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2017.01.04 Wednesday

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    24のつづき(3)

    2014.05.24 Saturday

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      あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『イエズスの受難』より

       華奢な体つきのヨハンナが、水を吸い過ぎた百合のように体をかがめて行ってしまうと、たちまちマリアは苦悶の表情に戻る。
      「皆に! 私は皆に力を与えるべきです。でも私にはだれがその力を与えてくれるのですか」こう言って、あの布が張られている小箱のそばに腰かけてイエズスの顔をなでる。
      ヨゼフとニコデモがやって来る。没薬(もつやく)とアロエと幾つかの香袋そ持ってきたので、婦人たちは買いに出かけなくて済む。この二人も、布に遺(のこ)されているイエズスの顔や母の泣きはらした顔を見て、力が抜けてしまったようにあいさつだけすると、押し黙ったまま隅に座る。それからしばらくして帰っていく。
      マリアも話す力も失せ、蒸し暑く、低くたれこめた雲のせいか日暮れが早くくるが、苦しむすべての人々にとってそうであるように、マリアにも夜はより大きな苦しみの泉となる。他の婦人たち、とりわけサロメ、アルフェオのマリアとスザンナとは悲しんでいる。いつの間にかゼベデオ、スザンナの夫、アルフェオのシモン、ヨゼフがやってきたので、婦人たちの気持ちも少し明るくなる。ゼベデオとスザンナの夫とは玄関に残り、オフェル区を通ったときヨハネに出会ったと説明し、また他の二人は、町に戻ろうかそれとも他の弟子たちが集まっていると思われるベタニアに行こうかと、思案していたところをイザクに見つけられたと訳を話す。
      シモンが口を開く。
      「マリアはどこにおられますか、会いたい」
      母のもとに案内されてその部屋に入り、苦しむ叔母に接吻する。
      「あなた一人なの? どうしてヨゼフと一緒ではないのですか。まだ、仲直りしていないの? それはいけないわ。ごらんなさい、けんかのもとはもう亡くなりました」こう言いながら、マリアは布の顔を指差す。
      シモンは泣きながらマリアを見て、
      「別に二人は離れたのではありません。そう、二人のいざこざのもとは亡くなりました。あなたが考えるようにではなく、二人が仲良くなったのはヨゼフが”いま”分かったからです。いま、そこの外にいますが、あえてここに来る勇気がないのです」と話す。
      「そんな! 私はだれも怖がらせません。私はあわれみだけです。裏切り者でさえゆるしたかったのに…それはもうできないことです。あの人は、自殺したそうだから」
      マリアは立ち上がるが、腰をこごめて歩きながら呼ぶ。
      「ヨゼフ、ヨゼフ!」
      だが、ヨゼフは涙ぐんだまま答えない。マリアは入口まで来て、かまちに片方の手をかけ、もう片方の手を甥たちの中で一番頑固で年長の甥の頭の上に置き、なでながら話し始める。
      「私が一人のヨゼフにもたれるのを許してください。その名が私の家の王であった時まで、すべては平和と明るさに満ちていました。そえから私の聖なるものを死に奪われ、あわれなマリアのすべての人間的な良いことは、ヨゼフと一緒に死んだ…。私の神また子供の超自然的な良いことは残ったが…いまは見捨てられたも同然です。でも、あなたも知ってのとおり、私が愛するもう一人のヨゼフの腕に支えられるならば、私の孤独もそれだけ和らげられます。何だか時間が逆戻りするような気がします。『いま、イエズスはいないけれど、仕事でカナかナインにいてもうすぐ帰る…』そんな気がします……。ヨゼフ、おいで。イエズスが、あなたにほほえむために待っている部屋に行きましょう。そのほほえみを遺したのは、自分には遺恨がないと知らせるためです」
      ヨゼフはマリアに連れられて部屋に入り、マリアが腰かけるとそのひざに手を置いてはらはらと涙を落とす。
      「ゆるしてください! ゆるしてください!」
      「私にではなく、イエズスにそう頼んでください」
      「イエズスは、いま私に、そのゆるしを与えるはずがない。カルワリオでイエズスのまなざしが私の方に向けようとしていたが、”皆”を見たのに私を見ようとしなかった…それも、もっともです…私がイエズスを先生として知り、愛したのは、あまりにも遅かった。いまはもうすべてが終わった…」
      「いえ、”いま、すべてが始まる”あなたはナザレトへ行き『私は信じます』と言いなさい。あなたのその信仰には、計りがたい値打ちがあるはずです。あなたは、心をもってだけイエズスを知り、愛する、未来のすべての使徒たちの愛で愛するという功徳があります。そうしてくれますか」
      「はい…はい。償うために。だが、その前に”彼”から一言聞きたいが、そのことばはもう聞けないでしょう…」
      「3日目にイエズスはよみがえり、自分を愛している人人に話しかけるでしょう。皆、その声を待っています」
      「そう、信じられるあなたは幸せです」
      「ヨゼフ! ヨゼフ! 私の夫ヨゼフ、あなたの叔父であったヨゼフは、これよりももっと信じられないことを信じました。夫は、ナザレトのあわれなマリアが神の配偶者でまた母であると信じることを知りました。それなら、この義人の甥で同じ名前を持つあなたは、神が死に向かって”もう十分”命に向かって”戻れ”と言えるということを、どうして信じられないのですか」
      「私はこの信仰に値しません。イエズスに不正を働き、悪かったから。しかし、あなた…あなたは、その母です。私を祝福してください。私を許してください。私に平和を与えてください…」
      「そう…平和…ゆるし…おお、神よ! 私はいつか”贖い主であるこは何と難しい!”と言ったことがありますが、いまは”贖い主の母であることは何と至難の技か!”と言います。神よ、あわれんでください! あわれんでください! さあ、ヨゼフ行きなさい。あなたのお母さんは、この二日間苦しみ抜きました。お母さんを慰めなさい。”私はここに残ります…私の子のすべてのものと一緒に…ひとりぼっちの私の涙は、あなたに信仰を得させると思います。ヨゼフ、さようなら、私は黙って…考え…祈りたいだけだからと皆に伝えてください。私は淵の上に一本の糸でぶら下がっているあわれな一人の女にすぎない。糸とは私の信仰です。あなたたちの”不信仰”は、私のこの糸に絶えずぶつかる……あなたたちは全く信じるということを”知らない”からです…。こうして、あなたたちは私にどんなに苦労させているかを知らないのです。さあ行きなさい…」
      マリアは一人になり、あの布の前にひざまずいて、御子の顔と言わず、目や口に接吻してささやく。
      「このまま! このまま!…。力をもらうために…”私は信ずべきです、信ずべきです、皆のために”」
      星一つない、真っ暗な夜がきた。むしむしと暑く、マリアは自分の苦しみと一緒にその暗闇の中に残る。
      土曜日の一日が終わった。

