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2017.01.04 Wednesday

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    59 古聖所に降りたもう

    2014.12.26 Friday

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      カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より
      59 古聖所に降りたもう

       イエズスが高き叫びと共に死したもうや、わたしはいと聖なる霊魂が天使の一大軍勢に囲まれて、光の形となって十字架のかたわらから地の中に下ってゆかれるのを見た。しかしわたしは神性がたしかに霊魂とも、また十字架にかけられたもうた体とも一致しているのを見た。わたしは、それがいかようにして起こり得たかを言い表すことはできない。 ― イエズスの霊魂が行かれた場所は三つに分かれていた。古聖所(こせいじょ)の前には緑がかったと言おうか、明るい晴れ晴れとした所があった。わたしはこの所へいつも煉獄の火からゆるされた霊魂が、天国に入れられる前に入ってくるのを見た。 
       救いを待ちかねている者たちのいる古聖所は、灰色の靄(もや)のようなとばりに包まれていろいろの組に分かれていた。光輝き、あたかも凱旋する者のごとく天使にみちびかれたもう救い主は、左がわのアブラハムまでの太祖の一団と、右がわのそれ以降の人々のいる間を通って来られた。霊魂たちは救世主とはまだ気がついていなかったが、みな喜ばしいあこがれに満たされた。あたかも救いの靄がみなの上に下ったようであった。イエズスは最初に人祖アダムとエワの住んでいる靄のたちこめた室に入られた。主がかれらに話しかけられるや、二人は言葉に尽くせぬ無上の喜びに満ち、主を礼拝した。次いでかれらはいっしょにアブラハム以前の太祖の所に行った。天使は戸をたたき、あけるように命じた。わたしには天使たちがこう叫んでいるように思われた。「門をあけよ! 扉をあけよ!」イエズスはその中に勝利者として入られた。しかしこれらの魂は主をただわずかに救世主と知り、おぼろげに主を悟っただけであった。しかし主がご自身を明かすやいなや、一同は主を賛美し始めた。次いで主の霊魂は本来の古聖所である右がわの場所に行かれた。その前で天使にともなわれ、進みくるよき盗賊の霊魂に会われた。イエズスはこの霊魂に言葉をかけられてから、かれと天使たち、および救われた者たちと共に他の場所に行かれた。
       その場所はわたしには高い所にあるように思われた。それはまず地下の墓場を通って地上の聖堂に登って行く感じであった。そこには聖なるイスラエル人、太祖、次いでモイゼ、旧約の裁判官、王、予言者、イエズスの先祖、およびヨアキム、アンナ、ヨゼフ、ザカリア、エリザベト、ヨハネの親戚がいた。言い表わし得ない喜びとがすべての心に満ちあふれた。かれらは主に挨拶し、主を礼拝した。
       多くの者が墓から身を起こし、主に対する見える証明を行なうために地上に派遣された。それはちょうどエルサレムにたくさんの死者がその墓から出て来た時であった。かれらの出現は歩きまわる死骸のようであった。次いでかれらは再び体を地中に横たえた。
       その次にわたしはこの凱旋の更新が一層深い地域に再び進んで行くのを見た。そこは一種の清めの場所で真理をおぼろげに悟り、またあこがれていた敬虔な異教徒らがとどまっていた。わたしはこの霊魂たちもまた感動すべき喜びをもって救い主に敬意を表しているのを見た。こうした救い主の凱旋行進は非常な速さで霊魂のとどまっている多くの場所をめぐり、そこでいろいろなことをされた。
       最後にわたしは主が非常に厳粛に、奈落の中心たる地獄に行かれるのを見た。それは途方もなく大きな、恐ろしい、黒い金属のように光った岩で作られているようにわたしには見えた。その入口には閂(かんぬき)と錠のかかったまっ黒い門があり、思わず戦慄を覚えるほどであった。恐ろしいほえ声と叫びが聞こえて来た。
       門が天使によって突き開かれるや、不気味な呪い、わめき、悲嘆の叫びがうなり声となって響いて来た。天使は悪魔の一群を投げ倒した。あらゆるものはイエズスを認め、礼拝しなければならなかったが、かれらにとってそれは非常な苦しみであった。わたしはイエズスがユダの霊魂に言葉をかけられたのを見た。中央には闇の奈落があった。そこにはルチフェルが鎖につながれていた。わたしに示された事柄をすべて言うことはとてもできない。それはあまりにも多すぎて順を追うて話すことは全く不可能である。またわたしは非常に病気でもあるから。それで、もしそれらを語るとすると、あらゆるものがもう一度眼前に現われて来て、それを一目見ただけでも死にそうに感ずる。
       しかしわたしは古聖所や清めの場所から来た霊魂たちがイエズスの霊魂にともなわれて天のエルサレムの下にある心地よき所に行くのを見た。わたしはそこでちょっと以前わたしの聖なる友を一人見た。そこによき盗賊の霊魂も来たが、今こそ主の約束の通り再び楽園で主にまみえたのである。そこには魂たちのために天の食卓の喜びといこいとが待っていた。
       わたしは主をいろいろな場所で、海上でさえもお見受けした。主はあらゆる被造物を解放されるごとくであった。至る所で悪魔は主から逃げ去り、奈落に落ちて行った。またわたしは地上、多くの場所へ主のご霊魂が行かれるのを見た。主はアダムとエワをかれらの墓に連れて行き、そこでかれらとお話しになった。次に主は地下のいろいろの場所にある預言者の墓に行かれた。その霊魂たちは自分の墓の所で主に加わった。主はかれらに種々のことをお話しになった。それからわたしは主がダビドも加わったこの選ばれた群れと共に、ご生涯を過ごしまた苦しみをなめられた多くの場所においでになるのを見た。主はそこでかつて行われた前じるしを説明し、またその結ばれた実であるお恵みを、言い尽くせぬほどの深い愛情をもってかれらにお与えになった。また主の受洗された所では、主がかれらに聖なる洗礼の恵みを与えておられるかのようであった。主の霊魂がこれらの幸いなる慰めをうけた霊魂に取り巻かれつつ、光り輝きながら、暗い地上や岩や、水や、空気を通り、静かに飛翔している有様はまことに言いようもないほど感動すべき光景であった。
       主が冥府(よみ)の世界をめぐり行く幻影―限りのある時間的幻影―のほかに、わたしは煉獄に苦しむ霊魂に対する主の慈愛の、時を越えた永遠の幻影を見た。わたしは毎年この祝日に主が教会を通じて救いのまなざしを煉獄の火の上に投げられるのを見た。今日の聖土曜日にも―ちょうどわたしがこの黙想をしていると―清めの場所から若干の霊魂が主に救われるのを目撃した。その霊魂たちの中にはわたしの知っている者もあり、また見知らぬ者もあったが、わたしはもはや覚えていない。

