21 お告げ
2014.03.25 Tuesday
あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より
まだ幼さの残る十五歳くらいのマリアが長方形の小さな部屋にいる。実にかわいらしい部屋である。
長い方の壁に寄せて寝床がある。縁のないベッドで、厚いござ、それともじゅうたんで覆われている。私たちのベッドとちがって、優美な曲線もなく、固い板か、藤で編んだものに敷かれているように見える。向かい側の棚には、油の灯火と、いくつかの羊皮紙の巻物、刺繍の布とも見える丁寧にたたんだ縫い物が置かれている。窓は庭の方に開かれ、そよ風に軽くゆれ動くカーテンがあり、その傍らの、長い方の壁際の低い台にマリアは腰かけて、絹のように柔らかい真っ白な麻を紡いでいる。麻の白さだけに、やや劣る小さな手は、すばやく動いて紡を回す。ういういしい非常に美しい顔を少しうつ向けて、何かのやさしい考えを追うように軽くほほえんでいる。
小さな家と庭は静けさに包まれている。マリアの顔、また、彼女をとり囲んでいる環境には、平和が満ちている。部屋は非常に簡素で、修道者の個室のように飾り気がなく、ベッドの上の布、巻物、灯火、そのそばの桃か梨の花を差した小さな壷も、きちんと置かれているので、厳格で清潔な感じがする。
マリアは低い声で歌を口ずさみ、それから少し声を上げる。高い声ではないが、小さな部屋にひびく心の高鳴りを感じさせる声である。たしかにヘブライ語で、言われていることばは分からないが、たびたび”ヤーヴェ”と言うことばを繰り返すので、賛歌か詩編であろう。マリアは神殿を思い出しているのかもしれない。糸車と錘を回している手を膝において、頭を後ろの壁に少しもたせかけている。顔はバラ色に輝き、目は何かやさしい思い出を追っているようにうるむが、あふれない涙によって、もっと大きく見える。それでも目は眺めている考えにほほえみ、そばにある世界を脱出している。素朴で簡単な白い服から出ているマリアの顔は、頭に三つ編みを冠のように巻きつけて大変美しい花のようである。歌は祈りに変わる。
「いとも高き主よ、この世に平和を運ぶためにあなたの”僕”を送るのを、これ以上おそくしないでください。あなたのキリストの到来のための適当な時と、清い処女を立ててください。父よ、神なる父よ、この目的のために自分の命をささげる恵みを、あなたの婢に与えてください。この世であなたの光と正義とを見て後、あがないの実現を知ってから死ぬ恵みをお与えください。おお、聖なる父よ、このように預言者たちが慕っていたものを送ってください。あなたの婢にあがない主を。私の生涯が終わるその時には、私のためにもあなたの住まいが開かれますように。なぜなら、あなたを希望したすべての人々のためにメシアはもう天の扉を開いているでしょうから。おお、主の霊よ、来て、来てください。あなたを待ちわびる、あなたを信ずる人々のところに来てください。平和の君、おいでください…」
マリアは、そのまま祈りに専念する。
カーテンが動く。だれかが、その後ろで扇を動かすかのように、更に強くゆれる。同時に純粋の銀に真珠をとかしたような、白いまばゆい光が、薄黄色の壁を照らし、さまざまの布をもっと生き生きとした色にし、マリアの顔を神々しく浮き上がらせる。カーテンは、今から行われる奥義の前に、もう動かず、その光の中に大天使が現われ、マリアに向かってひれ伏す。
大天使は人間の姿をとっているが、その姿は人間を超える。非常に美しい輝くようなその姿は、何の肉でできているのか。神は、処女マリアに見られるように、その霊的なものをどのようにして物体化したものか。私たちのような顔、体、目、口と手であるが、私たちの不透明の、それとはちがう。肉体、目、髪、唇の色をとった光で、動き、ほほえみ、見つめ、また語る。
「恩寵に満ちているマリア、ご挨拶申し上げます」
その声は、貴金属の上に投げられた真珠のようなやさしい調和のある竪琴の音である。
マリアは、びくっとして、目を伏せる。輝かしいそのものが、一メートルほど離れてひざまずき、胸に両手を交差して限りない尊敬をもって、自分を眺めているのを見ると、ますます、不安におののく。
マリアは立ち上がって壁に体を寄せる。赤くなったり青くなったりするその顔は、驚きと狼狽を現わしている。無意識で手を胸の上に合わせ、広い袖の中に隠し、できるだけ自分の姿を隠したいかのように小さくなる、優雅なつつしみの身ぶりである。
「いや、恐れることはない。主は、あなたとともにおられる! あなたはすべての女の中で祝せられたものである」と聞いても、マリアは恐れ続ける。その不思議なものが、どこから来たのか? 神の使いか、それとも”だますもの”の使いか?
