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    21 聖母マリアは、マグダラのマリアを 弟子たちに紹介する

    2015.03.23 Monday

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      マリア・ワルトルタ『マグダラのマリア』フェデリコ・バルバロ訳 あかし書房より

      21 聖母マリアは、マグダラのマリアを 弟子たちに紹介する


      「先生、今日は嵐になるようです。ヘルモン山の裏から進むその鉛のような雲をごらんなさい。湖は、もうぼつぼつ波が立っています。北風に南東の波のような風がつづいている。これは嵐のしるしです」
      「シモン、いつのことか」
      「朝の九時ごろからでしょう。漁師たちがあわてて帰ろうとしている。ごらんなさい。彼らは、湖がぶつぶついっているのを感じている。もう少したったら湖の色は鉛になり、瀝青(チャン)色、そうしたら荒れ狂う嵐になります」
      「しかし、こんなに静かに見えるのに」と信じないトマが言う。
      「お前は黄金を知っているが、私は水を知っている。間もなく私が言うとおりになる。突風のはっきりしたしるしが見えている。水の表面は静かでさざ波しか見えないが、しかし船に乗っていれば舟底がノックされている。そして、舟が変にゆれていると感じるはずだ。と言うのは、もはや水が下の方で沸騰しているからだ。天からのしるし、北風が南東風にぶつかると何が起こるかわかりきったことだ…。おうい、女たち、外で干している物をはやくとり込め、動物も避難させよ。もう少したったら水のバケツをひっくり返したようになるだろう」
       実際、空はますます緑じみた色になって、大ヘルモン山が吐くような黒ずんだねずみ色の長細い雲がやってくる。それは暁を追い返して昼の代わりに夜が進む感じである。湖も黒い青色に変わり、そして、最初の波の泡が黒い水の上に不気味な白さに見える。湖の上には舟はもう一つも見えない。男たちは小舟を岸に引き上げ、網、かご、帆と櫂を運ぶのに急ぎ、農夫たちは収穫物を避難させ、棒と綱とで固め、動物を小屋にとじこめる。女たちは、雨が降る前に泉へ急ぎ、あるいは朝早く起きてそこらにちらばっている子供たちを集めて家の中に押し込む。そして、雹が近いと感じている親鳥のようにあわててドアを閉める。
      「シモン、私と一緒においで。マルタの僕と私の兄弟ヤコボ(1)も呼んでください。厚い布をとりなさい。厚い、広いのを。二人の女が道にいる。迎えに行かなくては」
      ペトロは好奇心でイエズスをうかがう。しかし時間を失わずしてその通りにする。
       そして南の方へ向かって村を通りぬけて走りながらシモンが聞く。
      「しかし、…どなたですか」
      「私の母とマグダラのマリアです」
      あまりの驚きにペトロが地面に釘づけられて言う。
      「あなたのお母様とマグダラのマリア? 一緒に!」
      それからイエズスが止まらないし、ヤコボと僕が止まらないのでまた走り出す。しかし、またくり返す。
      「あなたのお母様とマグダラのマリアが! ご一緒に! いつから?」
      「彼女は、イエズスのマリアのほか何もない、となった時からです。シモン、早くせよ。最初の大きな雨の粒が降って来た…」
       ペトロは自分よりも背が高く足の早い仲間たちと平行するように努力するが追いつかない。今、かわき切った道から、まずます強くなる風でほこりが舞い上がり、そして湖が見える所は、巨大な鍋に変わった様子である。少なくとも1メートル位の高さの波が八方に走り、ぶつかり合って、海辺のそばの家にさえぎられて湖が見えなくなる時には、風の音よりも強いそのうなりが聞こえ、同時にますます頻繁になる長い強迫的な雷の不気味な音がする。
      「あの婦人たちは、何とこわいことでしょうね」と荒い息をはずませながらペトロが言う。
      「私の母はそうでもないでしょう。他の一人は分かりません。しかし早くしないとびっしょりぬれるでしょう」
       何百メートルかカファルナウムから離れると、ほこりの道に夕立のような土砂降りが襲い、目も見えず息もできない豪雨の中で、繁った木の下に避難しようとする二人の女が走っているのが見えた。
      「あそこだ。走ろう」
       マリアに対しての愛がペトロに翼を与える。だが、その短い足をしているペトロがやっと着くと、イエズスとヤコボが二人の女をその重い布の下に入れて守っている。
      「ここに居られない。雷の危険もあるし、間もなくこの道も小川になる。先生、少なくとも最初の家まで行きましょう」と急を切らしているペトロが言う。
       婦人たちを真ん中において彼らはその頭と背中に布を引っぱって歩く。
       シモンの家での宴会の晩に着ていた同じ服、しかし肩に、聖母マリアのマントをかけているマグダラのマリアに、イエズスが言う最初の言葉はこれである。
      「マリア、怖いのか」
      走りながら乱れてしまった長い髪の毛のヴェールの下にずっと頭を垂れていたマリアが、もっと頭を垂れて真っ赤になってささやく。
      「主よ。そうでもありません」
       ヘア・ピンを失って肩にお下げを垂れている少女のように見える聖母は、自分のかたわらにいる御子にいつものほほえみで話す。
       聖母のヴェールとマントにふれて、アルフェオのヤコボも言う。
      「マリア、すっかりぬれてしまって…」
      「いいえ、何でもない。今は、もうぬれないですむのですから。そうでしょうマリア。イエズスは私たちを雨からも守ってくれます」とその苦い狼狽を感じているマグダラのマリアにやさしく言う。彼女は頭でうなずく。
