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    愛の炎の出現を受けた人は誰でしょう?

    2015.05.09 Saturday

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       ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から
      聖母マリアの汚れないみ心の― 『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)

      愛の炎の出現を受けた人は誰でしょう?
       1984年に出版された32ページのパンフレットを見ても、1991年に出版された112ページの小冊子を見ても、この出現を受けたのがハンガリー国の母親であった一婦人であることがわかりますが、その名は出ていません。
       これらの出現やメッセージは、イエズスとマリアの言葉であって、1961年に始まり、20年間にわたって示され、1981年に終わっています。日本語で出されたパンフレットと小冊子は、そのわずかの抜粋でしかありません。これはこの女性が書き残した霊的日記からとられたものです。この日記は、423ページにも及び、原語のハンガリー語で1985年2月にはじめて発行され、間もなくドイツ語をはじめ、イタリア語などにその抜粋が発行されるようになりました。発行されたのは、日記の全部ではなく、その小さな一部分です。また日記にでる人名と地名は、発行された本の中では別の名に変えられています。その理由は、あの当時ハンガリーでは共産主義だったため、問題になっていた人々に政府からの圧迫がないようにという配慮からです。
       また、はじめて、発行した時に、メッセージを受けた女性の名が出ていませんが、これは、イエズスご自身の命令で、かの女が生きている間は、その名はが知られないようにするためでした。しかし、その女性が亡くなったてから、はじめてその名は公けにされました。つまり、エリザベット・サントという人で、1913年に生まれ、カール・キンデルマンという男と結ばれ、子宝にめぐまれ、大家族の母親となりました。間もなくやもめになると、カルメル会第三会員の一員となりました。
       かの女は、1961年からイエズスとマリアのことばを聞くようになり、これは二十年間もつづきました。その次に四年間も長い病気と苦しみがありましたが、かの女がなくなる三ヶ月前にハンガリー国シュケスフェヘルヴァル司教区の許可で、その日記は発行されるようになりました。これよりも7年前にその抜粋は同司教区の許可で発行されていました。
       エリザベット・サントは、1985年4月11日に帰天し、その墓は、首府のブタペストから約30キロはなれたダニューブ川のほとりにあるエルド町にあります。
       かの女の423ページにもおよぶその霊的日記は、「愛の炎」という題で1985年に発行され、5年後にそのイタリア語訳ができました。このイタリア語版は、こまかい字でぎっしり書かれた291の大きなページになっています。1991年に出された日本語版の「愛の炎」の9倍にもあたります。
       1984年に出された32ページの日本語の「愛の炎」は2万部以上発行され、112ページの版は最近発行され、5千部印刷され、大いに歓迎されています。
       聖母は、とくに司祭たちのために心をくばられ、今まで忠実だった司祭がつづくように特別に守り、また迷った司祭たちをイエズスの愛にとりもどすように特別にみちびき、ご自分に対する信心を広める使命をまかせておられます。
       聖母はまた、すべての信者がイエズスに対して忠実をつくし、聖職者のためにお祈りとぎせいを捧げるようにと、たえず呼びかけておられるのです。
            *      *      *
       さて、エリザベット・サントを通じて与えられたメッセージは何でしょう? そのメッセージは前世紀にはじまりました。前世紀はラサレットとルルドで、この世紀になってファティマで、また最近に日本の秋田をふくめて、世界の多くの所で行われている聖母マリアの出現が同じ線にそってメッセージを伝えました。これらのメッセージは、改心へのイエズスの呼びかけを明らかに示しています。イエズスのみ心の出現をうけた聖女マルガリタ・マリア・アラコックを通して、イエズスは、偉大な約束をなさいましたが、それは、ファティマの聖母の清いみ心に関するお告げと約束との同じ線にそっています。