「マリア、恐れるな!」と大天使は繰り返す。
「私は神の天使ガブリエルです。私の主は、私をあなたのところへ送られた。あなたは、神のみ許に嘉されたものであるから、恐れることはない。あなたは懐胎し、一人の”子”を産む、”イエズス”という名を授けよ。この子は偉大なるもので、いと高きものの子と呼ばれ、神なる主は、彼に父ダヴィドの王座を与え、ヤコブの家を永遠に司らせる。その国には終わりがないであろう。主に愛された、おお、聖なる処女、これを理解しなさい。あなたは神に祝せられた娘で、神の子を産む母として召されたのである」
「私は男を知りませんのに、そのようなことが、どうして起こりうるのでしょうか? 神なる主は、ご自分の婢のささげるものを受けるつもりはなく、ご自分の愛のために私が処女であることを望まれないのでしょうか?」
「おお、マリア、あなたが母となるのは、人間の業によるのではない。あなたは聖なる処女、神の聖なる者である。聖霊はあなたにくだり、いとも高きものの力は影のようにあなたを覆うであろう。そのために、あなたから生まれる者は聖なる者、”神の子”と呼ばれるであろう。われらの主である神にできないことはない。産まず女のエリザベトは、その老齢にもかかわらず一人の子を懐胎し、彼はあなたの御子の預言者、その道を準備する者となろう。主は」彼女の恥を取り除き、彼女の思い出は、あなたの名前と一緒に民々に残り、彼女の子の名前は、あなたの”聖なる者”の名前と一緒に残る。世の終わりまで民々は、あなたたちを、その恵みのために祝された者と呼び、あなたによって人類に下った、その恵みのために、特にあなたは”幸いなる者、祝された者”と呼ばれるであろう。エリザベトは、はや六ヶ月目であり、その重荷は彼女を喜ばせ、あなたの喜びを知る時には、なおさら喜びにあふれるであろう。恩寵に満るマリア、神に不可能なことは一つもない。私の主に、何と伝えればよいか? あなたは何の心配もしないでよい。神はあなたが大事にしていることを守られる。あなたが自分を全く神にゆだねるならば、全世界と永遠なるものは、あなたのことばを待っている。
今度はマリアが、胸に両手を十字に合わせて深いお辞儀をして答える。
「私は神の婢です。神のみことばどおりになりますように」
天使は喜びに輝く。承諾に体をかがめた処女の上に、神の霊が下る。それを見て大天使は礼拝し、カーテンを動かさずして、姿を消す。
注
(1)ルカ 1・26~28。
57 苦しみはさまざまな形で、いつも私たちとともにあった
2014.03.19 Wednesday
あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より
57 苦しみはさまざまな形で、いつも私たちとともにあった
イエズスが言われる。
「気むずかしい学者たちに、失礼だったかもしれないが、今までのヴィジョンをもって、私の到来と、その前後のエピソードを表わして来た。今のエピソードは、そのものとして、よく知られているが、何世紀にわたっての、あまりに人間的な考え方によって、相当、変貌されて現実がぼかされて来た。だれかが、この実際のエピソードによって、私の神性、御父の御稜威(みいつ)と至聖なる三位一体に、傷がつくと考えたが、かえって、それによって永遠なる主の限りない慈悲と、私の母の功徳と、私自身の全きの謙遜が、なおさら浮き彫りにされるのである。ヴィジョンによって、今までの連続したエピソードを見せたのは、それに含まれている超自然の意味を、あなた自身と他の人々とに応用して、生きる基準にするためである」
* * *
「十戒は律法である。私の福音は、この律法をより明らかにし、もっと従いやすくする教えである。人間を聖人にするには、この律法と、この教えだけで足りる。
しかし、あなたたち人間の生活は、心があまりに支配しているので、さまざまの心遣いにつまずいて、今言った道(十戒と福音)に従いえず、倒れてしまうか、それとも落胆して止まってしまう。あなたたちは、福音のいろいろな模範をもって、あなたたちをもっと前進させたい人に向かってこう言う
『しかし、イエズスや、マリアや、ヨゼフは、同じく他のすべての聖人について言うが私たちのような人ではなかった。彼らは力強いもので、わずかばかりの苦しみがあったにしても、すぐ慰められ、その上、欲を感じることがなかった。彼らは人間ばなれしていた』”あのわずかの苦しみ””欲を感じなかった”とは!
苦しみは、ずっと私たちに付きまとっている仲間のようで、さまざまの異なる形と名前のものであった。欲とは…このことばを悪用して、お前たちを迷わせる悪徳を欲と言うな。それを指すには、真実に”邪欲”あるいは”罪源”と言え。
私たちは、いわゆる邪欲を知らなかったのではない。見聞きするための目と耳を持っていた。そしてサタンは、活動中、そういうふうな悪徳を目の前に躍らせ、また、いろいろなそそのかしをもって私たちを誘惑しようとした。けれども、私たちの意志力は全く神に嘉されるものとなるために絶えず緊張していたので、そのような汚らわしいそそのかしは、サタンが目ざしていた目的に達する代わりに、その反対の効果を、私たちの中にもたらしたのだった。彼、悪魔が働けば働くほど、私たちは、彼が体と心の目に目せつけていた、その泥のような闇を嫌悪して、ますます、神の光の中に逃避するのであった。
しかし、哲学的な意味での”欲”を、”私たちの中に”感じなかったのではない。私たちは祖国を愛し、そして、祖国の中でもパレスチナの他の町よりも、私たちの小さなナザレトを愛した。私たちは、家、親戚、友だちに対しての愛情を感じた。そえを感じるのが、どうして悪いのか? ただ、私たちの唯一の主人は、神であるために、その欲の奴隷とはならなかった。
私の母は、四年ほど後に、ナザレトに戻った時、喜びの叫びを発し、その家に足を踏み入れた時に、自分の承諾の”はい”が神のひとり子を受けるために胎内を開いたのを見た、その壁に接吻したのである。ヨゼフは、親戚の人々、留守にしていた間にふえた、または、成長した甥や姪に喜びをもって挨拶し、村の人々にまだ覚えられていた腕のよさのために、また仕事を頼まれるのを喜んだ。私たちは、いろいろなよい友人を作った。私は友情に非常に敏感で、ユダの裏切りを、精神のはりつけとして苦しんだ。しかし、私の母も、ヨゼフも、家や親戚に対しての愛を、神のおぼしめしの次においた。