      「あなたのお姉さんが、あなたに会ったらどんなに喜ぶでしょう。今、カファルナウムにおられる。あなたを探していた」とイエズスが言う。マリアは他の女弟子に対しているような自然な態度で話しているイエズスの方に一瞬頭を上げて、イエズスの顔を、そのすばらしい目で眺める。しかし何も言わない。あまりの感激のために、のどがつまっている。イエズスはこのように結ぶ。
      「マルタをこちらに泊めてよかった。あなたたちに祝福を与えてのちに別れましょう」
       近いところに落ちた雷の音に、その言葉がさえぎられる。マグダラのマリアは恐れるような動作をする。両手で顔を覆い、泣き声が爆発してからだをかがめる。
      「恐れることはありません」とペトロがなぐさめる。
      「もう過ぎ去った。そして、イエズスと一緒にいればいつでも恐れることはありません」
       マグダラのマリアのかたわらにいるヤコボも「泣かないで。もう家は近い」と言う。
      「恐れのために泣いているのではありません。イエズスは私を祝福するとおっしゃったから…私のような者を…」
       そして、これ以上はほかに何も言えない。
       聖母マリアは、彼女をなだめようとして言う。
      「マリア、あなたはあなたの嵐をもう越えたのです。もう、そんなことは考えないで。今は、すべて晴天で平和です。そうでしょう、私の子よ」
      「そうです母よ。すべては本当にです。近いうちに、また太陽が出て、そして、すべては昨日よりも美しく清く新鮮になる。あなたにとっても、マリア」
       母が、マグダラのマリアの手をとって言いつづける。
      「あなたの今の言葉をマルタに伝えましょう。彼女に、まもなく会えて、自分のマリアがどれほど善意にみちあふれているか、彼女に言えるのがうれしい」
       ぬかるみの中にペトロがその洪水を辛うじて越えて、近くの家に避難させてくれるように頼みに行こうとして布の下から出ようとする。
      「シモン、そうしなくてよい。私たち皆、私たちの家に戻るのを望んでいる。そうでしょう」とイエズスが言う。皆、賛成して、ペトロは、その幕の下に戻る。
       カファルナウムは砂漠のようである。そこを主人のように支配しているのは、風、雨、雷、稲妻で、それに今度は家の屋上と正面に打ってはねかえる雹。湖は尊厳な恐ろしさを湛えている。岸辺の家は波にむち打ちされている。せまい海辺はもう見えず、家のそばに縛られている小舟は水が一杯で沈没した舟のように見える。
       大きな水たまりとなった菜園に走って入り、そこから皆が集まっている台所に入る。
       マリアの手をとっている妹を見る時のマルタの叫びは甲高い。そして自分もぬれるのもかまわず、その首に抱きついて接吻して叫ぶ。
      「ミリ、ミリ、私の喜び!」
       小さい時の、マリアに対して使っていた愛称かもしれない。
       マリアは姉の肩に頭をもたせて、マルタの地味な服を黄金のような髪で重いヴェールで覆う。それはここに輝く唯一のものである。なぜなら、暗い台所にはそだの小さい焚火があるだけで、それは燈されたランプの光ほども明るくない。
       使徒たちが驚嘆するほどの、マルタの叫び声のために顔を出した家の主人とその妻もそうである。しかし、この二人は当然んの好奇心のその瞬間のあと、遠慮深くひっこむ。
       抱擁の嵐がおさまった時マルタは、イエズス、マリアのこと、皆一緒にやって来たその思いがけないことを思い出して、妹、聖母、イエズスと、だれかれかまわずつかまえて聞く。
      「どうして? どうして? どうして皆、一緒に?」
      「マルタ、嵐が近づいたので、シモン、ヤコボとあなたの僕と一緒に、かの二人の旅人を迎えに行ったのです」
       マルタはあんまりびっくりしているので、どうしてイエズスは二人がやってくるのを知っていたか、と言うことも考えず、”どうしてご存知だったか?”せも聞かない。このことを聞くのはトマである。しかし返事を聞く前にマルタは妹に言う。
      「どうしてあなたは聖母と一緒にいたのですか?」
       マグダラのマリアは頭を下げる。聖母は彼女の手をとって次のように言って彼女を助ける。
      「目的地に達するために、どんな道をとるべきかと知りたい旅人のように私のところに来たのです。そして私に『私はイエズスのものとなるためにどうしたらよいか教えてください』と聞いたのです。おお、この人には、全く良いしっかりした善意があるので、このような知恵がすぐ授かったのです。そして私はこのうように彼女の手をとった時、わたしの子、あなた、よいマルタ、そして兄弟である、あなたたち弟子のところに紹介するために、もうすっかり準備ができていると分かりました。そして今、あなたたち皆に彼女を紹介します。”自分とその兄弟たちに超自然の喜びしか与えないであろう女弟子、姉妹マグダラのマリアである”と。私の言うことを信じて、そして、イエズスと私がしているように、皆、彼女を愛しなさい」
       使徒たちは新しい姉妹に近よって挨拶する。ちょっとした好奇心がまざっていないとは言えないが、それは人間として当然である。しかし、真っ先に口を開くのはペトロの常識である。
      「すべて結構。あんたたちは彼女に援助と聖なる友情を保障しているが…母と姉妹とがずぶぬれなのを忘れてはいけない。実はわれわれもそうだが、彼女たちにとってはもっと大変だ。彼女たちの髪が大雨のあとの柳のように水をたれ、服はぬれて泥だらけです。焚火を大きくして服を探し、暖かい食物を用意しよう」
       皆、何かしら動き出し、そしてマルタはびしょぬれの二人を別の部屋に連れて行き、その間に火を起こし、その炎の前にびしょぬれのマント、ベルト、服を広げる。
       向こうではどうやっているか分からない。ただ主婦のいつものエネルギーをとり戻したマルタが、湯の入っている鐘だらい、湯気のたつ牛乳のコップ、二人のマリアのために主人の妻が借した服などを運んで行ったり来たりしているのが見える。