       

      12 割礼

      2014.12.25 Thursday

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        カタリナ・エンメリック『聖家族を幻に見て』光明社刊より
        12 割礼

         ヨゼフは洞穴への通路を片付けて、じゅうたんを敷き、割礼のため司祭を呼びにベトレへムへ行って、五人の司祭とその式に必要な一人の婦人をつれて帰ってきた。
         夕方になって入口の前につくった仮庵(かりいお)の中に食卓が設けられた。多くの貧しい人々が割礼の習慣にしたがって司祭について来て、司祭とヨゼフから贈物をもらった。司祭達はマリアと幼児の所に行き、マリアと語り、幼児を腕に抱いた。司祭達はつける名についてヨゼフと話しあった。
         夜を通して多くの祈りをし、讃美歌を唱え、夜の明ける頃割礼が行われた。マリアはその時非常に心を痛めていた。
         割礼が行われてから幼児は腕の下まで布に包まれ、小さな腕にも布が結びつけられ、それから小さな頭も布に包まれた。式が終わってからヨゼフは幼児を受け取り、二人の婦人と共に洞穴の奥で待っていたマリアに渡した。マリアは涙ながらにイエズスを腕に受け取ってあやした。祈りや讃美歌がうたわれ、司祭達が返る前にみなは軽い食事をとった。
         日中もう一度、割礼の傷の手当をする婦人がマリアの所に来て幼児に新しい繃帯をまいた。毎夜のようにイエズスは痛みのために泣いてむずかり、マリアとヨゼフは洞穴の中でこれを抱きあやしながら歩き廻った。
         次の日の夕方、エリザベトがろばに乗って、年老いた下僕と共に洞穴に着いた。
         ヨゼフは非常にうれしそうに出迎え、マリアとエリザベトは抱き合ってこの上もなく喜び合った。エリザベトは幼児をその腕に抱きしめた。そして洞穴の中でイエズスの生まれた場所の傍で寝た。
         マリアはエリザベトに自分の身の上に起こった事を語った。そしてマリアがベトレへムに来る途中出会った難儀について語ると、エリザベトは心から涙を流した。マリアはまたキリストの誕生の時の出来事を詳しく話した。出産の時が迫るとかの女は大いなる憧れに満たされ、あたかもひざまずいたまま天使達に持ち上げられたようになり、かの女の心臓いやかの女の心は二つに分かれ、その半分はかの女から離れたように感じた。その時大いなる憧れが溢れて、輝きがかの女の前に閃き、幼児が目の前に生まれてきたように感じ、それが動き泣くのを聞いてやっと自分にかえり、幼児の胸に被いをかけた。始めのうちはそれがあまりに輝きに包まれているので、抱き上げるのをためらってしまったと。
         アンナはたびたび下僕に食べ物や必要な品物を持たせてきたが、マリアはそれをすぐ貧しい人に分け与えてしまった。しまいにアンナは自分で尋ねて来て、幼児イエズスが小さな手を差し伸べているのを見た時、その喜びと感謝は非常な非常なものであった。
         マリアはまたエリザベトにしたようにすべてを話した。そして東の国から賢者が訪問の旅の途上にあると語ったので、アンナは、そこから歩いて二、三時間離れた所に住む姉妹の所に行き、賢者が訪問して帰って行くまで戻らなかった。 
        ヨゼフは秣槽(まぐさぶね)の洞穴と側の洞穴とを、賢者の訪問を迎えるため片づけ始めた。マリアが賢者の訪問を心の中ですでに見ていたためである。 

