スポンサーサイト

2017.01.04 Wednesday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    贖宥(免償)について 5

    2016.09.02 Friday

    0

      第五章 生者及び死者に与える贖宥


       贖宥の主体は、これを享ける者である。但し聖寵の状態にある者に限る。(聖會法第九二五條第一項)又煉獄にある信者たちも然りである。煉獄にいる者に贖宥を与える者が許しさえすれば、これをゆずることが出来る。(聖會法第九三◯條)
       まだ現世に生存している他人のために贖宥を得ることは出来ない。(聖會法第九三○條)この規則には若干の例外があることを説明しようとする学者もあるが、例外がありそうにも思えない。絶対的に云えば、ローマ教皇には、生者にも贖宥を得させて起用し得ることを許可することも出来ようが、然しこれは教会の慣習には例がなかった。
       生者及び死者に贖宥を適用する方法は同一ではない。聖會法第九一一條には、贖宥は生者には赦免に依って、死者には代祷に依って与えられるとある。
       教会の統治権の下にある生者に取っては、贖宥は、天主の正義に対して果たさねばならぬ種々の義務を免ずる、赦免の真の宣告である。それ故、これは真の赦免であり、品級権は必要としないが、イエズス・キリストが鍵の権利を託せられた高位聖職者掌握の裁治権があっての上のことである。この鍵の権利は、秘蹟の授与に関しては品級権、公教会の共有財の分配に関しては裁治権の二つに分かれている。
       然し贖宥は単なる赦免ではなく、全カトリック教の共有財、即ち公教会の宝蔵を以てする支払を伴っている。この支払は、罪に依って侵された天主の正義に対して償いをする為に、絶対に必要である。
       聖トマスは言った。「簡単に云えば、贖宥を受ける者は、罪の負債を免ぜられるのではなく、その負債を支払うのに必要なものが与えられるのである。」(第四題、補足、第二五問、第二項)
       贖宥獲得の為に教会の権威が規定した行為は条件としてであって、その条件が遂行されて始めて効果が現われるのである。聖トマスはこのように述べて居る。(補足第2五問、第二項)
       であるから、生者の為の贖宥は事効的に作用するもので、従って、完全に条件が遂行されている場合には、その効果は確実である。
       だがこの事は、死者のための贖宥に就いては当てはまらない。成る程死者も公教会の一員ではあるが、最早教会の統治権下にはいない。偏えに天主に依存する許りである。公教会は彼等死者に対しては、もはや如何なる宣告も下すことは出来ない。公教会は、彼等の有限の罰を免す権能は最早ないのである。だが教会は、生者死者共有の財産たる、諸聖人の通功という宝蔵の守護者であり、分配者であるので、この世を去った諸霊の負債を支払う資財をこの宝蔵から取り出して、その諸霊の救済のためにこの献納物をお受け下さるよう、天主の正義に対して嘆願することは出来る。これを、代祷に依る適用と云うのである。
       例えば此処に二人の日本人があって、一人は東京、一人は比島のマニラに於いて、獄中に呻吟していたとする。天皇陛下には、二人とも特赦してやりたいと思い召された。東京にいるものには、直接、釈放の命令をお出しになりさえすればよい。だがマニラにいる囚人は、その方法では釈放できない。御自分の領土内にいないからである。その囚人も釈放してやりたいなら、比島の大統領に書を寄せ、その囚人を釈放するよう願わねばならない。大統領の方はその願を聴き容れても、聴き容れなくてもよい。聴き容れたとすれば、囚人は二人とも天皇陛下のお蔭で釈放されたわけであるが、その方法は同じではない。即ち前者は赦免の方法で釈され、後者は代祷、嘆願の方法で釈放されたと云うのである。煉獄に苦しむ諸霊に就いても、後者と同じ事である。最早生者のように教会の統治権下には属していないので、公教会は、ただ代祷の方法に依ってのみ、即ち生者のなした行いを天主に捧げ、死者のためにお受け下さるようお願いすることに依ってのみ、彼等死者に贖宥を適用することが出来る。
