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    第二章 迫害の預言

    2015.09.26 Saturday

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      安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

      第二章 迫害の預言

       《わたしは、あなたたちの信仰が揺らぐことのないように、これらのことを話した》(ヨハネ16・1)
      ペトロをはじめ弟子たちは、裏切り者となったユダを除いて、先生のお話の一言一句に心をこめて聞き逃すことなく、心底からの愛の傾倒を持って一生懸命になって聞いていた。弟子たちの信仰が揺らぐとは、どんなことがあったのかたださねばならない。まず、信仰が揺らぎ、不信仰となって彼を離れ去って、将来に約束された神の国を断念してこの世の快楽を求めれば、ユダのようにお金をもってイエズスを売ることになる。また神の唯一なる約束である福音の教えを、一般的人間の教訓と同じレベルで受け取って、人間本来の欲望の生活をもって人間の幸福とし、満足していれば、すべて神を裏切って生きていることになり、これも信仰が揺らいでいることになる。
       イエズスの神の知性には少しも誤りがなくくもりもなく、自分が将来の福音のために、また神の国である教会建設のために選んだ弟子たちを、使徒と呼びあらためてもその選択には誤りがなかった。ユダといえども滅びの子として使徒たちの中に名を連ねていたが、それにもはかり知れない神の摂理のうちに隠れた使命があった。
       最後の晩餐の時には、弟子たちは先生であるイエズスを何もかも知る者として、またその神の子の知恵を信じていたようである。彼らには、やがて晩餐が終わって二、三時間後に、イエズスが闇夜の中で敵どもに捕われたとき、自分たちが彼を捨てて離れ去るなどということは毛頭考えられなかった。イエズスは前もって預言して教えたが、弟子たちは彼の預言によって信仰が揺らいだのではなく、予想もしなかった一瞬の出来事に揺らぐことになった。そのつまずきはペトロをはじめとする弟子たちが先生の身の安全をあくまでも守ろうとはせずに自分の身の安全を求めて、置き去りにして逃げてしまうことであった。それは信仰を失うつまずきと表現されるであろうが、思いもよらない人間的事件によって信仰が揺らいでしまったのである。それは自然に生きる人間として避けがたいことのように思われる。信仰の点からみれば、一方的に教えられ、守られてきた子どものような信仰であって、自分の生命を捨てて、死の犠牲に結びつくほどの霊的な信仰ではなかった。イエズスはこれから起こる新しい事件によって彼らがイエズスの十字架の死と復活に結びつけられた信仰をもつようになると約束する。それは今までのように弟子たちをつまずかせたりすることのない信仰であると言う。弟子たちの一時的な揺らぎは、試練となって新しく大人の信仰につくりあげ、成長する過程をひそかに教えたのである。本当の信仰のゆらぎとは、回復の見込みがなく失望して完全に離れ去って滅びに至ることである。

       《人々はあなたたちを会堂から追放するであろう。それどころか、あなたたちを殺す者が皆、自分は神に仕えているのだと思う時が来る》(ヨハネ16・2)
       まず、弟子たちがイエズスの死後、主のご復活の大いなる出来事にあって信仰を回復し、やがてイエズスの約束に従って聖霊を受けて強力な信仰によみがえり、使徒となり得て、福音の宣教をユダヤ人のみならず異邦人の全世界にも勇気をもってあまねくのべ伝えることになる。そうなれば、ユダヤ教ばかりでなく、異邦の世界の人びとからも彼らの先生と同様に迫害されることになる。これはこの世を支配している人間の目に見えないサタンの働きによるものである。
       その顕著な例を見ると、使徒行録に記されているステファノの殉教がある。改宗以前のサウロはユダヤ教徒として、律法に従って神に仕える信仰をもっていたが、彼は盲目的に迫害に賛成した第一人者であった。わたしたちの日本においても、豊臣秀吉が九州征伐の後に、キリストの福音を撲滅しようとキリシタンバテレンを追放して迫害を始めたのは、日本は神国であるが故にとの理由によるものであった。これも自然的に言えば秀吉自身が神に奉仕するとの考えであったから、自分こそまことに日本国の神に仕えているものだと確信しており、聖人たちを殺しても罪悪感はなく、かえって勇気をもって迫害することに意義をおぼえるものであった。
       時間がたち、使徒の時代から二千年を経る現代に至っても、全世界を眺めてみれば、キリストの教会がいまだに国家的と言おうか政治の立場から迫害を受けていることには変わりがない。人を殺すような迫害ではないが、今の科学的無神論の時代においてはもっぱら世の快楽を求めて神の存在を排斥している。神があってもなくても人間には関係なく、人間にとって世の政治が大切であると人びとが教え導かれている。それによって、人間は神の存在よりも個人が大切で、個人の自由生活が尊重されて、個人が神の存在になり代わってそれ自身が礼拝されているおもむきがある。このような考えに立てば個人は絶対的存在の価値を有していることになりかねない。人間個人が世界を支配する王様の地位を得ているようなもので、神の存在が人間の世界には認められず、人間に仕えてこそ神に仕えることだとすりかえが始まっている。もし神の存在が認められても神に仕えることを人間が許さず、人間の意に反して神に仕える者があれば、その者を抹殺してしまう政策がとられうことになるだろう。人間自身に仕えていることは同時に神に奉仕していると思いがちであるが、この世の終わりにも、神に対する反逆が起こるという預言があるのももっともであると考えられる。それは地上の人間に神が迫害されていることになる。

