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2017.01.04 Wednesday

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    聖母と聖ザビエル

    2015.07.29 Wednesday

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      『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)
      第十二章 聖母と聖ザビエル
       一五四九年八月十五日、聖母被昇天の祭日に、聖フランシスコ・ザビエルがキリストの福音の使徒として、はじめて日本の鹿児島に上陸したのは、まぎれもない歴史上の事実である。ほかならぬこの日が、ザビエルを通じて、日本民族とキリストの最初に出会いの日となったことは、聖母のお引き合わせをおのずと思わせるのである。
       これが、神の祝福と恩恵の端緒となって、多くの人々が入信し、いわゆる切支丹となったことは、あらためて記すまでもないめざましい事実である。
       ザビエルは、ついに志を果たして日本列島の一端に足をふみ入れたとき、ひとかたならぬ航海の苦難をなめたあとだけに、聖母の御保護に心から感謝をささげたことであろう。またこの日が奇しくも聖母のもっとも光栄ある大祭日にあたることに意をとめ、聖母の汚れなきみ心に日本全土を奉献して神への改心の恵みを祈り求めたに相違ない。
       むかしわたしはコロンブスのアメリカ大陸発見を主題とした映画を見たことがある。一行が見知らぬ海岸の波打ち際に上陸するやいなや、そこに跪いて敬虔に祈りをささげた、その感動的なシーンをいまだに忘れることができない。
       ザビエルのような福音宣教の熱に燃える聖人が、はじめて日本の海岸に降り立ったとき、まず熱心な祈りを神にささげなかったということは考えられない。またとくに史実として資料の裏づけがなくとも、その大祝日に当たった聖母に向かって、宣教のよき効果のためお取り次ぎを願わずにすませたとは、到底思えないのである。
       ともかく、聖人の祈りと聖母のお力ぞえによって、日本の布教はまずいちじるしい成果をあげた。が、間もなく為政者によるおそるべき迫害が起こり、教会史上に例のないほどの殉教の哀史がつづられることになった。
       聖母のお涙は、人々の眼には見えなかったけれども、そのときから、無数の殉教者とともに、日本の上にそそがれていたのではなかろうか。
      秋田における殉教
       先にしるしたごとく、姉妹(シスター)笹川を通じての天使のお告げの中に、「聖母が秋田のこの地をえらんでお言葉を送られたのに…」とあるところから、私は秋田の地に先に蒔かれていた恩恵の種をさぐる心で、秋田殉教史をひもといてみた。キリスト信者ではない著者武藤鉄城氏の労作「秋田切支丹研究・雪と血とサンタクルス」から、以下少し紹介したい。
       「寛永元年(一六二四)六月三日、ついに秋田キリシタン史の悲しき記念日、秋田藩最初の殉教の日が到来した。
       六月三日
        一、御城御鉄砲にて罷出候
        一、きりしたん衆三十二人火あぶり、うち二十一人男、十一人女
        一、天気よし
       これが、信者たちから鬼のようにおそれられた奉行、梅津半右衛門憲忠の弟政景の、その日の日記である。しかもこの大殉教をわれわれに教える日本における唯一の記録である。…
       そえにしても最後の『天気よし』の一語が、三百年も過ぎた今日でも、私たちの旨をなんと強く打つことであろう。
       十字架に釘付けられた幾十人もの信者を生きながら焼く煙の、ほのぼのと炎天にのぼる光景が瞼に映るではないか。…
       クラッセの”日本西教史”には、その日の光景を次のように描写している。
      …宗徒すでに刑場に達するや、一人ごとに柱に縛し、少許を隔て薪を積み、これに火を放てり。ここにおいて各人同声救主の救援を希願し、皆一様に天を仰ぎ救主を呼んで死を致し、殉教の素願を遂げたり。…
       殉教者の遺骸は三日間人をもってこれを守らしむ。ここに不思議なるは、夜間天光明を放つといひ出者あり。はじめこれを見認めたるは守衛にして、その者よりして基督信者に告げ、ミナの人は霊妙なる示現を見んとして、夜中屋瓦上に登る者もあり。第三夜に至り密雲天を覆ひ、降雨甚だしきに観者三百人に過ぐ。これによって基督信者は弥々信心肝に銘じ、異教者はただその奇怪に驚くのみ。
       ジアン喜右衛門が柱に縛せられたる時、その懐中より一書を落とせり。その記する所は実に聖母を信ずるの深きを見るに足る。よって一語を略せず左に陳述す。
      『至神至聖なる聖母、余がごとき不似の者にして聖子基督を信じ、その恩を謝するを得たるは実に聖母の仁慈に出づるを知る。
       仰希す。余の妻、余の子ら地獄に陥るの苦を救ひ、なほ余らをして死に至るまで信心を失はざらしめよ。
       聖母、余は実に怯懦なり、いづくんぞ大苦難に堪ふることを得ん。希ふ所は聖子救世妙智力を施し、もつてこれに克つを得せしめんことを。余や地獄に堕つるをおそれ、ために聖母に救苦を祈るものにあらず。ただ身を炙肉となして供祭せらるるを願う者なり。至仁なる聖母、幸に余の祈願を放棄するなく、余および余の妻子およびど同社の夥伴を保庇して、死に至るまで信心を聖教に強固ならしめよ。
       余は日本において奉仕する聖教と、これを聞き、これを修めて倦むことなき師父らの事を至心渇望す。これらをみだりに祈請するは実に僭越粗暴たるを知るといへども、かつて聖子耶蘇は架上にありて聖母をもつて衆生の母となす例あり。これ余が恐懼を顧みず、この懇請をなす所以なり』
       右と同じ日の光景を、パジェスの”日本基督教史”にも記録されている。…」
       このような殉教者を出した土地柄の秋田を聖母がえらんで、お言葉を賜り、お涙を流されたのも、理由のないことではない、と思われる。天使はつづけて、「恐れなくてもよい。聖母はおん自ら手をひろげて、恵みを分配しようとみんなを待っておられるのです」と保証される。
       このたのもしい促しにさえ、われわれは真剣に耳を傾けようとしないのであろうか。
      日本の再布教
       殉教の血にいろどられた二五九年を経て、ようやくフランスのパリ外国宣教会の一員フォルカード師が、日本の再布教を志して渡来した。一八四四年五月一日、琉球の那覇港に到着した彼は、軍艦内の病室でミサを捧げ、感謝の祈りにつづいて、”聖母の汚れなきみ心”にこの新布教地を奉献して祈った。この祈りを、少し長いが、浦川和三郎師著の「切支丹の復活」(前篇)から左に引用紹介しておきたい。
       「ああマリアの至聖なる聖心(みこころ)、諸の心の中にも至って麗しく、清く、気高き聖心、善良柔和、哀隣、情愛のつきぬ泉なる聖心、諸徳の感ずべき奥殿、いと優しき美鑑なる聖心、ただイエズスの神聖なる聖心に遜色あるばかりなる聖心よ、我はきはめて不束なる者なれども初めてこの琉球の島々に福音宣教の重任を託されたるにより、我力の及ぶ範囲内に於て、この島々をば特に御保護の下に呈し奉り、献納し奉る。その上、いよいよ布教を開始して、その基礎を固め、この島人を幾人にても空しき偶像崇拝よりキリスト教の信仰に引き入れ、一宇の小聖堂にても建設するを得るに至らば、直ちにローマ聖座に運動してこの国を残らず、公に又正式に御保護の下に託すべきことを宣誓し奉る。
       ああ慈悲深きマリアの聖心、神聖なるイエズスの聖心の前に於ていとも力ある聖心、何人たりともその祈祷の空しかりしを覚えしことなき聖心よ、卑しき我祈願をも軽んじ給はず我心を一層善に立帰らしめ、数々の暗黒に閉され居るこの心の雲霧を払ひ給へ。我は大なる困難、危険の中に在るものなれば、願くは、謙遜、注意、鋭智、剛勇の精神を我が為に請求めさせ給へ。全能、哀憐の神なる聖父と聖子と聖霊とはこの賎しき我を用ひて『強き所を恥ずかしめ、現に在る所を亡し(コリント前一、二八)』幾世紀前より暗黒と死の蔭とに坐せるこの民をば福音の光と永遠の生命とに引き戻し、之に立向はしめ、辿り着かしめ給へ。アメン。」
       その後日本の政治の流れも変わり、鎖国の長い眠りも破られ、切支丹迫害の血なまぐさい歴史も一応幕をおろした。しかし、迫害が止んだからといって、日本のキリスト教化がたちまち進展するものでもなかった。むしろ遅々として、布教の効果は一向にあがらないのが実情であった。
       やがて、日本民族にとって有史以来最大の惨事ともいうべき大東亜戦争が起こり、ついに広島・長崎の大いなる犠牲をもって終局を迎えたが、一九四五年のその記念すべき日が、八月十五日という聖母被昇天の祭日であった。このことは、終戦当時九万そこそこのカトリック信者に、神の摂理による暗合を思わせ、聖母とのゆかりをあらためて想起させるものであった。
       このとき、日本の司教団は一致して、先に述べたフォルカード師の範にならい、「聖母汚れなき聖心に日本を捧げる」ことを決議し、信者たちにもその信心がすすめられたのであった。
       ところで、一九七五年一月四日、聖母像から三回も涙が流された日に、天使から姉妹笹川に告げられた言葉の中に「聖母の汚れなきみ心に日本を捧げられたことを喜んで、聖母は日本を愛しておられます。しかし、この信心が重んじられていないことは、聖母のお悲しみです」との指摘がある。
       昔から、神のおん母、人類に賜った母、聖マリアを愛し尊ぶ聖母信心は、教会の伝統から言っても聖書に照らしてみても、もっとも正統な、いつの時代にも重んずべきものであった。先の切支丹たちも聖母への信心によって、過酷な迫害に堪え、殉教をとげる力を与えられていたのであった。そのように、聖母はいつも日本を愛し、日本民族を心にかけてこられた。その聖母が、なぜ今涙を流されるのであろうか。
       「聖母の汚れなきみ心に日本を捧ぐる祈」*1 は、今でも”公教会祈祷文”の二四一ページに、そのまま記載されている。しかし、もし誰かが、天使のような眼力をもって、現在の日本のカトリック教会をくまなく見わたしたとしたら、どこかでこの祈りが唱えられているのを発見できるであろうか。口に出して唱えぬまでも、この心を忠実に保って聖母信心にははげんでいる教会を、いくつか見いだせるであろうか。
       こんにちでは、聖母を通して神にお恵みを願うことを、軽んじるばかりか、あたかも迷信か邪道のように言う人さえ、稀ではない。それに対しては、まじめに論議をまじえる前に、まず理解に苦しむ提言、といわざるをえない。
       第二バチカン公会議は、聖母信心に関して、はっきりと言明している。
      「すべてのキリスト信者は、神の母、および人びとの母に対して、切なる嘆願をささげ、教会の発端を祈りをもって助けられた聖マリアが、すべての聖人と天使の上にあげられた天において、今もなおすべての聖人の交わりのうちで、御子の許で取り次ぎを続けて下さるよう祈らなければならないのです」
       聖母は、この公会議の条項が少しも信者たちにかえりみられないことを、泣いておられるのではなかろうか。
       先の天使のお告げのつづきに「あなた方が捧げている”聖母マリアさまを通して、日本全土に神への改心のお恵みを、お与えくださいますように!”との願いをこめての祈りは喜ばれています」とのはげましの言葉がある。
       この祈りは、聖体奉仕会において、毎日の聖体礼拝中、ロザリオの祈りに先んじて提示される共同祈願の意向の第一として唱えられるものである。
       日ごろ姉妹たちと口にし馴れたこの祈りが、聖ザビエルにはじまり、フォルガード師から日本司教団へと受けつがれてきた由緒ある、聖母の御心にかなった日本民族のごあいさつであり、敬愛と信頼をこめたすぐれた祈祷であることに、今さらに気づき、感慨をあらたにした次第である。
      *1 聖母の汚れなき御心に日本を献ぐる祈り (毎年聖母の汚れなき御心の公式の祝日に之を唱う)
        いと潔きあわれみの御母、平和の元后なる聖マリアよ、
        われらは聖なる教会の導きに従い、今日、日本および日本国民を
        御身の汚れなき御心に奉献し、そのすべてを御身の保護に委ね奉らんと欲す。
        願わくは聖母、慈しみの御まなざしもて われらの心をみそなわし給え。
       
