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2017.01.04 Wednesday

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    6 イエズスはエンノムの付近で、洗者ヨハネを訪ねる

    2014.08.28 Thursday

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      マリア・ワルトルタ『イエズスに出会った人々(二)』あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳編より

      6 イエズスはエンノムの付近で、洗者ヨハネを訪ねる

       月の明るい夜…畑がはっきり見え、芽ぶいたばかりの小麦は、銀のじゅうたんのようで、あぜ道はまるで黒いリボンを置いているかのようである。
       イエズスはゆっくりと一人で道を歩いている。北東の平原の方へ足早に急ぎ、さらさら流れている小川にぶつかると、茂みに覆われたうら寂しい土手のあるところまで遡る。そえから、土手のわきに自然にできた洞穴まで小道をよじ登る。洞穴の中へ入ると、横たわっているのが月明かりでぼんやりと見える人の上にしゃがみ込み、「ヨハネ」と呼びかける。
       男は目を覚まし、眠そうに起き上がる。だが、呼ぶ人がだれかすぐに悟り、居ずまいを正し、ひれ伏して言う。
      「どういうわけで、私の主が来てくださったのですか」
      「あなたと私を喜ばせるためです。ヨハネ、私に会いたかったのでしょう。ごらん、やって来ました。立ちなさい。もっと月が照らすところで、洞穴のそばの岩に腰かけて話しましょう」
      ヨハネは言われるままに立ち上がり、外へ出る。
      イエズスが腰を下ろすと、ろくに用を足していない羊の皮で覆った、ぎすぎすにやせた体で、キリストの前にひざまずき、しかと神の子を見るために、目の前に垂れている長く乱れた髪を跳ね上げる。
       実に対照的である。イエズスは青ざめた顔をし、柔らかなブロンドの髪はよく整えられ、あごは短いひげで覆われている。ヨハネの漆黒の毛髪は、まるでやぶのようにぼうぼうで、熱病にかかっていると言ってもいいほど真っ黒の二つの目が、彫りの深い顔に輝いている。
      「”ありがとう”を言いたくて来ました。あなたは、内なる完全な聖寵で先駆者としての使命を果たし、また果たしつつあります。その時が来れば、私の傍らで天に入ります、神からの報いを得て。だが、愛する友よ、その時を待ちつつ、あなたはもう主の平和の中にいます」
      「私はとても早く平和に入ります。先生、また神よ、最後の試練のときに強められますよう、あなたの下僕を祝福してください。その試練はもうすぐそこまで来ていると知っているし、私はもう一つの証し、血の証しを与えるべきことも知っています。私の時も近いのを、あなたは私よりもご存知のはずです。あなたの到来を望むのは、神としてのあなたのあわれみ、深い慈悲です。なぜかと言うと、イスラエルの最後の殉教者、また新しい時代の最初の殉教者を勇気づけるためでした。けれども、”私はあなたの帰天を長く待たねばなりませんか”これだけ教えてください」
      「いいえ、ヨハネ。あなたの誕生から私の誕生までの間くらい、わずかです」
      「いとも高きもの、祝されますよう。イエズス…こう呼んでも、よろしいですか」