私も、言うべきであった時には、ヘブライ人の反感とユダの悪意を刺激すると知っていても、ことばを遠慮しなかった。私は、ユダを自分の奴隷にするためには、金だけで足りると知っていたし、そうすることもできた。しかし、もしそうしたならば、救い主の私ではなく、大金持ちで権力者の私に服従させただけのことである。私は人間的な満足をもたらすために来たのではない。だれにとっても、なおさら、私が選んだ人々にとって。私は絶えず犠牲、離脱、清い生活、低い席に甘んじることを教えた。ユダを抑えるために、その手段しかなかったとしても、彼の精神的、また肉体的満足のために金を与えたならば、私は何の師、何の義人だったであろうか。
私の国では、”小さく”なることによって偉大となる。世間の目で”偉大”でありたい人は、私の国の中で、他の人の上に立つにふさわしい者ではない。そのような人は、悪魔の寝床の藁にすぎない。世間の偉大さは、神の”律法”と対立しているからである。世間では、ほとんどいつも、不正な手段をもってより良い席を取り、そして、こうするために隣人を踏み台にし、それを踏んで上がる。このような人々を”偉大な人”と呼んでいる。世間は、他人の上に立つためには、精神的に、時としては物理的にも他人を殺すことをしかねない。個人、または、団体の富を吸血鬼のように吸って、自分自身を肥やし、こうして高い位、国、あるいは場所を強奪する。このような人々を”偉人”と呼んでいる。いやいや、”偉大さ”は悪業にあるのではなく、善良さ、正直、慈悲、愛、正義などにある。あなたたちの言う”偉大なる人々”は、自分たちの悪魔的な果樹園で摘んだ毒の満ちあふれている実を、どれほどささげたかをごらん。
最後のヴィジョンでは―今ここに、これについてだけ話したいのは、世間が、どうせ本当のことを”聞きたくない”ので―マテオの福音書に二回も繰り返されていることばを照らしている。
『起きて、子どもと、その母とをつれてエジプトに逃げよ(1)』
『起きよ、子どもと、その母とを連れてイスラエルの地に帰れ(2)』」
そして、マリアが子供と一緒に、部屋に一人でおられたのを、あなたは見たであろう。
自分たちが腐った泥にすぎないので、人間の中に、一人でも翼と光を持っているのを認めようとしない人々は、お産の後の、マリアの処女性と、ヨゼフの純潔をなかなか認めようとしない。このあわれな人々は、心も体も堕落しているので、自分たちと同じ人間が、女を尊敬して、肉体ではなく、その魂だけを眺める全く超自然的な雰囲気の中に生きることができる、などとは考えられないのである。
では、最も美しいことを否定する人々に、蝶に変わることのない幼虫たちに、淫乱のよだれに覆われている爬虫類のような人々、一輪の百合の美しさを理解できない人々に、私は、こう宣言する。”マリアは、お産の前にも、後にも、処女であり、彼女の魂は、神の霊だけに結ばれ、その霊の業によって、神とマリアの初子、私イエズス・キリストを懐胎し、彼女の魂だけがヨゼフに嫁いだのである”。
今、言ったことは、母となった聖マリアに対しての、愛の尊敬のために、ずっと後に花咲いた伝説ではなく、キリスト教の初めから知られていたまことである。
マテオは、何世紀も後に生まれた者ではない。マリアと同時代の人である。マテオは真理の中に生き、どんなお伽話でも簡単に信じる、あわれな無知な者ではなかった。彼は、今のあなたたちに言わせれば、税務署の役人で、当時の私たちが、税吏官と言っていた人であるが、ともかく彼は、見聞きしたことによって、本当のことと偽りとを区別できる人であった。マテオは目撃者で、第三者から聞いたことを伝えているのではない。マリアの口から直接に聞いたことを書いている。師に対して、また真理に対しての愛のために、あえて、マリアに尋ねたのである。
マリアの終生の純潔を否定している人々も、彼女が偽りを言ったと考えているとは思わない。他の子供が生まれたならば、マリア自身の親戚が、その偽りを暴露したにちがいない。私の従姉妹のヤコボ、ユダ、シモンとヨゼフとは、マテオの仲間の弟子であった。そのため、このことについての相違する話があったなら、調べるのは容易であった。マテオの福音書は先の記述で、”起きて、お前の妻を連れて逃げよ”とは一度も言わない。ただ”子供の母を…”と言う、先には、”マリアはヨゼフのいいなずけであった(3)”としるされている。
あの人々は、ユダヤ人の習慣では、”妻”と言うことばを、汚らしいことばのように避けていたと言うが、そのようなことは決してない。旧約聖書では、妻と言うことばを使っている箇所は枚挙にいとまがないが、ここにある例だけを載せる。(4)
キリストの時代に書かれた福音書でも、ちょうどマテオが22章25節で”…その妻を弟に残し…うんぬん”マルコが10章の11節で、”妻を追い出して…”としるしている。またルカは、四回つづけてエリザベトをザカリアの”妻”(5)と呼び、また第八章の3には、”クザの妻ヨハンナ”と言っている。このように、神の道を歩こうとする人々が不潔なことばとして避ける単語ではなかった。また天使は、”子どもと、その母”と言って、マリアがイエズスの本当の母であったが、ふつうの意味でのヨゼフの妻であは
なかった、と言うことを暗示している。マリアはいつまでも”ヨゼフのいいなずけ”として残る。以上は、今のヴィジョンが与える最後の教訓である。これは、マリアとヨゼフの頭に輝く光輪である。汚れのない処女! 正しい純潔な男! 私は純潔の清い香りだけをかぎつつ成長した二人の百合である」
注
(1)マテオ2・13。
(2)マテオ2・20。
(3)マテオ1・18。
(4)例えば、旧約聖書から創世17・15, 19・15、サムエル上1・2、1・19など。
(5)ルカ1・5、13、18、24。
56 エジプトへ逃げる
2014.03.19 Wednesday
あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より
56 エジプトへ逃げる(1)
夜、ヨゼフは、狭い小さい部屋の、小さなベッドに寝ている。正直で勤勉に働いた多くの仕事のために、疲れてぐっすり眠っている。
部屋の暗さを照らすのは、窓の透き間から入る月の光の一筋だけである。ヨゼフは、その小さな部屋があまりにも暑いためか、あるいは、暁になったら早く起きたいと思ってか、その透き間をわざと開けておくらしい。脇を向いているが、眠りの中で夢に見る何かのヴィジョンにほほえむ。しかし、そのほほえみは、たちまち憂慮の表情に変わる。悪夢のために突然、目覚める人のように深いため息をついて起きる。
