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2017.01.04 Wednesday

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    66 トマ

    2015.04.12 Sunday

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      カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より

      六六、トマ
       安息日が終わってから、私は前の日曜のように玄関の間の愛餐を見た。それはまだおそくなく、ランプはともされていなかった。何人かの使徒や弟子たちが広間におり、その他の者も集まって来るのを見た。かれらは出たり入ったりしていたが、長い衣を着てこの前の時のように祈りの用意をしていた。かれらがこうして準備をしている時、トマもまた広間に入って来た。私はかれらがトマに話しているのを見た。
       二、三の者はかれの腕を握り、手をふりあげて断言していた。かれはしかし手早く着更えをし、かれらは自分らの言うことをかれが信じていないのを見た。そうするうちに、前掛けをつけた一人の男が入って来た。かれは召使いであった。その一方の手には灯った小さなランプを持ち、他の手には鉤のついた棒を持っていた。それでかれは広間の中央のランプを引き下して灯をともしてから再び高くあげて広間を出て行った。
       かくするうちに私は聖母がマグダレナともう一人の婦人と一緒に入って来られたのを見た。この三番目の婦人は玄関の間に残ったが、マリアとマグダレナは広間に入られた。ペトロとヨハネは二人を迎えに歩み寄った。
       そうして扉は閉ざされ、一同は祈りに整列した。二人の婦人は扉の両側に立ち、手を胸の上に組んでいた。使徒たちはまず至聖所の前に跪いて祈ってから、ランプの下に並んで詩編を幾組にも分かれて唱えた。暫くして一同は休憩しお互いに語り始めた。かれらはチベリアデの湖の方に行こうと語り、その際どういうように分かれて行こうかと話し合っていた。しかし間もなくかれらの顔に、不思議な熱誠と興奮がはっきりと現われた。かれらは主のご近接を感じたのである。
       私はイエズスが輝くような白い衣を着、白い帯をして中庭を行かれるのを見た。主が玄関の間の扉に歩み寄られると、それは主の前に自然に開き、主の後に再び閉じた。玄関の間にいた弟子たちは、扉の方を見、さっと両側に分かれた。イエズスはしかし足早に玄関を通り抜け、広間にお入りになった。使徒たちもまた主のため直ちに場所をあけ、歩み入らせられた。主の歩みはしかし少しも普通の人のようではなく、また私が幽霊に見たような漂いでもなかった。 ―
       広間では一時にすべてがパッと広く明るくなった。イエズスは輝きに包まれていたが、弟子たちはこの光の圏外に退き下がった。私は、そうしなければかれらは救主を見ることができなかったのであろうと思った。―