      「いいですとも。親戚でもあるし、あなたの聖徳のためにも。罪人さえも口にしているその名は、イスラエルの”聖なる方”に口にされるのがよい。あの罪人たちには救いであるように、あなたには甘美であるように。あなたの先生で兄弟であるこのイエズスにどうしてほしいのですか」
      「そのうち私は死にます。しかし、父が我が子たちのことを気にかけると同じように、私は弟子たちのことを心配しています。弟子たちとは…あなたは先生だから、弟子を思う愛の心がどんなものか、よくご存知のはずです。私の死による唯一の苦しみは、弟子たちが牧者を失った羊のようにさまよってしまうのではないかという懸念です。あなたこそ、あの人たちを集めてください。私はもともとあなたのものだから、あなたを待つ非の打どころのない弟子だった三人を、あなたに戻します。この三人、とりわけマティアには、本当に上智があります。その他にも弟子がいるが、あなたのもとへ来るはずです。だけど、あなたに任せようと私が独り決めして言ったことは、おゆるしください。私の最も愛する三人です。私もまた愛されています」
      「ヨハネ、安心して逝きなさい。その人たちがさまようことはありません。その人たちも、他のあなたの”まこと”の弟子もそのはずです。私はあなたの遺産を集め、これを私の非の打どころのない友人、また主の下僕から来た最も貴重な宝物として守り通します」
       ヨハネは地面にひれ伏し、不思議に思えるほど、これほど厳格な人物が霊的喜びにうち震え、すすり泣いている。
       イエズスはヨハネの頭に手を置いて言う。
      「喜びであり、謙遜であるあなたのすすり泣きは、もはや遠い賛歌に呼応しています。それを聞いたあなたの小さな心は歓喜に踊り、その賛歌と今のすすり泣きとは……謙遜な心の人々に力強い”偉大なる”ことを行い(1)、永遠なるものに対する賛美と同じ歌です。私の母も、その時に歌った自分の歌を新たに唱える時が近い。でも、その後、母にとっても、あなたにとっても、殉教の後、最大の栄光がやってきます。母のあいさつも持って来ました、すべての別れのあいさつと慰めとを。あなたはそれに値する人です。あなたの頭に置かれている手は人の子のものだが、開かれている天からヨハネ、あなたを祝福するために光と愛とが下ります」
      「私はそれに値しないものです。私はあなたの下僕に過ぎない」
      「あなたは私のヨハネです。ヨルダン川で、あの日、私は公現するメシアでしたが、今、ここに、神として、親戚として、私の愛するあなたに旅の糧を与えようとする兄弟であり、神です。ヨハネ、立ちなさい。別れの接吻を交わしましょう」
      「いいえ、私はそんなことに値しない…けれど、一生涯にわたり、それを望みました。でも、あなたに対してそんなことはできない。あなたは、私の神です」
      「私はあなたのイエズスです、さようなら。私の魂はあなたの平和に至るまで、あなたのそばにいます。あなたは弟子たちのことで平和に生き、そして死ねばよろしい。今のところ、これしか与えられないが、天国では百倍与えます。なぜなら、あなたは神の御前に恵み豊かに嘉されたからです」
       イエズスはヨハネを立たせ、頬に接吻して抱き合った。ヨハネが再びひざまずくと、その頭にイエズスは手を置き、天に目を上げて祈る。まるでヨハネを聖別しているかのようで、神々しい。沈黙がしばらく続き、イエズスはいつもの優しいあいさつをして暇を告げる。
      「平和はいつもあなたとともに」
      そして、元の道に戻る。