ベッドに腰かけ、目をこすり、見回す。その一筋の光の来る小さい窓の方を見る。まだ真夜中であるが、ヨゼフはベッドに腰かけたまま、短い袖の白い寝巻きの上に、ベッドの足元にあった服を引き寄せて着る。毛布をはずして足を床に下ろし、サンダルを探す。それを履き、紐を結ぶ。立って、自分のベッドのまん前にあるドア―ベッドの傍らにあって、博士たちが迎えられた長い部屋に行くのとはちがう―を、手の先で静かに、静かに叩く。
注意深くドアを開き、音を立てずに元どおり閉めるので、入るように、と言われたようである。部屋に入る前に、油の小さい燈りがあって、うす暗く照らす弱い光で見れば、マリアは寝ていない。明るい服を着て、揺りかごのそばにひざまずいて静かに祈っている。眠っているイエズスは、薄いバラ色で美しい。博士たちのヴィジョンの時に見た同じ一歳位の幼な子で、ブロンドの縮れ毛の小さな頭を枕に沈めて、小さな片方の手はこぶしに握って、のどの下に当てて寝ている。
「寝ていなかったのか?」とヨゼフは、低い、いささかびっくりした声で聞く。「なぜ? イエズスが具合でも悪いのか?」
「おお、そうではありません。元気です。私は、今祈って、あとで寝るつもりでした。ヨゼフ、どうしたのですか?」マリアは、今いた所にひざまずいたままで話す。
ヨゼフは子供の目をさまさないように、非常に低い声で、しかしせき込んで話す。
「ここから、すぐ発たなければならない。”すぐ、今すぐ”小箱と袋とを用意して、できるだけの物を入れなさい。私は、ほかの支度をする。できるかぎりの物を運ぶつもりです。暁の時に逃げよう。その前に、この家の女主人に断りたいから…」
「でも、このような逃亡は、何のためですか?」
「あとで、あとで、もっとよく説明する。イエズスのためです。天使が私に言った、”子供と、その母とを連れてエジプトへ逃げよ”と。できるだけ急いで。私は準備しに行く」
マリアに、早く、早くと言う必要はなかった。天使とか、イエズスとか、逃亡のことばを聞くや、自分の子にとって危険が迫っていると分かって、ろうよりも白くなったマリアは、手を胸に当てて苦悶の表情ながら、身軽にす早く動き出し、衣類を、まだ寝ていなかったベッドの上に積む。苦しんでいると見えるが、あわてずに手際よく支度をする。揺りかごのそばを通るたびに、何も知らない子供を眺める。
「何か手伝うことはないか?」と、半開きのままのドアの透き間から顔を出して、ヨゼフが聞く。
「いいえ、有難う」と、その度に、マリアは答える。
袋が一杯で重そうになった時、初めてヨゼフを呼び、ヨゼフは、マリアの手伝いを断り、一人で長い包みを持って、自分の小さい部屋に運ぶ。
「羊毛の毛布を持って行きましょうか?」とマリアは聞く。
「できるだけ持ちなさい。ここに残る物は、どうせ失ってしまう。できるだけ運びましょう。当分、帰っては来られないから、後で何でも役に立つでしょう」ヨゼフは、こう言いながら、非常に心配そうである。マリアの様子は想像に任せる。自分とヨゼフとの寝台掛をたたむと、ヨゼフはこれを紐で縛る。ござとふとんは残す。
「三頭の小ろばでも、あまり大きな荷物は運べない。私たちのとるべき道は、ある所までは山の中で、それからは、荒地を通るのだから長くて骨が折れるでしょう。イエズスをよくくるみなさい。山の中でも荒野でも、夜は冷たいでしょう。博士たちの贈物を持って行こう。私の持っているお金は、二頭の小ろばを買うために全部使ってしまうだろうし、あとで役に立つでしょう。動物たちは返すことができないから買うほかない。私は暁を待たずに行く。どこでろばを買えるか知っているから。あなたは、すべてを整えて待っていてください」そう言って出かけて行く。
マリアは、何かの物を拾い、それから、イエズスをちらっと見て部屋を出る。まだ乾いていない多分、前の日に洗ったばかりの小さい服を持って戻る。これも、たたんで布に包み、他の物に加える。もう、何も残っていないか見回す。部屋の隅に、イエズスのおもちゃが一つころがっているのに目をとめる。木彫の小さな羊である。それを、すすり泣きながら拾い、接吻する。その木には、イエズスの小さい歯の跡がある。小さな羊の耳も噛まれている。マリアは、何の値打ちもない、しかし、イエズスに対してのヨゼフの愛情と、自分の子供のことを語るそのおもちゃをなでる。これも小箱に、他の物と一緒に入れる。
今は、もう何もない。揺りかごの中のイエズスだけ。マリアは、子供も支度する時が来たと考える。揺るかごの子を目覚めさせるために、ちょっと動かす。しかし、子供はため息のような声を出して寝返りを打ち、眠りつづける。マリアは、軽くその縮れ毛をなでる。イエズスは、小さな口をあけてあくびをする。マリアは、かがんで額に接吻する。イエズスは、ようやく目覚める。母を見てほほえみ、その胸の方へ手を伸ばす。
「はいはい、あなたのお母さんの愛よ、お乳をあげましょう。いつもの時間の前に…。私の小さな聖なる子羊、あなたはお母さんのお乳を吸う準備がいつもできているのね」
イエズスは、笑い、毛布の外に小さな足を出してたわむれ、ブロンドの小さな頭を彼女の胸に寄せて、マリアの服の細い紐をひっぱりながら乳を飲み出す。麻の短い寝巻きを着て、よくふとって、花のようなバラ色で、とても美しい。イエズスは、お母さんが泣いているのを、びっくりして見ている。一方の手を涙の筋まで伸ばすと、その愛撫でぬれてしまう。また、母にもたれて、その胸を小さい手でなでる。
マリアは、子供の髪の中に接吻し、腰かけて服を着せる。毛糸の小さい服を着せて、小さいサンダルも履かせる。子供は十分乳を飲んだらしく、母の胸に寝てしまう。
マリアは静かに立ち、ベッドの毛布の上に置き、自分のマントで覆う。揺りかごの所に戻って、小さな掛布などをたたむ。小さい敷きぶとんを取ってよいか一瞬考える。とても小さいから持って行ってもいいだろうと考え、これも枕と一緒に、もう箱に入れたほかの物と一緒に置く。そして…自分の子供のために虐げられているあわれな母は、空っぽの揺りかごの上に涙する。
ヨゼフが戻る。
「準備はよいか? イエズスは? その毛布、小さいベッドを持ったのか? 揺りかごは持って行けないが。亡き者にするために追われているあわれな幼な子には、少なくともその小さな敷きぶとんがあればよいでしょう」
「ヨゼフ!」とマリアは、ヨゼフの腕をつかまえて鋭い悲鳴を上げる。