       公教会は、死者の上には最早統治権を持っていないので、直接彼等に贖宥を適用することは出来ない。教会の宝蔵に貯えてある財産を直接適用することは、死者の上に統治権を揮う行為だ。それ故歴代の教皇が、死者に直接、仲介なしに贖宥を与えた例はない。だが教皇は、裁治権によって、この世の信者に、教会の定める特定の条件を果たすという義務を負わせ、こうして得た贖宥を代祷によって死者に譲る権限を、その信者に与えている。要するに教皇は、その指令に基づいて信者が果たした行為に依り、教会の宝蔵を開いて負債を支払って下さる。多くの神学者はこのように説いている。
       更に、死者に対する贖宥の効果は確実であるかどうか、神学者は問題にしている。その答えは様々であるが、玄に、多く神学者の説く所に従って、私見を述べることにする。
       もしこの問題を一般的に論ずるならば、即ち天主は、死者が煉獄で果たさねばならぬ有限の罰の償いとして、贖宥をお受けになるかどうか、と云うならば、その贖宥の効果は確実必効であると確信を以て断言できる。さればこそ公教会の宝蔵があるのであり、又諸聖人の通功があるのであり、それ故に公教会の一員に、他の信者のために負債を支払ってやることが出来るのである。従って又戦闘の(地上の)教会に属する信者達が、浄化の教会(煉獄の)に属する信者のために償いをすることが出来るのである。更に又イエズス・キリストの御約束があって、公教会の不謬の秘蹟はこれに基づいている。それ故、死者に對する贖宥の効果が確実であることは疑うべくもない。
       だがこの問題は、個々の場合に当てはめてみると、即ち天主には、我々が捧げる贖宥を御受納になり、ある特定の死者に、且つ我々がそれを捧げたと同じ量りで、それを適用して下さるかどうか、と云う点になると、前の場合同様その効果は確実であるとは、断言できない。これは偏えに天主の思し召し如何による。この場合、贖宥は代祷の性質に従うので、天主には或る特定の霊のために或る特定の量の代祷をお受け下さる義務があるとは、決して断言できない。
       此処に私が述べたことは、次に引用するような贖宥遺物聖省の声明に依って、確認されているのである。
       同聖省は、「特遇祭壇に付属している贖宥とは、あらゆる煉獄の罰から霊魂を即座に赦免する全贖宥と解すべきか、将又、ただ天主の愛憐の思し召しのままに適用さるべき一贖宥に過ぎないのか」との質問に対して、一八四○年七月二十八日、次のような回答を発した。曰く、「特遇祭壇に付属している贖宥とは、あらゆる煉獄の罰から霊魂を即座に赦免する全贖宥と解すべきか、あるいは又、ただ天主の愛憐の思し召しのままに適用さるべき一贖宥にすぎないのか」との質問に対して、一八四〇年七月二十八日、次のような回答を発した。曰く、「特遇祭壇の付属している贖宥とは授興する者の心と鍵の権利の行使という方面から見れば、即座に煉獄の諸苦悩から霊魂を赦免する全贖宥と解すべきであるが、その適用の効果と云う方面から考えれば、その量は天主の愛憐の思し召しと御嘉納に対応する一贖宥と解すべきである」と。
       信者たちが、或る一人の死者に贖宥を得させようと、長期間に亘って代祷を捧げたり、ミサを執り行って貰ったりする一般の風習は、この宣言を支持している、それ故、全贖宥たると分贖宥たるとを問わず、とにかく亡くなった信者に多くの贖宥を捧げることは、ふさわしいことである。
       もし我々が贖宥を捧げる死者の霊が既に天国に行っているならば、天主には、聡明に仁慈に在しますから、その贖宥を煉獄に苦しむ他の死者達にゆずるよう、御計らいを下さるであろう。これらの死者は、一度天国に入れば、天主の御もとに於いて我等のために、最も役に立つ執り成し役になってくれるのである。
       聖マリア・マグダレーナ・デ・パッツィは、同じ修道院に住む修道女仲間の、さる一人の臨終の床に侍していたが、彼女は、その修友の霊が救われるために、ただ通常の代祷が行われるようにしたばかりでなく、仲間の修道女凡てに頼んで、友の救霊のために、その日の裡に出来るだけ沢山の贖宥を得させるように努めた。その日、亡骸はまだ聖堂内に安置してあり、マグダレーナは、その霊のために平安を祈りながら、亡骸を見凝めていた。すると忽ち、彼女の霊が現われて、永遠の栄光の冠を受けに天上へ昇って行った。この光景を眺めていると、主が彼女の前に現われ給い、かの霊は、贖宥の適用を受けたお蔭で、煉獄で果たすべき罰を尽く免ぜられ、直ちに天国に入ることを許されたという旨をお示しになった。この不思議な事件があったため、その修道院内の修道女たちは、贖宥を得たいという熱意に燃え、数ある贖宥の一つでも取り逃すまいと努めるようになった。

