでも引っ張られたかのように屈み、低いそれでいて深い「おお!」という声を漏らす。小形のチーズの皿が音を立てて落ちるのと、ヨハネの脱魂的なポーズを、ビックリして見ていた他の使徒たちは、ヨハネの視線に沿ってみる。ある者は頭を回し、ある者は体を捻ってイエズスを見る。彼らは感激して幸せそうに椅子を立ち、彼の方に走り寄る。イエズスは微笑みを浮かべて彼らに進み、床の上を他の人と同じように歩く。先はヨハネだけを見詰めていたイエズス。ヨハネは自分をいとおしむ、あの眼差しに引かれて振り向いたと思うが…。
         今は、皆を見つめて言う。「皆に平和」。そして今はイエズスを取り囲む。だれかはひざまずき、ある者は立って、私にはその中にペトロとヨハネが見える。そしてヨハネが、その服の裾に接吻し、撫でられたいかのように、顔にその裾をもって来る。皆、尊敬の姿勢で深く屈んでいる。もっと早く近付きたいと思ったペトロは、マテオが先に出て席を譲るのを待たないで、椅子を飛び超えてしまう。少し離れて困ったような顔をしているのは、トマだけである。彼はテーブルの側にひざまずいたが、敢えて前に進む勇気もなく、むしろテーブルの角の後ろに隠れようとするかのように見える。使徒たちは聖なる愛深い渇望をもって、その手を捜し、イエズスは接吻されるために自分の両手を挙げて、屈んでいる頭の上に、使徒である十一人を捜しているかのように視線を注ぐ。しかし、主は初めからトマを見ており、そのようにしているのはトマに落ち着いたら来るように、時を与えているかのようである。信じなかった人は、自分の信じなかった事を恥じて、敢えて近寄ろうとしない。イエズスがトマを呼ぶ。「トマ、ここに来なさい」。トマはうろたえて泣きそうな顔を上げるが、まだ近寄らない。そして顔を垂れている。イエズスは彼の方に何歩か進み繰り返す。
         「トマ、ここに来なさい!」
         イエズスの声は最初の時より命令的である。トマは躊躇し、うろたえながら、イエズスの方に行く。
         「見ないならば信じないトマ、見よ!」
         だが、その声にはゆるしの微笑みがある。トマはそれを感じてイエズスを見る。そして本当に微笑していると見て、勇気をかき集めて進む。
         「ここに来なさい、もっと近くに。見なさい。見足りないならば、私の傷にあなたの指を入れるがよい」と、イエズスは両手を出し、それから胸の上の服を開き、脇腹の傷跡を見せる。今、光はその傷から発されていない。イエズスが後輪から出て歩き出した時から、もう光は発されてはいない。だがその血生臭い現実そのままに現れる。二つの手首から親指まで至る穴があり、その上方は長い切り傷で湾曲している。(1) トマは震えながら見ているが、触れようとはしない。唇を動かしてはいるが、はっきりと話せない。
         「あなたの手をだしなさい」
         イエズスはトマに非常にやさしい言葉で言う。そして自分の右の手でトマの右の手を取り、その人差し指をつかみ、自分の左手の傷口まで持ってくる。そして貫かれている手首を感じさせようといして深く入れさせる。さらに手から脇腹にと運ぶ。そればかりかトマの四本の指の根元をつかみ、その四本の太い指を脇腹の傷口に置き、更に、その傷の中に入れる。そしてトマを厳しく、それでいてやさしい眼差しで見つめながら言う。
         「あなたの指をここに置きなさい。そして望むなら四本の指だけでなく、手も私の脇腹に入れ、そしてもう不信仰な者ではなく信じる者となるように」
         トマは、今触れている神的な心臓の近さで勇気づけられたか、腕を上げ、後悔の激しいすすり泣きをもって、崩れ落ちるようにひざまずき、やっとの事で言う。
         「我が主よ、私の神よ」
         それ以上は何も言えない。彼をゆるしたイエズスは、右手をその頭に置き、
        「トマ、あなたは私を見て信じたが、私を見ずして信ずる人は幸いである。信仰が見る力によって支えられたあなたたちを報いるならば、見ずして信ずる人には、どんな報いを与えるべきか!」
         それからイエズスはヨハネの肩に腕を置き、ペトロの手を取ってテーブルに近寄り、自分の席に腰掛ける。今、皆は過越祭の時と同じように腰掛けており、イエズスは、トマがヨハネの次に腰掛ける事を望む。
        「…友よ、食べなさい」と、イエズスが言う。
         しかしもうだれも食べようとはしない。イエズスを眺める喜びが彼らを満たす。イエズスは散らばっている小さなチーズを皿に集め、切り分けて分配し、最初の一切れはパンの一片の上に載せ、ヨハネの背後からトマに渡す。そして壷からぶどう酒を杯につぎ、使徒たちに配る。次に奉仕されるのはペトロである。それからイエズスは蜂蜜の巣を渡すように頼み、それを割り、最初の断片を愛に満ちた眼差しと微笑をもって、ヨハネに渡す。そして彼らを元気づけるため、それを自分も口にし、蜜だけを吸い取る。ヨハネはいつもの仕草で頭をイエズスの肩にもたせて、イエズスは彼を胸に寄せ、その姿勢で皆に話す。
        「友よ、私があなたたちに現れる時に狼狽すべきではない。私はあなたたちと共に食して眠りを分かち合った、いつものあなたたちの先生で、あなたたちを愛したがために、あなたたちを選んだ私である。今でもあなたたちを愛している」
         イエズスは最後の言葉を強調し更に続ける。
        「あなたたちは試練の時に私と一緒にいた。栄光のときにも私と一緒にいるであろう。頭を垂れるな。日曜日の夜(復活後)初めてあなたたちの所に来た時、あなたたちに聖霊を吹き込んだ。その時いなかったトマ、あなたにも聖霊が降るように、霊の吹き込みが一瞬の洗礼であるのを知らないのか? 霊は愛であり、そして愛は罪を消すのを知らないのか?それによって、私が死につつあった時、逃げたあなたたちの罪がゆるされた」
        そう言いながら、イエズスは逃亡しなかったヨハネの頭に接吻し、ヨハネは喜びの涙にひたる。