       そのメッセージと、約束の特徴について簡単にのべますと、まず目立っているのは、ハンガリー人を通じて与えられていることです。ハンガリーが世界の国々と大きく異なっているのは、この国が、マリアと特別な関係にあるということです。すなわち、ハンガリーは、どの国よりもマリアに従属している国といえることです。なぜなら、マリアは、この国を正式に遺産としてうけつぎ、特別な名義で、この国の合法的な所有者と宣言されているからです。これは、1031年にさかのぼります。当時のハンガリーの大王聖ステファノの玉座を受け継ぐことになっていた長男のエメリコが殉教しました。―このエメリコは父といっしょに列聖されました。―父聖ステファノは、そのとき、聖母マリアを王国を合法的にうけつぐ女王として正式に宣言したのです。ハンガリーには、何人かの神秘かがあらわれましたが、マリアご自身、この神秘家たちに対して、たびたびこの歴史的な背景についてお話しになり、ハンガリーが、ご自分の遺産であることを主張されました。
      共産党がハンガリーの王権をとる前まで、王国の憲法においてさえ、聖母とのこの関係が定められていたのです。そのために、ハンガリーの銀貨などにも、聖母の肖像があって「ハンガリー人の偉大な女王」とラテン語できざまれていました。
       聖母は、この国から三人の神秘家を特別に選んで、全世界に、つぐないの業をおこさせ、どんな時代にもかつてなかったほどのあわれみと恵みの雨をふらせて、世界を救いたいみ旨をあらわしました。
       その神秘家の一人は、マリア・ナタリアです。かの女は、とくに司祭と修道者のためのつぐないを頼まれました。また、マリア・ナタリアは、「この世に打ち勝つ勝利の元后」と題する日記を著しました。この本の日本語訳は八月中に終えられ、九月には出版される予定です。
       もうひとりの神秘家は、まだ生きているので、今のところ、その名前は発表されていませんが、「命の奉献」というつぐないの事業をたのまれました。これは、特に苦しんでいる人(病人、老人など)のあいだに広まるようにと聖母は望まれています。第三には、本書が取り上げましたエリザベット・サントに頼まれた聖母の清い心の炎、すなわち「愛の炎」です。このメッセージは、全世界の人々を対象にしています。「愛の炎」とは何でしょうか? イエズスは、このことを「ノアを救った箱船のようなものである」と説明され、マリアご自身は、「この炎はイエズスご自身です」とおっしゃっています。
       この炎は、心から心にうつり、全世界を神の愛に燃えたたせる力を持ち、亡びようとする世界を救うことができます。この炎は、これを受けた人々をみな、そのうえ、短期間で高い聖徳の位にひきあげることができます。聖母はこうおしゃっています。「あがないのみ業が行われた時から、これほどの大きな恵みは与えられたことがありません」と。
       この恵みは、すべての人に及びます。これによって教会は、すぐれた召し出しが、家庭には愛、世界には平和、煉獄の霊魂には、苦しみからのすみやかな解放、死に瀕している人々には、良い死をとげる恵みの約束が与えられています。
       このメッセージで、イエズスとマリアは、この愛の炎によりすがるようにと呼びかけ、これによって、悪魔の目がくらみ、悪魔がわたしたちに損害を加えられないようにしてあげると天からの約束をしておられます。
       聖母は、その汚れないみ心の炎に祈る人が、どの小教区にも、一日24時間絶えまないようにと望んでおられます。イエズスは、「ある小教区において、誰かが信仰深く愛の炎に祈っているあいだは、その小教区の全区域において、悪霊の目がくらんで人に害を加えることができない」とおっしゃいました。
       イエズスとマリアは、家庭内での共同の祈りを望んでおられます。週に一度、家庭で二人以上の人が集まって、聖母の約束のシンボルとして、ローソクをともして聖時間を行う人には、また、大きな恵みが約束されています。
       わたしたちの生きているこの現代では、罪に対する感覚と意識がうすらいで、迷いがふかまり、何が善いか、何が悪いかが分からなくなります。それで、多くの場合、信仰についても疑いがおこり、真理は、どこにあるのか分からなくなります。これは、一般信徒だけでなく、場合によっては、聖職者や修道者さえも迷うことがあります。まるで、悪と善の基準がなくなったyとうな感じがします。極端な例をあげますと時によっては、胎内のわが子をおろすことが、その子を不幸にしないための義務であるかのように思う人がいるのです。しかも社会人は、これを「責任をもっている態度」とさえ評価しているのです。
       それにしても、あわれみ深い神は、善悪の基準をわたしたちに与えてくださったのです。何が自分によく、何が自分に悪いか、つまり命を与えるか、死に導くか、悪の霊からくるものなのか、神の霊からくるものなのかをわきまえるための基準です。
       そのうえ、この基準をもつことが大事であることを強調するため、聖書のはじめにこの基準が明らかに出ています。「わたしは、おまえと、かの女のあいだに敵対をおく」と神はいわれたのです。おまえとは悪魔のことで、かの女とは、救い主のおん母マリアのことです。すなわち、罪の父である悪魔と、恵みの母であるマリアのあいだに、永遠の敵対が定められているのです。
       信仰について、いく度も迷ったり、まちがったりした聖書学者や神学者は、このことを簡単には認めないでしょう。善と悪の基準を決めるのは、この神学者でも、あの神学者でもなければ、この司教、あの司教でもありません。また時代に合っているか、いないかという一般常識でもありません。
       わたしたちの時代の迷いも、いうまでもなく、あの昔、蛇からきています。これにうち勝ったのは、救い主キリストであり、その確かな教えは、ペトロの後継者である教皇を中心とするカトリック教会の教えによって伝えられています。教会は、昔から救い主のおん母マリアがすべての異端説をうち破ったことを認めています。
       この時代に、あわれみ深い神は、悪魔の頭をふみくだく女、マリアのみあとについていくようにと呼びかけておられますが、これは大きな恵みです。かの女、つまりマリアについて行く人は、まちがうことがありません。悪魔は神学のことをよく知っているので、神学までも利用して、わたしたちを迷わせることができます。教会の歴史をしらべてみると、異端はすべて、なんらかの神学的な前提をもっていることが明らかになります。悪魔は、ほとんど何でも出来ますが、絶対にできない一つのことがあります。それは、聖母マリアに従うことです。マリアは、救い主へみちびく絶対に安全で確かな道です。
       エリザベット・サントの日記に出るマリアとイエズスのみことばの一つ一つは、真珠のようなものです。その一つ一つに強い輝きがあるので、その中から選ぶのは、むずかしいほどです。
      「愛の炎」というこの小さな本にのせたものは、かならずしも最も大事なものとはかぎらないと思いますが、それにしても、この日記の全文が翻訳できるまで、この小さな本を広く普及するのは望ましいと思います。
       イエズスご自身がおっしゃったように、この”愛の炎”をノアの救いの箱船と考えて、これに入る人をあざ笑う一般の人の声を気にしないことがたいせつです。
       悪の洪水に沈まないように、聖母マリアの汚れないみ心の炎をともしてください。あなたの心と、あなたが愛している人の心にも。
       おん母のマントのもとには、命と喜びがあります。
      その命と喜びを心ゆくまで味わうことを祈ります。
                               デルコル神父
                                  1992年6月27日
                                  マリアの汚れないみ心の祝日