      注(1)ルカ1・46~55。
       

      イエズスはルイザを教会へ連れてゆかれ、神に身を献げた人たちがイエズスにどのように接するかを見せる。

      2014.08.10 Sunday

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        ルイザ・ピッカレータの手記2『被造界の中の神の王国』(天使館刊)より
        イエズスはルイザを教会へ連れてゆかれ、神に身を献げた人たちがイエズスにどのように接するかを見せる。
        1899年4月16日
         私がいつもの状態でいると、イエズスは人びとが何をしているか見に行こうと言いました。
        「主よ、今朝は出歩いてあなたに対して人びとがさまざまな侮辱を与えるのを見る気などしません。二人でここにいましょう。」と私は言う。
         それでもイエズスは出かけようと言い張るので、主を納得させるために言いました。
         「出かけるなら、どこか教会へ行きましょう。 そこなら侮辱も受けないでしょう。」
         
         こうして私たちはとある教会の中に入って行きました。 けれどもそこですら侮辱は他の場所よりむしろ多いくらいでした。教会の中では、世の中よりもずっと多くの罪が犯されるというのではなくて、主の愛する、いわば身内の人びとが罪を犯しているからです。彼らこそ本当は、神の名誉と栄光を守るため身も心も献げてよい人びとだからです。それで、彼らからの侮辱は誉むべき主にとり、より痛いものに感じられるのです。
         そこには、いつもは敬虔なのにつまらない理由から、聖体拝領のための準備がよく出来ていない人たちがいました。その人たちは、イエズスのことを考えず、ちょっとした身体の不調とか、他のつまらないことに頭がいっているのです。イエズスはこのような魂を見てどれほどの痛みを感じたことでしょう。些事に気をとられ、イエズス様を一顧だにしないこうした人たちは、なんと哀れでしょう。イエズスは言います。
        「我が娘(こ)よ、この人たちは注がれようとする恵みをどれほど妨げているでしょう。私は他のことはともかく、近づいてくる者の愛の深さを見守っている。なのにその人たちは、愛にではなく、些事のほうに心を向けてしまう。普通、愛は些事をものともしない。でも些事があまりに多いと、愛は増えず、反対に減ってしまう。もっと困ったことに、その人たちは、時間をムダにする。とるに足りないことを話すために、聴罪司祭のもとに何時間もいたりする。それでいて雑事を一掃するための、勇気ある根本的な解決策の実行には取りかかろうとしないのです。
         それから、娘よ、最近のある司祭たちのことです。彼らは人びとのアイドルとなって、ほとんど悪霊の諸業を行っているとさえ言えます。おお、そうとも。私の息子たちこそもっと私の心を突き刺してくる。他の人たちは私を傷つけても、私の身体だけなのに、私の身内の息子たちは、もっとも繊細で感じやすい部分、つまり私の心臓のヒダまで傷つけるからです。」
         イエズスのみ心の張り裂けるような苦痛はとてもひどくて、話しながらも苦い涙を流していました。できる限りのことを私はしました。それからイエズスと共に十字架の上に退きました。 

        イエズスは彼女の心に聖櫃を見出し、涜聖と偽善のミサにいかに悩んでいるか明かす

        2014.08.10 Sunday

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          ルイザ・ピッカレータの手記2『被造界の中の神の王国』(天使館刊)より

          イエズスは彼女の心に聖櫃を見出し、涜聖と偽善のミサにいかに悩んでいるか明か
          1899年4月12日


           今朝、ちょっと待っていると、イエズスはすぐにやってきて言いました。

          「あなたは聖櫃です。私にとって秘跡のうちにいても、あなたの心の中にいても同じなのです。むしろあなたの内にいる方が、発見が多い。私の苦しみにお前も参加することで、神の正義の前の生ける犠牲としてお前を共有できる。これは秘跡ではできないことです。」

           こう言いながら主は、私の中に閉じこもりました。イエズスは私の内で、棘の痛み、十字架の苦痛、息苦しさ、あるいは心臓の痛みという様にさまざまな感じがしました。主の心臓のまわりには、編んだ鉄条網のようなものを見た。それはイエズスに大変な痛みを与えていた。おお、これほど苦しむイエズス様に、なんという哀れみを感じたことでしょうか。イエズスを苦しませるなら、私が苦しんだ方がいい。私にその痛みと苦しみをください。心の全てを込めて願います。イエズスは言います。

          「娘(こ)よ、私の心臓を一番ひどく貫きとおすのは、涜聖の罪とともに捧げられた偽りのミサなのです。」

           この短い言葉から何を理解したか、どう言えばいいの。それは外から見れば主を愛し、讃えていても、内心に主をいつでも殺せる毒を持ち、外側では神の栄光と誉れを望む振る舞いをして、内心では自らの名誉と尊敬を求めている状態のたとえなのかしら。たとえそれが聖なることでも、偽善によりなされた全ての行いは、すべてイエズスのみ心に苦しいもの。また、毒をもったわざとなるのです。 

          罰する時でも主が抱いている人間への大きな愛について

          2014.08.09 Saturday

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            ルイザ・ピッカレータの手記2『被造界の中の神の王国』(天使館刊)より