        つづく
         
        (1)ヨハネ19・31~37。




         

        21 聖母マリアは、マグダラのマリアを 弟子たちに紹介する

        2015.03.23 Monday

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          マリア・ワルトルタ『マグダラのマリア』フェデリコ・バルバロ訳 あかし書房より

          21 聖母マリアは、マグダラのマリアを 弟子たちに紹介する


          「先生、今日は嵐になるようです。ヘルモン山の裏から進むその鉛のような雲をごらんなさい。湖は、もうぼつぼつ波が立っています。北風に南東の波のような風がつづいている。これは嵐のしるしです」
          「シモン、いつのことか」
          「朝の九時ごろからでしょう。漁師たちがあわてて帰ろうとしている。ごらんなさい。彼らは、湖がぶつぶついっているのを感じている。もう少したったら湖の色は鉛になり、瀝青(チャン)色、そうしたら荒れ狂う嵐になります」
          「しかし、こんなに静かに見えるのに」と信じないトマが言う。
          「お前は黄金を知っているが、私は水を知っている。間もなく私が言うとおりになる。突風のはっきりしたしるしが見えている。水の表面は静かでさざ波しか見えないが、しかし船に乗っていれば舟底がノックされている。そして、舟が変にゆれていると感じるはずだ。と言うのは、もはや水が下の方で沸騰しているからだ。天からのしるし、北風が南東風にぶつかると何が起こるかわかりきったことだ…。おうい、女たち、外で干している物をはやくとり込め、動物も避難させよ。もう少したったら水のバケツをひっくり返したようになるだろう」
           実際、空はますます緑じみた色になって、大ヘルモン山が吐くような黒ずんだねずみ色の長細い雲がやってくる。それは暁を追い返して昼の代わりに夜が進む感じである。湖も黒い青色に変わり、そして、最初の波の泡が黒い水の上に不気味な白さに見える。湖の上には舟はもう一つも見えない。男たちは小舟を岸に引き上げ、網、かご、帆と櫂を運ぶのに急ぎ、農夫たちは収穫物を避難させ、棒と綱とで固め、動物を小屋にとじこめる。女たちは、雨が降る前に泉へ急ぎ、あるいは朝早く起きてそこらにちらばっている子供たちを集めて家の中に押し込む。そして、雹が近いと感じている親鳥のようにあわててドアを閉める。
          「シモン、私と一緒においで。マルタの僕と私の兄弟ヤコボ(1)も呼んでください。厚い布をとりなさい。厚い、広いのを。二人の女が道にいる。迎えに行かなくては」
          ペトロは好奇心でイエズスをうかがう。しかし時間を失わずしてその通りにする。
           そして南の方へ向かって村を通りぬけて走りながらシモンが聞く。
          「しかし、…どなたですか」
          「私の母とマグダラのマリアです」
          あまりの驚きにペトロが地面に釘づけられて言う。
          「あなたのお母様とマグダラのマリア? 一緒に!」
          それからイエズスが止まらないし、ヤコボと僕が止まらないのでまた走り出す。しかし、またくり返す。
          「あなたのお母様とマグダラのマリアが! ご一緒に! いつから?」
          「彼女は、イエズスのマリアのほか何もない、となった時からです。シモン、早くせよ。最初の大きな雨の粒が降って来た…」
           ペトロは自分よりも背が高く足の早い仲間たちと平行するように努力するが追いつかない。今、かわき切った道から、まずます強くなる風でほこりが舞い上がり、そして湖が見える所は、巨大な鍋に変わった様子である。少なくとも1メートル位の高さの波が八方に走り、ぶつかり合って、海辺のそばの家にさえぎられて湖が見えなくなる時には、風の音よりも強いそのうなりが聞こえ、同時にますます頻繁になる長い強迫的な雷の不気味な音がする。
          「あの婦人たちは、何とこわいことでしょうね」と荒い息をはずませながらペトロが言う。