       《彼らがこのようなことをするのは、父をもわたしをも知らないからである》(ヨハネ16・3)
       人びとがあなたたちを殺すのは、彼らが神のためになると一方的に考えているからだが、その実は神である御父と御子を知らず、真の三位一体の神が世界の創造主であるということを知らないからである、と言う。日本では豊臣秀吉が切支丹宗門が邪教であると言って迫害したことが一般的に知られているが、それは偶像の神々に拝跪して、真の三位一体の創造の神を迫害したことになる。今の時代の共産圏の政治下では、マルクス主義を拝んで三位一体の神の信仰を阿片と見なして迫害し、禁じ、それを奉ずる者があれば牢獄に閉じ込める。神が存在しているのに人びとの心には、かってにつくられた学説やつくり話の思想に誘発されて、三位一体の神が存在するはずもないと科学的無神論をかかげて人間の生活に安心しきっている。無神論を唯一の真理でもあるかのようにかかげて生活している者は、神の存在が絶対に見えない暗闇の世界のどん底に自分の心を閉じ込めているからである。神がなければ、人間が自由かってに生きられるので、どんな罪も認めることはないであろう。この場合の罪は人間対人間の悪であって、それ以上に問うことがないとするようである。無神論という思想が人間の理性や知恵を支配すれば、自分の主義に背く者を殺しても罪悪を感じないばかりか、正当防衛とも考えるようになる。黙示録の獣の記事を引いて見よう。「この獣には、大言と冒涜の言葉を吐くことが許され、四十二か月の間活躍する権力が与えられた。そこで、獣は口を開いて神に対し冒涜の言葉を吐き、神の名と、その幕屋、また天に住む者たちを冒涜した。この獣は聖なる人々に戦いをいどんで、これに勝つ力が与えられ、また、すべての種族、民族、言語の異なる人々と国民とを支配する権力が与えられた。地上に住む者は皆、この獣を礼拝する。しかしほふられた小羊のいのちの書に、世の創造の
      初めからその名を書き記されている者だけは礼拝しない」(黙示録13・5~8)
       昔は無神論という科学主義の思想がなかった代わりに、偶像の神々が大いに人びとの心を支配してきた。それは今日の無神論に匹敵するほどであった。今日の科学の発展に伴い人びとの心から偶像の神の姿は消えたが、その代替として無神論が人びとの間にわき上がってきた。黙示録によれば、それは海から出現した怪物、獣であると指摘されている。その海とは、世界をとりまくすべての民のことである。このような世界にわたしたちがいま生きているとすれば、とくにイエズスの言葉が心にしみてくるように思われる。

       

      聖霊の介入


      《しかし、あなたたちにこれらのことを話したのは、その時が来たとき、わたしがそう言ったということを、思い出させるためである。これらのことを、わたしが初めから言わなかったのは、あなたたちと一緒にいたからである》(ヨハネ16・4)
       イエズスが最後の晩餐の席上で語った言葉が、この世界の終わりまで見通して、これから弟子たちの信仰の基礎の上に建てられるイエズスの神秘体であるべき教会がたどる運命について預言し警告していると考えられる。そのためにその時が来たなら、わたしの言葉が実現してあなたたちに役立つことであろう、と言うのである。
       福音の言葉をつぶさに調べて黙想するならば、その時、その時に大いに役立つように霊的な言葉として聖霊によって教えを受けることができる。それゆえ、彼は弟子たちをはじめとする福音の言葉を受け入れて神秘体につながる信者たちを、この世における孤児として残すのではなく、他の有力なる弁護者、天の御父のもとから遣わされる霊が導くことになると言って約束する。弟子たちの信仰は、はじめはイエズスの語る言葉を聞き、彼のやさしい愛によって保持されていたが、彼が離れ去ると弟子たちは孤児になることを恐れたため、彼に代わって守る有力なもの、それが聖霊であるが、他の弁護者と言うべきものを遣わすのである。
       聖書の預言、ことにイエズスの将来の教会についての言葉はその時になって適中するものであるので、わたしたちは祈りつつ待っている忠実な僕のように信仰をもって待つ必要がある。この世の出来事に心をうばわれて信仰のことをそっちのけにして生きる者は、やがて祈る信仰の道からはずれてついに暗闇の世の快楽を求めて歩むようになる。その時になってしまえば、いくら心の中を探っても神の姿がつきとめられず、神の存在をも疑うことになり、無神論の世界に転落するのである。聖書にあるたとえ話は、ある種子は道ばたに落ちて人に踏まれ、それから空の鳥が飛んできてその種子をついばむと教えている。このたとえについてイエズスは、道ばたに落ちて人に踏まれるとは、神の言葉が人の批判にかけられて信仰の芽が出ないうちに、空の鳥のように悪魔が来てついばむのである、と教えている。人がこの世に一度の生をうけて存在することは、永遠の存在として神の前に立つことを意味するもので、来世の長く続く永遠の世界に生きることに深い意義を認めなくてはなるまい。人が無になって消えて滅びてしまうのであれば、人生とはなんの意義もないかのようである。神の存在を認めてこそ人の生きる価値があらわれてくる。イエズスの言葉はそれを証している。 

      聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第十章 思いがけぬ訪問

      2015.09.24 Thursday

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        『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)

        第十章 思いがけぬ訪問

        ”湯沢台の聖母の出来事”と題した私の原稿を、伊藤司教は日本で有名な神学者二、三人に見せて回られたが、反応はきわめて消極的であり、むしろ、否定的な声がつよく聞かれた。より詳細な調査が必要であり、とされる以上に、神学的にあまり意味のないものとして、軽くあしらわれたのであった。
         しかしともかく結果としては、これまでここの小グループの姉妹(シスター)たちの間で、ひそかにささやかれていた事実が、世間に溢れ出ることになったのである。
         一九七四年十一月三日、突然聖体奉仕会の姉妹たちに、東京から電話がかかった。カトリック・グラフの編集部の一記者と名乗る人から、”うわさの出来事”について取材訪問をしたいとの申し込みであった。驚いた姉妹たちは、遠慮を申し出たが、相手は強硬であった。司教によって極秘を命ぜられているから、とひたすら逃げの一手を打つ苦労話を聞かされて、私は、それではよい解決法になるまいと考えた。
         当時カトリック・グラフという雑誌の編集方針は、宗教の因習にとらわれたいかがわしい部分を摘発して、カトリック界の刷新をはかろうと、進歩的使命に意欲を燃やしているごとくであった。 
         ここでわれわれが当面しているような、一般の常識とかけ離れた超自然的な出来事を、ただ秘密のヴェールでおしかくしてジャーナリストの自由な想像にまかせるのは、賢明なやり方ではない。それでは、わざわざ誤解の種をまくようなものではないか。想像をたくましくした報道がまかり通ることになっては、カトリック界のみならず、社会全体にひろがる悪影響をおそれなければならない。
         そこで私は、姉妹たちに説き、自分が責任をとってこの件に対応することにした。
         やがて記者を迎えた日、姉妹たちはちょうどマリア庭園の石拾いということで、全員外出していた。ひとりで応接する私に、その記者氏は、ここに聖母像にまつわるふしぎな出来事のうわさを聞いて事実を確かめに来たので、協力してほしいと申し出た。
         それに応えて私は、それまでの経過をかいつまんで述べた。
         まず姉妹(シスター)笹川が前年の三月、突然全聾となってこの修道院に移って来たこと。その後、彼女の左手に聖痕のような傷が現れたこと。七月の初金曜日の未明、守護の天使に導かれて聖堂に入り、聖母像の右手に同じ傷のできているのを見たこと。御像を通じてメッセージを受け、その御手の傷から血が流れるのを見、姉妹たちも確認したこと…などを語った。
         私の説明は、本来信仰を同じくする相手の心に、すんなり入って行ったようだった。ミイラ取りがすぐミイラにならぬまでも、態度に頭からの否定の固さが消え、ノートをとるペンの構えにきびしさがうすれてゆくのが見てとれた。ともかく出来事を正直に報告させてもらう、と約束する彼に、私は、一応司教の許しを得るように、と念を押しておいた。そして早くも十二月号のカトリック・グラフ誌に、「秋田に聖母が出現!の噂を追う」と題した、写真入のトップ記事が現れたのであった。