        ああ、人々 真理にうとく、その心くらみ、罪の汚れに染み、
        諸国はまた互いに分かれて相争い、天主の霊威を傷つけ、
        御身の御心を悲しませ参らするなり。
       
        されどわれら日本国民は、ひたすらに光をしたい、平和をこいねがうものなれば、
        願わくは聖母、御あわれみの御心をひらきて、われらの願いを聞き給え。
        われら今、この世のすべての苦しみ、悩みを雄々しく耐え忍び、
        そを世の罪の償いとして、天主に捧げ、その御怒りをなだめ奉り、
        わけても御身の汚れなき御心にならいて、主の御旨を重んじ、
        身を清く持して、聖なる一生を送らんと決心す。
        願わくは聖母、力ある御手をのべて、われらの弱きを助け給え。
        
        かくて、われらは同胞、相互いに助けはげまし、諸国は正義と愛のきずなもて結ばれ、
        もって世界は、 とこしなえの平和を 楽しむにいたらんことを望む。
        願わくは、御身、慈母の愛もてわれらを護り給え。
        天主の聖母、われらのために祈り給え。
        キリストの御約束にわれらをかなわしめ給え。
        祈願 
       全能永遠なる天主、主は 童貞聖マリアの御心のうちに聖霊のいみじき御宿をしつらえ給いたるにより、 
      願わくは、御あわれみをたれて、かの汚れなき聖母の御心に日本を捧げ奉りたるわれらをして、主の聖心にそいて生くるを得しめ給え。
      われらの主キリストによりて願い奉る。 アーメン。

      聖霊の証し

      2015.07.27 Monday

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        安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

        第二章より

        聖霊の証し

         《わたしが父のもとからあなたたちに遣わす弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来られるとき、この方がわたしについて証をなさる》(ヨハネ15・26)
         イエズスがこの見える世界を去って見えない父の世界に行くとしても、弟子たちに父のもとからわたしの代わりに他の弁護者を送って来るので、あなたたちはそれほど心配する必要がないと力づけて、彼が来るとこれまでどおりイエズス自身とその教えについてもっと詳しく述べ力づけて証明してくださると約束している。その方はただの人間ではなく、神性をそなえた真理の霊であり、神の愛の位格ペルソナであると保証する。その方はわたしと同様に三位一体の霊であり愛のペルソナ位格であり、父と同様に聖霊というべき方であると教える。聖霊のペルソナは賜物の形態をもって天から下って弟子たちの心に、それぞれに自らの働きかけをもってイエズスご自身がなされたのと同様に真理の光を注ぎ込み、はっきりと神の言葉の中に隠されている真理を了解させてくださると言うのであった。二千年の歴史を経てもそれは変わることなく今日のわたしたちにおいても、キリストの救いの言葉を受け入れて当時の弟子たちと同じように現代のキリスト信者、弟子になれば、聖霊に導かれて信仰の生活を続けていることになる。現在、全世界においていろいろな教派の形でキリストの福音がのべ伝えられているが、それを聞いて入信する者は少ないと聞いている。世界をおおっている科学的無神論の教育の場では、神の愛の霊の働きをあらわす心が消えてしまっているようだ。聖霊の証しである賜物を受け入れてそれに従う心をもたず、世のさまざまな快楽に心の耳を傾けて無神論的主張をかかげて生きる者たちには、神の言葉は生きて実を結ぶ余地がない。真理を退けて自分たちの肉の欲の快楽をあたかも真理として選びとっているのであっては霊の実を結ぶものではない。それは真理を愛して生きることではなく、暗闇に従って歩むことであって、やがては世の滅亡と共に滅び去るものである。人間の最終的死はどう見てもこの世の滅びである。この世を支配しているものがあるとすれば、暗闇の霊であり、光ではなく神に背く不義の霊であり、真理の霊でなく、滅びの霊である。人が救われる真理の霊はキリストが父のもとから遣わす霊以外にはないのである。

         《また、あなたたちも証しをするであろう。初めからわたしと一緒にいたからである。》(ヨハネ15・27)
         イエズスの人格というべきペルソナは、もともと三位一体の神の子のペルソナであって、神性に属するものである。しかし、この世に属していないその神の子が聖母マリアの子どもとして生まれ、人間の歴史の中に入ってきてわたしたちと同様に人間生活を営んだのである。
         わたしたちは一人ひとりが現世の歴史的存在であり、その歴史的事実を証明することができるので、幽霊のような架空的なものではない。文明社会においては国家による戸籍登録などがその証明となる。
         二千年前のイエズスの誕生を聖書に基づいて見ると、ヨセフとマリアがローマ総督アウグストの勅令によって戸籍調べのために、故郷のベツレヘムに上がったときにマリアが産期が満ちてイエズスを産んだと記録されている。これはもともと人の目には見えない神の子が、見える人類の歴史の中に現実に入ってきたことを意味するものである。全世界の人間はいまやキリストの誕生の日を世紀元年として用いている。イエズスが人類の救い主として天の御父から遣わされてきたことを、歴史的人物として世界の人びとに紹介されることも必要であった。それでイエズスはこの世で父からの使命を果たすために、福音の宣教を開始すると同時に弟子たちを呼び集めて、彼らに自分と同じように特別の使命を与えて使徒に任命するのであった。この使徒たちはイエズスと一緒に寝食を共にしてほぼ三年間も訓育を受けたのである。最後の晩餐もこの十二人がイエズスを囲んで席についていた。しかしこれまでの自然的訓育では、霊的に言えば十分ではなかった。イエズスの人性と神性を一応理解して信仰に入ったとはいえ、霊的にはまだまだ幼い子どもであり、超自然の恵みに欠けるもの足りなさがあった。
         彼らは特別な恩恵、天の能力、三位一体の聖霊の賜物が着せられて、はじめて神の子である救い主また贖い主となるべきものをわたしのように、人びとに紹介して証明するようになるとイエズスは約束する。将来イエズスをこの世に証明するためには、師イエズスと同じように自分の血を流して殉教することになるとほのめかしているようだ。
         ペトロの後継者であるローマ教皇の存在を見るに、二千年前も今日の紀元二千年においても歴史的存在としてキリストの代弁者として見ることができ、無神論の現代においてもキリストの人性と神性を証明する唯一の使徒として見ることができる。 

        互いに愛し合いなさい つづき

        2015.07.24 Friday

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          安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

          第二章 
           互いに愛し合いなさい つづき

           《もう、わたしはあなたたちを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか、知らないからである。わたしはあなたたちを『愛する者』と呼ぶ。父から聞いたことはすべて、あなたたちに知らせたからである。》(ヨハネ15・15)
           僕と呼ばないで、これからは愛する者(友人)と呼ぶと言って、そのわけを弟子たちに説明する。僕と友人との差異はどこにあるのかと問うならば、同じ人格をもつ人間であっても、僕は一段と低い身分であって、主人と対等にできる相手ではない。一方的に命令に服従しなければならない義務がある。いわば奴隷であって命の保証もなく自由も権限もない。弟子たちはこれまでイエズスに一方的に教えられ教訓に服従してきたのであってその観点からみれば、僕と言える。福音を聞いて喜んで主に従い、神の言葉をそれなりに実行してきた彼らの生活は、この世に天から遣わされてきたイエズスの人間生活となんら変わるものではなかった。その点からすれば主の兄弟であると言っても差し支えなかった。イエズスがいつかある所で説教したのを聞いた婦人は、感動のあまり「あなたを宿した胎よ、あなたの吸いし乳房よ」と称賛を送った。それを聞いてイエズスはそばにいる弟子たちを指して「むしろ幸いなるかな、神の言葉を聞いてそれを守る者たちよ」と訂正したのである。
           キリストからすれば、御父の言葉を聞いてそれを忠実に守って生きる者は、キリストと同様に神の子の資格を得るもので、世に遣わされてきたイエズスの人間性と同じ兄弟の身分とみなすべきである。イエズスがこの世に御父の福音をのべ伝えるために来たのは、たくさんの友人をつくって、御父の意志をこの世に成し遂げて、兄弟となる愛の実を結び一緒に父の家に帰るためであった。イエズスは十字架の受難と死を通して、わたしたちに罪のゆるしを得させて友人とみなし、兄弟愛をもって神秘体を実現し、終わりの日を期して肉体の復活をもって完成するのである。これら一連の御父の救いの神秘的計画を弟子たちに知らせたので、もはや僕ではなく友と呼ぶことにした。その真理は世に隠されたものである。

          《あなたたちがわたしを選んだのではなく、わたしこそあなたたちを選んだのである。わたしがあなたたちに使命を与えたのは、あなたたちが出かけて行き、実をみのらせ、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたたちがわたしの名によって父に願うことは何でもかなえていただけるようになるためである》(ヨハネ15・16)
           この言葉ほど弟子たちにとって意義の深いものはほかにないだろうと思われる。今日のわたしたちの間では、わたしたちが学びたいことがあれば、それに熟練した博識な師を選んでその人から知識や技術を受けるのが常識である。それに反して、イエズスが自由の選択によって、なにも知らない弟子たちを選んだと言っている。これは人間の意志が先行しないで、神の意志が先行して神の国を建設するものであると教えていることになる。神の計画があってその計画を実現するために、人材として呼ばれる人、選ばれて働く人たちがある。イエズスの弟子たちはちょうどそのように働くために選ばれた人たちであったと、晩餐の席において今まで隠されていた真理をあらわして言うのである。
           だが神の選択の意志が先行して呼ばれていても、それに応じて答える人間の意志がなければ、弟子として成立しない。イエズスはこれまで述べてきたように、御父から遣わされてきて、弟子たちをこの世の生活から招いて選んだのであると秘められたことを告げる。それは結局、御父から招かれたことになり、新しい神の国を建てるために働くように召されたことになる。イエズスが御父から与えられた使命を全部果たして御父のもとへ帰るとすれば、やがれ弟子たちはこの世に残されて後をつぐことになる。弟子たちの使命は、イエズスの名のもとに働くことであって、それは、たとえて言えばぶどうの木の枝が、生命があるかぎり、季節になるとたくさんの実をつけるように努めるということである。しかしその霊的なぶどうの実はこの世の自然のぶどうの実のように消滅しないで、永久保存のできる天国という宝庫にたくわえられる。
           そのことについてイエズスの名によって願いなさいというのであるが、それは救い主である神の子の生命に霊的に完全な一致をもって御父に願うことを意味している。イエズスの生命に少しでも欠けたところがあったなら、生命とは微妙なものであるから、実をつけることはない。イエズスが弟子に与える使命には、少しでも信仰に欠けたるところがあってはならないと注意を促している。ここにはイエズスの弟子に対する全身全霊の信頼があらわれている。