        *マリアの母

        11 羊飼達の礼拝

        2014.12.24 Wednesday

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          カタリナ・エンメリック『聖家族を幻に見て』光明社刊より
          11 羊飼達の礼拝

           小屋や野原には家畜の群がいた。小屋の前に立っていた三人の羊飼達はこの不思議な夜に心を打たれ、あたりを見廻すと秣槽(まぐさぶね)の上の明るい輝きが目に入った。その時ひとむらの光雲が三人の方に降ってきた。その雲の中に満ちみちたものがゆれ動き、甘味な静かな讃美歌の声が近づいてきた。羊飼達ははじめは恐れていたが、間もなく神の栄光を歌う愛らしい輝く天使達が前に立つのを見た。またほかの羊飼達にも天使が現れた。
           最初に三人の年老いた羊飼が贈物をたずさえて秣槽の所に来た。洞穴の入口で、かれらはヨゼフに向かい、天使から知らせを受けた事、そして神の約束の幼児を礼拝し、捧げ物を献上するために来た事を告げた。ヨゼフはその捧げ物を受け取り、幼児イエズスを膝の上に抱いているマリアの前に案内した。羊飼達は地にひれふし、うれしさのあまり涙を流して、甘味さに浸りながら長い間そこに留まっていた。かれらは天使賛歌と詩編を歌った。そして帰る時になるとマリアは幼児をかれらの腕に抱かせてくれた。
           次いで別の羊飼がその妻や子供をつれ、捧げ物をもって訪れて来た。かれらは秣槽の前で非常に愛らしい詩編と短い詩を歌った。その詩のことばは次のようである。
            ああ、赤いばらのような童(わらべ)よ
            先ぶれのように走り出で。
          この者たちは鳥や卵や蜜や、色とりどりのより糸を持ってきた。三人の老羊飼は代る代る訪れて、洞穴の中を居心地よくするためヨゼフに手を貸した。
           そえからマリアの許に、数名の親切な婦人達が来て手助けをした。ヨゼフが子供の頃から知っていて、その人達を呼んだのである。かれが以前兄弟達から逃げて洞穴にかくれた時、この親切な婦人達に助けられた事があった。婦人達は交代でたずねてきて、いろいろなものを運び、煮炊きや洗濯をした。
           主の降誕の二、三日後、わたしは胸を打たれる光景を洞穴で見た。マリアは秣槽の傍に立って御子を見つめていた。その時のマリアは、御子が苦しむためにこの世に来たということで感慨無量であった。
           わたしは以前に受けた示現はイエズスが母の胎内にあるとき、また降誕以後に蒙る苦難についてであった。すなわちマリアの胎内に宿る栄光と、その栄光の中に光り輝く子供の姿があった。そして十字架刑のあらゆる苦しみがその子供に加えられた。それはまったくぞっとする程悲しい光景であった。わたしは涙を流し声をあげて激しく泣いた。また別の人間がその子供を打ち、突き飛ばし、むち打ち、茨の冠をかむらせ、十字架の上にのせ、釘づけにし脇腹を貫いたのを見た。救い主の受けるべきすべての苦難をこの子が受けていたとは、まったく身ぶるいする程のものであった。この子供は十字架にかかっていた時わたしに言った、「これらの苦難はわたしの受胎の時から現実のものとなる時までずっとわたしの身に受けてきたのだ。行ってこの事を人々に知らせなさい。」しかしどうしてそれを人々に告げる事ができようか。
           わたしはまた幼児イエズスを見た。大勢の子供が秣槽のそばに来てイエズスをいじめていた。マリアは留守だったのでかばう事ができなかった。子供達はいろいろな小枝や笞を持ってきてイエズスの顔を打ち、そのために血が流れた。幼児イエズスがにこやかに手をあげてよけようとすると、一番小さい子が意地悪くその手を叩いた。親までが子供達に笞をほどよく巻いたりねじったりして与えていた! 子供達はいらくさや小枝やさまざまな棒を持ってきたが、これにはそれぞれ意味があった。一人は細い笞を持ってきて、幼児イエズスを強く打とうとその柄を曲げてはじきかえした。