「そうですよ、マリア。ヘロデは彼を殺すつもりだ…恐れているから。あの不浄な野獣は、この罪のない幼な子が、自分の国を奪うと恐れている。彼が逃げたと知ったら、どうするか分からない。でもその時、私たちは、もう遠くにいるでしょう。ガリラヤまで幼な子を殺しには来まいと思う…。まず、私たちがガリラヤ人であると知らず、まして、ナザレトの人間であるとは正確にしるまい。もしもサタンが、自分の忠実な僕である感謝から、彼に教えないならば。しかし、こんなことが起こったとしても神は私たちを守ってくださるにちがいない。マリア、泣くのではない。あなたの涙を見ただけで、私にとって亡命することよりも辛い」
「ヨゼフ、ゆるしてください!私のため、また今、失ってしまうわずかのことのために泣いているのではありません。あなたのために…今まであなたは、どれほどの犠牲を払ったか。そしてまた、顧客も何もかも失ってしまう。ヨゼフ、私はあなたにとって、どんなに重荷になることか!」
「何、なに? とんでもない、マリア。あなたは私にとって決して重荷ではない。たえず私を慰めるものです。私たちには博士たちのくれた贈物がある。どこへ行っても、すぐ役立つでしょう。それから仕事が見るかるでしょう。腕の良い正直な職人には、いつも道が開かれる。ここでもそうだったではないか。頼まれる仕事を果たすために、時間が足りないくらいです」
「知っていますとも。でも、あなたの郷愁は残るでしょう」
「あなたこそ、そうでしょう。あなたにとって、大事なあの小さな家を失ったこと。だれが、それを慰めうるか…」
「それはイエズスです。彼がいれば、私はそれだけで充分です。」
「私にもイエズスさえいれば、何ヶ月か前までなつかしく思っていた故郷を持つと同じです。私には神がおられる。ごらんのとおり、私にとってかけがえのないもの一つも失わない。イエズスさえ救えば”すべて”が私たちに残る。今から、もうこの空、この田舎、それにもまして、なつかしいガリラヤの地を再び見られないにしても、彼と一緒なら、すべてを持っていると同じことです。さあ、マリア、いらっしゃい。暁はもう始まる。女主人に挨拶して、荷物を載せましょう。すべて、うまく行くでしょう」
マリアは素直に立つ。ヨゼフが最後の包みを作って、それを背負って出る間に、マントを着る。
マリアは子供をそっと抱き上げ、肩掛けに包み、胸に抱く。何ヶ月かの間、自分たちの宿となった壁を見、手で軽くなでる。マリアに愛され、祝福されるに値した幸いな家! ヨゼフの使っていた小部屋を通って、長い部屋に入る。家の女主人が涙を流しながら、マリアに口づけして挨拶し、肩掛けの裾をちょっと上げて、静かに寝ている子の額に接吻する。それから皆、外の狭い階段から下りる。
ぼんやりと辺りを照らし始める暁の、わずかな光の中に、三頭の小ろばが見える。一番力の強いのが家具を載せ、他の二頭には鞍がついている。ヨゼフは、前のろばの荷鞍に、小箱と他の包みとを載せて、しっかりと締めている。自分の大工道具は、束に縛って袋の上に置いてある。また挨拶と涙…それから、マリアは小ろばに乗り、女主人はイエズスを抱いて、もう一度接吻してから、マリアに渡す。ヨゼフは、マリアの子ろばの手綱をとるために、自分のろばを、荷物を載せているもう一頭のろばに縛った後、自分も乗った。
こうして、逃亡が始まる。ベトレへムは、博士たちの美しいキャラバンの思い出に、まだ浸っているが、後に、何が起こるかを知らず静かに眠っている。
注
(1)マテオ2・13~14。 四人めの少年
2014.03.10 Monday
『クアトロ・ラガツィー天正少年使節と世界帝国』(若桑みどり著 集英社刊)から
ところが、突然、翌日3月23日、サーラ・レージアでの枢機卿公開謁見の当日になって、「ジュリアンはローマに着く四日前から熱病を患っていた。それゆえに、医者から絶対に外出してはならない、寝台から起きてはならないと勧告され、パードレもそう言った。しかし、彼はどうしても教皇聖下の謁見の栄を賜りたいと熱望し、ほかの少年と同行すると言ってきかず、ラテン語で『もし教皇猊下(げいか)のもとに行けば、その声を聞けば、必ず治る』と言うありさまだった。そこで、ほかの公子が馬で大道を行き教皇の祝福を受ける前に、馬車でひとりで行くことにした。またとうてい彼が馬では行けないので、ピンチが同伴した」。同じようなことグァルチェーリも書いている。
しかし、ヴェリニャーノ=サンデはいっさいそのことを書いていない。ただいよいよピアッツァ・デル・ポーポロから大行進が始まる華やかな行列の順序を説明するときに、「ただジュリアンだけは、当時病気のために一緒に行くことができなかった」とひとことふれているだけだ。…
ジュリアンの身になってみよう。彼は海浜で育った海の子で、旅行中みなが病気をしたのに、彼だけはまったく健康だった。それがよりによってまさにそのために来たローマ教皇の晴れの謁見式の日に、急に寝台から起きてはならないということになったのだ。いったい何のために、今まで命がけで何年もかけて、こうしてやって来たのか。どうしても行きたい、教皇の祝福を受ければきっと回復すると泣いてすがるものを、人はどうしてとめたのか? 彼はそのために死んでも本望だというふうに言ったと書いてある記録もある。どうしても言うことをきかない困ったやつと書いている記録もある。
…本当に死ぬほどの病気だったのか。…あるいはまた老弱の教皇に熱病を移しては困ると思ったのか、いや、これはちがう。なぜなら彼は、馬車でひと足早く教皇の部屋に行って会っているのだ、そしてそのあと、教皇から苦しいだろうから教皇謁見には出ずに早く宿舎へ帰れ、枢機卿会議はこれっきりではないからと教皇に説得されて帰ったとフロイスは書いているのだ。…
すべてのキリスト教徒はすぐに気づくだろう、アジアから馬に乗ってイエスを礼拝しにきた三人の王がここに再現されたことを。そしてグレゴリオの聖なる世界支配が生きた主役たちを人びとの目の前に現出したことを。だからこそ、彼らは「馬に乗っていなければならない」。だから三人の少年は、この日、馬に乗って行ったのである。そして馬に乗った王は三人でなければならない。…
メディチ家はかねてから「東方三王」の祭りを主宰し、多くの画家にこのテーマで絵を描かせていた。有名なのはフラ・アンジェリコが、コジモ・デ・メディチのために描いた、サン・マルコ修道院内の「三王礼拝」であり、…ボッティチェッリに描かせた「三王礼拝」である。…またルネサンスの最盛期、十五世紀末には、フィレンツェの知識人たちは、東方、つまり、トルコやアラビアにはキリスト教よりもすぐれた文明や科学・魔術があるということを認識していたので、非キリスト教文明へのあこがれもまたそこに入り込んでいた。…