           《あなたたちが互いに愛し合うこと。これがわたしの命令である》(ヨハネ15・17)
           イエズスによってこの世から選び出され、神の国のために働く使徒となった弟子たちは、相互いに愛し合うことを、厳しく命じられている。これからイエズスの十字架の死をもって贖罪の恵みにあずかり、つづいて復活の生命に呼ばれて新しい生命の人となったキリストの神秘体に召されて生きるべき者たちは、もともと自然の生命に支えられて生きているとはいえ、霊の生命のもとにキリストと共には働くことになるのである。彼らは信仰のうちに神の子キリストの生命を着て働く者であり、そのためにこの世から選び出された者である。天の御父が三位一体のわが子をこの世に遣わして働くようにしたことと同様にキリストの死後、弟子たちをこの世に残して福音のために働くようにしたのである。弟子たちの使命は神の子なるイエズスと全く同じ使命であり、その使命をこの世で忠実に果たすためには、主の恵みと力は不可欠である。
           イエズスは最後の晩餐の席において、大事な最後の教訓、掟を与えた。そして、弟子たちがイエズスとしっかり結び合って一本の太い同じ生命の綱につながれて生かされているかぎり、互いに結び合う愛の力が働くのであると言う。わたしたちが自然の命に生きて、どのように兄弟愛に結ばれていても、いったん利害関係の対立が起これば、親子兄弟と言えども命をかけて争うことにもなる。
           神の生命に基本をおいて、兄弟となったイエズスの弟子たちは、三位一体の三つのペルソナが相互いに異なるとはいえ同一である神性のうちに相互いに愛し合っているように、互いに愛して生きなければ、キリストの愛に留まることはできない。また互いに争うことがあればすべてもろともに滅びてしまう。イエズスの新しい霊的な生命に生きる者には、互いに愛する掟の基本がそれぞれの心を貫いていなければならない。イエズスは少し前に、友のために命を捨てるほどの大いなる愛はない、と言って争う命を捨てることが大切であると諭している。
           神の愛は敵であろうが、味方であろうがその人格の存在がゆるされているかぎり、その本質は状況の変化に応じて変わるようなことがない。イエズスの愛はそのまま神の愛の反映であって鏡のごときものである。彼は晩餐お初めに、わたしがあなたがたを愛してきたように、あなたがたも互いに愛し合いなさいと命じている。人間の自然的愛は、対象いかんによって目まぐるしく変わるものであって、この世の世界にあって絶えず闘争をくりひろげているが、イエズスの弟子たちが神の国の世界に生きようとすれば、相互いの愛の掟を厳重に守らねばならないのである。
           

          第二章 互いに愛し合いなさい

          2015.07.22 Wednesday

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            安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

            第二章
             互いに愛し合いなさい

            《わたしがあなたたちを愛したように、互いに愛し合うこと、これがわたしの掟である》(ヨハネ15・12)
              最後の晩餐の席上でイエズスははじめて、弟子たちに相互いに愛することを掟として強調した。これはありきたりの人間愛の勧告ではなくて、強い聖なる命令として与えられた。少し前にも、イエズスが御父の掟を守って彼自身が父の愛に留まったことを裏づけて、あおいっそうの厳しさを混じえて教える。これから弟子たちをはじめとして、全人類の罪を贖う十字架の死がやってきても、それを拒むことなくイエズス自身が御父の愛の掟として従順に受け入れて、御父の意志を完全に成し遂げることをほのめかしている。それと同時に、たとえ弟子たちの中にこれまで敵となって争う仲間があったとしても、相互いのゆるし合いと愛の実行に踏み切る必要があると言って掟として与えた。それらをもってわたしの愛に留まることになると諭すのである。
             そういう意味であれば今日のわたしたちも、キリストと共にわがままな私情を十字架にかけて殺して従うほかはない。キリストの愛は純粋で、わたしたちのように肉欲の感情におぼれ、とらわれたものではなく、すべて聖霊の働きに服した愛のいとなみである。その深いわけを尋ねれば、三位一体の神聖なる愛がキリストの人性のうちに少しもそこなわれずに顕現されたものだからである。わたしたちには、自己の肉の愛欲に基づいて、つねに他人をうらやみ敵として、ライバル意識をもってわが身を守るという仕方で生きる肉的性質がある。これまで弟子たちと生活を共にしてきたキリストの愛は、三位一体の神の愛が実現化したものである。十字架上の人類の罪を贖う愛は、三位一体の愛が人間たるキリストの人性を通して完全に実現化されたものと見ることができる。
             わたしたちが生まれながらにして自己愛に染まって、絶えず他の相手を意識し、自己に反する者を敵として扱い、仲たがいをし、あるいは他人を意をもって征服し、満足して生きがいを感じるのはどうしたことか。それは明らかに愛の破局であり、三位一体の神性の愛とはうらはらに相いれないものである。三位一体の神の本性は、神聖なる愛そのものであるがゆえに、完全な真理に基づいているので、無限の正義に満たされていると考察される。人間の肉的愛欲は神の正義に基づくものではなく、被造物の獣的肉欲と精神的高慢に基づいているので、神の正義の点からすれば、神意に背くもので神の怒りを招くものである。それをおもんぱかってイエズスは、わたしが愛したように、互いに愛しなさい、とすすめたのである。この言葉は神の愛の本質をあらわすものと見なければならない。

             《愛する者のために命を捨てること、これ以上の愛はない》(ヨハネ15・13)
             イエズスが言われた言葉、「愛する者のために命を捨てる」には深い意味がある。この世に生まれてくる人間は生まれながらの自分の命を大切にする本能があり、そのように育てられてきた。人にとって自分の命ほど高価な宝はなく、命を失うことはなにもかも失うことであって全世界を失うことを意味し、たとえ豊かな金銀宝石財宝があっても命がなければすべて無に等しいものである。人にとっては命ほど高価なものはなく、それに代わるべきものは絶対に存在し得ない。それほどかけがえのない命を、他人である愛する者のために捨てるということは、なにかそれに代わる理由がなければならない。神の大いなる愛に仕えて死ぬのであれば、これこそ最大級の愛と言うべきものである。これは神の愛に真に生きている人びとのみができることであって、自己愛にとらわれている者には決してできない。イエズスは、神の愛をもっている者だけが可能である、と言っている。人となってこの世に降った神の子イエズス自身は神の愛をこのように最後の晩餐で弟子たちに披露して、模範を残している。
             愛というものに、また愛する人に自分の心を与えれば与えるほど真の宝物となって輝くものである。自分の命を与えて死をもって他人を生かす愛はあり得ないのである。一般に友人の間では、自分の親愛なる心を与えたり受けたりすることで喜びを感じるものである。親友同士の心の交換によって愛は成立するものである。動物には霊の働きがないので本当の愛は成り立たない。人が個人的自己愛にこもって、他人をないがしろにしてふるまう場合も愛は成立しない。個人主義を重んじて社会生活をしたり、他人はどうであろうとも、自分さえよければ満足して喜ぶなど、現代では、個人主義の思想が自由と権利の両翼をつけて怪物のように飛びまわっている。個人主義という思想は自分の自由を尊重し、自己愛に基づいて出発した自由思想であって、神の愛に対して独立を宣言し、やがて無神論の世界の海を泳ぎまわる生活へと導く。極端な個人主義に生きる者は神もなければ他人もない思想に行きつくのである。
             キリストの愛は、神から出た愛であって、人なるものは皆兄弟であって、神の愛に生かされている。その兄弟なる他人、友人の救いのために自分の生命を十字架にかけて、兄弟の罪とその罰を引き受けて死ぬのであるとイエズスはほのめかしている。この言葉がどれほど意義の深いものであったのか、その時の弟子たちには少しも理解できず感動も愛の心をも呼び起こすことはなかった。
             詳しく言えば、キリストの愛は兄弟なる人びとのために、命を捨てて人ひとりの罪を絶対無限なる正義の神の前に、償いとなる贖いの犠牲として十字架の苦しみと死を甘んじて受けさせたのである。わたしたちも皆このキリストの贖罪によって罪がただでゆるされ、神と和解して新しい永遠なる神の子の命を、キリストの復活を通して与えられるのである。その愛は洗礼の秘跡の神秘のうちに深く閉じ込められている。神の子、イエズスは友のために命を捨てるという愛以上のものはないと断言している。

             《わたしが命じることを行うなら、あなたたちはわたしの愛する者である》(ヨハネ15・14)
             今ここでイエズスが命じたことはどの言葉を指して言っているのか、福音書を開いて見れば守るべきイエズスの言葉はすべてであるので無数に近いほど見受けられる。人間は誰にもできない不可能なことを命ぜられればあきらめるしかない。しかしわたしたちも、またそれを聞いた弟子たちも自然の力、自分の能力である人間本来の能力で、彼の命じた言葉を守ることができる。また努力すれば努力するほど達成することができると思われる。最後の晩餐の席でイエズスの命じたことは、弟子たちがお互いに愛すること、敵さえも愛することで、それには自分の命を捨てて愛することであると言っているようである。イエズスの愛は自分を犠牲にして天父にささげて神との正義の和解をもたらして罪人なるわたしたちを神の愛する者としたのである。キリストの十字架の死は、一人ひとりの罪のための死であって、人類という集団の罪のためではなかった。罪というものは個人の独立した人格の自由意志の選択に基づくもので、人さまざまの意志行為に応じて罪となる。罪は集団的集まりとして犯されたものであっても、神の前には独立した一人ひとりの罪として問われるべきものである。キリストは十字架の死をもって世界人類の罪を贖ったが、集団として一人ひとりの罪が皆に一様にゆるされたわけではない。一人ひとりが贖いの効果を受けるためには、改心してキリストの罪の贖いの真理に基づいて愛を信じ、受け入れて洗礼を秘跡を受けねばならない。これによってはじめて救いが神の正義の前に成り立つのである。
             神の正義の前に一人ひとりが親しくキリストに結ばれることは、世界が始まって以来なかったことである。自然的な生き方をするわたしたちが、自分の判断のみを根拠にして、いくら自分の行いは正しいと主張し、弁解しても、神の前に正義が成立するはずはないし、神の親しい友となることもできない。
             キリストの愛とは、神の汚れない神性の愛のことであって、これを持つ者はすべての兄弟を友人としてもっており、神に背く人間の自己愛、肉欲の愛、兄弟を対立する敵として争いを起こさせるようなものではない。そのような人間本来の愛は、やがて自然の肉的生命が滅びると同時に消えてなくなる愛である。イエズスが語ったのは神の神聖な愛に生かされてこそ、わたしの愛する者であることができるということなのである。
              

            30 マルタ、マグダラのマリア、シンティカとの別れ

            2015.07.20 Monday

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              マリア・ワルトルタ著作による『マグダラのマリア』フェデリコ・バルバロ訳編 あかし書房 1984年より

