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2017.01.04 Wednesday

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    第二回のご出現 つづき

    2014.07.17 Thursday

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      『ファチマのロザリオの聖母』渡辺吉徳編訳…ドン・ボスコ社 1983年改訂3版(1954年初版)より

      貴婦人の言葉が聞こえなかったフランシスコは、自分に関する秘密を二人の少女の口から聞いた。居合わせた人々はルチアの言葉を聞いたが、出現者を見も聞きもしなかった。
       しかし、いろいろなことが彼らの注意をひいた。出現のあいだじゅう、ずっと六月の輝く太陽はその光を失って、あたりは黄色くなった。六月で樹木の枝はみな長い若い芽でいっぱいであったが、出現の終わりにルチアが貴婦人は東のほうへ行かれると知らせた時、木の枝は寄り集まり、同じ東のほうに向かってたわんだ。あたかも貴婦人の着物が枝の上で引きずられたように。
       ご出現が消えても、子供たちも立会人たちも立ち去りかねていた。彼らは聖母の連祷を唱え、それからロザリオを唱えながら出発した。立会人たちは自分らの見たこと、子供たちの口から聞いたことを人々に伝えたので、うわさは小教区の域をこえて、周辺の地方に広がっていった。
       この第二回ご出現の目撃者に、ラ・モイタ部落のマリア・カレイラ婦人がある。のちに人々は彼女を「小聖堂のマリア」と呼んだ。彼女はコヴァの聖場の建設のため、み摂理の道具となるべき人である。

      つづく 

      第二回のご出現 六月十三日

      2014.07.05 Saturday

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        『ファチマのロザリオの聖母』渡辺吉徳編訳…ドン・ボスコ社 1983年改訂3版(1954年初版)より

        第二回のご出現 六月十三日

        六月十三日(水曜日だった)。この日はパドアの聖アントニオの祝日であり、ポルトガルの保護聖人であると同時に、ファチマ小教区の保護聖人でもあった(聖アントニオ・デ・パドアはポルトガルでは聖アントニオ・デ・リスボンと呼ぶ。聖人はパドアで亡くなったが、リスボンで生まれ、二十五歳までそこにいた)。この日は、この地方の中心地オーレムに大市が立つ習慣であった。ヤシンタとフランシスコの両親は朝早く出発して市へ行った。それは子供たちの語る出現を気にしていないしるしである。人々は小教区の祝いに出かけた。六十名たらずの人が、どちらかというと好奇心から、コヴァに集まった。
         正午前に、三人の子供たちはコヴァに着いた。彼らは先月最初のひらめきを見た場所にひざまずいた。ロザリオを唱えたのち、ルチアは立ちあがり、聖堂へ入ろうとする時のように身づくろいをしてから、東のほうを向いて”美しい貴婦人”を待った。
         人々は彼女にたずねた。
        「まだ長く待たねばならないのか?」
        「いいえ」と少女は答えた。
        他の二人の子供たちがもう一本のロザリオを唱えましょう、といったとたんに、ルチアがおどろきの身振りをして呼んだ。
        「あッ、光! 貴婦人がおいでになります。」
        そして他の二人といっしょに坂の下、先の出現のあった小さなひいらぎのそばへかけつけた。ご出現であった。
        「あなたさまは、私にここに来ることをお求めになりました。あなたさまのお望みになることを、どうぞ私におっしゃってください。」
         出現者はつぎの月の十三日にもそこに来るように、と答えられ、また、毎日ロザリオを唱えることを勧め、そしてつけ加えられた。
        「私は、あなたが読み書きができるように勉強してほしい」と。(当時ポルトガルでは初等の学校教育はあまり普及されていなかった。)
         ルチアは人から自分に頼まれていたある病人の治癒をお願いした。
        「改心するように、そうしたら一年のうちに治るでしょう」とお答えになった。
         ずっとのちに、ルチア(彼女が修道女となって後に)が知らせたことであるが、この時ルチアは元気を出して出現者にたずねた。
        「私たちを天国へ連れて行ってくださるようお願いしたいのですが。」
         このときの貴婦人の答えは”小さな秘密”として、しばらく人々は推量するだけであったが、後年ルチアが語ったところによると、つぎのようであった。
         「そう、ヤシンタとフランシスコは、まもなく私は連れに来ましょう。しかしあなたはこの地上にもっと長く残らねばなりません。イエズスさまはあなたを使って、人々に私を知らさせ、愛させることを欲していらっしゃいます。イエズスさまは世界に私の汚れない心の信心を設定することを望んでいらっしゃいます。」
        「では、私はたった一人地上に残らねばならないのですか。」
        とルチアは、小さな信頼する二人の友人と離れて生活することを思って、たいへん悲しそうにたずねた。
        「いいえ、わが子よ、…それをあなたはたいへん苦しみますか?…元気を失ってはいけません。私は決してあなたを見すてません。私の汚れない心は、あなたの避難所となり、あなたを神さまへ案内する道となりましょう。」
         こういわれて(ルチア修道女のもう一つの手記によると)、聖母は第一回後出現の時のように両手を開かれると、強い光線が発出し、この光線の中に子供たちは神の中に沈んでいる自分たちを見た。フランシスコとヤシンタは天に向かってあがっていた光線の中にあるように見え、ルチアは地上に傾く別の光線の中にあったように見えた。彼らは出現者の右手の前に、茨に取りまかれ、いたるところ刺されている心臓を見た。子供たちは、これはマリアの汚れないみ心で、世界の数々の罪で苦しめられ、償いを願っているものと悟った。
         そのときから彼らは、この透徹する光線は彼らに、マリアの汚れないみ心にたいする内密な認識と特別な愛を伝通するのを目的としたことを確信した。この日から三人は、自分たちの心の中に天のおん母のみ心にたいする熱烈な愛を感じた。
         以上の話に、なおルチアはつけ加えた。
        「六月のご出現の時貴婦人は私たちに黙るように、命じられたのではありませんが、私たちはみ主がそうするようすすめられるのを感じたのでした。」
         三人は自分たちの将来に関することは、自分たちだけのために守るのが義務であると思った。特に、両親にたいしてその子供たちの近い死を知らせるのはよくないと思った。
        つづく

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