          「私の母はそうでもないでしょう。他の一人は分かりません。しかし早くしないとびっしょりぬれるでしょう」
           何百メートルかカファルナウムから離れると、ほこりの道に夕立のような土砂降りが襲い、目も見えず息もできない豪雨の中で、繁った木の下に避難しようとする二人の女が走っているのが見えた。
          「あそこだ。走ろう」
           マリアに対しての愛がペトロに翼を与える。だが、その短い足をしているペトロがやっと着くと、イエズスとヤコボが二人の女をその重い布の下に入れて守っている。
          「ここに居られない。雷の危険もあるし、間もなくこの道も小川になる。先生、少なくとも最初の家まで行きましょう」と急を切らしているペトロが言う。
           婦人たちを真ん中において彼らはその頭と背中に布を引っぱって歩く。
           シモンの家での宴会の晩に着ていた同じ服、しかし肩に、聖母マリアのマントをかけているマグダラのマリアに、イエズスが言う最初の言葉はこれである。
          「マリア、怖いのか」
          走りながら乱れてしまった長い髪の毛のヴェールの下にずっと頭を垂れていたマリアが、もっと頭を垂れて真っ赤になってささやく。
          「主よ。そうでもありません」
           ヘア・ピンを失って肩にお下げを垂れている少女のように見える聖母は、自分のかたわらにいる御子にいつものほほえみで話す。
           聖母のヴェールとマントにふれて、アルフェオのヤコボも言う。
          「マリア、すっかりぬれてしまって…」
          「いいえ、何でもない。今は、もうぬれないですむのですから。そうでしょうマリア。イエズスは私たちを雨からも守ってくれます」とその苦い狼狽を感じているマグダラのマリアにやさしく言う。彼女は頭でうなずく。
          「あなたのお姉さんが、あなたに会ったらどんなに喜ぶでしょう。今、カファルナウムにおられる。あなたを探していた」とイエズスが言う。マリアは他の女弟子に対しているような自然な態度で話しているイエズスの方に一瞬頭を上げて、イエズスの顔を、そのすばらしい目で眺める。しかし何も言わない。あまりの感激のために、のどがつまっている。イエズスはこのように結ぶ。
          「マルタをこちらに泊めてよかった。あなたたちに祝福を与えてのちに別れましょう」
           近いところに落ちた雷の音に、その言葉がさえぎられる。マグダラのマリアは恐れるような動作をする。両手で顔を覆い、泣き声が爆発してからだをかがめる。
          「恐れることはありません」とペトロがなぐさめる。
          「もう過ぎ去った。そして、イエズスと一緒にいればいつでも恐れることはありません」
           マグダラのマリアのかたわらにいるヤコボも「泣かないで。もう家は近い」と言う。
          「恐れのために泣いているのではありません。イエズスは私を祝福するとおっしゃったから…私のような者を…」
           そして、これ以上はほかに何も言えない。
           聖母マリアは、彼女をなだめようとして言う。
          「マリア、あなたはあなたの嵐をもう越えたのです。もう、そんなことは考えないで。今は、すべて晴天で平和です。そうでしょう、私の子よ」
          「そうです母よ。すべては本当にです。近いうちに、また太陽が出て、そして、すべては昨日よりも美しく清く新鮮になる。あなたにとっても、マリア」
           母が、マグダラのマリアの手をとって言いつづける。
          「あなたの今の言葉をマルタに伝えましょう。彼女に、まもなく会えて、自分のマリアがどれほど善意にみちあふれているか、彼女に言えるのがうれしい」
           ぬかるみの中にペトロがその洪水を辛うじて越えて、近くの家に避難させてくれるように頼みに行こうとして布の下から出ようとする。
          「シモン、そうしなくてよい。私たち皆、私たちの家に戻るのを望んでいる。そうでしょう」とイエズスが言う。皆、賛成して、ペトロは、その幕の下に戻る。