              「編集者のことば」
               イエズスの弟子たちの一行は、大したことは何もできなかったのに、なぜカイザリアまで行ったかについて、いろいろ不平を並べている。
                   *      *      *
              「それほどの道のりを歩いたのは、何のためだったか」とペトロが言う。
              「そうだ、そうだ。カイザリアでは何の説教もしなかったし、ローマ人たちを説得するために何か特別な奇跡でも行うかと希望していたのに何もなかった」とゼベデオのヤコボが言う。
              「私たちは皆のからかいの的になっただけです」と言うトマの言葉にケリオットのユダが加える。
              「それに私たちをいろいろの苦しみに遭わせた。しかし、彼は侮辱されるのが好きらしいが、私たちもそれを好きだと思っているのか」
              「実をいえば、この場合本当に苦しんだのはテオフィロのマリアだったと思う」と静かな調子で熱心もののシモンが言う。
              「マリア! マリア! マリア! マリアが世界の中心となったのか。苦しむのは彼女だけ! すばらしいのは彼女だけ! ますます聖徳に近寄るのは彼女だけ…。私もそれほどの親切の的となれると知ったならば、泥棒、人殺しになればよかった」とケリオットのユダが憤慨して言う。
                   *      *      *
               ここにペトロが堪忍袋の緒を切って言う。
              「マルジアムを私にまかされた時に、私はイエズスや皆に対してお父さんのようになると約束したが、その約束を守れないことが本当に悲しい。しかし、忍耐を失わせるのはおまえだ」とユダに向かって言う。
              「私たちのグループの中に、不和をもたらすのはおまえだ。イエズスが、私たちは心を一つにせよ、と言われたが、エルマステオのことで、シンティカ、マグダラのマリアのことで、分裂のたねをもってくるのは、いつもおまえだ。反省して恥を知れ」
               婦人たちと一緒に先へ行っていたイエズスは、そのいざこざを聞いて足を止めて皆を待つ。
              「私たちの口喧嘩を聞かれた。今、どんなに悲しんでおられるでしょう」と使徒ヨハネが言う。
              「いや先生、戻る必要はありません。私たちは道のたいくつをごまかすために、ただちょっと議論をしていただけです」とトマが言う。しかし、イエズスは皆が来るまで止まって、
              「何のことで議論していたのか。婦人たちの方がおまえたちよりもずっと素直で良い、ともう一度言うべきか」
               やさしい、とがめのために、皆、小さくなって頭を下げる。自分たちを弁解するために、あるいは他人に責任を負わせるために何を言ったらいいのか分からないので皆、黙っている。
               水のない川の橋のそばに、ラザロの姉妹たちの車が止まっている。二頭の馬が、小川の岸のよく茂っている草を食っている。マルタの僕ともう一人の御者と思われる人は河原に下りているが、婦人たちは幌馬車の中にいる。他の弟子の婦人たちが車を見て足を早め、僕は彼女たちを見るとすぐ乳母に知らせる。もう一人は馬を車につける。
               僕は地面までひれ伏して二人の女主人の前にお辞儀する。小麦色で愛嬌のある美しい年寄りの乳母が、急いで車から下りて主人の二人の婦人のところへ走る。しかし、マグダラのマリアに何か言われて、すぐ聖母の方へ行って詫びを言う。
              「おゆるしください。彼女にまた出会うことはどれほどの喜びか、私の目には彼女しか入らないのです。祝された者よ、どうぞいらっしゃってください。焼けるような太陽ですが、車には陰があります。」
               そして、相当おくれた男たちを待つ間車に乗る。シンティカが昨日、マグダラのマリアが着ていた服を着ている。マルタとマリアがシンティカに向かって、彼女は自分たちの奴隷でも女中でもなく、ただイエズスの名前で迎えたお客さんである、と言っているにもかかわらず彼女は二人の足に接吻しようとしている。
               聖母マリアが、先ほどもらった緋の小さい包み(1)を乳母に見せて、その短いひげ、羊げ毛のようなものは、どうして紡ぐのかと聞く…。
              「これは、そういうふうにして使うものではありません。それは粉にして、他の染め粉と同じように使うものです。これは髪の毛とか羊毛ではなく、貝の泡のようなものです。今、乾いているのでくずれやすい。それで、これを細かい粉にして、布にしみを作りやすい長い部分が一つも残らないようによくふるいにかけ、細かいものだけ残して使うのです。紡いだものを糸の綛(かせ)にして染めた方がよい。緋が細かい粉になったら、えんじ虫、あるいはサフラン、藍、他の木の皮や根の場合にするようにこれをとかして使います。最後のゆすぎは強い酢で染め色を止めます」
              「ノエミ、有難う。あなたが言ったようにしましょう。私は緋色に染まった糸で、刺しゅうしたことがありますが、それは使えるようにでき上がったものでした。…イエズスはもう近い、娘たちよ、もうお別れの時が来ました。主の御名で皆を祝福します。ラザロに平和と喜びをもって安らかに行きなさい。
               さよならマリア。あなたは私の胸の上に最初のうれしい涙を流したのを忘れないで。そのために私はあなたの母となったのです。なぜなら人は、自分の最初の涙を母の胸の上に流すものだからです。私はあなたの母であり、今からもずっとそうでありたい。あなたの最もやさしいお姉さん、最も愛深い乳母にも言いにくいことは私に言いに来てください。私はいつもあなたを理解するでしょう。あなたの中に見たくない人間的なことがまだまざっているために、私のイエズスにさえもあえて言えない、そのことを私に聞かせてください。私はいつでもあなたに同情するでしょう。そして、あとで、もしあなたの勝利を私に聞かせたいならば―しかし、あなたの救い主は私ではなく彼であるので、かおり高い花のように彼に言った方がよいと思うが―私はあなたと一緒に喜びます。
               さようならマルタ。今は、あなたは幸せそうですが、超自然であるこの幸福はあなたの中に続くでしょう。そのために、あなたの中に乱れることのない、その平和の中で絶えず正しいことに進歩するという必要のほかには何もありません。これをイエズスの愛のためにしてください。彼イエズスは、あなたをどんなに愛したか。あなたが全く愛している彼女をも愛するほどでした。
               さようなら、ノエミ。また、見つけたあなたの宝ものと一緒に行きなさい。あなたがかつて彼女に与えていた乳と同じように、今から彼女とマルタとが、あなたに伝えるであろう、そのことばによってあなたの飢えを満たし、こうして私の子を、人の心を悪から解放する抜魔師よりもずっと尊いものとして見るようになればよい。
               ギリシアの花シンティカ(2)、さようなら。自分だけで肉体にまさる何かがある、と感じるとったあなた、今、神の中で花咲き、そして、ギリシアの中で咲くであろうキリストの新しい花の中の一人であるように。
               私は、皆このように心を一つにして残すのはとてもうれしい。愛をこめてあなたたちを祝福します」
               足音がもう近い。彼女たちは重い幌を上げてイエズスが、もう車から二メートルしか離れていないのを見る。道を燃えるように照りつける熱い太陽の下に降りる。
               マグダラのマリアは、イエズスの足もとにひれ伏して言う。
              「すべてについて感謝しています。この旅を私にさせてくださったことも。あなただけには知恵があります。今は昔のマリアの汚れを落として出発します。ますます私を強めるために、主よ、もう一度、私を祝福してください」
              「そう、あなたを祝福する。兄弟たちが、あなたの喜びでありますように。そして私にならって、ますます成長することを、兄弟とともに喜びなさい。さようならマリア、さようならマルタ、ラザロに私の祝福を送る、と知らせなさい。この女を、あなたたちにあずけます。あなたたちに与えるのではない。私の弟子の一人です。しかし、あなたたちの方から、私の教えを理解できるように最小限度の知識でも与えるように望みます。あとで私も行く。ノエミ、あなたを祝福する。あなたたち二人も」
               マルタとマリアの目に涙が光る。熱心もののシモンは、特に彼女たちに挨拶し、そして彼女たちに自分の僕に宛てた手紙を託す。他の人たちは一緒に挨拶を送る。そして車は動き出す。

              (1)ケリオットのユダが前の旅行の時、ティロの漁師たちからもらったもので、特に聖母マリアに与えようととっておいたもの。
              (2)一人のシンティカがフィリッピ人への手紙(フィリッピ4・2~3)に出ているが同人物か、どうかは分からない。

               

              この世はあなたたちを憎む つづき

              2015.07.17 Friday

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                安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

                第二章 この世はあなたたちを憎む つづき

                 《わたしが来て、彼らに話さなかったなら、彼らには罪はなかったであろう。だが、今は、自分の罪について言い逃れができない》(ヨハネ14・22)
                 ここでイエズスの人間的な思いやりの心をわたしたちは深く味わうことができる。彼がこの世に天の父から遣わされて来なければ、また、その教えと行いがなかったならば、それらを聞いた者たちもまた奇跡としるしを見た人たちにも全く責任がないと言う。それは無知な人間にまことに同情的な言葉である。しかし、人間的に見てそうであるかも知れないが、唯一なる神の立場に立って愛の行為を受けた人びとの背きを考えると罪だけが残る。聖書に基づいて神の言葉をさかのぼって見ると、イスラエル人はアブラハムの時から神の約束を受けて召し出され、とくにモーセの律法を受けてそれらをことごとく守ると約束した民族であった。その場合も山を動かすほどの恐るべき奇跡と不思議なしるしを伴っていた。厳しい律法に導かれ、世界に住む民族の中にイスラエル人ほど唯一なる神の言葉と保護、しるしに従って生きた民族はなかったのである。その間、数々の預言者があらわれて自分の命さえもかけて神の言葉を伝えたのである。
                 二千年前に、三位一体の神が唯一の神の子であるペルソナを遣わして、イスラエル人の一人としてイエズス・キリストとならしめてこの世に遣わして語らしめた。また彼によって誰も行うことのできない無数の奇跡としるしを示して証ししたのである。だがイスラエル人たちはそれを信じることなく、かえってわけもなく憎しみの感情に支配されて十字架にかけて殺す、ということを予想してイエズスは弟子たちに言うのであった。それは彼らが知らないからと言って責任をまぬかれるものではなかった。明らかに人間的欲にとりつかれて、自己保存の自然的人間の自由な考えに支配されていたからである。
                 現代のわたしたちも福音の言葉が全世界にのべられ、キリストのことをまがりなりにも聞いているにもかかわらず、神などいないと傲慢な心になって真理の本源である神を否定し、わたしたちの罪を贖うために遣わされた神の子、イエズス・キリストを厄介なものとして退けるならば、どうやって救われることができるであろうか。人間が神を憎むようになった理由として、サタンの働きかけがあるのではあるまいか。迫害はすべてサタンのこの世の支配権が人間を通してあらわれたものであるようだ。