           わたしは何人かの子供の顔を覚えている。また別の子供達は自分達のぜいたくな着物を見せびらかしていた。できればわたしがその着物を引きはがしたいくらいだった。
           マリアが秣槽の前で考え込んでいると、羊飼達がその妻達と共に来た。かれらは祈りこそしなかったが、深い感動のうちに幼児を見つめ、帰る前にはあたかも口づけをするかのようにその上に低く身をかがめた。
           明るくなってから、マリアはいつもの場所に坐り、イエズスはその膝の上に眠っていた。マリアは手に亜麻布のようなものを持って、ひろげならべていた。ヨゼフは入口の炉端で道具を下げるための台を作っていた。
           わたしはろばの傍に立っていた。すると三人の老婦人が来て、非常に親切に迎えられた。マリアは立ち上がらなかった。婦人達は果物、鳥、パン、亜麻布などたくさんの贈り物を持ってきたが、それらはことごとく謙遜と感謝をもって受け取られた。その人々は大層物静かで、親しみ深く感動をもって幼児をながめていた。しかし抱くことなく帰って行った。
           わたしはその間をばをすっかり観察した。それはたいへん広い背中をしていた。「このろばはもうたくさんいろいろと運んでくれた」と考えて、そえを確かめるために、手で触れて毛をつまんでみると、まるで生糸のように柔らかな感じであった。
           ある時二人の老婦人が三人の八才位の少女をつれて訪れてきた。その人達は身分の高い外国人らしく、たしかに不思議な招きの声に導かれて来たのであった。ヨゼフはその人達を非常に丁寧に迎え、マリアは立って幼児をその人達の手に渡した。二人はしばらくの間イエズスを抱き黙しつつ深い感動のうちに祈り口づけをした。
           三人の少女達も静かではあったが感動していた。ヨゼフとマリアは二人の老婦人と語り合い、かれらが立ち去る時ヨゼフは少しの道を見送っていった。
           ああ、だれがこの婦人達のように、マリアの美しさ、純潔さ、汚れなき思いを知る事ができるだろうか! マリアはすべてを知っているが、しかしその謙遜から何も気付かずにいる。子供のようにかの女の眼差しは下を向いているが、何かを見つめる時はその眼差しは閃光のように、真実そのもののように、曇りなき光のようにあらゆるものを貫き通す。それはマリアがまったく純粋で、まったく汚れなく、聖霊に満たされ、無心であったからである。だれもその眼差しに耐える事はできない。
           この婦人達は町の人目を避けて目立たぬように来た。そして少なくとも二、三哩は離れた所から来たようにあった。ヨゼフはこのような訪問を受けると、いつも非常に控え目で、身を引き、遠くからながめていた。
           またマリアの許の少女が年老いた下僕と一緒にナザレトから秣槽のところに来た。この二人はアンナの所からいろいろなものを持ってきた。年老いた下僕はうれし涙に泣きぬれ、アンナに知らせるためにふたたび帰って行った。
           数日後、マリアはイエズスとその少女を伴い、二、三時間洞穴を出て近くの横穴にかくれた。それはベトレへムから数人の男がヘロデの間牒として来たからである。当時あるみどり児の身の上に奇跡が起こったという噂がひろがっていた。この人達はヨゼフと洞穴の入口で出会って、少し話をしてから、もったいぶった微笑を浮かべながらヨゼフの許から去っていった。
           秣槽のある洞穴はたいへん静かで居心地がよかった。羊飼達のほかベトレへムから誰も来る者はなかった。町ではその頃ここで起こった出来事を深く気にかける者はほとんどいなかった。大勢の外来者が来たため町は非常な雑踏と繁雑を極めていたからである。
           しかし天使が出現した不思議な出来事は遠近の谷に住む人々の間に急速に知れ渡り、これまでの旅でマリアとヨゼフを泊めた宿の人々は、なにも知らずに泊めたこの二人に敬意を表すため次々と訪れて来るのであった。