       

      5 サタンの目をくらます方法

      2015.05.04 Monday

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         ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から
        聖母マリアの汚れなきみ心の『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)

        5 サタンの目をくらます方法

        イエズスの尊いおん血の力
         ミサ中、聖体拝領後、イエズスは尊いおん血の効力について話されました。
        「わたしは、全世界に血を提供するものです。この神聖な血で、あなたたちは酔うこともできます。それをあなたたちの知恵は理解できるでしょうか。やさしいことではありません。
         わたしは、この世のたったひとりの血の提供者です。それを考えてみなさい。わたしの大切な血は、麻痺した魂の力を暖めます。わたしの血をこの地上のすべての被造物に、もう一度注ぎたいのです。
         このわたしの神の手に、自分たちを完全に委ねなさい。あなたたちの霊魂の中で働くようにさせなさい。どうして普通の造られた物のままでいるのですか。わたしがあなたたちの中に入り、いっしょにすることを楽しむことができるように、わたしの神のいのちにあずかるように望みなさい。
         わたしの食卓は、いつも準備ができています。あなたたちのお客であるわたしはすべてを与えます。わたし自身まで与えます。
         わたしの尊い血を受けた後は、自分の心の奥深くに入り、自分たちの心の中でどんな働きがあるのかを、よく検討してみなさい。無関心にならないでください。習慣的にではなく、愛の炎にかられて、わたしの食卓に近づきなさい。わたしの愛が燃えあがります。この愛をあなたたちの協力で、わたしはあなたたちの罪をも焼いてしまいます。」