            罰する時でも主が抱いている人間への大きな愛について。

            1899年10月25日
             イエズスはほとんどいつも同じ様子で姿を見せ、今朝は次のように話した。

            「我が娘よ、人間への大きな愛はこだまのように天に響きわたり、空間を満たし地上のすべてに行き渡る。ところがこの愛のこだまにたいして、被造物たちの答えはどうでしょう。 彼らは毒を含んだ忘却、あらゆる種類の苦しみと罪でいっぱいの答え、ただ私を傷つける行為というほとんど致命的なこだまで答えます。だから私は、地表の人口を減らそう、そうすればこんな毒をまき散らすこだまが私の耳を聾するようなことはなくなるでしょう。」

            「ああ主よ、何を言うの。」
            私は言う。

            「私は、傷だらけになった自分の子供たちに最良の治療をほどこす親切な医者のように振る舞います。自分の子供たちを自分の命よりも愛する、父でもある医者は何をしますか。傷が壊疽にすすむままに放っておくと思いますか。炎とメスを用いて治療することで苦しまないよう、悪化するままに放置しますか。決してそうではない。 まるで自分自身に振るように、メスを手に取り、肉を切り裂き、それ以上腐らせないように、毒と火で治療するのです。
             ときには、望まないのに、このような手術の際に息子が死ぬことがあります。でも父親の望みは子供が再び健康になった姿を見ることなのです。私はこうして再び健康に戻そうとして傷つけ、甦らせるために破壊します。多くの者は滅びます。しかしそれは私の意志ではなく、人びとの悪事と執拗な意志の結果なのです。それは自分自身が破壊されるのを見たいとまで望む、毒に満ちたそのようなこだまのせいなのです。」

            「私の唯一で善なる方。言って。これほどあなたを苦しめる有害なこだまを治すには、どうしたらいいの。」

            「唯一の方法は、常にあなたの全ての行いを、ただ私を喜ばせるという目的のために捧げなさい。そしてあなたの全ての感覚と力を、私を愛し、私に栄光を与えるという目的のために使いなさい。あなたの考えや言葉、他の行動のすべての一つ一つが、私への愛以外に何も望まないなら、あなたのこだまは喜ばしいものとして私の玉座にまで昇り、私の耳に甘美なものとなって聞こえるでしょう。」

            神の象りとして創られた人間に罰を与えるのは気がすすまないけれど必要だと示すイエズス。

            2014.08.09 Saturday

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              ルイザ・ピッカレータの手記2『被造界の中の神の王国』(天使館刊)より

              神の象りとして創られた人間に罰を与えるのは気がすすまないけれど必要だと示すイエズス。

              1899年10月24日

               今朝イエズスがやって来て私を外に連れ出した。私は人びとの真中に連れて行かれた。主は人間のことを同情の眼差しで眺めていて、罰そのものでさえ、主の愛情深い心の奥底から湧き出る無限の憐れみのようだった。主は私に向かって言った。

              「我が子よ、人間は神の象りとして創られた。われわれの食物は、神の三つのペルソナの間でいつもお互いに一致し、絶え間なく交わされる愛なのです。人間もわれわれの手と、清い無私の愛から生まれたので、われわれの食物の、一少部分にすぎません。
               それなのに、それがわれわれにとり苦い食物になった。その大部分はわれわれから離れて地獄の炎の牧草となり、われわれと人間の第一の敵である悪魔たちの言い知れぬ憎しみの食物と成り果ててしまったのです。ここに霊魂を失う悲しみの主な原因があります。なぜなら人間は私たちのもので、私たちに属しているから。彼らを罰したいと思うのは、人間を育くむ愛が大きく、その魂を救いたいからなのです。」

              「主よ、今回はあなたは罰について他に言うことがないのね。これらの霊魂を救うための、あなたの権能は他にもたくさんあるのに。あなたが巻き込まれず、苦しむこともなく、人間に全ての苦難が与えられるのが確かなら、仕方がないわ。でも既にあなたの送った罰のために、自分でとても苦しんでいるのが見える。これ以上別の罰を送り続けて、どうするつもり。」イエズスは言う。