                《わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいるのである》(ヨハネ14・23)
                 三位一体の神は同一の神性を共有しているので、御子を憎む者は同時に御父をも憎むという真理が成り立つのである。それに反して御子を信じて受け入れて愛する者があれば、御父を具体的に見ることがなくても、彼を知ることになって、同時に御父の愛に生きていることになると言う。
                 最後の晩餐の席上での少し前に、フィリポがイエズスにあなたの父を見せてくだされば、わたしたちは満足ですと言ったのに対して、彼の無知をあたかも叱責するかのように、まだわからないのか、わたしを見る者は父を見ているのであって、それをまだ知らなかったのか、と責めた。その言葉の真理を現代のわたしたち一人ひとりにも適応して考える必要がある。わたしたちも二千年間にわたる教会の伝統の中に生きているが、使徒伝来の教理をはじめ典礼の遺産をもれなく受け継ぎ、七つの秘跡の恩典に浴しながらも、まだキリストの真実の姿を知らないで、御父を見せてくださいと願うであろうか。もし、真理そのものであるイエズスをよそにして、見える影や形にとらわれて、見える形の偶像のようなものに導かれているとするならば、それは単なる人間的信仰であって、迷信に近いかも知れない。聖霊に導かれてペトロやパウロがキリストの復活の信仰に立ち返って生きたように、あくまでも信仰は霊的で見えない神の言葉によって生きることなのである。
                 この世における幻視とかそれに類した不思議なしるし、現象があっても肉の感覚にまどわされることなく、神の言葉による霊的信仰をつねに堅持しなければならない。それゆえ、神秘体の頭であるキリストの生命にしっかりと結びついての信仰を強調したのである。同時にわたしたちが不信仰に陥って何らかの理由で彼を憎むとすれば、その人は父をも憎んでいると教えたのである。これは三位一体の神を考えて見れば当然な帰結でもある。
                 《ほかのだれも行わなかったような業を、もしわたしが彼らの間で行わなかったら、彼らには罪がなかったであろう。だが、今、彼らはその業を見た上で、わたしと父とを憎んでいる》(ヨハネ14・24)
                 イエズスの言葉は神の子自身の言葉をあらわすもので、福音の言葉は神の真理を表現する、神の光ともいうべき神性の輝きである。彼の言葉は全能の力をあらわして死者をもたちどころに生き返らせる奇跡を生じる。キリストは神の力をもっていかなる病人であってもまた身体障害者であっても完全な形で癒されるのである。彼の言葉には不能もなく、何ものも逆らえなかった。サタンや悪霊の力をもってしても彼の言葉に従わざるを得なかった。旧約の預言者たちも、モーセですらイエズス・キリストの業をしのぐものではなかった。そのことを指して、イエズスはだれも行ったことのない業をこの世に現実にしたのに、彼らはそれを見ているのに信じなかったと言う。その言葉を今わたしたちが現代にあてはめて考えるならば、キリストが十字架にかけられて死んで墓に葬られ、三日目に復活して弟子たちにあらわれたことが挙げられよう。教会は約二千年間にわたって歴史的証明を繰り返し続けているにもかかわらず、多くの人びとはこれを聞いても信じようとしない。キリスト教で言うキリストの復活は、未信者である自分たちには全く関係がないもので、それほど重要なものでないと言って、あくまでも無神論を唱えて世の生活を送っているのである。
                 ユダヤ教の人びと、大司祭たちはじめ司祭団、律法学士やその他の民衆がキリストを十字架にかけて殺したのであるが、その理由と言えば人間の諸欲に従って神の子である救い主、聖なる者を憎み、彼を遣わした父をも憎んだからであった。彼らは三位一体の神の業である自分たちへの救いをことごとく排斥したのである。二千年前のユダヤ教の人びとはキリストを排斥することによって、三位一体の神の救いの干渉を拒み憎んだことになるが、それは現代の科学の発展に伴って起こった思想である今日の無神論と変わることがない。彼らはいわば今日の無神論の前ぶれのようにキリストを排斥した。
                 今日わたしたちは物質文明をみだりに謳歌しているが、物質的科学が進歩を続ければ続けるほど神の存在やその働き、人間の救われることを無視するようになり、ますます無神論的になって諸欲のとりこになり、この世の快楽のみを追い求めがちになっている。宗教の分野においてもイエズスの言葉、神の言葉をただの人間が自由に自分の言葉に置き換えて、宣教していることもあるようだ。このような世界にはキリストと神の真の姿はなく、彼が真理の証明としてのべた御父である神を抹消していることになる。神が存在しない世界ではもっぱら人間がいかに自分が偉大であるかを示し、人びとの偶像となってあこがえのまとになることを願うのである。人びとの業とは違い、キリストの行った業は御父なる神の業であったので、教えにしても奇跡やしるしにしても聖なるものであり、それらとは無縁のものである。いまや人びとは自分のなす業があたかも神の業であるかのようにふるまい、自分を神に置き換えようと望んで、その邪魔になるとして、神を憎んでいるようだ。

                 《しかし、これは、『人々は理由なしにわたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が成就するためである》(ヨハネ14・25)
                  イエズスは人びとに理由もなく憎まれることについて、聖書の言葉、ユダヤ人が尊重している律法の言葉を引用して、預言的に弟子たちに教える。自然の人間には、毎日とる食物にしても他人に対しても好き嫌いがあったり、また人種的に異なれば差別をしたりする性向を持っており、そのために現代の世界においても民族間における戦争や争いが絶えない。人類は皆兄弟姉妹であると言うのはたやすいが、愛がなければ無に等しい。イエズスの場合はこの世に隠された神秘があってそのために迫害を受けることになった。イエズスの本性はまことに汚れのない人たる本性と永遠から輝いている神の本性の二つの部分を共に持って成り立っている。彼には少しもこの世の汚れとか人間の暗い部分が含まれていない。物質やエネルギーの光ではなく真理という霊の光である。
                 それに対して神の上知に反逆したサタンの悪がしこい知恵は、楽園において、蛇の形で表徴され、いかに外形は美しく見えても、内なる心の知恵において、神の言葉を自分の悪がしこさで変え、人祖をだまし不従順とならしめて、はじめて神を憎むものとならしめた。サタンの知恵は、聖書によって見るかぎり、神の知恵の働きに反抗して憎む性質がある。神の真理の光に対して不正の闇を装うものである。暗闇は光の欠如を示す哲学の論理であるが聖パウロの言葉によれば悪霊と呼ぶもので、空中を駆けまわってこの世を支配していると言う。
                 アブラハムの子孫と呼ばれるイスラエルの人びとでさえも誘惑にかかって罪を犯した。神の子であるメシア、救い主であったイエズス・キリストが出現しても、イスラエルの彼らはいわれもなく彼を憎んで十字架の死刑を求めたのである。
                 世界人類に対してイエズスの福音によって救いの教えが完全に説かれており、それは人間にとって唯一の希望と喜びと善となるべきものであったにもかかわらずそれを無視して、今なお無神論的世俗の快楽を追い求めて、人間は神の子であるキリストを憎んでいる。サタンの知恵は今なお働いており、この世から神の絶対的存在を抹殺するかのように働きかけ、また、人間の支配を、それが絶対的所有であるかのごとく考えさせるよう、人びとに見えないように働きかけている。神は世の存在をもともと無から創造されたが、被造物は神の外側とも言うべき時間と空間の次元のもとに創られた存在である。神の宇宙創造の計画から推し量って見れば、この世は一時的仮の世界であって、永遠の輝く世界を目的とした過ぎ去り滅び去る運命にあるものである。神は全知全能の計画のもとにやがて世界を新しく創り変えることを、世の終末として預言している。「被造物も、やがて腐敗への隷属から自由にされて、神の子どもの栄光の自由にあずかるのです。わたしたちは今もなお、被造物が皆ともにうめき、ともに産みの苦しみを味わっていることを知っています」(ローマ書8・21〜22)。これはこの世に属する者と神の国に属する者との対極的な運命をのべていることになる。 

                この世はあなたたちを憎む

                2015.07.13 Monday

                0
                  安田 貞治 神父著 『最後の晩餐の神秘』(平成十年 緑地社発行)より

                  第二章

                  この世はあなたたちを憎む

                   《もしこの世があなたたちを憎むなら、あなたたちよりも先にわたしを憎んだと知るがよい》(ヨハネ15・18)
                   人間がこの世に生まれてきて、天地創造の神と、神の子であるイエズスの存在を知るほど大事なことはない。神なる父から遣わされた神の子であるイエズスが本当の意味で神の姿であることを知るならば、世界人類にとってこれほど尊ぶべきことはなく、諸手をあげて歓迎してもしすぎることはないであろう。人類の歴史を見るに、人びとは自由の好みによって神々をつくり、それに拝跪していた。それらの恣意的につくられた神々を崇拝する人びとの中に三位一体の唯一の神の子が救い主となってあらわれて来て活動を開始すると迫害が起こるようになった。
                   聖書の記録によれば、イエズスの誕生の際に東方の博士たちの一行が不思議な星に導かれて、エルサレムのヘロデ王宮を訪ねたあと、聖書の預言に教えられて、ベツレヘムで救い主に出会って礼拝したのである。このことを知ったヘロデ王は、救い主を殺すためにベツレヘムの町の多くの幼子たちを皆殺しにしたと伝えられている。
                   またイエズスは最後の晩餐の席で、自分がこれから起こるユダヤ教の裁判によって死刑に処せられることを告げて、彼の福音を受け入れない者たちからあなたがたも全世界にわたって、それもこの世が終わるときまで憎まれ、迫害される運命にあると教える。
                   人類の始まりと同時に宗教は起こったと考えられるが、それ以来、数知れず行われた民族間の争いの中で、宗教も迫害を受けつづけた。歴史を見ると、唯一の神の教えであるキリストの福音、つまりキリストの教えを信じて殉教した者の数は、他宗教と比べて比較にならないほど多くある。二十一世紀を迎える今日でも、共産圏のみならず、民主国家の国でも、子どもたちの教育の場で、神の教えや神に関して教えてはならないと禁じているのは、世をあげてキリストの存在を憎んでいるといえるのではなかろうか。キリストがこの世を支配する者たちの憎しみをかっている事実は否定できない。善悪をよくわきまえている文化人でさえも、キリストを憎むのである。これはどうしたことか、神に問う意外ないと思う。その理由と言えば、神の存在を憎み、罪から救われたことを憎み、それから贖われることを忌みきらって、神なしの世界を自由に泳ぎまわって自分かってに生きることに自由の喜びを感じているためのようだ。それは昔の暴君のおごりの生活に倣うことである。
                   現代の人びとは科学的無神論を謳歌して、明けても暮れてもこの世の快楽を賛美して、享受している。弟子たちののべ伝える福音書の教えはこれらの生活に反するものであるため、憎まれると言う。弟子たちが世の人びとから憎まれるということは、キリストがそうであったことと一致するので、弟子は師にまさるものではないが、師と同様に完全であることを知って喜びなさいとすすめる。

