聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第六章 悪魔の攻撃
2015.08.30 Sunday
『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)
第六章 第二のお告げ
悪魔の攻撃
これまで、姉妹(シスター)笹川に現れて何かと助けられる守護の天使について、再三述べてきた。
このような事柄は普通一般にみられるものではないだけに、この種の話となると、現代人は聞く耳をもたず苦笑であしらうか、あるいは耳をかたむけても、精神障害の症例として片づけようとする。たしかにいわゆる幻視・幻聴の類いならば、病気が原因であって、治療の対象となり、それによって解消されるべきものである。姉妹笹川も、やがてある神学者から、病的幻視幻聴のレッテルをはられ、多くの試練と誤解になやまされることとなる。しかし、今さら指摘するまでもないが、精神病の場合には、本人の言動が異常なだけであって、客観的なしるしや奇跡をともなうことはないのである。
超自然の存在がわれわれの日常生活に介入してくることは、聖書はもちろん、神秘家の伝記等にしばしば記載されている事実である。それも、天使のような善い霊ばかりではない。妬みの霊、悪しき霊である悪魔も、働きかけずにはいないのである。
一九七三年八月四日。典礼暦が変わって今は聖ヨハネ・マリア・ビアンネの記念日であるが、当時は聖ドミニコを祝う日であった。
夕の聖務に聖堂へ入ろうとした姉妹笹川は、突然背後からグイと肩をつかんで引き戻されるのにおどろいた。呼び止めるにしてはあまりに烈しい仕草に、(なんと乱暴な…)と、左うしろを見返ると、何か黒い影が蔽いかかっている。あわてて手を上げて肩のあたりを払いのけようとしたが、磐石のような力がわしづかみにしていて、身動きもできない。ゾッと身ぶるいしながら、とっさに「アヴェ・マリア! 守護の天使、お助け下さい!」と心に叫んだ。
たちまち、いつもの天使が姿を現し、聖堂に導くように、先立たれる。とたんに肩にのしかかっていた力は消えた。彼女はふだんのように聖水を指につけ、十字の印をして入堂し、自席につくことができたのだった。
一瞬のこととはいえ、あきらかに人為的な域を超えた、異様なおぞましい襲撃であった。
その後も同じようなことが、同じ場所で再度起こったが、こんどは「主よ、お助けください。憐れみたまえ!」と祈り、即座に助けられた。
これが悪魔の攻撃とは、本人もすぐ気づいた。なぜなら、神の恵みとの出合いは、心の甘美さと深い平安を残すのに反し、こうした経験は、まことに気味のわるいあと味と、恐怖を残すからである。
姉妹笹川にとって、この山にきてからはじめての忌まわしい経験であったが、悪魔の攻撃を受けたのはこれが最初というわけではなかった。今でも身ぶるいの出る悪夢のような一九六四年のその思い出を、彼女はこう語る。
〈この時より九年前、妙高の病院で療養していた時のことです。一月二十日ごろだったと思います。そのころ大分元気になっていたわたしは、温泉療法をすすめられていたので、毎朝、検温のあと入浴することにしていました。
その日は、患者のひとりのおばあさんと連れだって行きました。ひと気のない浴場へ入り、脱衣室で支度をしかけたとたん、目の前に思いがけずTさんが立っているのを見ました。
Tさんというのは、重症の男子患者です。以前は熱心な信者だったのに、いつの頃からか教会を離れていました。もう先は長くないのに、とその霊魂の状態を心配する信仰厚い人たちが改心をうながしても、宗教の話にはてんで耳を貸そうとしません。そこで、病人同士なら心を開くかもしれないからと、わたしが頼まれて、たびたび見舞っていました。はじめはかたくなな態度でしたが、次第に心がほぐれてきて、祈祷書やロザリオなども受け取ってもらえるようになりました。そして、その頃は病院を出て、奥さんの実家で療養中と聞いていました。
そのTさんが目の前に立っているので、わたしはあきれて目を見はりました。何か苦しそうな感じでうつむいていて、眉間に深く皺をよせています。思わず「Tさん、どうしたんですか。ここは女湯ですよ」と声をかけた、その時です。Tさんのうしろから蔽いかぶさっていた黒い影がヌッと伸びあがりました。そして、彼の両肩をわしづかみにしていた気味のわるい鉤型に曲がった長い指を離し、大きな蝙蝠のような黒い翼をひろげて、わたしのほうへフワーッと飛びかかってきました。…あと、どうなったのか。つかみかかろうと迫る鉤なりの指を見たきり、わたしはあまりのおそろしさに気を失ってしまったのです。
のちに聞けば、仰向けに倒れようとするところを、そばにいたおばあさんが受けとめてくれたので、コンクリートの床に頭を打ちつけずにすんだとのこと。すぐ病室にはこばれ、それから十日間、意識不明で過ごしました。
体はもう死人のようにこわばったままで、こんどこそもう絶望かとみられて、三日目に病油の秘跡をさずけられ、医師からは、万一生命がたすかっても、知能障害か失明のおそれがある、と言われたとか。事実、眼にはもう白い膜がかかっているのを見て、母は、今までさんざん苦しんできた者をこれ以上そんな哀れな目にあわせたくない、と思ったそうです。
それに、意識不明の本人は、子供のように安らかな顔をしており、ふしぎなことに、呼べば五、六歳の幼児の時の声で答え、問いかければあどけない返事をしたりする。「うち行く、うち行く」と言うので「何しに?」と聞くと「ボボサン(ままごと)やマリつきするの」などと答える。こんな罪のない状態で召されれば、まっすぐ天国に行けるだろう、と母は周囲の人たちと語り合ったそうです。
わたしのほうは、もちろん周りのことなど何も分かっていません。ただ、今でも記憶に残っているのは、行けども行けども果てしない野原を歩きつづけ、疲れ切って座りこんでいたことです。でも、あたりにはきれいな野花が咲いていて、退屈はしませんでした。
ともかく、意識不明がつづいた十日目、当時わたしがまだ籍をおいていた長崎の純心聖母会から、ルルドのお水が送られてきました。それをひと口飲まされたとたん、手足の硬直がとけたのです。マヒしていた手をひろげ、ねまきのボタンがちぎれるほとの力で胸を掻き上げ、ハーッと長い眠りからさめた欠伸びのように両手を頭上にさしのべ、「ああ、きれいだ!」といいながら目を開けたそうです。見ていた野原の花のことか、枕元に見た花瓶の花のことか、それはおぼえていません。
その日から点滴を受けはじめ、体力もつき、ぐんぐんと回復に向ったのでした。
つい自分のことで横道に手間取りましたが、こうして元気をとり戻した二ヶ月後に、例のTさんの奥さんが見舞いに来てくださったのです。「主人は亡くなる前に、笹川さんのお祈りのおかげで救われた、と感謝していました」とお礼を言われます。そこで、あの浴場での出会いを憶いだして、話し合ってみると、ちょうどTさんが病油の秘跡を受けられたその日時であったことがわかり、お互いに深く感動したことでした〉
この経験談によっても明らかにされるように、一般に悪魔は、善を行う者、とくに自分の手中から霊魂を助け出す者を、はげしく憎むのである。なんらかの形で敵意を示し、妨害や仕返しをたくらむ例は、聖人伝のエピソードにもよく見られる。
ひとつ注目しておきたいのは、姉妹笹川が、そういう悪魔のはたらきに関して何の予備知識ももたなかったことである。悪魔の存在は、信仰箇条として知っていたが、なぜ自分がこんなにこわい目にあうのか、全然合点が行かなかった。またその現れ方も、まったく想像を超えたものであった。それに興味深い暗合として思い出されるのは、アルスの聖司祭ビアンネ師が悪魔につけたあだ名である。多くの霊魂を救ったため、しばしば悪魔から有形無形の攻撃を受けたことは有名だが、師は一向にめげず、寝室を焼かれるような被害に遭っても、「またあの”鉤指のやつ”めが…」と苦笑し、「鳥が捕れぬから鳥籠を焼きおった」と言われたと伝えられる。聖画などでも、悪魔は黒いコウモリの翼と、長い鉤型の爪や指をもつ魔物として表現されるが、姉妹笹川は、この種の画を見たこともなければ、前者の伝記も読んだことはなかったのである。
つづく
聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第六章 第二のお告げ
2015.08.28 Friday
『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)
第六章 第二のお告げ
七月二十八日、土曜日。
九時過ぎ、姉妹(シスター)笹川は司教の部屋に呼ばれた。その後変わったことはなかったか、と問われ、昨日の午後の出来事を報告した。聖堂で祈るうち、守護の天使の声を聞いたこと、その言葉通り手の痛みが消え失せたこと、を委(くわ)しく述べた。また聖母像の御手にまた出血があったことも、お目にかけそこねた失態をお詫びしつつ、申し上げた。