       まずイエズスは「あなたたちに平安あれ!」と仰せられ、次いでランプの下にお進みになると、自然に主の周りに狭い円ができた。トマはイエズスを一目見るや、非常に驚き恥ずかしそうに後ずさりをした。イエズスはしかし右手でトマの右手をとり、その人差し指を握ってご自分の左手の傷の中にお入れになった。それから主はまたかれの左手を取って、その指をご自分の右の傷に入れ、最後にトマの右手をご自分の衣の下に入れさせて、その人さし指と中指とを右脇の傷の中に入れさせられた。主はその時二言三言仰せになった。トマはしかし主の前に「私の主よ、私の神よ。」と言いながらひれ伏してしまったが、イエズスはなおかれの手をお握りになっていた。トマは失神したようになってしまった。まわりに立っていた人々はかれを支え、師はかれの手を持って再びひき起こされた。
       イエズスがトマの手を握られた時、私にはそのおん傷が血の流れる傷ではなく、輝きを放つ小さな太陽のように見えた。他の弟子たちはこの出来事に非常に感動し、主がトマに触れさせたおん傷を固唾を呑んで見詰めた。
       私は聖母がおん子のご出現の間、少しも外面的な感動を現さなかったのを見た。聖母は恍惚として、物静かな深い内面的な祈りに沈んでいた。マグダレナは、はるかに感動していたように見えたが、しかし弟子たちよりずっと外には現わしていなかった。
       イエズスはすぐにはお消えにならなかった。主はなお弟子たちとお語りになり、また少し食べ物をお求めになった。私は主のために隣の部屋から再び楕円形の小皿を主の所に持って来たのを見たが、それは第一回目のようなものではなかった。その上にはまた一切れの魚がのっていた。主はその食物を召し上がられ、祝してまずトマに、次いで他の者にもお与えになった。さてイエズスはかれらが主を置き去りにして言ったにも拘らず、なぜ今かれらの真中にお立ちになったかを説明された。主はまたペトロに、その兄弟を力づけるようにと言われたことを語られ、更にかれが主を否んだけれども、かれを指導者としてかれらにお与えになると仰せになった。それはまた羊たちの牧者となるのである。だからペトロは大いなる熱心をもつようにと仰せになった。―次いでペトロは主の前に跪き、主から小さな菓子のような丸い食べものを戴いた。私は皿を見たことも覚えていないし、また何処からイエズスがそれを取り出されたのかも知らない。私はその食物が輝いていて、内面的なものであるのを見た。またペトロがそのために特別な力を得たことがわかった。
       私はまた救主が使徒の頭(ペトロ)に息を吹きかけられて、特別な権力を注ぎ込まれたのを見た。さらに師はかれの上におん手をかざし、かれに力と他の者に対する大権とをお与えになった。
       イエズスはまた聖霊がかれらに降臨された時の大洗礼についてお語りになった。また主がペトロに力をお与えになったように、他の者にも分け与えるように指示をなさった。主は最後にチベリアデの湖に漁りに行くようにお命じになった。そして救主は消えられた。一同はその後感謝の詩編を唱えた。イエズスはこの時はそのおん母とも、またマグダレナともお話しされなかった。  