         記事の内容

        ひと昔前のことになるから、今はもう記憶される方も少ないであろう。記事の主な部分を(私自身のこれまでの記述との重複は避けて)ひろってみれば、次のようなものであった。
         まず在俗会としての聖体奉仕会の位置する地形を述べ、「戦前まではおそらく踏み入る人とてない深閑とした霊山だったことだろう」と想像している。
         次に「守護の天使に導かれて」と題して、”姉妹笹川”が聖母像の前ではじめてお告げを耳にしたこと、次に第二、第三のメッセージとして、忘恩の世に対する祈りのすすめと天罰の警告を紹介する。さらに、御像の掌の傷について、姉妹たちの証言を列挙している。
         結論には「この”秋田事件”が果たして奇蹟なのかどうか、いまの時点で断定することは不可能である」とことわった上で、この種の話は世界各地に多く存在する、と述べ、コメントを援用する。―
        「これらの共通点について、東京放送秘書部のハリー・J・クイニー氏はこう説明する。『出現の場所は、ほとんどの例が周囲に山があったり盆地があること。これは秋田県の場合、該当するといえるでしょう。もう一つの条件は、現れ(に会っ)た当人の生活が貧しいことです。日本は経済発展がめざましく、貧しいとはいえませんが、姉妹笹川の生活はロザリオを熱心に唱える素朴なものだったと想像することができます』
         さらにクイニー氏によれば、
         「誰に出現があったか」「どの場所で…」はことさら問題にならないという。
        『出現があったから、その人が偉いのではありません。本人によればすばらしい恵みにはちがいない。けれど、その人は聖者でもなんでもなく、単なる神の召使いなのです。
         最も大切なことは、メッセージの内容。それがもし教会のドクトリン(教義)に反しないならば、教会はその内容を一人でも多くの人に伝える義務がある。秋田県のメッセージには、全人類災難の予告と、回心が呼びかけられているし、実際に、予言が実現(耳の治癒をさす)したのだから、メッセージの信憑性はかなり高いと思いますね。』
        (原著者注: ここにいう”耳の治癒”は天使の予言による一時的なそれで、聖母に告げられた完全な治癒はまだ後のことになる)
         記事では、次に教会側の見解が加えられる。
        「一方、カトリック教会側は、今世紀日本で初めての”聖母出現”のニュースにとまどいながら慎重な態度を見せている。代わって教義学の権威として知られるイエズス会のE・ネメシェギ神父が答えた。
        『このような話は、とくにヨーロッパに多い。国民性にもよるでしょう。が、教会が詳しく調査をして、超自然的な働きが確かにあったと認めるケースはほとんどない。精神的、または心理的錯覚によって起こる場合が多いからです。
         しかし明言できることは、神だけには奇蹟を行い得る力がある、ということです。もちろんその場合、神にふさわしい意味と目的がなければなりません』
         ここで、先の会見の際私の語った言葉が引用されて、記事は締めくくられている。
         「この目的について、安田神父は『現代を救うためには信者が目を醒まして祈ることだ』と前置きして次のようにいう。
         『姉妹笹川の耳が治ったことは、メッセージが正しいかったことの証明です。また、十字架印の傷という客観性もまる。
         これから先、どんな奇蹟が起こるか、知らされていないが、私は祈りの体制づくりに全力を尽くしたい』(取材と文・米田記者)」
         このようにして、山の小さな修院の中で極秘にされていた事実は、一つの衝撃的事件として世に知られることになった。これは私どもの思い及ばなかった神のはからいによるものであった。
         ところが、これを皮切りにして、摂理は翌年早々に、こんどは聖母像から涙が流れる、というさらに瞠目的事件をもって、世の関心をいやが上にそそられることになった。
         議論は沸騰した。人間の作為によるものとして、現象の超自然性を断固否定する嘲声が、神の働きかけを素朴に信じようとする声を圧倒した。とくに教会の聖職者の側からは、一様に無視ないしは否定的態度が示された。…やがて十年の検討を経て、当該地区長である伊藤司教により事実の超自然性が公式に認められたにもかかわらず、今なお多くの聖職者が先入観にとらわれた領域にとどまっている。

         聖母マリアも、聖書にしるされている「反対のしるし」となっているのであろうか。 

        聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第十章 夢の幻視

        2015.09.13 Sunday

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          『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)