マンショとミゲルは大名の親戚であり、正使である。マルティーノは利発でラテン語がうまく身分が高い。ジュリアンは四人のなかで、一番身分がはっきりしない。なにかあったときのために最初からスペアだったのかもしれない。しかも、多少ゴホン、ゴホンとしていたかもしれない。医者を送って重病だと言えば神父も本気で心配するだろう。病気がこの計画を実行させた。…
その後、帰路に寄ったヴィチェンツァで「日本使節到来メモ」を書いたズィゴッティは、彼らがテアトロ・オリンピコに入ったときのようすを「祈祷はこのようなものであった。『ユダヤの町ベツレヘムに、救世主は生まれたまえり。星に導かれ、東方より敬虔なる王らは来りて主を礼拝せり』。それからアカデミアのリヴィオ殿は日本人を歓迎してこう述べた。彼らは三人の王のように東方から来て教会を癒し、今またアカデミアを癒したり、と」
ヴェリニャーノにとっては「東方三人の王」とは宗麟、純忠、晴信だったが、…イタリアに上陸したときから、彼らはすでに「日本の公子」になっていた…。ジュリアンは盛大な行列がまさに教皇宮殿に向かおうとするその道を避けるように、ひとりで馬車に乗って宿舎に帰って行った。いまここで、この四人のなかで、穴吊りの処刑によって殉教し、もっとも壮絶にその信仰を貫いたのがこのジュリアンであったことを思ってみることがわれわれには必要だろう。ミゲルはかなり早く棄教してしまった。大きな権力は無力な個人を平然と踏みにじる。…策略や陰謀にはすべて史料がない。その顔は見えない。…
フロイスと教皇庁の式典部長アラレオーニは凱旋入市のもようをつぎのように書いている。「ローマにては未曾有の最大の行事のひとるであると確信できるほど豪華壮麗をきわめた儀式なりき。行列の先頭には教皇の二騎兵隊、一様の装いをなし、スイス兵に付き添われ、ときどき高き音を放つ荘厳なるトランペットをともないて進行せり」
つぎに、金をちりばめた覆い布と、桑の実色の布の鞍掛けで華やかに飾った諸枢機卿の騾馬が続いた。この桑の実色の鞍掛けは枢機卿が四旬節と待降節にのみつける衣の色であった。騾馬ごとに頭に赤い頭巾をかぶった家臣が乗り、ひとりずつ馬丁がついたが、(この日の式典に参加しようとローマに集まった)枢機卿の数は非常に多かったので、この行列は長く続いた。そのあとに、枢機卿の家人が続いた。服装はそろって深紅で、人数は多く、もっとも威厳があった。そのあとはローマに駐在する各国の大使たちであった。その次は教皇の侍従、教皇庁の職員全員が真っ赤な長い頃もで行列した。それから教皇の近くに仕える聖職者。さらにローマの騎士団のすべての騎士。すべてが整然としてかつきらびやかで、その長い行列の過ぎるうちにローマ市民はいっせいに道筋に押し寄せてきた。
騎士団のうしろから、十三人の鼓手がやってきた。太鼓を打っているのは九人だけであった。そしていよいよ「ことごとく黄金で飾りたる黒ビロードの覆い布」をかけた三頭の駿馬にまたがって、三人の使節がやってきた。彼らは白い羽根と金の房のついた灰色の帽子をかぶり、「金糸とさまざまな色の糸で織った鳥および花で飾った白い絹の服、首にさまざまな首巻きをし、それを胸で交差して帯のごとく結び、漆塗りの装飾された鞘のある刀を帯びて」いた。この三人の周りをびっしりと教皇の護衛兵が付き従っていた。先頭はマンショで、左右に大司教、二番目はミゲルで左右に大司教、三番目はマルティーノで左右に大司教が進んだ。三人の馬の手綱を引くのは教皇のお厩番であった。彼ら三人のあとから通訳としてメスキータが続いた。三人が通過するとき、街路の観衆は驚嘆し、歓喜した。そのあとは数え切れないほどの貴族が騎馬で従った。…
第五章 ローマの栄光
四人めの少年
3月22日夕方、一行はローマに入った。前に紹介したように、バルトリは、一行がローマに来る前に進行を遅らせたことを、ジュリアンの病気のせいだと言っている。また人に見られないように夜半に入るためだとも言っている。フロイスは、彼らはローマに着くとすぐにイエズス会の誓願修舎(カーサ・プロフェッサ)に行き、総会長や多くの神父、修道士に歓迎されたと書いている。このイエズス会の聖堂、つまりジェス聖堂は、アレッサンドロ・ファルネーゼが寄進し、カプラローラと同じ建築家ヴェイニョーラによって設計されたものである。そこで総会長はひとりひとりを抱擁したと書いており、ジュリアンが寝ていなければならないほどだったようには書かれていない。しかも「一行は聖堂でミサをしたあと、全体会議の開催される大講堂とこれに接する数室が宿舎になっていたので、そこで一同で食事をした」。ジュリアンは食事ができないほどではなかったのだ。四人めの少年
ところが、突然、翌日3月23日、サーラ・レージアでの枢機卿公開謁見の当日になって、「ジュリアンはローマに着く四日前から熱病を患っていた。それゆえに、医者から絶対に外出してはならない、寝台から起きてはならないと勧告され、パードレもそう言った。しかし、彼はどうしても教皇聖下の謁見の栄を賜りたいと熱望し、ほかの少年と同行すると言ってきかず、ラテン語で『もし教皇猊下(げいか)のもとに行けば、その声を聞けば、必ず治る』と言うありさまだった。そこで、ほかの公子が馬で大道を行き教皇の祝福を受ける前に、馬車でひとりで行くことにした。またとうてい彼が馬では行けないので、ピンチが同伴した」。同じようなことグァルチェーリも書いている。
しかし、ヴェリニャーノ=サンデはいっさいそのことを書いていない。ただいよいよピアッツァ・デル・ポーポロから大行進が始まる華やかな行列の順序を説明するときに、「ただジュリアンだけは、当時病気のために一緒に行くことができなかった」とひとことふれているだけだ。…
ジュリアンの身になってみよう。彼は海浜で育った海の子で、旅行中みなが病気をしたのに、彼だけはまったく健康だった。それがよりによってまさにそのために来たローマ教皇の晴れの謁見式の日に、急に寝台から起きてはならないということになったのだ。いったい何のために、今まで命がけで何年もかけて、こうしてやって来たのか。どうしても行きたい、教皇の祝福を受ければきっと回復すると泣いてすがるものを、人はどうしてとめたのか? 彼はそのために死んでも本望だというふうに言ったと書いてある記録もある。どうしても言うことをきかない困ったやつと書いている記録もある。