      注:
      (1)聖ヨゼフの兄弟アルフェオの子、イエズスの従兄弟の一人。
       

      罪人の審判と罰

      2015.03.01 Sunday

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        DE IMITATIONE CHRISTI『キリストにならう』バルバロ訳 ドン・ボスコ社より

        第一巻 第二十四章 罪人の審判と罰


        1 正しい審判者

         あなたは、すべてのことにおいて最高の目的を見いだしなさい。いつの日か、あなたは、すべてを見抜くお方、贈り物でごまかせず、口実が理由にならず、「正義に従って裁く」(イザヤ11・4)、厳しい審判者の前に立たなければならないと思いなさい。ああ、みじめで愚かな罪人よ、怒っている人の前でさえ震えるあなたは、すべてを知っておられる神のみ前に出て何と答えるのであろうか?なぜ、審判の日に備えようとしないのか?
         その日には、誰一人として、他人から弁護も保護も受けられない。人はおのおの十分な荷を背負っているのである(ガラテヤ6・5参照)。今こそ、あなたの苦労には功徳がある。あなたの涙は神に喜ばれ、あなたの祈願は聞き入れられ、あなたの苦しみは償いと清めになるのである。

        2 救いへの道

         侮辱を受けて、その受けた侮辱よりも相手の悪事のために悲しみ、自分に反対する人々のために快く祈り、心からその罪をゆるし、相手にゆるしを乞うのをためらわない人、また、怒るよりもむしろ優しくあわれみ、しばしば自分自身を責め、肉体をまったく霊に服させようとする忍耐を持つ人は、もはやこの世において、救いを得させる煉獄を通っているのである。
         来世で償いをするよりも、今、罪を償い、悪を根絶するほうがよい。しかし、肉体に対してもっているよこしまな愛のために、私たちは自分自身をあざむきがちである。