              「自分が苦しくとも、愛はもっと重い鞭を与えようとする。人間が自分の存在が何か理解し、駄目になった自分を反省するには、これ以上強力な方法がないから。私の正義に同意しなさい。私のことを愛していればこそ反対し、私の苦しむのを見たくないのも分かっています。
               私の母はどんな人間よりも私を愛してくれました。母は何とも比べようがない。それでも霊魂たちを救うために正義に同意し、私がこんなに苦しむのに甘んじた。もし私の母にできたのだから、あなたにもできるでしょう。」

              こうしてイエズスが語っている間、私の意志は主に釘づけになり、主の正義に反対などできなかった。私は納得し、それ以上何を言ったらよいのか分からなかったので、私は自分の意志を示さなかった。イエズスは消え、私は主の正義に賛成なのか反対なのか、疑問なままだった。 

              20 一人の霊魂をもうけるために、ある友情を失ってもよい

              2014.08.06 Wednesday

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                マリア・ワルトルタ『マグダラのマリア』あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳編より
                20 一人の霊魂をもうけるために、ある友情を失ってもよい
                 イエズスは、メロン(1)の湖からガリラヤの方へ行く道にいる。一緒に熱心もののシモンとバルトロメオとがいるが、小川のそばに八方からくる他の人々を待っているようである。猛暑の日である。それでも多くの人々が、そちらの地方で伝道した使徒たちと一緒にやってくる。
                 イエズスのもとにまっ先に着くのは、ユダ・タデオがつれてくるグループである。その人々の顔には疲労の色が濃い。最後に着くのはペトロを頭としている一行で、その中にはコロザインとベッサイダの人が多い。
                「先生、おっしゃったように、われわれはやってみました。しかし、もっと多くのグループがあってほしい…。ごらんのとおりこの暑さのために長く歩けません。そうしたらどうしますか。私たちは、いろいろな村を歩き回るにつれて世界が広がる感じがします。ガリラヤは、こんなに広いと今まで気がつかきませんでした。私たちは、そのすみの一つにいるが、それでもこんなに広くて、皆が、あなたを望んでいるのに皆のさまざまの要求にすべて応じることはできません」とペトロが悲鳴を上げる。
                …イエズスが言う。
                「シモン・ペトロ、あなたの言うとおりです。私もこの大勢の人々をあわれむ。私の与える真理の確実さをまだ持っていない人々はどんなに疲れているか。そしてまた私の言葉をちょっとだけ味わって、そして、もっともっとほしがっている人々はどんなに飢えているかをごらん。この人たちは牧者もなく牧場もなくさまよっている羊のようです(2)。そのためにおまえたちは、おまえたちの霊的な、物理的な力をもって私を手伝うべきである…なぜなら、実っている収穫は実に大だからである。しかし働く人は少ない。では土地の主人が自分の収穫に多くの働き人を送るように祈りなさい」
                …「主よ、マグダラのマリアは、あのファリサイ人の家で、あなたにゆるしを請うたとは本当ですか」
                「そうですよ、トマ」
                「そして、あなたはそのゆるしをお与えになったのですか」とフィリッポが聞く。
                「与えたとも」
                「しかし、それはまずい」とバルトロメオが言う。
                「なぜ? それは真実な痛悔だったので、ゆるしに値するものであった」
                「しかし、あの家で公然と皆の前で与えるべきではなかった…」とケリオットのユダがとがめる。
                「でも、どうしてそれが悪いのか」
                「それはこうです。彼らの頭にはどれほどの理屈があるか。あなたをどんなに見張っているか、あなたに対してどれほどのざん言を吐くか、どれほどあなたを憎んでいるか。カファルナウムでは、あなたの友人といえた人が少なくとも一人はいた。それはシモンでした。それなのにあなたは彼の家に一人の娼婦を招き、こうしてその家を汚し、友人のシモンにつまずきを与えたのです」