       

      『贖宥(しょくゆう)について』 ウルデリコ・ロマーニ著  昭和27年 ドン・ボスコ社(絶版)

      贖宥(免償)について 4

      2016.09.02 Friday

      0

        第四章 教会の贖宥授与権の根拠


        この機能の主体

         

        一、教会の贖宥授与権の根拠
         公教会には贖宥を授与する権能があることは、トレント公会議で確定した信仰の真理である。この真理は、いろいろの論拠に依って証明されるが、その論拠をここには唯々簡単に略説しよう。
        (イ)聖書に依り。イエズス・キリストはペトロに仰せられた。「我れ天国の鍵を汝に与えん。…汝が地に於いて解くことは、天に於いても解くべし」(マテオ、第十六章第十九節)。これに依っても明らかであるように、イエズス・キリストは、天国に入ることを妨げる障碍のみならず、それを遅らせる障碍も、凡て取り除く権能をペトロに直接与えられ、間接に公教会に授けられた。これ等の障碍を形成しているものは、罪と永遠の罰だけでなく、有限の罰の残りも加わっており、その有限の罰が贖宥に依って免ぜられるのである。
         教会は、イエズス・キリストの御功徳と御贖いを罪人に適用しなければ、罪の罪責と永遠の罰とを免ずることが出来ない。そのように又、教会は、自分が受託しているイエズス・キリストや諸聖人の溢れるばかりの御償いを、成義とされた罪人に新たに適用するのでなければ、有限の罰を免ずるわけに行かない。所で教会は、贖宥を授与してこの権能を行使するのである。
        (ロ)公教会の聖伝に依り。公教会が使徒時代からこの権能を用いて来たことは、矢張り公教会がこれをイエズス・キリストから受けた事実を立証するものである。前述のように、そもそもの昔から、使徒や司教達は、真剣に回心した罪人に本当の贖宥を授与していた。もしイエズス・キリストからこの権能が自分等に伝えられたと信じていなかったら、この権能を行使し得るという主張を、彼等は決して抱かなかったであろう。
         聖トマス・アクイナスは、聖パウロが最初コリントの姦淫した男に課した有限の罰の赦免に就いて語る時、次のように述べている。「パウロにそういう事を行う権能があったとすれば、教皇にもそれを行えるであろう。公教会に於いて、教皇の有する権能は、使徒パウロの有していた権能に劣らないからえある。」
         イエズス・キリストは、罪人にその罪を赦し従って又永遠の罰を免れさせる権能を、使徒たちに、更に又使徒の人格に於いて公教会に授け給うた。「聖霊を受けよ。汝等誰の罪を釈すとも、その罪釈され、誰の罪を定むとも、その罪定めらるべし」(ヨハネ第二十章第二十三節)と。
         永遠の罰も罪責も釈し得る教会が有限の罰を釈し得ないとすれば、不合理極まるであろう。大なる事をなし得るものには、小なる事もなし得るものである。
         以上述べて来た所に依って、贖宥の根拠をなす教義は、神の御独子の御託身と贖罪、ローマ教皇の首位権及び諸聖人の通功であることが、明瞭である。

         