司教は注意深く耳をかたむけ、さらにいつもの例で、以前の出来事にさかのぼって、あらためて復習のように質問をくり返される。丹念にメモを取りながら聴取されるのは、何か矛盾点でも出て来ないか、との配慮であろうか。こちらも問われるままに、何度も同じことをお答えする。最初の”聖母のお告げ”の再述を求められたときは、聖体奉仕会の祈りをご一緒に唱えた際「御聖体のうちにましますイエズスの聖心よ」の初句に「まことにまします」と加えるようにと御注意のあったことを、重ねて力をこめて申し上げた。何事にも慎重を期すなさり方から、まだその変更の指示は与えられなかったからであった。
終わりに司教は、一つの思いがけない注文を出された。
「こんどその方が来られたら、次のことをたずねてみなさい」といって示されたのは
(1)私たちの会を、神様がお望みであるかどうか。
(2)また、このままのかたちでよいのかどうか。
(3)在俗であっても観想部が必要かどうか。
という三つの質問であった。
簡単に言い渡され、そのまま「はい」と答えたが、時がたつにつれ、引き受けたほうは荷の重さが肩にのしかかってくるのを感じた。覚えこもうとくり返すにつれ、質問の重要さがわかってくる。これはしっかり伺わねばならない。とは言っても、自分でその機会をつくれるわけではない。いつ、またあのお声をきかせていただけることか、あるいは、もうまたとあんなお恵みの折はないのかもしれない…人間があてにしても、すべては神の思召し次第ではないか…。
こうした無力感をいだいて、できるわざといえば、しばしば聖堂にひざまずき、従順の名によって、任務をはたす機会が与えられるよう祈ることだけだった。
一九七三年八月三日、初金曜日。
それから一週間たった。初金曜を迎えて、姉妹笹川はいつもより長く聖体の前で祈った。午前中は平素と変わることなく過ぎた。そして午後の聖体訪問の際…起こったことは、彼女自身の説明によれば次の如くである。
〈午後二時ごろから、イエズス様の御受難をしのんで黙想し、ロザリオを唱え、一時間余りも聖堂で過ごしたでしょうか。この日は久しぶりに守護の天使が現れ、一緒にロザリオを唱えてくださいました。その祈りの間も、わたしは司教様に頼まれた重大な質問のことが心にかかり、それを申し上げる機会がいただけるように、とひそかに祈っていました。
その願いが通じたのか、お恵みの機会はさっそく与えられたのでした。
守護の天使が
何か尋ねたいことがあるでしょう。さあ、遠慮なく申しなさい」
と、小首を傾けてほほえみかけてくださったのです。わたしは、さっと緊張して、質問を恐るおそる口にしました。そのとたん、マリア様の御像のほうから、また前と同様に、えも言われぬ美しい声が聞こえてきました。
「わたしの娘よ、わたしの修道女よ。主を愛し奉っていますか。主をお愛しするなら、わたしの話を聞きなさい。
これは大事なことです。そしてあなたの長上に告げなさい。
世の多くの人々は、主を悲しませております。わたしは主を慰める者を望んでおります。天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれを償う霊魂を、おん子とともに望んでおります。
おん父がこの世に対して怒りたもうておられることを知らせるために、おん父は全人類の上に、大いなる罰を下そうとしておられます。おん子とともに、何度もそのお怒りをやわらげるよう努めました。おん子の十字架の苦しみ、おん血を示して、おん父をお慰めする至愛なる霊魂、その犠牲者となる集まりをささげて、お引きとめしてきました。
祈り、苦行、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、おん父のお怒りをやわらげることができます。あなたの会にも、わたしはそれを望んでおります。貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して祈ってください。各自の能力、持ち場を大切にして、すのすべてをもって捧げるように。
在俗であっても祈りが必要です。もはやすでに、祈ろうとする霊魂が集められております。かたちにこだわらず、熱心をもってひたすら聖主(みあるじ)をお慰めするために祈ってください」
(ちょっと間をおいて)
「あなたが心の中で思っていることは、まことか? まことに捨て石になる覚悟がありますか。主の浄配になろうとしているわたしの修練女よ。花嫁がその花婿にふさわしい者となるために、三つの釘で十字架につけられる心をもって誓願を立てなさい。清貧、貞潔、従順の三つの釘です。その中でも基は従順です。全き服従をもって、あなたの長上に従いなさい。あなたの長上は、よき理解者となって、導いてくれるでしょうから」
それはまったく、言いようもなく美しい、天よりのものとしか思えないお声でした。心の耳にひびくのか、聞こえないはずの耳を通してか、そんな区別など考える余裕もなく、ただひれ伏して身動きひとつできませんでした。そして、ひと事も聞き洩らすまいと、それこそ全身を耳にしていました。
(主要なお告げのあと、わたしへの御注意を加えられる前、ちょっと間がありました。それはどのくらいの間であったか、といまたずねられても、無我夢中の状態で、何とも定められません。主祷文を一つ唱えるほどの間があったかも知れず、”天にまします”と言いかけるひまもないほどだったのかもしれません。どうも時間の感覚など脱け出た状態にいたように思われます。
それでは、お声がとぎれた以上、もうお話は終わったかと顔を上げてみたか、などとも聞かれますが、依然神秘な力に圧倒されていて、頭をもたげるどころではありません。それに、たとえすばらしい歌に聞き惚れていても、ちょっとの沈黙が休止符か終止符かはおのずかと聞き分けられるように、まだ終わりでないことははっきり感じられます。それで、最後のお言葉も、そのひびきが消えるとすぐ、まるで強烈な光が失せたかのように、”終わり”と感じました。そして頭を上げてみたら、そばの天使のお姿ももうなかったのでした。
ついでに、今のお言葉のうち、よく人から念を押して質(ただ)される一句のことにも、ここで触れておきたいと思います。それは「あなたが心の中で思っていることは、まことか」とのお問いかけは「まことですか」とおっしゃったのではないか、という質問です。たしかにそのほうが、次の「覚悟がありますか」とも釣り合いがとれるようです。けれども、これははっきり申せますが、たしかに「まことか?」と仰せられたのです。語尾をすこし上げて、いかにも優しくしかも権威あるお質しの口調は、忘れられません)
ともかく、この世のものならぬうるわしいお声が消え、わたしは身を起こしたものの、まだその余韻につつまれて、しばらく祈っていました。それでも、この大事なことを司教様に正確にお伝えしなければ、という思いにうながされ、いそぎ修室にもどりました。
先ごとからの一連のふしぎな出来事以来、すべてを”霊魂の日記”として記録しておきなさい、と司教様に命じられて書きとめていた大学ノートをひらき、さっそくペンを走らせました。
一字一句もあやまらず、正確に、と心して、祈りながら書きましたが、あの長いお言葉が、ふしぎなくらいすらすらと、出てきます。すこしも記憶をさぐることもなく、胸に一語一語くっきり刻み込まれているように、あるいはそばから口述されているかのように、なんのためらいもなく、そのまま写しとることができました。これは自分の自然の能力ではとうて考えられないことでした。
書き取りながら、あらたな感動とともに、この中に司教様の質問へのお答えも全部ふくまれていることに、ひそかな感謝と感激をおぼえたことでした。
その後、この報告は、八月十五日に私の初誓願のためおいでくださった司教様に申し上げましたが、この時も、ノートの必要もないほど、口頭で全部お伝えすることができました。〉
この重要な出来事の検討に移る前に、些細なエピソードではあるが、この同じ八月三日の夜に起こった一事件にふれておこう。
真夜中ごろ、姉妹笹川は突然「起きなさい、起きなさい」と呼びさまされた。まぎれもない守護の天使の声であった。
とび起きてドアを開くと、何か濃げくさい異様な臭いが廊下にたち込めている。臭いをたどって階下に降り、台所に入った瞬間、火の玉のように真赤に燃えさかっているヤカンが目についた。ねむ気も吹きとび、かけ寄って、反射的にガス栓をしめる。水を汲んで、今にも火を発しそうな灼熱の塊に遮二無二うちそそぐ。ようやくうすらいだ湯気の中にヤカンは無惨な姿でしずまる。底にはまっ黒に焦げた煎じ薬が、まだ異様な臭気を立てていた。
あとで聞けば、ひとりの姉妹が、煎じ薬をつくりかけたまま、忘れて寝てしまったのであった。まったくもう一歩で、火災の大事になるところであった。
一同が胸をなでおろし、あらためていましめ合った次第であった。「笹川さんが気づいてくれなかったら…」と、真相を知らぬ姉妹たちは彼女の鼻のよさにでも感謝するふうであったが、実は守護の天使にこのように実生活の上でも助けられることは、以後もたびたび起こるのである。
* * *
今回のお告げは、メッセージの核心となる重要な主題を呈示されたものである。ここには聖母像の御手の出血現象の奇跡に劣らぬ、刮目すべき重大な教示がみられる。