                「私が彼女を呼んだのではない。彼女が自分で来たのです。それに彼女はもう娼婦ではなかった。回心した一人の女だった。これによってすべてが変わってくる。”人々が前に彼女に近づき、そして私の前でも彼女を欲しがるのを嫌悪しなかったならば”彼女は、もう肉体ではなく一人の霊魂に変わった今、私の足元にひざまずいて涙を流しながら、その謙遜な告白をしている彼女が入って来たことについて嫌悪をもつべきではない。ファリサイ人のシモンの家は、大きな奇跡によって聖別された。一人の霊魂の復活によって、カファルナウムの広場で五日前に彼シモンが私にこう聞いた『それだけの奇跡を行ったのか』そして彼が自分で『いや、そうではないでしょう。その一つでもぜひ見たいものと望んでいる』そして私はその奇跡を行った。そして霊魂と恩寵との婚約の証人、仲人となるために彼を選んだ。彼はそのことを誇りにしてよい」
                「誇りにする代わりに彼はつまずいていたのです。多分あなたは一人の友人を失ったでしょう」
                「私は一人の霊魂を見つけた。一人の霊魂が、また神と友情を結ぶようになったなら、ほかのもう一人の人間のあわれな友情を失うに値する」
                「しようがない。あなたとの場合、人間的に話すことはできない。先生、私たちはこの地上にいるのですよ。忘れないでください。そのためにここでは地上の法律と考え方は有効です。あなたは天の中に動き、すべてを天の光を通してごらんになる。気の毒な私の先生! あんたは罪悪である私たちの中に生きるにはふさわしくできていない」
                 ケリオットのユダが感動して、また、がっかりしてイエズスを抱いてこう結ぶ。
                「そして私がこんなに悲しむのは、あなたがあまりにも良いお方だから、多くの敵を作るからです」
                「ユダ、そんなことを悲しむな。そうであるべきだ。しかし、シモンがそのことを不快に思っていると、どうして知っているか」
                「それは不快に思うとは言わなかったけれども、トマと私とに、そんなことをすべきではなかったとほのめかしました。正直な人しか入らないその家に彼女を招くべきではなかった」
                「まあ、まあ! シモンのところに通っている人々の正直さについてしゃべらない方がよい」とペトロが言う。
                そしてマテオが、
                「娼婦たちの汗が、ファリサイ人のシモンの家の床、食卓と他のところにたびたび流れたと、だれでも知っている」
                「しかし、それは公にではなかったでしょう」とケリオットのユダが言い返す。
                「いいや、そんなことを隠そうとする偽善をもってであった」
                「そうしたら、ことは違ってくるじゃないか」
                「それなら『私の罪を捨てるためにここに来た』と言おうとして入る娼婦と、『一緒にあの罪を犯すためにやって来た』というために入る娼婦の場合とちがう」
                「マテオが言うとおりだ」と皆が言う。
                「それはそうです。しかし、彼らが私たちのように考えているのではない。そのために彼らを友人にするためには、彼らと彼らの考え方に合わせていろいろ妥協すべきだ」
                「そんなことは絶対にない。ユダ、真理、正直さ、道徳の品行においては、寛容とか妥協とかはない!」とイエズスが怒鳴る。
                 そしてこう結ぶ。
                「ともかく私は善のために正しく行った。と知っている。そしてこれで充分だ」
                イエズスは話を聞こうとして待っていた群衆に、宝ものの隠れている畑を買うたとえ(3)を話してから彼らにいとまを与える。
                「安息日になる前に家へ帰りなさい。主の日に、天の国を意味する宝物のたとえを考えよ。平和が皆さんとともに」
                 人々は田舎の小道へゆっくりと散って行く。イエズスは日暮れになるころ、カファルナウムの方へ歩き出す。