        二、この権能の受託者

         贖宥を与える正常の機能を有するのは、公教会の支配を、従って又公教会の有する財宝の分配を委託された者である。さてかかる支配権と分配権とは、主として聖ペトロの後継者であるローマ教皇、次いで使徒達の後継者である司教等の有する所である。だがこの贖宥を与える権能は、教皇や司教がこれを、その代理を務める人に委任することが出来る。
         贖宥の授与は、秘蹟の授与のように司祭や司教の印号を要しない裁治権の一行為である。大罪の赦免を行う場合には、その赦免には成聖の聖寵が必要なので、公教会は、信者に悔俊の秘蹟を授けないでは、その信者の大罪を許す訳には行かない。その秘蹟に依って聖寵の注賦が行われるのである。だが罪責が赦された後にまだ残っていて果たさねばならぬ有限の罰を免ずるだけのことならば聖寵の注賦を要しない。却ってそれは、聖寵が既に在ることを意味するものである。それ故、かかる罪を免ずるには、教会の宝蔵の財を正当に授与出来るように、授与者に裁治権が必要である。従って聖會法に依って選挙され叙任された司教は、未だ司教叙階式を受けていなくとも、贖宥を与えることが出来るし、単に名義上の司教には、裁治権行使の対象たる信徒群がいないので、この贖宥授与の権能はない。
         従って、司教は、自分の司教座所属信者以外の者には、贖宥を与えることは出来ない。
        贖宥授与の正常なる権能は、完全に教皇の御手に在る。教皇には、いかなる贖宥でも、これを全世界のカトリック信者に与える権能があるが、教皇は、聖庁内赦院付属の贖宥局を介して、この権能を行使するのが普通である。(聖會法第二五八條第二項)この内赦院の権威は大したもので、教皇が”全信徒のために直々に誰か或る人に”授与したいと思う贖宥でさえ、其処の査証を受けなければ無効となる程である。
         枢機卿は通常、聖會法第二三九條に従って、何処に於いても二百日の贖宥を授与することが出来る。然し今日では、聖庁内赦院が一九四二年七月二十日に発布した教令に従い、三百日の贖宥を授与出来る。
         大司教は通常、自分の司教座内に於いて、一百日の贖宥を授与出来る。
         司教及び”ほぼ司教と同等”の裁治権を有する高位聖職者(代牧、知牧、大修院長等の高位聖職者)は通常、各々の統治座内に於いて、五十日の贖宥を与えることが出来る。
         ここに注意すべきは、凡てこれらローマ教皇より下位にある聖職者は、聖庁の明瞭な許可がなければ、贖宥を与える権能を他の者に代行させることは出来ない。
         又彼等には、死者に適用し得る贖宥を許可することも出来ない。

        贖宥(免償)について 3

        2016.09.01 Thursday

        0

           

          第三章 時代の推移と贖宥


           その主なる反対者

           公教会が贖宥を与える機能を有することは明らかであるが、又公教会が草創当初から必ずしも常に同じ方法、同じ形式でこの機能を用いて来たものではないことも亦明らかである。此処に、史上に於ける贖宥の変遷をよく理解するため、数期に分けて観察しよう。

           

          一、使徒時代から第七世紀まで

           この時期に於いては、贖宥は、罪を犯した信者に、聴罪師法規に依って課せられた罰を軽減してやるという形式で、或は又罪人を即座に復和させる慣習に、現われる。
           コリントの姦淫罪を犯した者が、謙遜な痛悔者となり、既に天主とは和解していた際、聖パウロが、信者達の願いを聴き容れて、その者が尚果たさねばならなかった罰の残りを免除してやったが、この時聖パウロが彼の姦淫罪者に真の贖宥を与えたものであることは、万人の周知して居る所である。
           更に、所詮代願書(libelli pacis 平安の書、或は libelli remissionis 赦免の書)のことも忘れてはならない。これは、牢獄に入れられたり猛獣の餌食となる刑を宣告されたりした殉教者や証聖者が、司教に差出したもので、司教は、その人々の功徳や償罪を考慮に入れて、lapsi 即ち棄教者達に、彼等が公けに行うべき償罪の苦行を、一部ないし全部宥恕してやり、彼等が直ちに、少なくとも速やかに、教会と復和し得るように取り計らったのである。テルツリアーノは、「教会に入っていて平安の得られない者は、獄中にいる殉教者達に、平安が得られるよう嘆願するのが常であった」と誌している。
           このように罰の赦免は、単に教会に対して有効であったばかりでなく、天主のみ前に於いても有効であったことを、特記せねばならぬ。これは、死後速やかに永遠の至福に達せられるよう、臨終の人にも罰の赦免が与えられた事実からも、判るであろう。であるから聖チプリアーノも、「殉教者から代願書を受けた者は、それのお蔭で天主のみ許に於いて佑助を受けることが出来る」と書いている。
           この時期中、第二世紀の半ば頃、モンタヌス派と呼ぶ異端が起こって、教会に贖宥を与える権能があることを、直接ではないまでも間接には否定し、更に降って第三世紀の初葉には、テルツリアーノさえモンタヌス派になって、教会にはこのような権能がないと唱えた。
           又史家エウセビオに依れば、ノヴァティアーノさえも、教会が棄教者達のために発布した教令を非難して、教会には彼等に赦しを与える権能はないと主張した。
           迫害が終わった後も、司教達に従来通り贖宥を与え、痛悔者が熱心に努めて、贖宥を受けるに相応しいと考えられた場合には、聖会法の規定する罰の一部を免除していた。アンチラ(三一四年)ニケヤ(三二五年公会議)、カルタゴ(三九八年)等の宗教会議はこの事を立証している。
           使徒の後継者たちも、贖宥を与える権能を行使した。
           司教ナタリスは、カトリックの信仰を棄てて、オルテノミティと呼ばれる異端の群れに走ったが、やがて心から痛悔して、身に苦行の衣をまとい、頭に灰を被り、時の教皇ゼッフィリーノ(二◯三〜二二◯年)の許に馳せ付け、その足許に跪いて、自分の罪を告白し、赦免を願った。教皇は、その悔俊の心からなるを知って、ナタリスを公教会に再び受け容れたのみならず、当たり前なら果たさねばならぬ筈の聖會法上の罰も尽く免除してやった。