                  《もしあなたたちがこの世に属していたなら、この世はあなたたちを自分のものとして愛したことであろう。だが、あなたたちはこの世に属しているのではなく、わたしがあなたたちをこの世から選び出したのだ。それだから、この世はあなたたちを憎むのである》(ヨハネ15・19)
                   簡単に言えば、イエズスが弟子たちを選んで世俗の生活から呼び出して神の道を歩むように神の言葉を聞かせた。その上、自分の模範に従って天の御父への道を歩むようにとすすめ、この世の所有物でないように切り離し、天の御父の意志を求めて自分に従うようにして、世に属する者の権利を捨てさせたのである。イエズスが最初に選んだ人たちは、ユダヤ教に属する司祭たちとか律法学士のようなファリサイ派の人たちではなく、ガリラヤ湖畔に働いている漁師であったペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレと言った無学な労働者たちであった。
                   弟子たちがイエズスに招かれたのは、人の目には見えない霊的な神の国に属するためであって、そえには苦しみが伴う生活が待っているとはっきりわかるように教えなければならなかった。世間の人びとから悪く言われ、悪いことをしないのに迫害されるのは、一般的に言えば不条理であるが、そのことが正当化されているかのように、世の人びとから迫害される。その理由を問えば次のようであるとイエズスは言う。あなたがたは以前は世俗に属して世の精神で生きていたため、肉親や身内との関係は親しいものとして結ばれて愛に抱かれる生活を送っていた。その時は血のつながりによって誰とも敵対することがなかったが、今はそうではない。イエズスと親しい関係に入って天の国に呼ばれて天に属する弟子となったのである。天に属する者、神の子の権利が与えられている者となったために、地上の者はあなたがたをすべて敵とみなして戦いを挑んでくる。そのために世から憎まれて、イエズスが迫害されたようにこの世から迫害される運命になると教える。イエズスに呼ばれて彼の弟子となった者のうちにも、彼を離れて世間にかえる者があり、その神の国を捨てた者がいっそう烈しくイエズスを憎み迫害することになるが、これはこの世が続くかぎり繰り返される運命である。
                   この世の精神は、自分に属する者を愛して離さないと頑張る。イエズスもまた神の子として呼びかけた人びとを神の選びとして受け入れて、神の言葉、真理を絶えず繰り返して教える。天と地が全く相異なっていることが迫害の原因でもある。召された者は自分の内なる肉欲と闘い、霊的に肉的自己を捨ててキリストの愛に燃えて、いっそう天に属する者として励むゆえ迫害が及ぶのである。

                   《『僕は主人に勝るものではない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。わたしを迫害した人々なら、あなたたちをも迫害するであろう。わたしの言葉を守った人々なら、あなたたちの言葉をも守るであろう》(ヨハネ15・20)
                   イエズスは弟子たちへの将来の迫害を預言して「僕は主人に勝るものではない」とたとえを用いて、迫害のなりゆきを説明する。主人である者を迫害する者は、やがてその福音をのべ伝える使命を受けた弟子たちにも同じように繰りひろげるものである。世の生活に甘んじて楽しんでいる者は、この世の生活を目的として世に属している者であり、この世ではなく神の国に仕えている者は神の世界に属する者であって、全く相反した国の主人に仕えている者のようである。キリストの生活は、この世に仕えるものではなく、霊的に天の御父に仕えるものであった。彼の歴史的出現は、天から遣わされた者としての使命をこの世の働きを通して実現するためであった。今日の二千年の時代においてもそれはなんら変わることなく、信仰の世界においてわたしたちも彼の弟子と同じく、福音に従って生きるならば天に属しているのである。自然の生活のみでは、たとえいかに時代や政治の変化があっても、世に属していることには変わりがない。共産圏の国々を見ても、また民主主義の世界を見ても、個人主義的利益をむさぼり、多くの人が飢えているのにも目を向けず、無神論を奉じて快楽を生きる目的としているのでは、世に属する生き方であり、天に属するものではない。
                   イエズスの福音はあくまでも神を中心とし、神の国の建設を目的としたもので、それはこの世の人びとが信仰をもって神の言葉を受け入れて、救いの恵みに喜びの希望をおき、神の愛をもって受けることである。このように生きる人は「わたしの言葉を守った」人なのであると主であるイエズスは言っている。また、その言葉に続いて「あなたがたの言葉をも守るであろう」と言っているのは、弟子たちの愛の言葉である願いを守ると約束しているのである。弟子たちがこの世に残って生きていようと、神の言葉をあくまでも純粋に守って伝えなさいと注意を促しているようだ。この役目はイエズス自らが弟子たちに与えるもので、他に変更することなく忠実に守りつづけなさいと言う。世間がどのように変化を重ねても、神の言葉をかえてはならない。神に仕えて忠実に働く者はすべて聖霊の力に守られているので、あなたがたの言葉も同様にわたしの言葉として守られているとの約束であった。

                   《しかし、人々は、このようなことをすべて、わたしの名を信じたということで、あなたたちに行うであろう。わたしをお遣わしになった方を知らないからである》(ヨハネ15・21)
                   イエズスの名のゆえに、と言うのは救い主であり、罪の贖い主であり、また三位一体の神から遣わされた神の子であるということで、それは天に属するとの理由からこの世に属する者たちがこぞって迫害に立ち上がることを意味する。それは神に反する霊の働きである悪霊のしわざであって、その霊の支配を示すものである。神の信仰のない者はもちろんのこと、信仰のある者も、キリストの真の生命に欠けたる者も、人間の知識によりすがる者も同様に神の子の名を迫害する。その深いわけをイエズスは簡単に説明して、彼らは天の御父を本当に知らないからであると言っている。外面的な人間の自然の能力の知識によって、または哲学的知識によって、それよりも深い神学的知識によっていても、人間の傲慢と高ぶりによって信仰がゆがめられていれば、神の子があらわれても、受け入れないで迫害するものである。教会の長い歴史の中には、たくさんの聖人聖女が教会の人びとから迫害を受けた事実もある。この点において有名なフランスのジャンヌ・ダルクはその一人であった。ヨハネの福音を引くまでもないが参考のために引いてみよう。「み言葉の自分の民のところに来たが、民は受け入れなかった」(ヨハネ1・11)
                   ユダヤ教の二千年の歴史の背景をもった人びとも、最後に神の子イエズスがあらわれて、言葉と奇跡としるしをもって真実を告げたのに、偽りのキリストとして十字架にかけて殺してしまう。それこそ愚かな人間の知恵であった。
                   神の御子を受け入れるこの世の人びととはどういう人であるのか聖書を引いてみよう。「み言葉を受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。彼らは、血によってではなく、人間の意思によってでも、男の意思によってでもなく、神によって生まれた」(ヨハネ1・12~13)。聖書はその人たちの心の素姓をこう述べている。自然の人間がいかに才能に恵まれたと言っても、またいかに努力し働いて修行したとしてもそれだけでは神の子の四角を得ることはできない。それにただ一つの可能性がゆるされているとすれば、神によって生まれること以外になく、また神によって選ばれて天の御父の恵みを受けて彼を本当の意味で知るしかないのである。

                  つづく 

                  聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第九章 つづき2

                  2015.07.09 Thursday

                  0
                    『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

                    第九章 予告された耳の治癒 つづき2

                     退院後の出来事

                     さてここで話を一九七四年五月十八日に伝えられた、姉妹(シスター)笹川の全聾からの治癒についての天使の預言に戻すが、私が入院生活を送っていた四週間の期間中にはおそらく彼女の治癒は起こらないであろうと、私はベッドで考えていた。
                     退院は九月四日だった。すこしづつ体力が戻り、ほぼ元通りの生活に復帰した九月三十一日(土曜)の朝、聖体礼拝のあと姉妹笹川が近づいて来て、次の報告をした。
                     「お礼拝中、念祷に入ってしばらくたっととき、いつもの天使が現れておっしゃいました。『今朝の食卓で、夢のことが話題になったでしょう。心配することはない。今日からでも明日からでも、あなたの好きな”九日間の祈”をつづけなさい。九日間の祈を三回つづけている間に、御聖体のうちにまことにまします主のみ前で、礼拝中のあなたの耳が開けて、音が聞こえ治るでしょう。まっ先に聞こえてくるのは、あなたがたが、いつも捧げているアヴェ・マリアの歌声ですよ。その次に、主を礼拝する鈴の音が聞こえるでしょう。
                     礼拝が終わったら、あなたは落ち着いて、あなた方を導いてくださるお方に、感謝の讃歌を願いなさい。そこで皆は、あなたの耳が聞こえるようになったことを知るでしょう。この時、あなたの体も癒され、主は讃えられます。
                     これを知ったあなたの長上は勇気に満ち、心も晴れて証しをするでしょう。しかし皆がよい心をもって捧げようとすればするほど、多くの困難と妨げがあるでしょう。外の妨げに打ち勝つために、内なる一致をもって、より信頼して祈りなさい。きっと守られるでしょう』
                     ここでちょっと間をおいて
                     『あなたの耳が聞こえるのは、しばらくの間だけで、今はまだ完全に治らず、また聞こえなくなるでしょう。聖主がそれを捧げ物として望んでおられますから…。
                     このことを、あなたを導く方に伝えなさい』
                     深いまなざしでじっとみつめられたあと、そのお姿は消えて見えなくなりました」

                     この報告を聞いた私は、それほどはっきり言われたのなら、九日間の祈を今日からでも始めなさい、とすすめ、このことは誰にも語らぬように、と念を押しておいた。
                    (なお、お告げの冒頭に指摘された”今朝の食卓で話題になった夢”については、次章で述べることにする)
                     それから、その治癒の恵みはいつ与えられるのであろうか、と考えた。アヴェ・マリアの歌声と鈴の音が聞こえる時、とあれば聖体降福式の場合であるから、それの行われる日曜日であることはまずまちがいない。次に、”三回の九日間の祈をつづける間に”ということであったが、私は三回の祈のあとに、と思い違いをして、では十月末の日曜であろうか、と見当をつけた。まったく、こんなにはっきり告げられた言葉でも、人間の知恵はすぐ取り違えをしてしまう。いかにも愚かなものだと思わずにいられない。

                     十月十三日(一九七四年)

                     この日は晴天に恵まれたので、私はレクリエーションを兼ね、久しぶりの釣りに男鹿半島の入口天王まで出かけた。夕方五時からの聖体礼拝と降福式に間に合うよう早目に帰り、少し休んでから聖堂に入った。
                     聖体顕示を行い、香を焚くとき、私の胸に”今日は何かありそうだ”とかすかにひびく思いがあった。償いの祈りののち、席にもどってロザリオを共鳴する。つづいてアヴェ・マリアの歌…。その終わりごろ、姉妹笹川が畳にひれ伏して、泣いているらしい様子が目にとまった。念祷、聖務の晩の祈りを終え、いよいよ聖体の祝福の時になった。姉妹のひとりの手によって鈴が高らかに振り鳴らされる。私は顕示台をかかげて十字の印を描きながら「主よ、思し召しのままにお恵みを与えたまえ」と祈った。
                     次いで顕示台にむかってひざまずき「天主は賛美せられさせ給え…」と、賛美の連祷の先唱をはじめた。その祈りが終わり、聖歌の指定をしようとしたとたん、姉妹笹川が背後から「神父様、聖歌十二番のテ・デウムをお願いいたします」と声をかけてきた。私はすぐふり返り「耳が聞こえるようになりましたか」と聞くと、「はい、今そのお恵みをいただきました」と私の唇の動きを見ることなく答える。
                     そこで列席の人々(日曜の式なので、外部からの参列者もあった)に向かい「皆さん、五月と九月の二回にわたって天使から姉妹笹川の耳が聞こえるようになるお約束がありまして、そのことが今日実現しました。今これからそのお恵みを感謝してテ・デウム(神への賛歌)をうたいましょう」
                    と告げた。
                     人々は大そう驚いたようで、それこそ自分の耳を疑う態であったが、賛歌はすすり泣く声もまじえて感動的なものとなった。
                     耳が癒されとときの模様を、彼女自身はこう述べている。
                     「降福式の礼拝中に、前もって天使に教えられていたとおり、まっ先にアヴェ・マリアの歌声が、夢の中のように、遠くから耳に聞こえてきました。歌声だけで、ほかには何も聞こえてきませんでした。それから少し念祷の時間があって、つづいて晩の祈りになりましたが、その時には皆さんの声は少しも聞こえませんでした。神父様が御聖体で祝福された瞬間、鈴の音がはっきり聞こえてきました。つづいて神父様の声が『天主は賛美せられさせ給え』と聞こえてきました。それは、初めて聞く神父様の肉声でした。
                     最初にアヴェ・マリアの歌声がひびいてきたとき、この取るに足らぬ者の上に神の御憐れみが与えられようとしていることをさとり、ああ有り難いこと、もったいないと思ったとたん、感謝で胸がいっぱいになり、泣き伏してしまいました。声が出そうになるのをこらえるのに必死で、祈りの言葉さえ思いつきませんでした。
                     音を失って一年七ヶ月、両親を悲しませ、神経を使い、緊張の連続の毎日でした。でも今与えられた聴力も、また捧げものとして失われるはずと思うと、もっと心して祈らなければ、と気をとり直したのでした。
                      ついでながら、天使はお告げの中で”この時あなたの体も癒される”と言っておられましたが、たしかに、そのころ内蔵や体のあちこちに感じていた苦痛も、同時に癒されたことにはっきり気づきました。…」