        聖なるミサにあずかるようにしなさい
         聖母マリアが話されました。
        「恵みの状態で守るべき日、主日以外のミサにあずかるとき、わたしの愛の炎は強く輝きます。そのときずっとサタンの目が見えなくなっています。そのミサを人のためにささげるなら、その人に、わたしの恵みを限りなく注ぎます。ミサにあずかる人は、サタンの目をくらますのに大いに協力していることになるのです。
         しかし、サタンに気をつけるようにしなさい。サタンは復讐にかられたものすごい戦いを何度となくいどんできます。サタンは、自分の時の終わりが近いことを知っていますので、さらに人々を苦しめるのです」。

        毎日自分を捧げなさい
        「一日の間にあなたたちの仕事を何度も主に捧げなさい。もしあなたたちが恵みの状態にいるのなら、その捧げものはサタンの目をくらませるのに役立ちます。サタンの目を見えなくすることがますます増え、どこにでも広がるように、わたしの恵みの中にいつでもいるようにしなさい。あなたたちに与えられるたくさんの恵みは、よく生かされれば、たくさんの人がよい方へ向かうのに役立ちます」。

        聖母マリアの嘆き
         ある日、いつものように仕事をしておりますと、聖マリアがわたしに話されました。
        「あなたも母親です。わたしの無限の苦しみをあなたに分け与えます。あなたの六人の子どものひとりでも滅びの方へ行ってしまったら、どんなにつらいものかを考えてみなさい。私のこのひどい苦しみを考えて下さい。多くのわたしの子どもたちが地獄へ落ちるのをわたしは見るのです。わたしをどうぞ、どうぞ助けてください」。
         このことばをわたしに話されたとき、聖マリアはご自分の苦しみをわたしの心に注がれました。わたしの心は苦しみで打ち砕かれてしまいました。
        「人はわたしを悲しみの聖母と呼んでいますが、わたしが今でも苦しんでいることをわかってはいません。おん子のカルワリオの道にたたずんでいたときの苦しみだけではないのです」。
         聖母の嘆きは、わたしの心の中を苦しみで一杯にしました。聖マリアの願いである愛の炎を一刻も早く広める必要性をわたしは感じました。それは、サタンが一日も早く目が見えなくなり、たくさんの霊魂をほろびへと導く力を失わせるためです。
         わたし自身、祈りの中でも激しい悪霊の誘惑にあいました。何とわたしを混乱に陥らせることでしょう、「信じることなんかないわ、どうせ努力はむだよ」とわたしの希望を打ち砕こうとするのです。
         わたしはとても苦しみながら祈るのです。「あわれみ深い天の父よ、どうぞわたしがあなたの小さな花火でありますように。わたしはあなたの計画の一部分でありました。あなたはわたしを創り、わたしの死の時間をお決めになりました。あなたの永遠の善と力に誰が介入できるでしょうか。神ご自身でいらっしゃるあなたまで試みた悪の手から、わたしを救ってください。天の善い父よ、わたしは今、あなたの全能のみ手の強い支えを必要としています。あなたのおん子は、わたしにいつも謙遜であるようにと教えてくださいました。わたしは全能の神であるあなたの前に、ちがった態度をとることができるでしょうか。わたしはあなたの強い輝きの光をいただく小さな花火となって、あなたの光栄の前に立っています。聖マリアよ、あなたの愛の炎でサタンの目をくらましてください。サタンは、わたしを大罪にひきずり込もうとしているのです」。