その中心主題は、”世の多くの人々は主を悲しませている”というお嘆きに始まっている。聖主を悲しませているのは、いまこの世に生きている人々であり、現にこの世界を舞台にしておかしているわれわれの罪によってである。聖母は世界を眺めわたして、”主を慰める者”を求められる。それは、”天のおん父のお怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもって償う霊魂”を望まれるからである。
”おん父が天罰をくだそうとしておられる”という警告は、以上を敷衍(ふえん)して、切迫した事態への憂慮を訴え、具体的な要望へと導くためのものである。
またここに、司教が先に提出した三つの質問への答えが、明らかに示されている。
”この会を神はお望みであるか”との問いに対しては、”あなたの会にも私は望んでおります”の一言で応じられた。この会を肯定のかたちで認められるとともに、すべての人にも呼びかけておられることがわかる。
第二の”このままの形でよいか”の質問には、”形にこだわらず、熱心をもって、ひたすら聖主をお慰めするために祈るよう”と指示される。これは、観想的修道会、活動的修道会、あるいは在俗修道会などの区別に重きをおく態度を排し、神に奉献された身分に優劣をつけるような考えがあってはならぬことをも、会の形態で差別をつけようとする弊を、聖母はいましめられ、要は”形ではなく、神の聖意にかなうことである”と強調されるようである。
第三の”在俗であっても観想部が必要か”との質問には”在俗であっても祈りが必要”であり、”すでに、祈ろうとする霊魂が集められている”とのお答えが与えられる。これは、在俗であろうがなかろうが、また一般の信徒においても、祈りが生活の最も大切な中心となるべきことを示している。
もともと聖体奉仕会の当初の集まりには、修道会らしい規則も戒律も、生活の整った形態もなかった。ただ善意にみちた人々の、心からの祈りを捧げようとする貧しいささやかな共同生活があるのみであった。
司教の当面の関心事であった三つの疑問点にたいして、姉妹笹川の問いかけも待たずに与えられた、以上の応答を検討するにつけ、たしかに人間の知恵によるものでなく、天よりのもの、聖母御自身より賜ったお言葉である、と、わたしは深く感銘させられたのである。 つづく
聖マリアの被昇天
2015.08.22 Saturday
カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より
聖マリアの被昇天
聖母はその終わりが近いことを感じられたので、おん子の指示にしたがって、祈りにより使徒たちを自分の所に呼び寄せられた。聖母は今や六十三才になっていられた。キリストのご誕生の時は十五才であった。
イエズスはご昇天の前に、聖母にその地上のさすらいの終りに際し、使徒たちに告ぐべきことを明かされた。また主は聖母がかれらに最後の祝福を与えるよう指示された。さらに神のおん子は聖母自身に二三の精神的な仕事を委任されたが、その仕事の成就後に天国への憧れが充たされることになるのであった。その当時、主はまだマグダレナに荒野に退くように指示され、マルタには婦人団体の創立を命じられ、ご自身はその援助者となることを約束された。
さて、使徒たちは聖母の祈りによって天使からエフェゾに旅立つようすすめを受けた。
ペトロは当時アンチオキア地方にいた。少し前までエルサレムにいて迫害を受けたアンドレは使徒の頭からほど遠くならぬ所にいた。わたしはペトロが壁に寄り寝ているのを見た。その時、一人の輝く青年が近づき、その手を取ってマリアの許に急ぐよう、なおその途中でアンドレアに逢うだろうと告げた。ペトロは寄る年波と疲労のためにその体はすでに硬張っていた。ペトロは起き上がって、手で膝を支えながら天使の言葉を聞いていた。それから立ち上がってマントを打ちかけ、着物を端折り杖を取って出発した。間もなくかれは、同じ出現に呼ばれたアンドレアに出会った。
さらに進み行くうちにタデオといっしょになったが、だれにもまた天使が告げたのである。そうしてかれらはマリアの所に来たが、そこでまたヨハネにも出会った。かれは平素はエフェゾとその近在に留っていた。かれは少し前には聖地にいたが、そこへはしばしば旅をしていた。
ユダス・タデオとシモンはお召を受けた時はペルシャにいた。バルトロメオは紅海の東にいた。かれは非常に如才ない美しい、色白の人で、高い額、大きな目、黒いちぢれた髪と二つに分かれたあごひげとを持っていた。この度は聖家族の親戚かあるいは知り合いの者だけが呼ばれたのでパウロには何のお召もなかった。―
トマは聖母のご死去後になってやっと到着した。かれはお召しを受けた時はインドにいた。お召の天使がかれに現れた時には、芦の小屋で祈っていた。わたしはかれが大変質朴な従者とともに小舟に乗り水をずっと渡って行くのを見た。そしてかれは街には寄らずに陸地を横切って旅をつづけた。かれとともに、もう一人の弟子もいた。トマはお召を受ける前に、されに北方に旅をしようと決心していた。かれはこの計画を思い切ることができなかった。かれはいつもあまり多くのことをしようとしておそくなることがあった。それでかれはまず現在ロシアになっている地方への旅についた。そこで再びお召を受け、やっとエフェゾへ急いだのである。かれがいっしょにつれていた従者はタタール人で、かれが洗礼を授けたのであった。聖マリアの死後とトマはもはやタタール地方には行かなかった。後にはかれはインドで槍で刺し殺された。―
聖母はすでに死に近づいていた。そしてその寝室の寝台に静かにやすんでいられた。わたしは婢が非常に悲しみ、時々部屋の片隅に跪き祈っているのを見た。わたしはまた二人の聖母の親戚の者が五人の弟子たちといっしょに到着したのを見た。皆は非常に疲れていた。多くの者は再び会うことのできた喜びと、悲しみに泣いた。
家に入る時に、その旅のマントや杖、袋、帯等をとり、白い長い肩着を巾広く襞(ひだ)ゆたかに足のところまで下げ、自分たちが持って来た文字の書いてある巾の広い帯をした。そして感激に充ち溢れて挨拶をするためにマリアの寝台に近づいた。しかし聖母はほとんど僅かの言葉しか話すことができなかった。―
わたしはここに着いた人々が、各自の持ってきた器に入っている飲み物以外には何もとらなかったのを見た。かれらはまた家の中では眠らず、家の外の壁沿いの柱に差し掛けられた簡単な家根の下で眠った。
わたしはかれらが家の前の部屋に、ミサ聖祭と祈りのために場所を準備したのを見た。そこにはまた祭壇ももうけられた。
さて、使徒たちは一同揃って聖母にお別れをするためにその寝室に入った。その間弟子と婦人たちは前の部屋に立っていた。
マリアはきちんとお坐りになった。使徒たちは一人一人その寝台の前に跪いた。マリアは祈りをし、十字に交叉したおん手をもって祝福された。弟子や婦人たちにもまたこのようにされた。聖母はなお皆をいっしょに集めて語り、イエズスがベタニアでご自分に命じられたことを行われた。ヨハネにはそのおん体の処置について指示を与えられた。またその着物を婢(はしため)とたびたび手助けに来ていた近所のもう一人の婦人にお分けになった。わたしは聖母が戸棚を指さすと婢がその方に行きそれを開きまた閉ぢているのを見た。
さてペトロはすでにわたしがベトサイダの池のほとりの教会で見たような様式でミサを捧げた。祭壇にはランプの代わりにローソクがともっていた。この式の間ずっとマリアはその寝台の上に坐ったままでいた。
ペトロは他の人々に聖体を授けた。ヨハネはその時聖血の入っている杯(カリス)を皿の上にのせて運んだ。この杯は晩餐の時と同じような形をしていたが、小さくて鋳物のように白かった。その柄は二本の指でやっとつまめるほどの短さであった。タデオは小さな香炉を運んだ。まず、ペトロは聖母に終油の秘跡をお授けした。それは現在行われているのと同じであった。それから聖体をお授けしたが聖母は誰にも支えられずにお受けになり、再び横になって祈られた。次にまた起き上がられるとヨハネが聖杯をお渡しした。
聖体拝領後マリアはもはや語られず、ただ天を見つめていられた。顔は乙女のように輝きほほえんでいた。わたしはその部屋の屋根はもはや見えなかった。ランプは空中にかかっているようであった。そして一条の光線がマリアから天のエルサレムおよび聖三位の玉座に達した。その光線の両側に、天使たちの顔が見える光雲が輝いていた。聖母はその腕を天のエルサレムの方に差し伸べられたが、その体は寝台の上に高くあげられたので、わたしはその下を見通すことができた。
その時身体から輝く姿が立ち上がったようであった。すると天使の二つの群がこの姿の周りに集まり、いっしょに昇って行った。そしてその姿が体から離れると、体は腕を組んだまま寝台に戻った。
大勢の聖(とうと)い霊魂たちがマリアをお迎えにきたが、その中にわたしはヨゼフやアンナ、ヨアキム、洗者ヨハネ、ザカリア、エリザベトたちを見た。マリアはこの友人たちに伴われておん子の方に昇って行かれた。おん子の傷は、おん子をとりまく光よりも遥かに美しい輝きを放っていた。