                     この報知はさっそく電話で司教に伝えられた。姉妹笹川がよろこびにはずむ声で、報告し、問いに答えた。また、故郷の両親や兄弟たちとも、感激の声を交わしたのであった。
                     司教の指示に従い、私は翌日彼女を伴って、日赤と秋田市立の二つの病院へ行き、耳の検査を求めた。そして両病院から、診察の結果、聴力正常との証明書をもらった。
                     その二週間後、私は彼女の郷里の教会に講話を頼まれ、姉妹(シスター)三人を同伴して出かけた。彼女も加わっていたので、両親はじめ身内一同が教会に来て待ち受けており、耳が聞こえるかどうかと一心に話しかけた。まことに、はた目にも涙ぐましい光景であった。

                     しかし、この耳の治癒も、天使の予告どおり、五ヶ月間だけのことであった。翌年の一九七五年三月十日には再び全聾となった。
                     本人は「しばらくの間だけ」との天使の予告を忘れず、一週間で元に戻るか、九日間か、それとも四十日間か、と日々覚悟をあらたにしていたが、やがて半年近くつづいたのを、予想外の恵みと感謝していた。二月の灰の水曜日あたりから、頭痛と耳鳴りが烈しくなり、ついにまた耳は全く閉ざされたのであった。

                     ともかく、一時的とはいえ、この予告通りの奇跡的治癒に、司教は大いに勇気づけられたようであった。それまでに私が姉妹笹川のノートを調べて書き上げた百枚ほどの原稿を持参して、神学者たちに検討を願うことにふみ切られたのである。
                     こうして、この治癒は、湯沢台の聖母の出来事が世間に知られる導火線となった。ここにも神のはからいの不思議を感じさせられるのである。

                     奇跡的治癒の意味

                     天使の予告どおり、姉妹笹川のこのたびの耳の治癒は一時的であって、五ヶ月間だけの恵みであったが、それなりに深い意義をもつものであった。
                     彼女の手記をまとめた私の原稿について、司教から疑問点が指摘されたことは、前にちょっと述べた。それは、御像を通じての聖母のお告げのうち、第三のメッセージは、いわゆる”ファチマの第三の予言”によく似ているので、あれの焼き直しではないか、という疑いであった。彼女が妙高の教会でカテキスタをしていたころ、ガリ版刷りでも読んで、無意識に頭に入っていたのかもしれぬ、という指摘であった。そこで私も、司教とは別に、その点を彼女に問いただしたが、そういう物を読んだことはない、ときっぱりした否定が返された。それでも司教は、彼女の思いちがいを懼れ、この章をはぶいてはどうか、とまで言われたのであった。
                     そこへ、あたかも十月十三日に、天使の予告どおり耳の治癒が起こったことは、この第三のお告げの信憑性を裏書きしたのであった。
                     何もこの日に限らず、治癒の恵みはいつ与えられてもよかったであろう。なぜわざわざ十月十三日が選ばれたのか? 先にも述べたごとく、私はその恩恵の日は十月末の日曜か、などと予測していた。事が起こってからはじめて、この日の意味に思い当たったのである。
                     カトリック信者なら周知のごとく、十月十三日といえば、ファチマに聖母が出現された最後の大きな奇跡の行われた日である。この出来事は今や全世界に知れわたっているが、ルチアたちに告げられた怖るべきメッセージは”第三の秘密”としてまだ非公開のままであり、ただ推測的コピーが夜に出回っているだけである。
                     そして、一九七三年、聖母像からのお声が姉妹笹川に怖るべき天罰の警告を与えたのも、まさに同じ十月十三日であった。その時の御像は、光り輝くなかにも、すこし悲しげな表情に拝された、と記録されている。
                     この警告の真実性を立証するためには、やはり何か超自然的なしるしが必要とされたわけである。そこで、まず天使の予告を先立て、次にわざわざこの二重の記念となる日を選んで、奇跡的治癒を行われたのであろう。
                     姉妹笹川に託された聖母の第三のメッセージを、あらためて読み返してみると、いかにも警告の内容はほとんど一致している。ファチマで与えられてもまだ正式に公布されず重視もされぬ警告の重大性のゆえに、この東洋の一隅でふたたびくり返され、奇跡をもって証明されたのではないか、とやはり思われるのである。”疑いが晴れて改心する人も出るであろう”と天使も告げられた。前述のごとく、伊藤司教自身もこの奇跡のしるしによって疑念をとき、”第三のお告げ”の部分を省くことをせず、原稿をそのまま神学者たちの検討に委ねたのであった。 

                    聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第九章 つづき

                    2015.07.06 Monday

                    0
                      『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

                      第九章 予告された耳の治癒 つづき

                       不思議なしるし
                              (一九七四年八月八日木曜日)

                       わたしは、一九七四年三月十日に聖体奉仕会に着任、定住しましたが、偶然にもその年の八月八日木曜日、最高に暑い真夏日に、秋田市立病院に急きょ入院して、開腹手術をする羽目になりました。その前晩からやや少しではありましたが、腹痛を覚えていました。朝、目が覚めても鈍痛の程度であったので、御ミサを捧げても途中で直るだろうと思い、そのまま聖体奉仕会のシスター方を前に、いつもと同じように御ミサを始めたのです。福音を読むところまできた時、急にお腹の中が破裂したようなショックを感じ、激痛を覚えて、「皆さん、きょうは福音を読むことはできません」と告げて、そのまま香部屋に転げ込んで、激しい痛みをこらえていた。文字通り、”断腸の思い”でした。
                       シスター方は、急いで香部屋に雪崩込んできましたが、倒れている私の姿を見て、呆気にとられておりました。わたしは我慢して立ち上がり、一姉妹の肩に寄りすがって、当時三十メートル程離れたところにあった司祭館にたどりつき、ベッドの上に伏したのです。
                       わたしの長兄は、秋田市内で内科の開業医をしていたので、姉妹から電話を受け、急いでタクシーでかけつけて来た。朝の七時半頃であったと思います。わたしは盲腸が破裂したのだろうと思い、それを兄に告げたところ、「そうではなかろう。腸炎かもしれない」と言い、痛み止めの注射をした上、「様子を見てみよう」と言って、兄は姉妹(シスター)たちと一緒に朝食を食べに行った。
                       その間、わたしはベッドに横たわっていたのですが、猛烈な激痛は少しも止むことなく、ますますひどくなって、命も助かるまいと思うほどだった。兄は朝食をそそくさと済まして、わたしを訪ね、「どうだ、痛みは止んだか」と声をかけてくれた。わたしは彼に対して、痛みは「止むどころか、ますますひどくなりましたよ」と答えると、彼は「大変だ。それなら、救急車を呼べと叫んだ。その頃、聖体奉仕会には直通の電話機がなかったので、近隣の電話を借りて、救急車を呼んだ。兄の長男も内科医で、秋田市立病院に勤務していたので、この病院へ運ばれた。
                       病院に着くと、兄の長男に迎えられ、手術の段取りとなった。この病院の医師団の間では、「安田先生の親戚の方で、盲腸が破れたという噂もあるが、大したことはあるまい」と、たかをくくった様子だった。九時を少し回った頃着いたが、実際に手術室に入れたのは、十一時きっかりであった。はじめに盲腸の手術として開腹したが、外科医たちは大腸の破裂であることに気づいた。手術室に入る前から私の両手の指は紫色に変わり、寒けを感じて全身がふるえていた。
                       医師たちは、命が危うい程の状態になっているのを見てとり、万が一の場合の責任を恐れて手術を拒んだが、兄とその長男が医者として手術室に入り、「死んでもいいから、手術をして下さい。責任は我々がとります」と説得し、手術に踏み切らせた。私はこれらのやりとりの模様を、回復後に聞きました。
                       大腸の二カ所に破裂があったので、合計二十センチ程切断して、腸内を掃除した上で縫い合わせたそうです。
                       これらの事が起こっていた間、聖体奉仕会のシスター方は、私の症状についての何の情報もなく、ただ心配しておろおろしていたそうです。シスター笹川は一人、当時、修道院の二階にあった自分の部屋に引きこもって祈っていると、突然、わたしの手術室の様子が彼女の前に同時進行のビジョンとしてあらわれ、手をつけかねている医者たちを、兄と甥が説得しているありさまを見、手術室内の緊迫したやりとりを聞いたのです。
                       ビジョンのその場面は、すぐ移り変わり、彼女は手術台とその上に横たわっているわたしを見、手術台と私の周囲に三体の天使が出現して、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と神を賛美し、礼拝している姿を見たのです。
                       その神的ビジョンが終わった後、彼女は二階の修室から降りていき、仲間の姉妹たちに、「神父様の病気は大腸破裂で、大変だとお医者様たちが言っています。けれども、天使たちが祈っているのを見たので、きっと治るでしょう」と告げたのです。私自身は、後になって、これらの証言を聞いたのです。
                       大腸が破れて六時間が経っていたにもかかわらず、腹膜炎も起こらぬ上、大腸菌が血管の中に侵入して来ることさえなかったので、医師たちの驚きは大きなものでした。私はその後、四週間の入院で、無事退院できましたが、振り返ってみると、この出来事も皆様にお知らせすべき神様の恵みの業かとも思われ、今日、この稿を補足として書き加えさせていただきました。(一九九九年八月二十五日)
                       この出来事を今の私は”不思議なしるし”と思うほかなく、全能の神の御力と自分の至らなさを思って祈っているのです。  

                      つづく

                      聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第九章 予告された耳の治癒

                      2015.07.05 Sunday

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                        『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田貞治神父著 エンデルレ書店発行)