           

          二、第七世紀から第十一世紀まで
           この時期に於いてはRedemptioと云われる贖罪と、ローマへの巡礼に就いて、特記せねばならない。
           七世紀から、贖宥の授与は、今迄とは違った形を採るようになった。司教たち、とりわけローマの教皇は、信者達に対し、個人の場合でも総体の場合でも、聖會法の定める罰を他の愛徳敬虔の行為を以て替える能力を付与し、それ等の行為を以てしても尚、聖會法の定める罰に相応する償罪の価値に足りない時は、その足りない分を贖宥を以て補った。
           そこで例えば、従来は殺人者に対し、丸一年間及び或る特殊の食物を断つことを償罪業として課していたが、ティヴォリの宗教会議(八九五年)では(聖會法第五十六條)、在る状況下に於いては「金銭の施しをすることに依り、又は主の御名に於いて貧者三名に食を供することに依って、火、木、土の三日をこの規定より除外してもよい」ことにした。
           この種の償罪或は善業立替の著名な一例は、教皇ウルバーノ二世がクレルモンの宗教会議(一◯五九年)に於いて、聖地回復のため十字軍に加わった者には誰にでも授与した全贖宥に見られる。「この遠征、この壮挙は、偏に宗教上の動機からこれに加わる者には、あらゆる償罪業の代わりを務めるが、富や名誉を得ようとして加わる者には、そうは行かない」と同教皇は仰せられた。
          ローマへの巡礼は既に第七世紀から行われていたが、これは信者が敬虔の念に駆られてローマへ巡礼の旅をしたもので、ローマの教皇はこれに対して、聖會法の定める罰を軽減してやった。
           それ故、例えばベネディクト三世(八五五-八五八年)の如きは、実弟を殺した男に、嘗て使徒聖ペトロと聖パウロの遺跡を訪れたことがあったからとて、僅か五年の罰を課したと云っている。
           然しながら、以上述べて来た贖宥は、本来の意味の贖宥とは云えず、ただその濫用に過ぎないことを注意さられたい。その主な理由は、教会がこれに依って自分の宝蔵から富を引き出して、有限の罰を免じてやろうとしたのか、どうか、判然しないからである。
          贖宥を与える権能が公教会にはないと云う論者は、この時期には現われなかった。

           

          三、第十一世紀から第十五世紀まで
           この時期は到って贖宥は、現在行われているような形を採った。十二世紀の終わり頃、旧聴罪師法規は廃れてしまい、信者たちは初代教会の信者ほど熱心ではなくなったので、極めて軽い償罪業しか課せられないようなった。そこで公教会では、信者達が罪に依って受けた有限の罰を速やかに果たせるよう、贖宥の宝を惜しみなく又簡単に彼等に分かち与えた。この時期には、教皇なり司教なりに依って下付された全贖宥や分贖宥授与の証書が沢山ある。特に注意すべきは、紀元一千三百年、聖年に当たり、ボニファチオ八世の与えた全贖宥である。
           この時期に到って、贖宥を直接攻撃する者が始めて現われたが、それは一一六◯年ヴィルド一派のことである。彼等は、罪責が赦された後では最早何等有限の罰を果たす必要はないと主張し、教会の高位聖職者の与えた贖宥、ペトロ、パウロ両使徒の遺跡への巡礼に対して授与した贖宥、及び大赦の聖年の贖宥を批難した。
           一二六◯年には、ペルーヂア町に起こった、鞭打苦行者と呼ばれる一派も、贖宥を否定した。
           一三七六年には、英人ウィクリフの説を奉ずるウィクリフ派が起こり、一四一二年には、プラーグ大学総長ヨハン・フスの門下、フス派が擡頭した。これらは、直接に且つ猛烈に贖宥の教義を攻撃したので、遂にコンスタンツの公会議で、共に教会から異端邪説であると宣せられた。
           [備考]十四世紀以前には全贖宥は極めて稀れで、聖トマス・アクイナスも十字軍に与えられた全贖宥のことは述べているが、彼の云う最大限の贖宥は七カ年のものである。