          第十章 夢の幻視

           前章の、耳の治癒に関する九月二十一日の天使の予告の中で”今朝話題になった”云々と指摘された姉妹(シスター)笹川の夢は、約三ヶ月前に彼女が見た”夢”を指すものだが、単なる悪夢と片づけられぬものがあるので、本章で一応取り上げておきたい。
           一九七四年六月十日(月曜)の朝、六時からのミサのため司祭館から聖堂に向った私は、二階に並ぶ修室の一つの窓に布団が干してあるのに気づいた。早朝にこれまで見かけぬ干し物なので、目を引かれたのであった。だが、べつに問いただすほどのことでもなし、そのままミサを挙げ、朝食、礼拝といつもの午前中の日課をすませた。
           昼食のとき、ひとりの姉妹から、姉妹笹川の見た恐ろしい夢、という話題がもちだされた。興味を引かれて私がその委しい話を求めると、彼女は恐るおそるという感じで語りだした。
          「今朝ひどい迫害を受ける夢を見て、目がさめてもしばらく動悸がおさまらないくらいでした。私の前に大勢のそれぞれ宗教家とおもわれる一団が立っていました。それを率いる頭のような、ねずみ色の服のカトリック神学者とみえる外人が進み出て、私にこういう言葉をあびせかけてきました。
          『三位一体の神がなぜ唯一であるのか。われわれはキリストが神であると信じることはできない。カトリックの教えの山はどこにあると思うのか。おまえが神を信じ、神に仕えるものであるなら、なぜわれわれと同じく、八百万(やおよろず)の神々を神とみとめないのか。神を信ずる者だというなら、われわれ同様に、八百万の神々を信じろ。そうすれば、われわれも皆でカトリックになろう。われわれの仲間になれば、われわれのように面白おかしく人生をたのしんで生きられるものを。お前たちは好きこのんでそのような生活をしている。そんなお前を見るのがかわいそうだ。いまお前ははっきりと、三位一体の神が唯一の神ではない、八百万の神々も神と信じる、ということを、われわれの仲間に言ってくれ。でなければ、この苦しみを受けよ!』
          そういって杖のようなものをふり上げましたが、見るとそれは大きな蛇で、私の体に巻きついてきました。恐ろしさに声も出ないほどでしたが、必死に答えました。
          『三位一体の神だけが唯一の神です。そのほかにいかなるものも神と信ずることはできません。キリストが神である、と信じられないなら、カトリックになることはできないでしょう。カトリックの山は、キリストが神であり、人である、ということだと思います』
          すると相手は
          『キリストが神だというのか。いや、われわれはそれを信じることはできない。お前たちはキリストの復活を信じて、カトリックになったのであろう?』
          と念を押すので、
          『はい、その通りです。そしてキリストが神であり人であることを信じて、カトリックになりました』
          と答えると、蛇が一段と強く巻きついてきて、身動きもできなくなりました。蛇はときどき赤いするどい舌をチロチロと出しながら、その口を私に向けて寄せてきます。恐ろしさと身を締められる苦しさで、あとは同じ質問をくり返しなげかけられても、答える元気もなくなってきました。ただ夢中でロザリオを握ってその祈りを唱えていました。蛇が赤い舌を顔に寄せてくる時だけは、ロザリオをふり上げて追いはらっていましたが、その力もだんだん弱ってきました。助けを求めて見回すと、右側には仲間の姉妹たちが並んでいます。どう助けることもできず、ただオロオロしているのが、手にとるようにわかります。眼が合うと『わたしたちがついてるから、がんばってね』とそれぞれの眼差しがいうだけです。日ごろたよりにする長上も皆そろってお姿が見えるのに、だれからも救いの手は伸ばされません。もう疲れはてて、蛇の頭をはらいのける力もつき、祈る声も出なくなったとき、ふいに安田神父様が目の前にとび出して来られました。
          『聖父と聖子と聖霊の御名によって、アーメン』と大きく十字架の印をしてから『彼女の言うように、われわれは皆、三位一体の神が唯一の神であると信じている。それを信じることができない者は、カトリック信者になってもらわなくてもよい』と声高くおっしゃいました。すると、まず左側の気味わるい一団の先頭に立って私を責め立てていた頭分が、たじたじとなって退き、つづいて私に巻きついていた蛇も離れました。ヘナヘナとくずれおちた私をようやく姉妹たちが助けに来てくれました。私は神父様にお礼をいう力もないほど、弱りきっていました。汗がふき出るように流れるけれど、それをぬぐう気力も出ないでいると、守護の天使が現れてふき取ってくださいました。そこで目がさめたのですが、実際に全身が汗びっしょりでした。ああ、夢でよかった、と起き上がろうとしましたが、胸がまだ締めつけられるように苦しくて、すぐには起きられませんでした。手足もつめたくなっているし、隣室の姉妹を呼ぼうとおもっても、喉が締められたなごりで声も出ません。枕もとの時計をみたら、午前四時半を過ぎたところでした。
           やっと起き上がってみると、ねまきはもちろん、ふとんまで体のかたちに汗が滲み通っています。それで、まだ陽も出ていないけれど、窓に干したのでした。
           お聖堂に行っても、祈りのうちにも夢がまざまざと浮かんでくるので、一心にお助けを願いました。共同の祈りになっても、まだ体に力がなくて、声がでませんでした。この夢の話はだれにもしないつもりだったのに、あまりにもおそろしかったので、つい隣席の姉妹に、こわい夢をみた、と口をすべらしてしまいました。どんな…と聞かれましたが、朝食中だったので、あとで、とことわりました。食後、お礼拝のあとで、その姉妹が私の部屋までわざわざ聞きに来たので、一部始終を話しました。そしたら『こわかったでしょう。ほんとに、ふとんはまだ濡れている』と、おどろかれたようでした。
           それで、いま、神父様にも判断していただくように、この話題を持ち出されたのだとおもいます」
           という報告であった。
           聞き終わった私は、姉妹一同の物問いたげな表情を見まわしながら、ただの悪夢とは思えない、と前置きして、自分なりの解釈を述べてみた。―
           これは笹川さんだけに関する事ではない。現代の教会の姿、その動向をも暗示しているように考えられる。教会は、宣教の旗じるしのもとに、次第に異教、多神教への接近をこころみる傾きがみられる。同時に、他宗教と妥協する傾向をたどり、信仰の生き方を、この世的に考えて比較的楽な方向に向けて行く。現在すでにそのような安易さへの迎合が、教会の指導層に見えてきている。そういう風潮に流されぬように、私たちも心をひきしめて、神のみ言葉を誠実に守る使命につくさなければならぬと思う。…
           この意見を姉妹たちはうなずいて聞いていたが、中には、たかが夢に過ぎないことを…と、まじめに受け取る気にならない者もいたようであった。ともかく、これで一場の夢ものがたりとして、けりがついたかたちであった。
           