                        第九章 予告された耳の治癒

                         さて、マリア庭園の着想を語ったついでに、その完成までを引きつづき述べたので、今ふたたび姉妹(シスター)笹川に話をもどすには、造園開始の一九七四年五月にまでさかのぼることになる。
                         私が姉妹笹川のノートをよみ、”聖母のお告げ”に接して、まず感じたのは、医学的に全聾とされる彼女が、天使の言葉や聖母のお告げのお声を聞く、という不思議であった。それは自然の聴力の問題ではなく、霊魂の感覚を通して悟るいわゆる”霊語”に属するもの、としか考えようがなかった。だいいち、天使の言葉や天国におられる聖母のお声は、この自然の次元に住むわれわれの耳には聞きとれぬ、超自然界に属するはずのものである。姉妹笹川自身も「それは、その時だけ耳が治ったかの如く鼓膜にひびいてくる、というような普通の音声ではなく、聞こえない耳を通してはっきりと心にひびいてくる声なのです」と説明している。
                         ところで、聖母が彼女に御像を介して語られた一九七三年七月六日の最初のお告げに「耳の不自由は苦しいですか? きっと治りますよ。忍耐してください」とのおはげましの言葉がある。私はこの報告に接したとき、これは彼女の耳がいつか完全に癒されぬかぎり、聖母像の関する超自然の出来事の真正性もみとめられぬことになると思った。それも医療の結果でなく、超自然の力、すなわち奇跡をもって治されるのでなければ、聖母のお言葉の超自然性の証明とならぬように感じた。
                         それはともかく、私としてはその治癒が、どんな方法にせよ、聖母のお約束のごとくやがて実現することは、ごく素直に信じられた。そこで、姉妹笹川にノートを返すとき、「あなたの耳はいつかきっと聞こえるようになるでしょう。しかし神がこの犠牲をよろこんでおられる上は、癒されても癒されなくても、すべて思召しのままに委せて、耐え忍びなさい」とさとした。そうは言っても、本人にとってはさぞつらい犠牲であろう、と思われ、こちらの唇の動きを読みとっているその静穏な表情を見ても、神の御手のうちに安住しつつもやはり治癒の恵みを祈らずにいられぬであろう、と察したことであった。

                         一九七四年五月十八日。朝の聖体礼拝の終わったとき、姉妹笹川は私に話したいことがあると言い、次のように報告した。
                         「お礼拝のロザリオから念祷に入ってしばらくすると、守護の天使が現れて、こう告げられました。
                         『あなたの耳は八月か十月に開け、音が聞こえ、治るでしょう。ただし、しばらくの間だけで、今はまだ捧げものとして望んでおられますから、また聞こえなくなるでしょう。しかし、あなたの耳が聞こえるようになったのをみて、いろいろの疑問が晴れて改心する人も出るでしょう。信頼して善い心でたくさん祈りなさい。そしてあなたを導くお方にこのことを話しなさい。あなたはその日が来るまで、他に話してはなりません』と」
                         のちにそのお言葉を写したメモに、彼女は書き加えている。
                         「はじめはほほえみのお顔だったが、あとはきびしい表情に変わった。私は夢を見ているようだったが、きびしいお顔を見て、ハッとし、体が緊張して、ひれ伏してしまった。
                         心は躍り上がるほどの歓びでいっぱいになると同時に、すべて聖旨のままに、という思いも入り交じっていた。そして聖主の御あわれみに深い感謝をささげていた。
                         神父様にこのことをお知らせすると、大きくうなずかれ『八月か十月とおっしゃたのか』とくり返して、また深くうなずかれた」
                         私のほうは、こうたしかめたとき、それが八月に起こるとすれば聖母被昇天の祭日の十五日か、それとも聖母の他の記念日であろうか、むしろ十月のロザリオの月のほうがふさわしいのではあるまいか、などと想像をめぐらしていたのであった。

                         その後、姉妹笹川には、その恩寵の準備のように、意外な内的外的の試練がつづいていたようである。

                        天使のおことば(一九七四年六月二十八日金曜日、シスター笹川カツ子に告げられた言葉)

                         この日は、朝食後、いつもの日課のように一時間の聖体礼拝が行われた。シスター方と共に、私はロザリオ五連を唱えて、念祷(沈黙の祈り)に入ってしばらくたった時、ふと気がつくと、シスター笹川が畳の上にひれ伏しているのが、後ろの席から見えた。その時は、単に深い祈りに没入しているだけなのか、それとも何か常ならざることが起こっているのか、わからなかった。その時の彼女の姿と場面は、二十六年が過ぎた今日でも、わたしの脳裏にはっきりと浮かんできます。そのとき、彼女が天使から受けた神よりのメッセージを、長らく二人の長上のことを慮り、発表を遠慮していたのですが、この際、真実を公表して、皆様の公正、賢明なる判断を乞わねばならない時が来たと考え、あえてこの本での発表に踏み切ることにしました。この天使のメッセージは、前年の一九七三年六月に諸般の事情で、聖体奉仕会の指導司祭を離任なさったヨハネ・望月神父の後任として、私が着任するまでの九ヶ月間、シスター方が会の指導司祭を求めて神様に祈りを捧げていたことが背景となっているようです。次の通りです。

                         『先に、あなた方の祈りによって、この会に準備された神父様が、あなた方と共におられることを心に決められました。あなたの長上にお従いして、同じ心をもって、あなた方を導いて下さろうとしておられます。あなたの長上も喜ばれるでしょう…と考えて。
                         あなた方の願いが聞き入れられ、あなた方を導く司祭の与えられたことを伝えたのに、なぜ歓びをもって、早くみなさんに伝えないのか。(少し間をおいて)
                         この会は、あなたの長上だけのものではありません。あなた方を導いて下さろうとしている司祭は、すべてを投げうって、あなたの長上に従い、この会に捧げようとしておられます。それなのに、この与えた司祭に、あなた方の導きのすべてを頼み、まかせようと願わないのか。
                         わたしを遣わされたお方に愛されたこの会とあなたの長上は、私の遣わされた言葉によって今日まで沢山導かれた筈です。
                         私の遣わされた言葉を喜びと信頼をもって、早くみなさんに伝え、与えられた司祭に、導きのすべてを頼み、まかせるよう願いなさい、と申し上げなさい。何をためらっているのですか。ためらわず、信頼をもって伝えなさい。さもなければ、あなたの長上に与えられる恵みと導きがなくなるでしょう。
                         勇気をもって、あなたの長上に告げなさい』

                         これらの言葉は、天使から姉妹笹川に伝えられたものですが、その当日の六月二十八日は聖ペトロ、聖パウロの祝日の前日であった。その当日、彼女が書いたメモが今も残っていますが、彼女はこれらのメッセージを受けた時、「頭をガンと叩かれる思いで、ひれ伏し、泣いてしまった」と述懐しております。メモによると、天使はしばらく間をおいた後「今後はいつもロザリオの祈りを助けて下さる時のように、やさしいお顔」をなさり、
                        『心配しなくともよい。信頼して祈りなさい。あなたは、私の遣わされた言葉を忠実に伝えて来たから、どのような困難や妨げがあっても、この会とあなたを守り導くでしょう。信頼して、もっともっと沢山祈りなさい。多くの人々とこの会とあなたの長上のために…』と言って、その姿は消えた。彼女のメモは、「こうしてペンをとっている今も怖い…」と言葉で結ばれています。
                         この出来事のあった一九七四年(昭和四十九年)六月、伊藤司教は、その年の春先から長い患いがやっと癒えて、聖ペトロ、聖パウロの祝日の祝いをするために、山の聖体奉仕会を訪ね、二日前から滞在していたのです。彼女は聖体礼拝が終わると同時に、告白場に司教を招いて、その場で天使の言葉を直接告げたのです。司教は、その言葉の重大性を強く感じとり、新潟に帰る日に数人のシスターを呼び集めて、「天使のお告げによって、この会の指導者として安田神父を任命します」と述べたことを、私は今も覚えています。しかし、改めて文書をもって広く任命を発表することがなかったので、あくまでも会の内部に限られた、非公式なお知らせにとどまったと記憶しています。実際、メッセージとは裏腹に、「導きのすべてをまかせる」方向に動かれることはなさいませんでした。
                         一九八五年六月九日、伊藤司教は定年となり、後任司教が教区長職を受け継いだ約二年後、わたしは聖体奉仕会に定住することが禁じられ、静岡県浜名湖の聖霊修道女会の聖霊寮の留守番として転任することとなりました。この時、一九七四年の天使のお言葉は、神様の御摂理として後任教区長に伝えられたのです。
                         その三年後の一九九〇年四月十四日、聖土曜日に、この天使の言葉が再び、姉妹笹川に告げられたことを付記して、皆様の参考に供したいと思います。次の証言は、その当日、彼女が書いたメモに記録されているものです。
                         『夕の七時から伊藤司教様の御ミサが捧げられた。御聖体拝領して自分の席につき、十字の印をして感謝の祈りに入ろうとしていた時、天使のお声がして『前に伝えた私の言葉がまだ実現していない』とおっしゃったので、何のことでしょうと一瞬ハッとしたと同時に、一九七四年六月二十八日、聖体礼拝の時に告げられた天使のお言葉と、その時の場面をはっきりと見せて下さった。」

                         『先に、あなた方の祈りによって、この会に準備された神父様が、あなた方と共におられることを心に決められました。あなたの長上にお従いして、同じ心をもって、あなた方を導いて下さろうとしておられます。あなたの長上も喜ばれるでしょう…と考えて。
                         あなた方の願いが聞き入れられ、あなた方を導く司祭の与えられたことを伝えたのに、なぜ歓びをもって、早くみなさんに伝えないのか。(少し間をおいて)
                         この会は、あなたの長上だけのものではありません。あなた方を導いて下さろうとしている司祭は、すべてを投げうって、あなたの長上に従い、この会に捧げようとしておられます。それなのに、この与えた司祭に、あなた方の導きのすべてを頼み、まかせようと願わないのか。
                         わたしを遣わされたお方に愛されたこの会とあなたの長上は、私の遣わされた言葉によって今日まで沢山導かれた筈です。
                         私の遣わされた言葉を喜びと信頼をもって、早くみなさんに伝え、与えられた司祭に、導きのすべてを頼み、まかせるよう願いなさい、と申し上げなさい。何をためらっているのですか。ためらわず、信頼をもって伝えなさい。さもなければ、あなたの長上に与えられる恵みと導きがなくなるでしょう。勇気をもって、あなたの長上に告げなさい』
                         続いて、『勇気をもって、あなたの長上に告げなさい。この事を実現するために、あなたの長上は生かされました。これを実行しなかったら、前にも告げたように、あなたの長上に与えられた恵みと導きがなくなるでしょう。勇気をもって、このことをあなたの長上に告げなさい…』とおやさしいけれども威厳のあるお声でおっしゃいました。そのお声だけで、お姿は見えませんでした。

                         この天使の言葉は、夕の御ミサの直後、伊藤司教様に姉妹笹川から伝えられた上、このメモをもととして記録されました。伊藤司教様は驚いて、教区長退任後も御自分が住んでいた新潟の司教館に帰った際、後任の教区長様に、再び、伝えられたことと思いますが、天使の言葉は尊重されず、今日までそのままになっているのです。伊藤司教様は一九九三年三月十三日、自分の誕生日に肺炎で御死去なさいました。
                         (一九九八年七月に天使の言葉の二回のメモをそのまま封筒に入れて、若い一人の姉妹に渡しました。「わたしが死んだ後に、開けて見てください。天使の言葉がほんとうであったか、どうか確かめてください。それは私に取ってどうでもよいことですから」それはどうなっているのか、今もって分かりませんが、天使の言葉として、考えても差し支えないと思っています。著者の注)