           

          四、第十五世紀からトレント公会議まで
           この時期に到ると、死者の為に与えられた贖宥も現われて来る。この主の贖宥授与の、紛う方なき文献は、一四七六年八月三日教皇シクスト四世が発布せられた大勅書に、残っているだけである。
           又この時期に入ってから、贖宥の使用は遥かに頻繁になって来た。とりわけ有名なのはレオ十世が与えたもので、同教皇は、ローマの聖ペトロ大聖堂建立の資金を得るため、諸国に説教師を派遣して贖宥を頒布した。
           この時期には又、様々の異端者が現われて、教会には贖宥を与える機能がないと唱えた。その中でも最も有名なのはマルティン・ルーテルである。後にはプロテスタントが尽く、贖宥反対の闘争に於いて彼に組するに到ったが、最初は贖宥頒布の際、殊にローマの聖ペトロ大聖堂建立のため献金する信者に教皇が授与する贖宥頒布の際、立派な説教があったにも拘らず、その後で事実いろいろの悪用が行われたので、彼はただ贖宥に依る利得に就いてのみ攻撃したもののようである。だがやがて直接贖宥を非難して、無益有害、ただ信者から金を捲き上げるために編み出した信仰利用の詐欺であると、宣言するに到った。そこで教皇レオ十世は、一五二◯年六月五日、大勅書「主よ、起ち給え」を発布して、贖宥に関するルーテルの誤謬を破斥した。その上、同教皇は、ルーテル問題を処理するため当時ドイツに派遣していた使節カィエターノ枢機卿に教令を送り、贖宥に関して公教会が古来取り行って来た処を、はっきりした文句を用いて略説せられた。曰く、「この文書を以て、凡そあらゆる教会が子の母に従うが如く従わねばならぬローマ教会に於いては、地上に於けるイエズス・キリストの代理者であり、聖ペトロの後継者たるローマ教皇は、天国に入る扉を開く鍵の力に依り、信者が天国に入る妨げをなすもの、即ち現行罪による罪責とその有限の罰とを除き得ることになっており、罪責は悔俊の秘蹟に依り、有限の罰は贖宥に依って解消できる旨、予は貴下にお知らせすべきであると思う。」それ故教皇は、愛徳の絆もてイエズス・キリストと結ばれている信者には、現世に在ると煉獄にあるとを問わず、正当な理由に基づいて、贖宥を与えることが出来る。教皇が使徒の権威を以て生者や死者に贖宥を与える時、イエズス・キリストや諸聖人の有り余るばかりの功徳の宝を頒つのである。
           「生ける者には赦免の形で、死者には代祷の形で、贖宥を与えるのが常である。従って、生けると死せるとを問わず、本当にこの贖宥を得る者は皆、自分の犯した罪のために天主の正義に対して果たさねばならぬ有限の罰から凡て免ぜられる。この書を以て予は、萬人尽く斯くの如く信じ、かくの如く説くべきであると宣言する。」(教皇レオ十世)
           トレント公会議は、終に第二十五回集会に於いて贖宥の教令を発し、あらゆる異端邪説を排して、贖宥の有益であること及び教会にはこれを与える権能があることを確定した。即ち「贖宥を授ける権能はイエズス・キリストに依って公教会に付与されたものであり、公教会はその抑々の始めからこの権能を用いて来たのであるから、ここにこの聖なる公教会は、贖宥の使用はキリスト教徒に取って甚だ救霊的であり、他の公会議も又是認している所であって、今後とも贖宥の使用が公教会に保有せられんことを宣言し且つ要請する。又贖宥は無効であるとか、公教会はこれを授ける権能なしとか主張する者は、尽く破門に処する。」と声明した。