神のおん子はそのおん母を迎え、王笏を与え、全地球をくまなくお示しになった。その時非常に嬉しいことには、煉獄から解放された沢山の霊魂たちが天国をさして上って行った。そしてわたしは毎年聖母の被昇天の祝日にこの浄めの場所から、大勢の聖母の崇敬者が解放されるという確信を受けたのである。
聖母が死去された時は第九時で、それはイエズスが十字架上でご死去になった時間と同じであった。ペトロとヨハネはマリアの聖き霊魂の栄光を見たに違いない。と言うのは二人は顔を上に向けていたからである。他の使徒たちは地上に跪き、ひれ伏していた。聖母の体はその目を閉じ、胸の上に手を組み、輝いてその寝台の上に休まれた。
婦人たちは体を布で掩(おお)った。そしてヴェールを被って家の前の部屋であるいは跪きあるいは坐って祈った。使徒たちもまた首に巻いた巾の広い布で頭を包み、祈りの位置に並んだ。かれらはいつも二人ずつで聖き体の頭と足の傍に跪き祈った。わたしはその日かれらが何度も交替したのを見た。使徒たちはまた十字架の道も歩いた。
アンドレアとマテオは、マリアとヨハネが十字架の道のキリストの墓の場所として作った小さな洞穴に埋葬の準備をした。この洞穴は主の墓のように大きくはなかった。やっと人が立てるほどの高さであった。墓の周りには、柵を回らした庭があった。道を斜めに降りて行くと、中には祭壇のような石造りの聖屍台があった。カルワリオ山の留はほど近い岡の上にあった。しかしそこには十字架は立っておらず記念碑に十字架が彫り込まれていた。
アンドレアは特に墓所で多く働き、墓の前に扉を取りつけた。
聖骸は婦人たちの手で埋葬の準備が行われたが、その中にはベロニカの娘や、ヨハネ・マルコの母親等がいた。かの女たちは香料や新しい薬草の入った壷を持ってきた。そして家を閉じ灯をともし、奥の方の間で働いた。この間使徒たちは表の方の部屋で、一部お者は家の外で斎唱で祈りをした。婦人たちはちょうど主の埋葬のように、大きな感慨と畏敬とをもって仕事を行った。かの女たちは聖骸を長い棺のような籠の中に置いた。聖骸は輝き、また空の包みのように軽かったので、苦もなく手の上にのせることができた。おん顔は生々といて血色がよかった。婦人たちはまた髪を少し切り、聖遺物として各自が戴いた。
聖骸がその白い衣服の上に、さらに白い布で巻かれる前に、ペトロは次の間でミサ聖祭を捧げ、使徒たちに聖体を授けた。
次いでペトロとヨハネは儀式のマントを着て部屋に入った。ヨハネは油の入った器を持ち、ペトロは聖骸の額、手、足等に祈りの言葉とともに十字架の印に油を塗った。さて婦人たちはマリアの聖骸をすっかり布で巻いた。頭には処女の表徴として、白や紅や空色の花の冠を置いた。また冠に囲まれお休みになっている神のおん母の顔が見えるように、透き通った布をその上に掛けた。こうして準備が終わると聖骸は雪のように、白い木の棺の中にねかせられた。その蓋は中窪みになっていて、ぴっちりと閉じられた。そして上下と真中で灰色のバンドで棺に結びつけられた。すべては極めて厳かにまた感動の裡に行われたが、恐怖とおののきの中に行われたイエズスの埋葬の場合よりも、その悲しみの感情ははるかに人間味豊かにあらわされていた。
さて、棺は半時間ほど離れた所にある墓に運ばれた。六人の使徒が聖骸を運んだ。
他の者たちは祈りながら棺の前に進み、婦人たちはこれにしたがった。また棒の先につけて火籠もいっしょに運ばれた。
墓の洞穴の前に棺台が下ろされると、四人の使徒が棺を持ち上げて洞穴の中に運び、主の墓のように窪みのある聖骸台のうえに置いた。一同は一人ずつ洞穴の中に入り、聖骸の前に跪いて敬意を表しお別れをした。それから墓は網戸をもって閉じられた。洞穴の入口の前に使徒たちは溝を掘った。その中に、一部は花が咲き、一部はすでに実がついている灌木を植えた。そして水をやり、ぎっしりと隙き間なく植えたので、ただ横側からこの繁みを抜けて洞穴に入ることができるだけであった。
次の日の夜マリアはその体も天に召された。わたしはその夜大勢の天使や聖人たちが墓の前の小庭で祈り、詩編を唱えているのを見た。
わたしは天から巾の広い一条の光線が墓の上に降り、その中に三つの天使たちの栄光の群と、その群の真中にマリアの霊魂が漂うように降って来るのを見た。そのかれらの前を、輝ける傷をもったイエズスが進まれた。わたしはそこに居合わせた者の内どれだけの人々がそれを見たかは知らない。ただわたしはかれらが驚いて見上げ、あるいはおののきつつ地上に顔を打ち伏せたのを見ただけである。この示現がますます明らかになった時、墓の洞穴からまた一条の道が開いた。マリアの霊魂はイエズスの前を通りすぎ、巌をを通って墓に入り、その変容した体とともに輝きつつ昇った。そして凱歌高らかに天のエルサレムに戻って行き、この天の示現はすべて消え去った。
その後使徒たちが斎唱で祈りをしている時にトマが到着した。彼は、聖母をすでに墓に運んでしまったことを聞いて非常に悲しんだ。かれは痛く泣き崩れ、あまりおそくきたことをどうしても諦めることができなかった。痛々しき涙の裡にかれはマリアの聖なる霊魂がその体から離れた場所に打ち伏し、また祭壇の前でも長い間跪いていた。
使徒たちは、トマが着いた時もその斎唱を止めなかった。かれらがトマの所に来ると、トマを抱き起こして抱擁し、パンや蜂蜜や飲物等を小さな壷から出してすすめた。それから一同はかれを伴って灯を持ち洞穴の墓に赴いた。二人の弟子が灌木を傍らに押し退けると、トマは中に入り棺の前で祈った。ヨハネが棺を縛っていた三本の紐を解いた。かれらは蓋を取り傍らに置いた。非常に驚いたことには、聖骸布はもぬけの殻のようにそこに残っていた。ただ僅かに顔と胸の所だけが開いていた。使徒たちは驚いて上を見上げた。ヨハネは、
「聖母はもうここにいられないぞ!」と叫んだ。他の者たちもまた中に入って来て、手を挙げ、地に打ち伏して泣きかつ祈った。かれらは前夜の光雲のことを思い出した。さて、かれらは覆いの布を全部棺の中から遺物として取り出した。
帰りの道はずっと祈り、詩編を唱えつづけた。
わたしはまた一同が家で礼拝を行っているのを見た。―その数日間、かれらは時々輪を作って集まりお互いに自分らのいた土地の様子や経験したことなどを語り合った。
使徒たちが再び旅立つ前に、墓の洞穴の周囲に土塀を築いてまったくその中に入られぬようにした。しかし洞穴の後方から、その後壁に通ずる低い道を掘りあけた。そして壁に一つの窓をあけて、そこから聖骸台を見ることができるようにした。この道は聖婦人たちだけが知っていた。墓所の上には木造の礼拝堂が立てられた。中にある小さな祭壇は石造りで、石段の上に立っていた。その祭壇の後ろにはマリアの肖像を刺繍した布が下げられていた。墓前の庭や十字架の道は、使徒たちの祈りの聖歌の裡に美しく整えられた。
またマリアが祈り、憩われた部屋は小聖堂に作り直された。婢は前の家に住み、二人の弟子が近所に住む信者たちの牧者として残された。―
使徒たちはマリアの家で厳かな儀式を行ってから、涙と抱擁の中にお互いに別れを告げた。
その後なおかれらはここで祈りをしに各自でたびたび訪れてきた。わたしはまた信者たちが他の場所に聖母の家の形に似せて小聖堂を建てたのを見た。
また十字架の道とマリアの墓は長い間キリスト信者から熱心に訪れられた。 ビバ・パードレ・ピオ(ピオ神父 万才!)
2015.08.11 Tuesday
『キリストの似姿 ピオ神父』ペトロ・ボン・エッセン 神崎 房子 共編著より
8 ビバ・パードレ・ピオ(ピオ神父 万才!)
祝福された聖母への献身の他に、ピオ神父は聖フランシスコに強く献身していた。彼の守護の天使への献身については知られている。彼はロザリオの聖母に献身した聖ドミニコやシエナの聖カタリナにも献身した。全生涯にわたり聖ヨゼフに献身していた彼は、聖ヨゼフに毎日祈った。そしてピオ神父は死の前の二、三ヶ月間は、特別に、聖ヨゼフの絵をもらって、ベランダにおくようにと同僚に頼んだ。聖歌隊席の窓から群衆を祝別する時も毎日絵の前に立ち寄っては祈った。
一人の修道士は「そのとき気づいていませんでしたが、神父は、幸せな死の保護者、聖ヨゼフに祈っていたのです」と語っている。
ピオ神父はこれらの献身を続けたが、聖母マリアへの献身と煉獄のあわれな霊魂への祈り以外は霊的子供達に強要しなかった。
「生者の霊よりももっと多数の死者の霊が修道院の前の道を登って来る」と言った。
ピオ神父と死者の霊との出会いは素晴らしく聞こえる。彼が煉獄からの訪問者に会い、相手にしたことについて、彼の言葉以上の証拠がある。三十年間サン・ジョバンニ・ロトンドでピオ神父の同僚だったラファエル神父は、ピオ神父とあわれな霊魂の関係について話している。
ある日ピオ神父が一人で聖歌隊席で祈っていた時、教会の中で騒音があった。神父が調べに行くと、聖母マリアの像の台の大きなローソクが何本も折れて床にちらばっていた。像はとても高いので、誰も梯子なしにはローソクにとどくはずがなかった。ピオ神父があたりを見廻すと、カプチン会の修道士がそこにひざまずいていた。