        わたしをいつも見ているように
         キリストがわたしを助けに来てくださいました。
        「わたしをいつも見ているように、わたしの視線はサタンの目をくらませます」。
        「愛するイエズス、どのようにして、あなたをみつめることができるでしょうか。わたしが目を閉じても、あなたの目がわたしの魂のいちばん暗い所まで、明るく照らすのが見えるのです。主よ、わたしの罪のため、わたしはどんなに悲しむことでしょう」。
         イエズスがお答えになりました。「わたしのそばを歩く人は、わたしと一緒にあつめます。それには、わたしをきちんと見て、わたしと一致することが必要なのです。わたしの視線を耐えしのべないで、たくさんの人がわたしから離れていきます。わたしに背をむけずに改心するようにその人たちに伝えなさい。わたしはいつでも人を許すのを待っているのです。”愛するイエズス”とあなたが言うのをわたしが聞くとき、どんなにわたしがうれしいかわかって欲しいのです。それをあいさつのときの決まり文句のように、いつも言って欲しいのです。もし一時間のうち、この言葉しか言わないとしても、わたしは喜んでその人を受け入れます。どうぞ、わたしから逃げないよう願います。いつもわたしをみつめていますように。あなたの兄弟のひとりにも伝えて欲しいのです。わたしたちの目は見つめ合い、ただ一つのまなざしにならなければなりません」。
        「わたしの主よ、わたしの、わたしたちのまなざしは、あなたのまなざしと一致しなければならないでしょうか」。
        「あなたが絶望のとりこにならないように、わたしの目を見るようにと勧めるのです。また、その戦いのとき、目を伏せないように勇気づけるためにも、そう言うのです。地上に目を向けて助けを求めるのではなく、わたしにだけ視線を向けなさい。あなたたちが戦いのときには、わたしのそばにいて、わたしに委ね、天をあおぐようにと望みます」。

        聖体訪問を何度もしてください
         ある日、「愛するイエズス、あなたを愛します」ということばで祈り始めたとき、主はわたしに話されました。
        「あなたが聖時間のために、ここに来るとき、誰かに会いましたか」。
        思い出すためにわたしはうつむき、そうしてこう答えました。
        「いいえ、主よ、誰にも会いませんでした」。
        イエズスが、「わたしをひとりにしないでください。少なくとも、あなただけでも、わたしをひとりにしないでください」とおっしゃいました。
         わたしの心は苦しみで打ち砕かれてしまいました。主はつづけてお話しになりました。「もしあなたたちがわたしの所へ来ないのなら、どのようにしてわたしが恵みを与えることができるでしょうか。わたしの心は恵みで満ちあふれています。わたしの心は限りない愛です。あなたたちの心が一致しますように。わたしたちは皆一つにならなくてはならないのです。わたしたちの心臓は、一致して鼓動し、わたしたちの手は、一つに結ばれるべきです。人を皆、わたしの所へ連れて来なさい」。
         その後、主がわたしたちみんなのためにもっておられる限りない愛をわたしの心に注いでくださいました。

        信仰と信頼をもつように
        「わたしの神よ、わたしの心は、聖母マリアの愛の炎が一刻も早く灯るようにと、その望みで燃え立ちます」。
        「あなたは、わたしを信じていますか。わたしたちの聖なる計画を信じているのでしょうか」。
        「わたしの主よ、あなたはわたしの信仰をご存知です」と答えますと、主は、信仰のすばらしい恵みで、わたしの心を一杯にしてくださいました。
        「他の人それを分かち合いなさい。信仰と信頼が欠けているなら、どんな徳も根を下ろせないことを知って欲しいのです。わたしたちが今準備している聖なる計画の土台は、信仰と信頼です。それをあなたが知らせ始めてもよいのです。
         わたしのことばの重要さをよく考えてください。わたしたちは、あなたたちの最初の歩みに力と勇気を与えます。この計画をおくらせることも、すぐ途中でやめることもしてはいけないのです」。