                        *          *           *
                 カファルナウムに着くと夜はもう更けていた。彼らは暗くて、でこぼこのこの道を照らすのが月の光だけの全く寝静まった町を通る。皆も、もう寝ていると思って家のかたわらにある、せまい菜園に黙って入る。しかし台所に燈がついている。そして、その燈によって動く三つの影が、となりのかまどの白い壁にうつる。
                「先生、先生を待っている人々がいるようです。しかし、これはいけない。今、あの人たちにあなたはお疲れだからと言いに行きます。その間あなたは屋上に上がっていてください」
                「いいえ、シモン、私は台所へ行く、トマがその人々を泊めたとすれば何かの理由があるはずです」
                しかし中の人々はこれらのささやきを聞きつけて、家の主人トマが入口に出てくる。
                「先生、例の貴婦人がいらっしゃっています。昨日の日暮れからあなたを待って。一緒に一人の僕がいます」そして声をひそめて、
                「非常に、そわそわして絶え間なく泣いています」
                「ああ、そう。上に来られるように言いなさい。どこで寝ておられるか」
                「なかなか寝ようとしなかったが明け方わずかな時間、私の部屋に退きました。僕を、あなたたちのベッドに寝させました」
                「よし、よし。今夜も彼らはそのベッドで寝てよい。そして、あなたは私のベッドで寝なさい」
                「いや先生、私は屋上のわらのある所へ行きます。そこで同じくよく寝られるでしょう」
                 イエズスは屋上へ上がる。そして後からマルタもついてくる。
                「あなたに平和。マルタ」返事はすすり泣きである。
                「また、泣いているのですか。幸せではないのか」マルタの頭はうなずく。
                「しかし、どうして?」すすり泣きに、あふれる長い沈黙。最後に悲鳴のように、
                「もう幾晩もマリアは家に帰りません。そして、どこにいるか見つかりません。私もマルチェッラも乳母も彼女を探せない…。出かける時、車を頼みました。服は全く華美で…私の服を、また着るのを拒みました…半裸でもなかった―そのような服も持っているが―。しかし、それでも非常に挑発的でした…そして、黄金属といくつかの香油などを持って…。そして、それきり戻りませんでした。僕をカファルナウムの最初の家の所で帰し、『他の人と一緒に戻る』と言ったのに、もう戻らなかった。私たちを皆だました! それとも孤独さを感じ、あるいは誘惑に負けたか、何かの災いが起こったか…ともかく、もう帰らなかった…」
                 そしてマルタは、からっぽの俵の沢山積んである所に頭を垂れて泣きながらひざまずく。
                 イエズスが彼女を見つめる。そして威厳をもってゆっくりと、どんな躊躇もなく言う。
                「泣くのではない。マリアは、三晩前、私のところに来た。私の足に香油を塗り、自分のすべての装飾品を私の足元に残した。こうして自分自身を聖別するかのように、いつまでも私の女弟子たちの中に自分の席をおいたのです。あなたは心の中で彼女を非難していけない。今、彼女は、あなたを超えた」
                「それなら私の妹はどこにいるのですか」とマルタが混乱している顔を上げて叫ぶ。
                「なぜ家へ戻らなかったか? だれかに襲われたのか? それとも小舟に乗って溺れてしまったのか? おお、マリア! 私のマリア! 彼女を見つけたのにすぐまた失った?」
                 マルタは何を言っているのか本当に分かっていない。下にいる人々に聞かれるのを考えず、また、妹がどこにいるかをイエズスが知っているのも考えない。何も考えつかないで失望、落胆しているだけである。
                 イエズスはやむをえず彼女の手首をつかんで、自分の高い背たけと魅力のあるまなざしで彼女を抑えて、じっと自分に聞くように、静かにさせる。
                「もう充分です! あなたに私の言葉に対しての信仰を望む。あなたの寛大さを望んでいる。分かりましたか」