神父が「誰ですか」と大声で呼ぶと彼は「煉獄から来たカプチン会修練者です。不真面目でしたので、今つぐないを果たしています…」と答えた。神父は「罪のつぐないとは言え、あのローソクをこわしてしまうのは、とんでもないことです。もう出て行きなさい。明日、あなたのためにミサを捧げます。そうするとあなたは解放され、ここへ戻って来る必要はありません」と言った。
煉獄からの修練者は感謝して去った。ピオ神父は死んだ修練者と話していたのだと実感すると、冷たい戦慄が背筋を走った。急いで教会から出て、エマヌエル神父に会い、何が起こったかを話した。二人が教会へ行くと、ピオ神父が述べたのと全く同じように、こわれたローソクが散らばっていた。
煉獄のあわれな霊魂へのピオ神父の愛は大きくて、いつも霊的子供達に話した。
「祈りなさい。祈りなさい。祈りなさい。…煉獄を空っぽにしなければなりません。
煉獄にいるあらゆる霊魂は、そこから解放されなければなりません」
教会が煉獄の霊魂のために祈ることによって得られる免償をとり消した時、ピオ神父は「今や誰が煉獄の聖なる霊魂の事を考えるでしょうか。彼らのため大いに祈りなさい!」と驚いて言った。
ある人達は死んだ後でピオ神父の所に行き、自分の家族のために恵みを頼むことを許されているようである。ピオ神父は、その人達の尋ねる故人が天国にいるか、または未だに煉獄にいるかを、しばしば確証している。ピオ神父を知らない人は、そのような啓示など眉唾ものと笑うかもしれない。しかし神父をよく知るならば、彼がそのような事柄を軽々しく話すことがないとよく知っている。
ピオ神父は亡くなる前に手紙を書き、霊的子供達として受け入れて欲しいと頼んだ者に「神と教会の掟を守ることによりキリスト教徒としての生活を送るように」という要請文を出している。ピオ神父が天国にいる現在、同じ条件で誰でも受け入れられると、私達は確信できる。彼の恩恵を願う人達は、受けとる保護、特に霊魂の中で経験する平和と喜びに驚く。
一九七一年私はサン・ジョバンニ・ロトンドを訪れた時、「ビバ・パードレ・ピオ!」と言う標語が町中至る所に掲げられていた。「ピオ神父、万才!」と訳して良いだろう。しかし、この神の人が未だに今日も自分の霊的子供達に及ぼす力を考えれば「ピオ神父は生きている!」という意味になる。 6 聖なる司祭職の授与
2015.08.07 Friday
カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より
六、聖なる司祭職の授与
主はさらに、聖なる種々の奥義について教えられ、使徒たちが主の記念として、世の終わりまでこの聖なる秘跡を続けていくよう仰せられた。さらに儀式と授与の要点を語り、この秘跡を次々と他の者に伝えていくようにとお話しになった。また主は、残った聖体をいつ、再び拝領すべきか、いつ、聖母に、お授けすべきかについてさしずされた。しかし聖霊が降臨したならばかれらが自分で、聖餐を聖別するように仰せられた。
さらに主は司祭職や、塗油、聖油の作り方および聖油について教えられた。また油をいかに混ぜるか、いつ塗油かについても多く語られた。また主は帝王の塗油についても言い及ぼされ、不正な帝王でも、塗油によって他のものと違った神秘的な権力を持つに至るようになるものである、とお教えになった。
主は固い油と、液状の油を空の小箱に入れて、両方を混ぜられた。次いでわたしは主がペトロとヨハネに塗油されるのを見た。主は食卓の中央から少し端の方に寄り、二人の上におん手を、まず肩に、次いで頭に置かれた。その間、二人は両手を合わせ、親指を組み合わせていなければならなかった。次に二人は主の前に深くかがんだ。主はその親指と、人差し指に塗油し、さらに頭にも油で十字架を印された。
主はこの印は世の終わりまでかれらにとどまろうと仰せられた。さらに小ヤコブ、アンドレア、大ヤコブ、バルトロメオも司祭職を授けられた。
わたしは―とても言い表すことは出来ぬが―イエスがこの塗油によって何か重大なもの、超自然的なものを与えられるのを見た。主はさらにかれらが聖霊を受けて後、まずパンとぶどう酒を聖別し、また他の使徒たちにも塗油するようにと仰せられた。わたしはその時ペトロとヨハネが聖霊降臨の日に、あの大洗礼に先立って、他の使徒たちに掩手(あんしゅ)し、またその後八日目に、他の大勢の弟子たちに同様に掩手したのを見た。またわたしはヨハネがご復活の後始めて聖母に、聖体をお授けしているのを見た。その後、この出来事を記念し、使徒たちはいつも祝い日として祝った。教会では、もうしていないが、凱旋の教会ではその日は、今なお祝われている。聖霊降臨の始めのころは、ヨハネとペトロだけが聖なる秘跡を聖別しているのを見たが、後には他の者もみなするようになった。
主は青銅製の鉢の火も聖別された。それは過越しの窯(かまど)のある部屋に安置してある聖体のそばに保存された。
主が聖なる晩餐のご制定の際行われたことはすべてきわめて秘密のうちに実施され、また、秘事として伝えられ、今日まで教会に存続している。しかし、聖霊のご教示により、必要に応じて、それに種々加えられている。
これらの聖なる儀式が終わってから、杯(カリス)と容器は、聖別された油で塗られた。それからペトロとヨハネによって、そのすべては、幕で広間と仕切られている部屋へ持っていかれた。この部屋は今や至聖所となった。聖体は窯の祭壇の少し上の壁のうちに安置された。その後、アリマテアのヨゼフとニコデモは使徒たちの不在の折、この広間を守った。
イエズスはさらに長い話をされ、また多くの祈りを非常に熱心にお唱えになった。それはあたかも、天のおん父とお話しになっておられるようであった。主は非常な熱心と、愛に満ち溢れられた。弟子たちもまた、喜びと熱心に燃えていた。かれらはいろいろなことを尋ね、主はそれにお答えになったが、すべてこれらの事柄のいくつかは、聖書に出いていると思う。またこのお話しの間、主は一番そば近くに座っていたペトロとヨハネに二・三の事柄を語られた。それは後に他の者にもその理解が可能になってから知らせるようにと仰せられた。主はまた、ヨハネが他の者よりも長生きするだろうということをヨハネにだけお話しになった。さらにまたヨハネに七つの教会、王冠、天使および未来のある出来事を意味する意味深いたとえについて語られた。他の使徒たちは主がヨハネに特別の信頼を示しておられたのでヨハネに対してほのかな畏敬を感じていた。
また主は、裏切り者について、何度か語られた。ユダがちょうどその時していることをお話しになった。わたしは主が使徒たちに告げられた通りのことをユダがその時やっているのを見た。ペトロはまたもや本気になって、自分はどんなことがあっても主に従い抜くことを誓った。すると主は、「シモン、シモン、サタンはおまえをほしがっている。サタンはおまえを麦のように選び別けようとしている。しかしわたしはおまえの信仰がゆるがぬように祈った。おまえがいつか全く改心した時に、おまえの兄弟たちを力づけよ」と仰せられた。
しかしイエズスがさらに、ご自分が行く所にはかれらはついて来ることはできぬと仰せられると、ペトロは死んでもついて参りますと言った。するとイエズスは、「本当におまえは鶏が二度鳴く前にわたしを三度いなむだろう」とお答えになった。主はかれらに迫っている苦しみの時に注意して「わたしはおまえたちを、財産も靴も袋もなしに、派遣したが、おまえたちは何か不自由したことがあったか?」とお尋ねになるとかれらは「いいえ」と答えた。主はさらに続けられ、「今は袋や財布のあるものは、それを持っているように、またなにももっていない者は自分の着物を売って刀を買え、なぜなら聖書の『かれらは悪時をしたものもうちに数えられた』と言う言葉が今こそ成就されねばならぬから、かれについて書き記されていることはすべて成就に近づきつつあると仰せられた。かれらはすべて物質的なことに解釈した。そしてペトロは主に二振りの刀をお見せした。それは短くて幅の広いものであった。イエズスは「もうたくさんだ。さあでかけよう」と言われた。
そこに聖母とクレオファのマリアおよびマグダレナらが来て、人々が主を捕らえようとしていると言ううわさがあるから橄攬山(かんらんざん)に行かぬようにひたすらお願いした。しかしイエズスは、二言三言かの女たちをお慰めになり、すばやくそのばを通り抜けて歩み行かれた。それは、多分晩の九時ごろであったろう。
一同はペトロとヨハネが、けさ早くいった道を通って、橄攬山に向かった。
37 ナザレトで
2015.08.05 Wednesday
マリア・ワルトルタ著作による『イエズスに出会った人々』(三) フェデリコ・バルバロ訳編 あかし書房 1984年より
37 ナザレトで
セフォリの北西、険しく石がごろごろして段々畑のようになっているナザレトは、丘の上から見ると広々している。時がたって山奥は変わったが、今、イエズスが立っている所は、イエズスを石殺しにしようと待ち受けているナザレトの群衆の真ん中を平然と横切り、皆を思い留まらせた所らしい。(1)
イエズスは、懐かしいが敵もいるこの町を眺めようと立ち止まり、明るくほほえむ。神の子のほほえみは、イエズスを我が子として迎えた母の生地、神の嫁そして神の母となったこの地を祝福する。そのほほえみは、ナザレト人に値しない人には知られざる祝福である!