      24のつづき(2)

      2014.05.23 Friday

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        あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『イエズスの受難』より

        「もしそうなら、イエズスを知ることもなく、愛さず、いま奉仕することもかなわなかったでしょう。これからすべきことが数多く残っています。それをするのが、ごらんのとおり私たちの役目です。男たちは逃げたのに、私たちは残りました。まことの産みの親はいつも女です。善においても、悪においても、私たちは新しい信仰を産みます。私たちはその信仰でいっぱいで、花婿である神におかれた信仰で日夜あふれています。女たちはこの世に、善のためにより多く信仰の人を産むでしょう。イエズスは、何とまあ美しい! ほら、私たちのこの仕事をほほえみながら願っているようです。ヨハンナ、ご存じのとおり、あなたを愛しています。だから、もう泣かないで」
        「イエズスが死んだ! そう…そこで…行きているように見えるのに、もう生きていない…イエズスがおられないこの世は何でしょう?」
        「イエズスは戻ります。さあ、行きなさい。祈って待ちなさい。あなたがひたすら信じるなら、イエズスはより早くよみがえります。このように信ずることは私の力です…復活への私のこの信仰が、どのような攻撃にさらされているか、神と私とサタンだけが知っています」 

        つづく

        24のつづき

        2014.05.20 Tuesday

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          あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『イエズスの受難』より
          24 聖土曜日の昼

          その日は時おり晴れ間を見せるが、ほとんど暗い嵐の中で過ぎていく。ヨハネが昼ごろ戻ってくる。
          「お母さん、だれにも会えませんでした。ケリオットのユダ…の他には」
          「どこで?」
          「お母さん、恐ろしいこと! ユダは、昨日死んだらしく、真っ黒にふくれてオリーブの木にぶらさがっていました。もう腐敗が始まり、見るに堪えないありさまで…。ユダの上をハゲ鷹、カラス、いろいろの鳥が残酷に突っつき合いながらぎゃーぎゃー鳴いており、その騒ぎが私をそちらの方へ呼び寄せたのです。私は橄攬(かんらん)山の道にいましたが、とある斜面の上に真っ黒な汚い鳥たちが輪をかいて鳴き騒いでいるのを見て行ってみたのです。なぜだかよく分かりませんでしたが。そして、その恐ろしいものを…」
          「なんて恐ろしい。慈悲の上に正義があったのです。実際、慈悲はいま留守です。(5)…それでペトロは! ペトロは…ヨハネ、槍をもらいました。でも服が…ロンジーノはそれについて一言も口にしなかった…」
          「お母さん、ゲッセマニまで行きたい。イエズスはマントなしに捕らわれたのだから、まだあそこにあるかもしれません。それからベタニアへ行きます」
          「そうね、マントを見に行ってください。他の人たちはラザロのところにいることが分かっていますから、ベタニアの家へ行く必要はありません。出かけたら、ここにまた戻りなさい」
          食事もとらず、ヨハネは走って出かける。マリアも、このところずっと何も食べていない。婦人たちはバルサムをこねながら、立ったままパンとオリーブの食事をとっている。やがて、ヨナタとクザのヨハンナとが連れ立ってくる。泣きはらして、まるでお面のような顔をしたヨハンナはマリアに会うやいなや「イエズスは前に私を救ってくださいました。なのに、ご自分は死んでしまわれた。あの時、救わない方がよかったほどです!」と悲痛な声を上げる。
          病気は治ったけれど、病的なまでに感受性の強いこの婦人を慰めるのは、苦しみの母の方である。


          (5)ルカ22・53の意味で。


          つづく
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