           ところが、その夕方のことである。晩の聖務に先立つロザリオの終わったとき、姉妹笹川があわただしく寄って来て「神父様、となりのへやに蛇がいます」と告げた。立って行き応接間の戸を少し開けてみると、奥の壁ぎわに大きな蛇がとぐろを巻いている。姉妹たちも背後から目にしたらしいので、私はまず一同を落ちつかせるために、今は祈りの途中であるから続けるように、と命じて戸をしっかり閉めた。やがて晩の祈りの終わったところで、蛇を応接間から玄関口へ追い出し、戸外で始末したのであった。
           あとから姉妹笹川の説明によると「ロザリオの終わりに、”いと尊きロザリオの元后、われらのために祈り給え”と唱えているとき、守護の天使が現れて『いま隣りのへやに蛇がいるから、神父様に伝えなさい。あなたの夢の話をかるがるしく聞いた人があるので、それを正すためです。神父様がよく導いてくださるでしょう。』と言って姿を消されました。おどろいて、先唱をちょっとやめて、境の戸をそっと開けてのぞいてみたら、夢に見たと同じような大きな蛇が丸くなって鎌首をもたげて、舌をチロチロ出しているので、いそいで神父様にお知らせしたのです」ということであった。

                    *          *         *

           これは今から思えばもう二十五年前の、一つの悪夢とそれにつらなる出来事であるが、あらためて吟味すると、いろいろな警告がふくまれているように思われる。さらに、近い将来にあてはまる重大な示唆がみとめられるようである。
           姉妹笹川を責めたてた神学者めてた頭目の言い分を、とり上げてみよう。
           その第一は、三位一体の神がなぜ唯一の神なのか、という詰問である。天地創造の神を信じてきたユダヤ教にしても、神は唯一とみとめても、三位一体の秘義は知らなかった。この三位一体の秘義の啓示を受けなければ、イエズス・キリストが唯一の神の子であることも、信じることはできないわけである。迫害者は「われわれはキリストが神であると信じることはできない」と宣言しているが、この問題は今に始まったことではなく、唯物論の抬頭と科学主義時代の幕明きと同時に、人間精神を揺すぶってきた課題である。今や教会の中にも、多種多様の形で婉曲な唯物思想やヴェールをかぶった無神論が入り込んでいることは、蔽(おお)いようのない事実である。
           この夢では、ひとりの神学者が唯物思想をもって、戦いをいどんでいるが、これはまた現代精神の滔々(とうとう)たる趨(すう)勢を、表徴しているごとくである。
           彼の主張によれば、八百万の神々、すなわち昔から日本にあった在来の神々を信じれば、われわれも皆カトリックになる、という。これは妥協による容易な福音伝道をめざす、安易な宣教活動の態勢と合致するものである。
           結論としては「われわれの仲間になれば、人生をおもしろおかしく、楽しく生きられるものを」と憐れむごとく誘いをかけ、信仰を現世的生活の享楽の補充とさえしているのである。つまりは、この世に生きる人間生活が大事なのであって、崇高なる神の次元に結びつく超自然の生活を否定するのである。
           ここに、たかが夢の話として軽視できぬものを、私は感じとったが、実はやがて彼女の受けるべき試練の前知らせのようなものであったと思われる。そのような意味がふくまれる故にこそ、天使が先の治癒の予告にさいして「今朝の食卓での夢のことが話題となったでしょう。心配することはない」とわざわざ言及されたのであろう。そして、夢を軽んじた者のために、現実に蛇を目に突きつけて、反省をうながされたのであろう。

          つづく
            

          聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第六章 光と汗と芳香

          2015.09.11 Friday

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            『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)

            第六章 第二のお告げ

            光と汗と芳香

            九月二十九日。大天使聖ミカエルの祝日にあたり、姉妹(シスター)一同は山を下り、町の教会でミサにあずかった。
             帰って昼食後、姉妹笹川はひとりの姉妹と聖堂に入り、ロザリオの祈りをはじめた。最後の第五玄義を唱えかけたとき、聖母像全体が白く輝いているのに気づいた。となりの姉妹袖を引いて注意をうながし、口祷(こうとう)をつづけながらも、二人して眼をこらした。とくに御衣が白く輝き、両の御手からまぶしい光がさし出ている。…
             五連目を唱え終えて、近づく。まず礼拝する姉妹笹川に、連れの姉妹が「あ、おん手の傷がなくなっている」と指し示した。
             七月二十七日を最後に、御血が流れることはもうなかったが、十字の傷痕はずっと残っているのが、まるで拭われたように消え失せている。三ヶ月前と同じまったく無傷の掌となっているのに、おどろかされた。けれども、このことは司教様に報告するまでは皆には語らずにおこう、と二人で約束し合い、聖堂を出たのであった。
             