…本当に死ぬほどの病気だったのか。…あるいはまた老弱の教皇に熱病を移しては困ると思ったのか、いや、これはちがう。なぜなら彼は、馬車でひと足早く教皇の部屋に行って会っているのだ、そしてそのあと、教皇から苦しいだろうから教皇謁見には出ずに早く宿舎へ帰れ、枢機卿会議はこれっきりではないからと教皇に説得されて帰ったとフロイスは書いているのだ。…
すべてのキリスト教徒はすぐに気づくだろう、アジアから馬に乗ってイエスを礼拝しにきた三人の王がここに再現されたことを。そしてグレゴリオの聖なる世界支配が生きた主役たちを人びとの目の前に現出したことを。だからこそ、彼らは「馬に乗っていなければならない」。だから三人の少年は、この日、馬に乗って行ったのである。そして馬に乗った王は三人でなければならない。…
メディチ家はかねてから「東方三王」の祭りを主宰し、多くの画家にこのテーマで絵を描かせていた。有名なのはフラ・アンジェリコが、コジモ・デ・メディチのために描いた、サン・マルコ修道院内の「三王礼拝」であり、…ボッティチェッリに描かせた「三王礼拝」である。…またルネサンスの最盛期、十五世紀末には、フィレンツェの知識人たちは、東方、つまり、トルコやアラビアにはキリスト教よりもすぐれた文明や科学・魔術があるということを認識していたので、非キリスト教文明へのあこがれもまたそこに入り込んでいた。…
マンショとミゲルは大名の親戚であり、正使である。マルティーノは利発でラテン語がうまく身分が高い。ジュリアンは四人のなかで、一番身分がはっきりしない。なにかあったときのために最初からスペアだったのかもしれない。しかも、多少ゴホン、ゴホンとしていたかもしれない。医者を送って重病だと言えば神父も本気で心配するだろう。病気がこの計画を実行させた。…
その後、帰路に寄ったヴィチェンツァで「日本使節到来メモ」を書いたズィゴッティは、彼らがテアトロ・オリンピコに入ったときのようすを「祈祷はこのようなものであった。『ユダヤの町ベツレヘムに、救世主は生まれたまえり。星に導かれ、東方より敬虔なる王らは来りて主を礼拝せり』。それからアカデミアのリヴィオ殿は日本人を歓迎してこう述べた。彼らは三人の王のように東方から来て教会を癒し、今またアカデミアを癒したり、と」
ヴェリニャーノにとっては「東方三人の王」とは宗麟、純忠、晴信だったが、…イタリアに上陸したときから、彼らはすでに「日本の公子」になっていた…。ジュリアンは盛大な行列がまさに教皇宮殿に向かおうとするその道を避けるように、ひとりで馬車に乗って宿舎に帰って行った。いまここで、この四人のなかで、穴吊りの処刑によって殉教し、もっとも壮絶にその信仰を貫いたのがこのジュリアンであったことを思ってみることがわれわれには必要だろう。ミゲルはかなり早く棄教してしまった。大きな権力は無力な個人を平然と踏みにじる。…策略や陰謀にはすべて史料がない。その顔は見えない。…
フロイスと教皇庁の式典部長アラレオーニは凱旋入市のもようをつぎのように書いている。「ローマにては未曾有の最大の行事のひとるであると確信できるほど豪華壮麗をきわめた儀式なりき。行列の先頭には教皇の二騎兵隊、一様の装いをなし、スイス兵に付き添われ、ときどき高き音を放つ荘厳なるトランペットをともないて進行せり」
つぎに、金をちりばめた覆い布と、桑の実色の布の鞍掛けで華やかに飾った諸枢機卿の騾馬が続いた。この桑の実色の鞍掛けは枢機卿が四旬節と待降節にのみつける衣の色であった。騾馬ごとに頭に赤い頭巾をかぶった家臣が乗り、ひとりずつ馬丁がついたが、(この日の式典に参加しようとローマに集まった)枢機卿の数は非常に多かったので、この行列は長く続いた。そのあとに、枢機卿の家人が続いた。服装はそろって深紅で、人数は多く、もっとも威厳があった。そのあとはローマに駐在する各国の大使たちであった。その次は教皇の侍従、教皇庁の職員全員が真っ赤な長い頃もで行列した。それから教皇の近くに仕える聖職者。さらにローマの騎士団のすべての騎士。すべてが整然としてかつきらびやかで、その長い行列の過ぎるうちにローマ市民はいっせいに道筋に押し寄せてきた。
騎士団のうしろから、十三人の鼓手がやってきた。太鼓を打っているのは九人だけであった。そしていよいよ「ことごとく黄金で飾りたる黒ビロードの覆い布」をかけた三頭の駿馬にまたがって、三人の使節がやってきた。彼らは白い羽根と金の房のついた灰色の帽子をかぶり、「金糸とさまざまな色の糸で織った鳥および花で飾った白い絹の服、首にさまざまな首巻きをし、それを胸で交差して帯のごとく結び、漆塗りの装飾された鞘のある刀を帯びて」いた。この三人の周りをびっしりと教皇の護衛兵が付き従っていた。先頭はマンショで、左右に大司教、二番目はミゲルで左右に大司教、三番目はマルティーノで左右に大司教が進んだ。三人の馬の手綱を引くのは教皇のお厩番であった。彼ら三人のあとから通訳としてメスキータが続いた。三人が通過するとき、街路の観衆は驚嘆し、歓喜した。そのあとは数え切れないほどの貴族が騎馬で従った。…
世界地図のなかの日本
2014.03.10 Monday
『クアトロ・ラガツィー天正少年使節と世界帝国』(若桑みどり著 集英社刊)から
世界地図のなかの日本
アレッサンドロ・ファルネーゼは最強の枢機卿だった。カプラローラは十三世紀から城塞としてみごとな五角形に作られていたが、この枢機卿が1559年にかけて天才ヴィニョーラに改造させ、豪華な宮殿に造り替えられた。…
だがもっとも重要なものはこの館の大広間である「世界地図の間」であろう。ここの部屋のすべての壁には世界の地図が描かれており、中央には会議用大テーブルがあって、さながらペンタゴンの指令室にいるかのようである。そういえば、ペンタゴンとは五角形という意味だった。五角形は死角がないということから西洋の古い城郭はだいたいこれを基本にしていたので、アメリカ人が国防総省にそれを継承したのである。ここは十六世紀後半における教皇庁の世界征服(布教)会議の場であった。しばしば教皇がここにやってきて会議をしたことが記録されている。世界地図は大航海時代がはじまってからいっせいに描かれはじめたが、ここの地図をデザインしたのは地理学者ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・ヴァレーゼであり、できあがったのは1574年である。各壁にはイタリア、ユダヤ、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパが描かれているが、そのかたわらにはマゼラン、マルコ・ポーロ、コロンブス(イタリア人だから正しくはコロンボ)、コルテス、アメリーゴ・ヴェスブッチの肖像画が描かれている。世界を探検したか、征服したか、侵略した白人たちである。