従兄弟の二人も、我が町のように喜んで眺める。とはいえ、タデオは厳しく、ヤコボは晴れ晴れと穏やかで、イエズスのほほえみに近い。
トマは故郷ではないけれど、喜びに顔を輝かせ、煙突から煙の出ているマリアの小さな家を指して言う。
「お母様が家でパンを焼いています」本当の母親の話をしているかのような深い愛がこもっている。
その年齢と教養のために落ち着いている熱心ものがにっこりする。
「そうです。あの方の平和は、もはや私たちの心にも及んでいます」
「さあ、早く行きましょう」と、ヤコボがせかす。
「ナザレ人たちに気づかれないよう、こちらの小道を行きましょう」
「そうすると、おまえたちの家から遠くなります…おまえたちのお母さんも早く会いたがっているでしょうに」
「おお、シモン、安心して。きっとマリアの所に集まっているはずです…パン焼きのためだけでなく、あの病気の娘もいるから」
「そうですね。こちらから行けば、アルフェオの菜園の裏手を回って、うちの庭の垣根の所に出ます」とイエズスが言う。
とっかかりの急な坂道を滑るように早足に下り、町が近くなるとゆっくり歩く。オリーブ畑を抜け、麦の収穫の終わった小さな畑を横切り、町の最初の菜園の横を通る。菜園の垣根はよく茂り、たわわに実った枝が垂れ下がって石垣を覆っているので、菜園の中で働く人や洗濯物を家のそばの草原で干している主婦の目に留まらずに済む。
冬はキイチゴの枝がもつれ、夏は西洋サンザシの咲くマリアの庭を囲む垣根は、今、ジャスミンと杯のような形の花で飾られている。垣根の奥で、カピネラがきれいな声で鳴き、クークーと鳩の鳴き声も聞こえる。
「いつだったか修繕した戸も花に覆われています」と、庭の裏手の粗末な戸を見るために一足先に行ったヤコボが声を上げる。
「では、あぜ道から行って戸をたたきましょう。母は、修繕したばかりの戸が壊れたら悲しむから」とイエズスが答える。
「マリアは”閉じられた庭園(2)です”」とアルフェオのユダが感激している。
「そう。そしてマリアはそこのバラです(3)」とトマが言い、
「アザミの中の百合のように(4)」とヤコボが言い、
「封じられた泉」と熱心ものが言う。
「むしろ、庭園を潤す泉、生ける水の井戸、レバノンから流れ下る小川(5)。地に命を与え、その香り高い美しさで天に向かってほとばしる」とイエズスが受ける。
「あと少しで、お母様があなたを見たら、どんなにお喜びになるか」とヤコボが楽しげに言う。
「従兄弟よ、ずっと以前から知りたいと思っていたのですが、教えてください。あなたはマリア様をどのように見ているのですか。母としてですか。弟子としてですか。確かにあなたのお母様なのですが、マリア様は女性で、あなたは神です…」とタデオが質問する。
「姉妹であり、花嫁であり、神の歓喜と休養また人間の慰め(6)です。私は、神としても、人としても、マリアにすべてを見、すべてを持っています。天の三位一体の第二の位格の悦楽であり、御父と聖霊と同じように、みことばの歓喜であり、肉体となった神の歓喜であり、光栄を受けた神なる人間のみことばの歓喜です」
「何という奥義! では、神はご自分の歓喜を二度もあなたとマリアに分かち与え、あなた方をこの世にお与えになったのか(7)」こう熱心ものは感嘆する。
「何と言う愛! これを誇るべきです。愛は三位一体がマリアとイエズスとを、この世に与えるのを惜しまれなかった」とヤコボが感嘆する。
「神であるあなたは別にして、神はご自分のバラを、見つめるにふさわしくない人間どもに委託するのを恐れなかったのでしょうか」とトマが首をひねる。
「トマ、『雅歌』でおまえに答えます」
「編集者のことば」
ここに雅歌八章十一〜十二節が引用されるが、実際のイエズスのことばは、引用とは少し別のものである。
”ソロモン(平和の人)には、バアル・ハモンにぶどう畑があって、それを番人に任せてあった”ここまでは聖書のとおりだが、次からは異なる。
「この番人は、神のことばを汚す者にそそのかされ、そのぶどう畑を手に入れるために大量の金貨を積むが(すなわち、誘惑するためにはすべてを投げ出すつもりであった)、主の美しいぶどう畑”聖母マリア”は、自分自身を守り抜き、その収穫を主のみに捧げようとし、値のつけられない宝物、救い主を産んだのです」
戸口に着いたアルフェオのユダは、イエズスが閉じられた扉をたたく時に、こう言う。
「”私の花嫁よ姉妹よ、愛する者よ、雌鳩よ、汚れない者よ、戸を開けてください”と心から言えるのは今ですね」
だが、イエズスは最も美しいことばを一言だけ言い、腕をいっぱいに広げて迎える。
「お母さん!」
「おお、我が子よ! 祝された者よ! 入りなさい。平和と愛とが、あなたとともにありますように!」
「お母さんと、この家に住む人々とに平和!」と言いながらイエズスが入り、他の人々もついて来る。
「あなた方のお母さんは向こうで、女弟子の二人はパン焼きと洗濯をしています」と、使徒や弟子にあいさつをしてからマリアが説明する。
使徒たちは慎み深く、母と子だけになれるよう席をはずす。
「母様、やって来ました。少しの間、一緒にいられます…。おお、母様。長い間人々の中にいた後で、家に帰ると、実に暖かく心地よい。とりわけ、母様が」
「でも、人々はあなたを知れば知るほど、二本の枝に分かれていきます。あなたを愛している人々と…憎んでいる人々…憎む枝の方が太いわ…」
「今、悪は打ちのめされる時が近いと知り…ある人々を荒れ狂わせています…娘の具合はどうですか」
いくらかは良くなりましたが…手遅れになるところでした…もううわ言は言っていません。娘の話は遠慮がちですが、うわ言と一致しています。私たちがうわ言から娘のこれまでの暮らしを推し量っていないと言うとうそになります…気の毒な娘!…」
「まさしく。けれども、御摂理が娘を守りました」
「それで、今は?…」
「今は…知りません(8)。アウレアの身柄は私のものではありません。霊魂は私のものですが、身柄はヴァレリアに預けられます。今はいろいろ忘れるために、しばらくここにいるのですが…」
「ミルタがアウレアを欲しがっています」
「知っています…でも、あのローマ人の婦人の許しなしに何かを決める権利は、私にありません。娘を金で買ったのか、それとも約束という武器だけを用いたのか。…あの婦人が娘を返してほしいと言ったら…どうしたものか」
「子よ、私が代わって頼みに行きます。あなたが行くのはよくありません…お母さんに任せなさい。女だと―イスラエルでは一番下等なものですが―異邦人と話をしに行っても、それほど目立ちません。それに、お母さんはほとんど世間に知られていません! マントを羽織ってティベリアデの道を歩き、ローマの婦人の家を訪れるただのヘブライ人の女など、だれの目も引きはしません。」
「では、ヨハンナの家へ行って、そこであの婦人に話すのがいいと思います」
「子よ、そうします。おお、私のイエズス! あまり心配しないで…とても悲しんでいますね…私には分かります…あなたのためにあれこれとしてあげたいけれど…」
「もはやいろいろしてくださっています、お母さん。あなたがなさるすべてを感謝しています…」
「おお、子よ。私はちっぽけであわれな助けですね! あなたがもっと愛されるようにすることもできず、その時まであなたに何の喜びも与えられず…私は一体何なんでしょう。何も言えないあわれな女弟子です…」
「母様! 母様! そんなふうに言わないで! この私の力は、母様の祈りによるものです。母様のことを考えると、ほっとします。今、母様の胸にもたれて、おお! どれほど慰められることか…母様!…」
イエズスが壁にもたれて立っていた母を引き寄せ、その胸に額を押し当てると、マリアがそうっとイエズスの髪をなで、愛にあふれる沈黙が流れる。イエズスが立ち上がって言う。
「他の人たちやあの娘の所へ行きませんか」母と一緒に庭に出る。
娘が寝ている部屋の入口で、女弟子が使徒たちと話し込んでいるが、イエズスを見るとひざまずいて黙る。
「アルフェオのマリア、あなたに平和。ミルタとノエミ、あなた方にも。娘は眠っていますか」
「はい。熱が高く、もうろうとしています。このまま続くようなら、危ないかもしれません。あの体では病気に勝てないし、いろいろ思い出して錯乱状態なのです」とアルフェオのマリアが伝える。
「そのとおりです。それに、もうローマ人を見たくないから、このまま死にたいと漏らしています…」とミルタがつけ加える。
「もうこの娘を愛している私たちには大きな苦しみです…」とノエミが言う。
「心配しなくてよろしい」と、イエズスが戸口のカーテンを少し開けて力づける。
壁に向いた小さな寝台に、こけた頬だけが真っ赤で、顔は雪のように白く、黄金の長い髪にうずもれて葬られているようである。あえぎながら、もごもごと意味不明のことばをつぶやき、毛布の上に手をだらんとして、時々何かを拒絶するしぐさをする。
イエズスは部屋の入口に立ったまま、あわれみを込めてアウレアを見つめていたが、
「アウレア! おいで! あなたの救い主がいます」と強く呼びかける。
娘はむっくり起き上がってイエズスを見ると、大きな叫び声を上げながら、寝巻きの裾を引きずりながら、裸足のままイエズスの足元にひざまずく。
「主よ! 今度こそ解放されました!」
「治りましたね。ほら、死ねませんね。先に真理を知る必要があったから」こうイエズスの足に接吻する娘に話しかける。
「立って、平和に行きなさい」こう言うと、熱が下がった娘の額に軽く手を触れる。
アウレアは、処女マリアにもらったらしい裾の長い麻の服を着、やせ細った肩に、髪がマントのようにたっぷりかかり、下がったばかりの熱で灰青色の瞳がうるみ、今、湧き上がる喜びに、まるで天使のように見える。
「さようなら! 私たちは仕事があるから、あなた方は娘と家のことをしてください…」と先生が言うと、四人の使徒たちと一緒に、ヨゼフの昔の仕事場で、今は何の用もしていない仕事台に腰かける。
注
(1)ルカ4章。
(2)雅歌4・12。
(3)シラ24・14。
(4)雅歌2・2。
(5)雅歌4・15。
(6)雅歌4・8~12,5・1。
(7)雅歌8・11~12。
(8)人間としての知識では知らない。
煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣
2015.08.01 Saturday
『煉獄に居る霊魂の驚くべき秘訣』マリア・シンマとのインタビュー(高間友の会発行)から抜粋
愛の傷
この霊魂たちはあなたに何を頼みますか。
大抵の場合、ミサをあげてくれるようにと。そしてそのミサに与ってくれるように頼むのです。またロザリオを唱えてくれるようにとか、十字架の道行きをするようにとも頼むのです。
この時点でひとつの疑問がわいて来ます。煉獄とは正に、どういうものですか。それは神の驚くべき考察だと言うべきです。私自身のイメージを述べさせてください。