             ところが、その夕方、数人の姉妹が聖堂で晩の祈りを唱えていた時、次の異変が起こり、掌の変化もおのずと皆に知られることになった。祈りが終わりに近づいたこと、御像がテラテラと光りはじめたのである。そのうち、最前列の一人が、汗のようなものが流れはじめたことに気づき、他の姉妹にも知らせに出て行った。
             姉妹笹川は、まだ気づかずうつむいていたが、ふと人のけはいに眼を上げると、守護の天使がかたわらに現れ、
            「マリア様が、おん血を流されたときよりもお悲しみになっておられますよ。お汗をふいておあげなさい」
             と言われた。
             そこで脱脂綿の袋を持ってきた姉妹たちに加わり、五人ほどで、新しい綿を手に、おそるおそる御像をぬぐいはじめた。全身をしとどにぬらす汗という感じで、ことにひたいとお首のまわりは、ふいてもふいてもとめどなく、あぶら汗のようなものが滲み出てくる。愕きとともに、心は名状しがたい痛みをおぼえる。目上の姉妹小竹は涙をこぼしながら「マリア様、こんなにお悲しみとお苦しみを与えて申しわけありません。わたしたちの罪とあやまちをおゆるしください。わたしたちを守り助けてください」と言いつつ手を動かすのに、だれもが同じ心で、ひたすら恐愕のうちに、思い思いの箇所をふき取っていた。脱脂綿は、しぼれるほどに濡れていた。
             夕食後、一同が聖堂に行ってみると、御像はまた汗びっしょりになっていた。あわてて皆で拭いにかかった。いつも口数のすくない姉妹大和田がこの時になって思いあまったように「わたしの綿はちっともぬれない。わたしがふくと汗は出ないようだ…」と悲しげにつぶやいた。とたんに、まるでその不安げな言葉への応答のように、彼女の手の綿は、水に漬けた海綿のように、したたるばかりに濡れたので、びっくりし、つよい感銘を受けたようであった。
             そのうちひとりが「この綿からよい匂いがする」と言いだした。めいめい嗅いでみると、バラともスミレとも百合ともつかず、それらを合わせたようななんともいえぬ芳香が感じられた。生まれてはじめてと言えるすばらしい香りに、一同恍惚とした。姉妹大和田の「この世の最高の香水も、こんな匂いは出せない!」との断言に、皆うなずき、まったく天国での香りとはこういうものだろうか、と言い合ったのだった。
             翌三十日の日曜、聖堂に入った姉妹たちは、またその芳香にうたれた。目上はそれが御像から発することをたしかめに行き、姉妹は各自の席で身をつつしむごとき香気に魅了されていた。昨夜の御汗にうちのめされた悲しみに引きかえ、だれの表情も明るさと平和にみたされていた。
             その後も芳香はつづき、聖堂に入るたび、一同の心をおのずと天上へ引き上げるようであった。

             十月七日はロザリオの祝日である。姉妹笹川は、とくにロザリオの珠の一つ一つに心をこめて祈っていた。芳香はことのほか聖堂にたちこめ、さながら聖母の慈愛につつまれているごとく、心はおのずからキリストへの愛に引き上げられるようであった。よろこびに酔うあまりに「この香りはいつまでつづくかしら。ロザリオの月いっぱいつづいてほしい…」という思いがうかんだ。たちまち、守護の天使が右に姿を見せ、ほほえみながら首をかるくふって、
            「十五日までですよ。それ以上は、この世にあって、この香りをかぐことはないでしょう。かぐわしい香りのように、あなたも徳を積んでください。一心に努力すれば、マリア様の御保護によって成し遂げられるでしょう」
             と言って姿を消された。
             芳香は、その予告どおり、十月十五日までつづいた。とくに小さき花の聖テレジアを記念する三日と、最終日の十五日には、強烈に感じられた。
             姉妹たちにとっても、この恵みは大きななぐさめとなり、今後どのような困難に遭ってもくじけぬほどの励ましを与えられたように思われたのであった。

                      *          *          *

             このたびは、天使の訪ればかりではなく、悪魔まで登場することになった。これはとりわけ驚くべき奇異な事柄でもない。前に述べたごとく、神のはかり知れぬ摂理によって、天使の良き助力のほかに、悪霊の邪悪な働きかけも、時として許されるのである。とくに、われわれが何らかの霊的賜を受ける場合、”霊魂の城”の著者大聖テレジアの言うように「悪魔もだまってはいない」のである。悪しき霊のはたらきは、無論天使おそれと正反対であって、神の思し召しにそむく方向へ持って行くのである。聖堂に入ることを妨げるなどは、神に祈る行為を何より嫌悪するその性質をよく表している。
             キリスト信者でも、精神分裂症の傾向がある者は、幻視を見ることがある。しかしその場合、前後にあきらかな病的現象がともなう。また、冷静な客観的判断を欠くゆえに、人が反対すれば、かたくなな自己主張にかたむく。さらに、その精神に内的静謐さがない。一方、一時的に悪霊の働きかけを受ける者は、その影響が去れば、以前の平安が光のごとく霊魂をみたし、神への信頼の心が一層強まるのである。
             姉妹笹川の場合も、この規律によって判断されるべきであろう。
             