                 そして、マルタがちょっと静まった時に、その手を離す。
                「あなたの妹は、聖なる孤独さに包まれて自分の喜びを味わいに行きました。なぜなら、彼女にはあがなわれた人の神秘なつつしみがあるからです。前にあなたにいったと思うが、聖寵の花嫁の自分の新しい心を探る姉のやさしいまなざしさえも耐え忍べないのです。そして、私の言っていることはいつも本当です。あなたは私の言うことを信じてほしい」
                「はい主よ、はい。しかし私のマリアは、あんまり長い間悪魔のものでしたので、悪魔は、またすぐ彼女をつかまえた…」
                「彼、悪魔は永遠に失った自分の獲物のことであなたに対して復讐する。それでいつも強いあなたが理由のない狂気のような心配のために彼の餌食になってよいと思うのか。今、私を全く信じている彼女のために、私がいつもあなたの中に見ていたその美しい信仰を、あなたが失ってしまったと見てよいだろうか。マルタ! 私をよく見よ。私に聞きなさい。サタンに聞くな。自分に対しての神の勝利によって、やむをえず獲物を離さなければならない彼、悪魔が、休みを知らない人間のかの拷問者、神の勝利のかの泥棒が、他の獲物を見つけようとして躍起になっていると分からないのか。良い、誠実であるがためにさまざまのサタン攻撃に抵抗する第三者に加える拷問は、他の人の心の治療を固めるものである、と知らないのか。この世界で存在すること、また、起こっていることすべては無関係ではなく、従属と継続の永遠の法則によって支配され、それによって一人の人の業は他の人に対して自然と超自然な非常に広い反応を起こすのを知らないのか。あなたはここで泣き、ここで辛い疑いを感じながら闇のこの時でもあなたは、あなたのキリストに対して忠実を守る。どこかあなたの知らない近いところで、マリアが受けた無限のゆるしに対しての最後の疑いが解かれるのを感じ、そして、彼女の涙はほほえみに変わり、その闇は光に変わる。彼女が汚れのない母のそばに、霊魂たちが新たに生まれる全くの平和のあるところに案内されたのは、あなたの苦しみによってであった。
                 あなたの妹は私の母のところにいる。生きる星マリアが、自分の子の沈黙の、しかし活動する愛によって愛の入り江に変わり、あなたの妹が平和の、その入江で自分の帆を下ろす最初の人ではない。あなたの妹は今、ナザレトにいる」
                「でも、あなたのお母様を知らないのに…あなたの家も知らないのに…どうして行けたのか…。ひとりぼっちで…真夜中…そのまま…どんな手段もなく…あの服装で…どれほどの道を…どうして…?」
                「どうして、と言うのか。海と山とを越えて、嵐、霧と敵の風を越えてでした。疲れたつばめが、ふるさとの巣に戻ると同じように、つばめたちが越冬地へ行くのと同じように…自分たちを導く本能によって、自分たちを招く暖かさによって、自分たちを呼ぶ太陽によって、である。彼女も皆を招く母、その光へと走った。そして、いつまでも闇を逃れて、もうみなし子ではないように一人の母、私の母をかたわらに、暁の時に幸せな人として戻るのを見るでしょう。あなたはこのようなことを信じうるか」
                「はい、主よ」
                 マルタは恍惚を感じてぼう然としている。実際、イエズスは真に支配者のすべての威厳を発揮したのである。たけ高くまっすぐに、ひざまずいているマルタの上にちょっとかがんで、混乱している女弟子の中に自分自身を注ぐかのようにゆっくり、しかし浮き彫りするように話した。相手を言葉をもって説得するためにこれほどの精力を傾けていることはあまり見たことがない。しかし最後には、マルタの顔にはどれほどの光、どれほどのほほえみが浮かんだことか。
                 マルタの顔は、そのほほえみと静かな光を反映する。
                「もう休みに行きなさい。平和をもって」
                 マルタはイエズスの手に接吻し、全く明るさを取り戻して階下に降りる。
                (1)北パレスチナの小さな湖。
                (2)マテオ9・35~38。
                (3)宝ものの話 マテオ13・44。
                  
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