ある日のこと、ドアが開いてかつて地上では見たことのない美しい人が、それも極めて美しくまた壮麗な姿で現れたと想像してください。あなたはこの人の輝きと美しさに心を奪われ圧倒されてしまうでしょう。それどころか彼があなたを必死で愛していることを示しています。―あなたは今までにこれほど愛されていることを夢にも見たことがなかったのです―彼があなたを自分に引きつけてあなたを抱きしめたいという強い願望があることを感じるのです。そしてあなたの心にすでに燃えている愛の炎があなたを彼の胸の中へ飛び込むように押しつけるのです。
ところでちょっと待ってください。この瞬間にあなたは何ヶ月も間身体も衣類も洗っていないので自分が悪臭を放っていることを実感するのです。鼻水が出ているとか髪の毛が油で汚れていてもつれているとか洋服に大きな汚いしみがある等と。そこであなたは独り言を言うのです。「いや、この状態ではちょっと人前には出られない。まずシャワーを浴びにいかなければ、…きれいに身体を洗ったらすぐ帰って来よう。」と。
しかしあなたの心に芽生えた愛は非常に強烈で、すごく燃えていて、とても強いので、シャワーを浴びる時間が耐え切れないほど長く感じるのです。たとえそれがほんの二〜三分だったとしても、不在の痛みは心の残虐な傷となって、愛の激しさに比例するのです。―それは愛の傷です。
煉獄は厳密にはこういうものです。それは、私たちの汚れによって課せられている猶予、神の抱擁の前にある猶予であり、強烈な苦しみを起こす愛の傷、待つこと、または愛のノスタルジアです。この燃焼、この郷愁はまさに、私たちの中にまだ残っているあらゆる汚れを洗い清めるのです。煉獄は熱望の場、神に対する気違いじみた熱望、私たちがすでに知っている神への渇望の場です。この神と出会ってはいるのですがまだ彼と結ばれていません。煉獄の霊魂はマリアに度々、自分たちがどれほど神を慕い求めているか、この強烈な望みはどれほど自分たちを苦しめるかを語るのです。死の苦悶のようなものです。
さて私は基本的なポイントを明白にするためにマリアに尋ねることにします。
マリア、煉獄の霊魂は苦しみの中にあっても喜びと希望を持っていますか。
はい。どの霊魂も煉獄から地上に戻ることは望んでいません。彼らは私たちの知識をはるかに超える知識を持っています。地上の暗闇に戻ることを望むことは絶対に出来ないのです。
これで彼らの苦しみと地上での苦しみの違いが分かります。煉獄では霊魂の痛みはひどくても、神と共に永遠に生きるという確信があります。それは揺るぎない確信です。痛みよりも喜びの方が大きいです。この地上にもう一度住んでみたいと思わせるものは何もありません。地上には確信できるものが一つもないからです。
マリア、煉獄に霊魂を送るのは神ですか。それとも自分でそこへ行くことを決断するのですか。今話してくださいますか。
霊魂自身が煉獄に行きたいのです。それは天国へ行く前に清い者になるためです。
煉獄の霊魂は完全に神の意志を固守します。彼らは善を喜ぶのです。彼らは私たちの善を望んでいます。とても愛します。神を愛しています。私たちのことも愛しています。彼らは完璧に神の霊、神の光に結ばれています。
マリア、死の瞬間に人には神がはっきりと見えますか。それともぼんやりと見えますか。
ぼんやりと見えるのですが、やはりそれは霊魂の中に神に近づきたいという強烈な熱望を起こすほどの明るさです。
それは実際には地上の闇と比べればまぶしいほどです。が、霊魂が天国に着く時に見る完全な光と比べれば暗闇に等しいです。ここで『臨死体験』を参考にすることが出来ます。霊魂はこの光に強烈に引き付けられるあまり、その体験の後に再び身体に戻ってくるのは死の苦悶に等しい苦しみです。
愛は数多くの罪を償う
マリア、煉獄の霊魂に対する聖母の役割は何でしょうか。話していただけますか。
聖母は度々彼らを慰めに来られ、彼らが多くの善行をしたとおっしゃって彼らを勇気づけられるのです。
聖母が彼らを解放する特別な日がありますか。
特にクリスマス、諸聖人祭、聖金曜日、キリストの昇天、聖母の被昇天です。
マリア、なぜ人は煉獄へ行くのですか。煉獄へ行く最大の原因となるのはどんな罪ですか。
愛に反する罪です。自分の隣人への愛に反する罪、心のかたくなさ、敵意、悪口、中傷―そのようなものすべて。…人について悪いことや本当でないことを言うのは自分を最も汚す罪の一つであり、長期間の清めを必要とします。
ここでマリアが本当に心を打たれたという実例をあげました。彼女はある女とある男が煉獄にいるかどうかを調べるように頼まれました。依頼した人々の驚いたことには、女はすでに天国に入っていたのですが男はまだ煉獄にいました。事実、この女は堕胎の手術中に死んだのに、男は通常、教会に通っていて正しい信仰生活を営んでいた様子でした。
そこでマリアは勘違いをしたと思っていっそう正確なことを調べました。しかし間違いではなかったのです。二人はほとんど同じ頃に死んだのですが、女の方は謙遜に自分の罪を認めて深く回心したのに対して、男はみなを批判し、いつもぶつぶつと不平ばかり言って他人の悪口を言っていたのです。この女の葬儀の時、「このならず者が教会の墓地に葬られるべきではない」ときつく批判したのです。そのために彼の煉獄滞在期間は非常に長かったのです。そこでマリアは、「外見によって判断してはいけない」と結論を引き出しました。…
マリア、どうか教えてください。まっすぐに天国へ行く最大の可能性のある人はどういう人ですか。
すべての人に対して良い心のある人です。愛は多くの罪を償います。
そう通りです。聖ペトロもこのように話しています!(第一ペトロ4・8)
煉獄に行くのを避けて天国へ直接行くためには 地上の生活においてどうしたら良いでしょうか。
煉獄にいる霊魂を助けるために大いに働かねばなりません。その代わりに彼らは私たちを助けてくれます。ずいぶん謙遜でへりくだっていなければなりません。これが悪に対する、また悪しき者に対する最大の武器なのです。謙遜は悪魔を退散させます。
彼らのためにミサを捧げる
マリア、霊魂を煉獄から救い出すのを助ける一番効果的な方法は何ですか。話してくれますか。
最も効果的な方法は、ミサを捧げることです。
なぜミサなのですか。
ミサの中でキリストが私たちへの愛ゆえにご自身をお捧げになるからです。そこでキリストがご自身を神にお捧げになるので、それは最も完全な奉献です。司祭は神の代理をするものですが、私たちのためにご自身を捧げてご自分を犠牲にするのは神ご自身です。示死者のためのミサの効果は生存中にミサを大切にしていた人にとって更に大きいです。ミサに参加してそこで心から祈った人、時間の許す限り平日のミサに与った人なら、自分たちのために捧げられたミサから大きな助けを受けます。この場合にも人は自分が蒔いたものを刈り取るのです。
煉獄にいる霊魂には、自分の葬式の日に人々が自分のために祈っているか、ただ参加していることを見せるためだけであるかがはっきりと見えます。哀れな霊魂は、涙は自分たちのためにならないと言っています。祈りだけが助けになります。人々が葬式に来ても神にひとつも祈らないことを、度々嘆いています。彼らは涙を流しますが、それは無駄です。
ミサに関して私はアルスの聖なる司祭、聖ヨハネ・ビアンネが小教区に伝えた美しい実例を引用します。彼は彼らに次のことを話しました。
「私の子供たちよ、ある善良な司祭が愛情を込めてかわいがっていた一人の友人を失うという不幸に見舞われました。それで彼はその霊魂の安らぎのために一生懸命祈りました。
ある日、神は彼の友人が煉獄にいて非常に苦しんでいると彼に知らせました。その聖なる司祭は死んだ愛する友のためにはミサの聖なる犠牲を捧げるほかないと信じていました。聖変化の時、彼は手にホスティアを取って言いました。『聖なる永遠の父よ、交換させてください。あなたは煉獄にいる私の友人の魂を手に持っておられます。私は両手にあなたの御子の身体を持っています。ああ、善良で慈悲深い父よ、私の友人を救ってください。そうすれば、私は御子の死と受難のすべての功徳と共に御子をあなたに捧げます』
この願いはかなえられました。実に、ホスティアを高くかかげたとき彼には友人の魂が栄光に輝いて天国に昇っていくのが見えました。神はこの取り引きを受け入れてくださったのです。
「子たちよ、私たちにとって大切な魂を煉獄から救いたい時は同じようにしましょう。聖なるいけにえを通して、その死と受難のすべての功徳と共に神の愛しておられる御子を神にお捧げしましょう。神は私たちに何一つ拒否することはお出来にならないのです。」
地上での苦しみを無駄にしないで下さい
哀れな霊魂を助けるためにとても力強いもう一つの方法があります。すなわち自ら捧げる断食、苦行、節制等のような私たちの苦しみ、またもちろん病気や哀悼のような望まなかった苦しみも含めて。
マリア、あなたは哀れな霊魂を救い出すために彼らのために苦しみを受け入れることを何回も頼まれたのですね。その時あなたは何を体験し何を耐え忍んだかを話してくださいませんか。
初めての時、ある霊魂は私が肉体的に彼女のために三時間苦しむように頼み、その後は仕事を続けることが出来ると約束しました。私は「もし三時間で終われば受け入れても良い。」と考えて受け入れました。その三時間はあまりにも苦しかったので三日間も続いたと思っていました。しかし、終わってから時計を見ると三時間経っていただけでした。
その霊魂は、私が彼女のために愛をもって三時間苦しむことによって彼女の煉獄の二十年間の苦しみの免除を得た、と言いました。
分かりました。でもどうして三時間だけ苦しむことによって煉獄の二十年間の苦しみの免除を得させることが出来たのですか。あなたの苦しみにはどのような特別な価値があったのでしょうか。
地上の苦しみには違う価値があるからです。地上では私たちは苦しむ時、愛において成長することが出来、功績を得ることが出来ます。しかし煉獄の苦しみの場合はそうではありません。煉獄では苦しみは霊魂を罪の結果から清めるためだけなのです。地上ではすべての恵みが与えられています。それは選択の自由が与えられているからです。
これはとても勇気づけられることです。というのは、苦しみには特別の意味があるからです。自発的に捧げる苦しみ、仕方なく耐え忍びながら捧げる苦しみ、もっとも小さな犠牲、病気、悲嘆、失敗などを忍耐をもって耐え忍び、謙遜をもってそれを歓迎するならば、その苦しみは霊魂を助けるのに並外れた力を持つのです。
マリアはこう語ります。成すべき最善のことは聖母マリアの御手の中に苦しみを置くことによってイエス様の苦しみに私たちの苦しみを結び付けることだと。聖母マリアは苦しみをどのように利用するかを最もよく知っている人です。しばしば私たち自身は自分の周りにある最も緊急な必要を知らないのです。
勿論、これを全部聖母マリアは私たちの臨終の時、私たちに返してくださるのです。
もうお分かりでしょうが、捧げられたこれらの苦しみは来世で私たちの最も貴重な宝物になるのです。私たちはめいめい互いにこのことを思い出させなければなりませんし、また苦しむ時には互いに励まし合わなければなりません。
そして祈りを惜しまないでください!