        3 罪の罰

         煉獄の火が燃やすのは、あなたの罪以外の何を指すのであろう?今、あなたが自分自身に甘ければ甘いほど、そして自分の肉に従えば従うほど、いよいよ苦しい罰を受け、いよいよ多量の燃料を積むのである。
         人は罪を犯した五官を特に罰せられる(知恵11・16参照)怠け者は燃える鞭打ちの枝に刺されるであろう。美食の人は、恐ろしい飢えと渇きに苦しめられるであろう。淫行の人や快楽を追った人は、燃える瀝青(チャン)*と臭い硫黄とのなかに、沈められるであろう。またねたんだ人は、あまりの苦しみに、狂犬のようにほえたけるであろう。*アスファルト
         どんな悪にも、それぞれの罰がある。そこにおいて、傲慢な人々は、恥辱におわれ、貪欲な人々は、みじめな赤貧におとされるであろう。そこにおいては、苦しみの一刻は、この世での辛い苦行の百年よりも苦しいことであろう。そこにおいては、滅びた人々のために一刻の休みも慰めもないであろう。この世では、ときどき苦労を憩わせ、友人の慰めを受けることもあるのであるが…。だから審判の日、聖人たちと共に、安全にいることができるように、今、あなたの罪を省み、それを痛悔しなさい。
         「その時、正しい人は、自分たちを苦しめた人々、迫害した人々の目の前に、毅然として立つ」(知恵5・1)。その時、この世で人間の裁きに謙虚に従った人が、ほかの人を裁きに立つであろう。その時、貧しい人と謙虚な人とは、大いなる心の平和を得て、傲慢な人はどちらを向いても恐怖におののくであろう。

        4 義人たちの喜び

         その時、キリストのためにおろか者と軽蔑された人が、この世で知恵のある者であったと知るであろう。その時、忍耐をもって甘受したすべての患難は、喜びのもととなるであろう。「悪をおこなった口は、すべて閉じられる」(詩編107・42)。その時、敬虔であったすべての人は喜び、信仰に反した人は嘆き悲しむであろう。その時、苦行をおこなった人は、つねに楽しく暮らした人よりも、喜びにあふれるであろう。
         その時、粗末な服は輝き、ぜいたくな服は黒く濁るであろう。その時、貧しい住居は壮麗な邸宅よりも称賛されるであろう。その時、世界の全権を手に握ることよりも、絶えざる忍耐のほうが、役立つであろう。その時、世間のあらゆる狡知よりも、単純な従順のほうがはるかに称賛されるであろう。

        5 徳の報い

         その時、深い学問を持つよりも、清い素直な良心のほうが、はるかに喜びをもたらす。その時、富を軽蔑したことは、この世のすべての宝を持つよりも価値があるであろう。その時、敬虔な祈りの思い出は、美味な食事の思い出よりあなたを慰めるであろう。その時、長いおしゃべりよりも、沈黙を守ったことのほうが、はるかに喜びをもたらすであろう。その時、聖なる業は、多くの雄弁よりも価値があるであろう。その時、厳しい生活と、辛い苦行とは、地上のすべての楽しみよりも、あなたを喜ばせるであろう。だから今、小さな苦しみを忍ぶことを学びなさい。そうすればその時、さらに重い苦しみを避けられるであろう。あなたが後の世で課せられる苦しみを、まずこの世で甘受しなさい。もし今、これほどわずかな苦しみを忍べないならば、どうして永遠の罰を忍べるであろう?もし今、わずかに不愉快なことさえ、これほどに忍べないならば、地獄の火はどうであろう?実にあなたには、この世で楽しみ、後の世でもキリストと共に幸福に生きるという二つながらの幸せは、ゆるされないことである。

        6 地獄の恐怖

         もしあなたが、今日まで絶えずほまれと快楽とのなかに生きてきたとしても、今を愛して、突然死が訪れたとすると、それらが何の役に立つであろう?神を愛して、神に仕えること以外は、「すべて空しいことである」(コヘレト1・2参照)。心をあげて神を愛する人は、死も、苦しみも、審判も、地獄も恐れない。完全な愛は、神への安全な道を霊魂の前に開くからである。それに反して、罪を犯しても悔いない人が、死と審判とを恐れるのは当然である。もし愛があなたを罪から遠ざけることができないとしても、少なくとも地獄を恐れて罪を避けよう。神への畏敬を重んじない人は、長く善の道に歩むことができなくなる。すぐに悪魔の罠にかかってしまうであろう。


          
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