      七、 イエズス橄攬山へ向かいたもう

      2015.04.02 Thursday

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        七、 イエズス橄攬山へ向かいたもう

         イエズスは十一人と共に広間を出られた時、もはやみ心は憂いに沈んでいた。そしてその憂いはますます募っていった。主は供を、ヨザファットの谷を通る回り道をして、橄攬山へともなわれた。一同がこの谷に入った時主は、「自分はいつか再び、この谷に来るしかし今のように貧しく、力ない者としてではなく、世の審判者として来る。その時人々は、恐ろしさの余り『山よ、われらをおおえ!』と叫ぶだろう。」と仰せられた。しかし弟子たちはこの時も主の仰せられたことを了解出来ずにいた。
         一同はあるいは歩みを進め、あるいはまた静かに立ちどまった。イエズスはかれらと語りたもうた。その時主は「今夜みなわたしのことでつまずくだろう。それは『われ牧者を打たん、かくて羊の群れは散らされん』と書き記されているからである。しかしわたしが復活した時はおまえたちより先にガリレアに行くだろう」と仰せられた。
         使徒たちは聖体拝領と、愛に満ち溢れた荘厳なイエズスのお言葉によって感激と、親愛に満ちていた。そして主に寄り添い、いろいろな方法で自分たちの愛を言い表していた。一同は主を決して置き去りになどするようなことは致しませんと強調していたが、主はくり返し、そのことについて仰せられた。するとするとペトロは、「たとえ他の者が主につまずくともわたしだけは決してそんなことは致しません」と言った。それで主はまたもやくり返し「本当にそのおまえが今晩鶏が鳴く前に三度わたしをいなむだろう」と言われた。しかしペトロはどんなことがあってもそれを認めようとせず「たとえわたしがあなたと共に死ななければならぬとしても、決してわたしはあなたをいなみません」と主張した。ほかの者もみな同じことを言った。イエズスはしかし、ますますおん悲しみに包まれていった。使徒たちはおん悲しみを、人なみの気休めでしずめようとした。そして自分たちの忠実さを主に誓った。しかし、ついにかれらも疲れ、疑い出した。かくて試みがかれらをおそい始めたのだった。
         橄攬山には垣をめぐらし、貴重な灌木や果樹を植えこんだ大きな園があった。多くの人たちは、そして使徒たちも、この園の鍵をもっていた。そして中にはいろいろな、公開宿泊所や、厚く葉でおおわれた小屋があった。これがゲッセマニの園であった。
         橄攬山の園は一本の道路によって、垣根をめぐらしたこのゲッセマニの園と隔てられ、一般に開放されていた。それはただ土塀に囲まれ、橄攬山の斜面の方に伸びていた。
         イエズスが弟子たちと園にいたころには、すでに全く暗くなっていた。主は深く憂いに打ち沈み危険の迫って来たことを語られた。弟子たちはすっかり狼狽してしまった。ゲッセマニの園で主は八人の使徒に「わたしがわたしの場所に祈りにいっている間、ここに止まっておれ」と仰せられた。それからペトロとヨハネおよび大ヤコブを連れて山のふもとの橄攬の園に行かれた。 主は迫り来る戦いを予感され、言葉に言い尽くし難い悲しみに包まれていた。ヨハネは主がいつも、自分たちの慰めであられたのに、一体どうしてそうお悲しみなのですかとお尋ねすると「わが魂は死ぬるばかりに憂いている」と仰せられた。主は三人の使徒たちに「ここに止まって、わたしといっしょに起きていよ。そして誘惑に陥らぬように祈れ」と言われた。
         三人はそこに残った。イエズスは少し前の方に進まれた。恐ろしい幻影が主に押し迫って来た。主は非常な恐怖におののきながら、使徒たちの所から左手の方に下って行った。おおいかぶさるように突き出している岩の下の六フィートほどの深さの洞の中に逃げ込まれた。洞の底はゆるやかに、灌木が入口におおいかぶさっていたので、その中に入ると、ちょっと、外からわからなかった。
          

        4 足を洗いたもう

        2015.02.09 Monday

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          カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より
          四、足を洗いたもう