とても効果的なもう一つの方法は十字架の道行きであるとマリアは言っています。なぜなら、主の苦しみを熟考することによって私たちは少しずつ罪を憎み始め、すべての人々のための救いを渇望し始めるからです。そしてこのような気配りは煉獄の霊魂の苦しみを大いに和らげるのです。十字架の道行きは私たちの中に回心する心を起こすのです。私たちは罪に直面させらととき回心し始めます。
煉獄の霊魂に大変役立つもう一つのことは、死んだ人たちのためにロザリオ十五玄義を全部唱えることです。ロザリオの祈りを通して毎年多くの霊魂が煉獄から救われています。霊魂を救い出すために煉獄へ来るのは神の母ご自身なのです。これはとてもすばらしいことです。煉獄の霊魂は聖母マリアのことを「慈悲の御母」と呼んでいます。
霊魂たちはマリア・シンマに免償は自分たちの解放のために計り知れない価値があるとも言うのです。教会が霊魂の益になるために提唱するこの貴重なものを利用しないのは時には無慈悲なことになります。…ですから煉獄の霊魂を助ける大きな手段は一般に祈りです、それもあらゆる種類の祈りです。
ここで私はヘルマン・コヘンの証しを伝えたいと思います。彼は1864年にカトリックに改宗したユダヤ人の芸術家で、御聖体を非常に崇敬しました。彼は世俗を離れて大変禁欲的な修道会に入りました。彼は御聖体に対して大きな崇敬をもっていたので、しきりに崇拝していました。崇拝中彼は、とても愛していた自分の母親を改宗させるように主に乞うのが習慣になっていました。ところが彼の母は改宗しない内に死んだのです。それでヘルマンは悲しみに沈み、深く嘆いて御聖体の前にひれ伏して祈ったのです。
「主よ、私はあなたからすべてを頂いています。それは事実です。が、私はあなたに何を断ったでしょうか。私の若さ、世の巷での希望、幸福、家庭の楽しみ、求めても良い安息、それらすべてをあなたが私をお呼びになった時すぐ捧げました。永遠の善なる主よ、あなたは百倍にして報いてくださると約束してくださいました。それなのにそのあなたが私の母の魂を拒否なさいました。私の神よ、私はこの苦難に屈服します。不平を言うことをやめます。」彼はおいおいと泣きました。すると突然、不思議な声が彼の耳を打ちました。
「信仰の薄い者よ! あなたのお母さんは救われています。私の面前では祈りは何でも出来るということを理解しなさい。あなたがお母さんのために私の頼んだことは全部聞き入れました。だから私の摂理はお母さんが死ぬ時にお母さんのことを考慮したのです。
「彼女が死んだ時、私は彼女のところへ行きました。彼女は私を見て叫びました。『私の主よ、私の神よ』と。勇気を出しなさい。あなたのお母さんは地獄に落ちることを避けました。だから熱烈な嘆願の祈りが間もなく煉獄の束縛から彼女を救うのです。」
ヘルマン・コヘン神父はその後間もなく、二度目の出現を通して母親が天国へ昇って行ったことが分かったのです。
大切なことを少し付け加えさせてください。煉獄の霊魂たちはもはや自分たちのためには何も出来ないのです。彼らは全く無力なのです。もし生きている者が彼らのために祈らないならば、彼らは全く見捨てられてしまうのです。ですから苦しんでいるこれらの霊魂を救い出すために私たちはめいめいがそれぞれの手中に広大な力、信じられないほどのすばらしい力を持っていることを本当に理解するのはとても大切なことです。…
マリア、地上で功績を得ることが出来るのに、煉獄ではどうして功績を得ることが出来ないのですか。
死の瞬間に功績を得る時が過ぎてしまうからです。地上に生きている間は私たちが犯した罪を是正することが出来ます。煉獄にいる霊魂は私たちに与えられているこの可能性をうらやむのです。天使たちさえ私たちを羨みます。なぜなら、私たちは地上で生きている間は、成長することが出来るからです。
死の時点
死の時点で痛悔または回心の役割は何ですか。
痛悔は非常に大事です。痛悔によって罪は必ず赦されますが、罪の結果は残ります。死ぬ時に全免償を受けたいならば―それはまっすぐ天国に行けるという意味です―心はあらゆる執着から解放されていなければなりません。
ここで私はマリアが話してくれた非常に重大な証しを分かち合いたいのです。親戚の人たちがきっと永遠に滅びただろうと信じていた女の人の正体を聞くように、マリアは頼まれたのです。なぜなら彼女は凄まじい生活をしていたからです。彼女は事故に遭い、列車から落ちて死んだのです。ある霊魂がマリアに、この女の人は救われた、地獄から救われた、と言いました。なぜなら、死ぬ時に彼女は神にこう言ったのです。「あなたが私の命を取られるのは正しいことです。私はもうこれ以上あなたに背くことは出来なくなりますから。」と。この言葉が彼女のすべての罪を消してしまったのです。
この実例は非常に重大です。それは、死ぬ時のほんのわずかな謙遜と回心の瞬間が私たちを救うことが出来るということを示しているからです。これは彼女が煉獄へ行かなかったという意味ではありません。が、地獄は避けられたのです。彼女は自分の不信仰のゆえにたぶん地獄へ行くべきだったでしょうから。
マリア、死の時点で人が永遠の世界に入る前に、まだ神に立ち戻る機会が与えられますか。―死んだと思える時と実際に死んだ時との間の一瞬―たとえその人が罪の人生を送ったとしても。
はい、はい。主は一人一人に数分間を与えます。霊魂たちはそれを証しします。それは罪を後悔するためと、主と顔を合わせたいか否かを決断するためです。その時、自分の生涯が映画のように目に映ります。…
死にかかっている人に対してどのような態度がいちばん良いでしょうか。彼のために出来る一番良いことは何ですか。
一生懸命に祈ることです!死ぬために準備させることです。彼に真理を語り本当のことを言うべきです。…
自殺した人にはどういうことが起こりますか。こういう人たちの訪問を受けたことがありますか。
今までのところ、自殺した人で永遠に滅びた人の例に遭ったことは一度もありません。それは勿論、そういうケースが存在しないという意味ではありません。が、度々、怠慢であったり中傷を広げる周りの人々の罪の方が大きい、と霊魂たちは私に言うのです。
この人たちは自殺したことを後悔していますか。
はい。しばしば自殺は病気の結果です。この霊魂たちは自分たちの行為を後悔するのです。彼らは神の光の中で物事が見えるのですから。彼らは、彼らがまだずーっと生きるために残してあった時間に彼らのために用意してあったすべての恵みを即座に理解するのです。―彼らのために残してあったこの時間を、時には何ヶ月もあるいは何年も、しかと見るのです―また彼らには、神に命の残りを捧げることによって助けて上げることが出来た霊魂たちすべてが見えるのです。ついに彼らの心に最も堪えるものは、彼らが自分の命を短くしたたために、出来たはずだったのにしなかった善業を見ることです。
しかしその原因が病気の場合は、主は当然これを考慮に入れてくださいます。
たとえば、私が肉体的にあるいは精神的にあまりにも苦しみ、その苦しみがあまりにもきつくて死にたいと言えば、私は何をすることが出来ますか。
はい。これは非常によくあることです。私だったらこう言います。「私の神よ、私はこの苦しみを霊魂を救うために捧げます。」と。そうすれば、主は私に新しい信仰と勇気を与えてくださいます。しかし最近はもうこのように誓う人は一人もいません。これを行うことによって魂は大きな至福、すなわち天国での大きな幸福を得るのだと、言うことも出来ます。天国には何千種という異なったタイプの幸せがありますが、各自が完全に幸福なのです。望みはすべてかなえられていますから。もうこれ以上何も報いられないことを皆は知っています。
マリア、お尋ねしたいのです。他宗教の方―たとえばユダヤ教徒―があなたを訪れて来たことがありますか。
はい。彼らは幸せです。信仰をよく生きる人は誰でも幸せです。でも神のもとへ行くために最も多く獲得するのはカトリックの信仰を通してです。
霊魂にとって悪い宗教がありますか。
いいえ。しかし地上には非常に多くの宗教がありますからね! いちばん近いのはギリシャ聖教とプロテスタントです。ロザリオを唱える多くのプロテスタントがいます。が、宗教的なセクトはとても有害です。宗教的なセクトから人々を引き出すためにあらゆる方法を使うべきです。
煉獄に司祭はいますか。
(マリアは天に目を向けて「ああ!」と言って)
はい、沢山います。彼らは聖体祭儀に対する尊敬を奨励しなかったのです。ですから信仰は全体的に見て痛手を受けるのです。祈りを怠っていたために彼らはしばしば煉獄にいます。―その怠慢が彼らの信仰を弱めたのです。しかしまっすぐに天国へ行った者も沢山います。
では、神の御心に従って生きたいと本当に願っている司祭に何と言ってあげますか。
聖霊に対してたくさん祈り ― 毎日ロザリオを唱えるように勧めます。
あなたは地上で性的倒錯行為を行った霊魂の訪問を受けたことがありますか。
はい。彼らは永遠に滅んでいません。清められために大いに苦しまなければなりません。例えば同性愛、これは本当に悪魔からくるのです。
では、同性愛で苦しんでいるすべての人々にあなたはどういう助言をなさいますか。
それを捨てるための力強さを得るために大いに祈りなさい。特に大天使聖ミカエルに祈るべきです。彼は悪魔に対して並外れて優れた偉大な戦士です。
魂を最終的に失うようにと私たちを導く心の持ち方、つまり地獄へ行く原因となることは何ですか。
それは魂が神の方へ行きたくないと思う時で、その霊魂が実際に「私は行きたくない」と言う時です。
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