           カファルナウムは砂漠のようである。そこを主人のように支配しているのは、風、雨、雷、稲妻で、それに今度は家の屋上と正面に打ってはねかえる雹。湖は尊厳な恐ろしさを湛えている。岸辺の家は波にむち打ちされている。せまい海辺はもう見えず、家のそばに縛られている小舟は水が一杯で沈没した舟のように見える。
           大きな水たまりとなった菜園に走って入り、そこから皆が集まっている台所に入る。
           マリアの手をとっている妹を見る時のマルタの叫びは甲高い。そして自分もぬれるのもかまわず、その首に抱きついて接吻して叫ぶ。
          「ミリ、ミリ、私の喜び!」
           小さい時の、マリアに対して使っていた愛称かもしれない。
           マリアは姉の肩に頭をもたせて、マルタの地味な服を黄金のような髪で重いヴェールで覆う。それはここに輝く唯一のものである。なぜなら、暗い台所にはそだの小さい焚火があるだけで、それは燈されたランプの光ほども明るくない。
           使徒たちが驚嘆するほどの、マルタの叫び声のために顔を出した家の主人とその妻もそうである。しかし、この二人は当然んの好奇心のその瞬間のあと、遠慮深くひっこむ。
           抱擁の嵐がおさまった時マルタは、イエズス、マリアのこと、皆一緒にやって来たその思いがけないことを思い出して、妹、聖母、イエズスと、だれかれかまわずつかまえて聞く。
          「どうして? どうして? どうして皆、一緒に?」
          「マルタ、嵐が近づいたので、シモン、ヤコボとあなたの僕と一緒に、かの二人の旅人を迎えに行ったのです」
           マルタはあんまりびっくりしているので、どうしてイエズスは二人がやってくるのを知っていたか、と言うことも考えず、”どうしてご存知だったか?”せも聞かない。このことを聞くのはトマである。しかし返事を聞く前にマルタは妹に言う。
          「どうしてあなたは聖母と一緒にいたのですか?」
           マグダラのマリアは頭を下げる。聖母は彼女の手をとって次のように言って彼女を助ける。
          「目的地に達するために、どんな道をとるべきかと知りたい旅人のように私のところに来たのです。そして私に『私はイエズスのものとなるためにどうしたらよいか教えてください』と聞いたのです。おお、この人には、全く良いしっかりした善意があるので、このような知恵がすぐ授かったのです。そして私はこのうように彼女の手をとった時、わたしの子、あなた、よいマルタ、そして兄弟である、あなたたち弟子のところに紹介するために、もうすっかり準備ができていると分かりました。そして今、あなたたち皆に彼女を紹介します。”自分とその兄弟たちに超自然の喜びしか与えないであろう女弟子、姉妹マグダラのマリアである”と。私の言うことを信じて、そして、イエズスと私がしているように、皆、彼女を愛しなさい」
           使徒たちは新しい姉妹に近よって挨拶する。ちょっとした好奇心がまざっていないとは言えないが、それは人間として当然である。しかし、真っ先に口を開くのはペトロの常識である。
          「すべて結構。あんたたちは彼女に援助と聖なる友情を保障しているが…母と姉妹とがずぶぬれなのを忘れてはいけない。実はわれわれもそうだが、彼女たちにとってはもっと大変だ。彼女たちの髪が大雨のあとの柳のように水をたれ、服はぬれて泥だらけです。焚火を大きくして服を探し、暖かい食物を用意しよう」
           皆、何かしら動き出し、そしてマルタはびしょぬれの二人を別の部屋に連れて行き、その間に火を起こし、その炎の前にびしょぬれのマント、ベルト、服を広げる。
           向こうではどうやっているか分からない。ただ主婦のいつものエネルギーをとり戻したマルタが、湯の入っている鐘だらい、湯気のたつ牛乳のコップ、二人のマリアのために主人の妻が借した服などを運んで行ったり来たりしているのが見える。

          注:
          (1)聖ヨゼフの兄弟アルフェオの子、イエズスの従兄弟の一人。