           一同は食事を終えて立ち上がった。そして厳かな祈りをするならわしの時のように、着物を整えた。その時ふるまいつかさが二人の召使いを連れて食卓を片づけに来た。それを取り片づけている間、主はふるまいつかさに命じ、水を玄関に持って来させた。それから主は使徒たちの中に立たれ、しばし厳かに語られた。わたしは今までにあまり沢山のことを見たり聞いたりしたので、これらの話のやりとりを正確に語ることはとてもできない。しかしそれは、そのみ国のこと・おん父のみもとに帰られること、そしてその前に、ご自分の持っておいでになるものすべてを弟子たちに残して行きたいと言うことなどであった。主はさらに償い・罪の糾明と告白・痛悔・浄化(きよめ)などについて教えられた。わたしはすべてこれらの事柄は洗足に関していることだと感じた。わたしはかれらがおのおの自分の罪を認め、痛悔しているのを見た。しかしユダだけは何もせずにいた。語り終えられてから主はヨハネと小ヤコブに命ぜられ、玄関に行って用意してある水を持って来させた。残りの者には腰掛けを半円形に置くように命ぜられた。それから主は玄関に行き、マントをぬぎ袖をまくり布切れをご自分の体にしばりつけた。そしてその長い方の半分を前に垂れるようにした。
           その間使徒たちはだれが一番上座に座るかと言う口論めいたことを始めた。それは今さき、主がはっきりとご自分がかれらを残して行かれること、またそのみ国が近づいたことをおっしゃったので、かれらは主が何か隠れた力で、最後の瞬間に現世的勝利を勝ち得て現れるであろうことに、確信を持つようになったからである。
           イエズスは玄関でヨハネに鉢を持たせ、小ヤコブに水袋を抱えさせた。そして袋から水を鉢に注がせてから二人の弟子を従えて広間に行かれた。
           室の中央にふるまいつかさは大きな空のたらいを置いた。
           イエズスは広間に入られると言葉少なにかれらの争いを戒めた。その時イエズスご自身かれらの下僕であると仰せられた。主が弟子たちの足を洗うために、かれらは椅子に腰を下ろさねばならぬことになったが、結局食卓と同じ順で席についた。イエズスは次々とヨハネの持っているたらいから手ですくってその足に注ぎ、腰にさげた布の端を両手にとって足をお拭きになると、ヨハネはそのたびに使った水を大きなたらいにあけて戻って来た。イエズスはまたヤコブの水袋からヨハネのたらいに水を注ぎ前のようにくり返された。
           前の晩餐のようにこの時も主は非常な感動と親しみをもってされた。そしてこのヘリ下った洗足の際などはまったく愛情に満ち溢れ、これを単なる儀式のようではなく、本当にご自分の愛の表現として行われた。
           主がペトロの所に来たもうやペトロは謙遜して拒みながら「主よ、あなたがわたしの足を洗わなければならぬのですか」と言った。すると主は「わたしがすることは今おまえにはわからない。しかし後でおまえもまたわかるであろう」とお答えになった。わたしには主がなおかれ一人にこう仰せられたように見えた。「シモン、おまえはわたしがだれであるか、どこから来たか、そしてどこへ行くかをわが父によって知るに応(ふさわ)しい者となった。おまえ一人だけがそれを認め、かつ宣言した。だからわたしはわが教会をおまえの上に建てよう。地獄の門もこれに勝てないだろう。またわが力は世の終わりまでおまえの後継者に伝わるであろう」と。イエズスはペトロを指されて一同に、主がかれらの許から去った後は、ペトロが自分の位置に代わらなければならぬと言われた。しかしペトロが「主よ、あなたはどんなことがあってもけっしてわたしの足をお洗いなさってはいけません。」と言ったところ、主はくり返して、「もしわたしがおまえを洗わぬならおまえはわたしとなんらの関係もないことになるのだ。」と仰せられた。するとペトロは「では主よ、どうぞ足ばかりでなく、わたしの手や顔も洗って下さい。」と申し上げた。主はこれに答えて「洗われた者はまったく清くなる。だから足を洗うだけで十分だ。おまえたちも清らかだがしかしみながそうではない。」と言われた。主はこの時ユダのことを考えていられたのである。
           主はそのご教訓のうちに洗足を日々の過失の清めとしてお話しになった。だからこの洗足は精神的意味をもち、一種の罪のゆるしでもあった。しかしペトロはそれをかれの熱心から主のあまりにも深い謙遜であると思った。ペトロは主が、かれを救わんため、明日侮辱的な十字架の死に至るまでヘリ下られることを知らなかった。
           イエズスは深く感に打たれ、かつ親しみをことさらこめて、ユダの足をお洗いになった。その時主はお顔を裏切り者の足におしあて、「よく考え直しておくれ。」とささやかれた。ユダはすでに一ヵ年も裏切り、不忠実を計画していた。かれは主のお言葉に気づかないように見せかけてヨハネと話していた。それでペトロが怒って「ユダ、主がおまえに話しかけておいでになるではないか」と言った。それでユダはおざなりの言い逃れを言った。「主よ、もったいのあい、結構です。」他の者たちは主がユダに何といわれたか知らなかった。主はそっと話されたし、また他の者たちは履物を穿(は)こうとしていたので聞き取れなかった。しかしユダの裏切りは主のご受難のうちで最も主を苦しめた。最後に主はヨハネとヤコブの足も洗われた。始めにヤコブが座り、ペトロが袋を持ち、次にヨハネが座り、ヤコブがたらいを持った。
           イエズスは謙遜について、仕える者はいかに大いなる者であるかを教えられた。将来お互いに謙遜に足を洗い合わなければならぬとおさとしになり、かれらの席次争いを引き合いに出された。それから主は再び着物を着けられた。