             次に、日本の保護者と仰がれる大天使聖ミカエルの祝日にあたって、聖母像にあらたな奇跡的変化が起こったことも、注目にあたいする。七月以来三ヶ月近く見られていた掌の傷あとが、輝く光とともに一瞬にして消え去ったのである。
             その夕方、御像からおびただしい汗が流れ出た不思議も、姉妹全員が目にし、夢中でぬぐい取った、まぎれもない現象である。のちに秋田大学の法学教室において脱脂綿が鑑定された結果、人間の体液と認められた。これは疑いをさしはさむ余地のない科学的な実証である。
             さらに、この”汗”をふくんだ脱脂綿から、また御像自体から、えもいえぬ芳香が感じられたことも、超自然のしるしとなるであろう。
             私自身は、この出来事より半年後の一九七四年三月に湯沢台に来ることになり、姉妹たちから報告を聞いたのであるが、即座には何とも判断のつきかねる話であった。性急に真偽をたしかめる必要もみとめず、いずれ時とともに何らかの形で判定がくだされるであろう、と思っていた。
             その後、たまたま私への訪客に、姉妹の一人が話題の脱脂綿を持ち出して、香りをかがせることがあった。客の驚嘆する様子に、私も(若い時に鼻の手術を受けたので嗅覚に自信はなかったが)同じく綿を嗅いでみて、衝撃を受けた。たしかに、バラにも優る甘美な芳香が馥郁とたちのぼっている。同時に、私のそれまでのためらいと疑惑は一遍に消え失せ、”出来事”の真実性を明確に把握したのであった。
             われわれはみな、あの使徒トマのように、目で見、手でふれ、自分の感覚でたしかめなければ信じない、という弱点を有しているのではあるまいか。
             私もこの後、徐々に、マリア像のふしぎな現象に、自身立ち会うことになるのである。

            守護の天使たち

             ここで数日あともどりして、一つの挿話的出来事にふれておきたい。
             十月二日は守護の天使にささげられた祝日である。姉妹笹川がだれよりも実感をもって、この感謝と祝賀の日を迎えたことは想像にかたくない。耳が不自由になってから、どれほど守護の天使の手をまざまざとさしのべられたことか。時には姿を現してまで、導きはげまし、護られたのである。その主な舞台であった此処の聖堂で、司教の捧げるミサにあずかって祈れるのは、ことさら感謝を表明できてうれしかったにちがいない。
             そのミサ中の新たな経験を、彼女は次のように述べている。

             〈朝六時半からはじまった御ミサが、”聖変化”にまで進んだとき、急にまばゆい光があらわれました。それは前に(六月十二日から三日間)御聖櫃から放射されるのを見た、あの威光の輝きのような光でした。それが、まぎれもなく御聖体からさし出る、イエズス様の御存在の尊い光輝とさとらされて、まるで射すくめられたように、「わが主よ、わが神よ」と心にくり返しました。
             その瞬間、輝く御聖体に向って礼拝している天使たちの姿が見えました。御祭壇を半円形にかこむかたちで、こちらに背を向けてひざまずいている感じで、八人並んで見えます。(霊的存在である天使は、一位二位…と数えるようですが、目前に姿があると、人間のように八人と言いたくなります。もちろん、現実の人間のようではありませんし、ひざまずくと言っても、足の様子まで見えているわけではありません。衣服もはっきりせず、なんとなく白い光につつまれているだけです。人間に似た姿ではあるけれども、大人とも子供ともつかぬ中間的…というか、年齢を超越した存在です。それでいて、幻影ではない実体感をもっています。しかも、翼などべつになくとも、人間と見まちがえることのない、一種の神秘な光を身に帯びているのです)
             わたしはおどろいて、目の錯覚か、とまばたきしたり目をこすったりしましたが、八体の姿は依然うやうやしく御聖体を礼拝しています。
             その神秘な光景を見ているうちに、感動のあまりか、威光に打たれてか、祈りの言葉も唱和もできぬほど、われを忘れてしましました。なにぶん小さな聖堂で、おまけにわたしの席は最前列のすこし左手でしたから、すぐ目の前に展開される輝かしい光景に、いやおうなく引き込まれてしまった感じでした。立ったりひざまずいたりの祈りの動作を、一同と合わせることも、出来ない、というより忘れていたような気がします。
             やがて御聖体拝領の時になっても、なお呆然と居すわっていると、いつもの守護の天使がうながすように寄って来て、御祭壇のほうへ導かれました。その時、ありありと認めたのは、前に進む姉妹たちの右肩に寄り添うようにして、それぞれの守護の天使が(本人よりいくらか小柄な感じで)付き添っていたことです。わたしの天使と同じように、いかにも身近かに、やさしく守り導いておられる様子です。これを目撃して、どんな委しい神学的説明よりも、ひと目で守護の天使の存在の意義を深くさとらされた思いがしました。
             この一部始終は、夕食後の機会に、司教様に御報告しました。
             今考えてみると、あの時天使たちはたしかに八体のお姿で見えました。私たちも、七人の姉妹と司教様とで八人。…守護の天使の祝日にちなんで、それぞれの天使が、礼拝の手本を示し、貴い導きの姿をかい間見せてくださったのでしょうか〉


              
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