そして天井は星図である。その星図の海には巨大な船が蛇か龍をのせて波濤を越えていく。そしてアジアの地図には、ベーリング海峡の入り口にぶらさがるようにして小さい小さい島「日本」が描かれている。この「地図の間」を見てグレゴリオ教皇は自分でもヴァチカン宮殿に1580年から83に「地図の廊下」を描かせたのだった。そしてそこに信長の屏風が設置されたのは前に述べたとおりである。
まちがった場所に描かれたかけらのように小さい島、それがこのとき教会の人間が抱いていた「日本」のイメージだった。だがそんなことはどうでもいい。とても遠いところ、ヨーロッパの中心から思いきって離れたところ、「ここに来るまでに二年二ヶ月も必要だった」とくり返される旅程の長さ。その賛辞のなかに、かくも遠い土地を支配した(精神的に)という勝利の想いがこめられたのだ。
いかにそれは、あの人びと、死を覚悟して海をわたり、日本の国内で、日本人と暮らそうとして、日々苦労している神父らとちがった認識であろうか。日本は実際イタリアと同じかもっと大きい国だったのである。しかしそれも当時の日本人の認識よりはましだ。少なくとも彼らは世界を地図に描いていたのだから。
使節がカプラローラに寄ったのは、とにかく、メディチのものを見たのだから、ファルネーゼのものも見せなければならないからだった。その上、これで枢機卿たちを呼び集めるための時間が稼げる。ジュリアンが病気だったというのはほんとうは言いわけにすぎなかった。もし重病ならば一カ所にとどまっていたにちがいないからである。
第五章 ローマの栄光
世界地図のなかの日本
アレッサンドロ・ファルネーゼは最強の枢機卿だった。カプラローラは十三世紀から城塞としてみごとな五角形に作られていたが、この枢機卿が1559年にかけて天才ヴィニョーラに改造させ、豪華な宮殿に造り替えられた。…
だがもっとも重要なものはこの館の大広間である「世界地図の間」であろう。ここの部屋のすべての壁には世界の地図が描かれており、中央には会議用大テーブルがあって、さながらペンタゴンの指令室にいるかのようである。そういえば、ペンタゴンとは五角形という意味だった。五角形は死角がないということから西洋の古い城郭はだいたいこれを基本にしていたので、アメリカ人が国防総省にそれを継承したのである。ここは十六世紀後半における教皇庁の世界征服(布教)会議の場であった。しばしば教皇がここにやってきて会議をしたことが記録されている。世界地図は大航海時代がはじまってからいっせいに描かれはじめたが、ここの地図をデザインしたのは地理学者ジョヴァンニ・アントーニオ・ダ・ヴァレーゼであり、できあがったのは1574年である。各壁にはイタリア、ユダヤ、アジア、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパが描かれているが、そのかたわらにはマゼラン、マルコ・ポーロ、コロンブス(イタリア人だから正しくはコロンボ)、コルテス、アメリーゴ・ヴェスブッチの肖像画が描かれている。世界を探検したか、征服したか、侵略した白人たちである。
そして天井は星図である。その星図の海には巨大な船が蛇か龍をのせて波濤を越えていく。そしてアジアの地図には、ベーリング海峡の入り口にぶらさがるようにして小さい小さい島「日本」が描かれている。この「地図の間」を見てグレゴリオ教皇は自分でもヴァチカン宮殿に1580年から83に「地図の廊下」を描かせたのだった。そしてそこに信長の屏風が設置されたのは前に述べたとおりである。
まちがった場所に描かれたかけらのように小さい島、それがこのとき教会の人間が抱いていた「日本」のイメージだった。だがそんなことはどうでもいい。とても遠いところ、ヨーロッパの中心から思いきって離れたところ、「ここに来るまでに二年二ヶ月も必要だった」とくり返される旅程の長さ。その賛辞のなかに、かくも遠い土地を支配した(精神的に)という勝利の想いがこめられたのだ。
いかにそれは、あの人びと、死を覚悟して海をわたり、日本の国内で、日本人と暮らそうとして、日々苦労している神父らとちがった認識であろうか。日本は実際イタリアと同じかもっと大きい国だったのである。しかしそれも当時の日本人の認識よりはましだ。少なくとも彼らは世界を地図に描いていたのだから。
使節がカプラローラに寄ったのは、とにかく、メディチのものを見たのだから、ファルネーゼのものも見せなければならないからだった。その上、これで枢機卿たちを呼び集めるための時間が稼げる。ジュリアンが病気だったというのはほんとうは言いわけにすぎなかった。もし重病ならば一カ所にとどまっていたにちがいないからである。
55 博士たちの信仰についての感想
2014.03.01 Saturday
あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より
イエズスが言われる。
「信仰が、しだいに死につつあるあなたたちに、今、何を言ったらよいだろうか。
かの東の国の知恵者たちには、真理を保証するものは一つもなかった。あの人たちには、天文学上の計算と、申し分のない生活が完成した黙想しかなかった。
それでも、彼らには信仰があった。すべてのことについての信仰、学問に対しての信仰、良心に対しての信仰、神の慈悲に対しての信仰とが、学問によって、新しい星のしるしを信じた。あの星は、人類が何世紀も前から期待していた、あの星”メシア”の他にはないと思った。良心によって、”あの星は、メシアの到来を知らせる”と言う”声”を信じた。申し分のない心のために、神は自分たちをだますはずはないと信じた。彼らの意向は正しかったので、神の慈悲は障害を越えて、その目的を達成するはずであった。
そして、彼らは成功した。あのしるしを研究する数多い学者たちの中で、それが分かったのは彼らだけだった。彼らは、正しい目的をもって、神のみことばを知る激しい望みを心に持ち、神だけに栄光と賛美をささげるつもりであった。
あの知恵者たちは、自分たちの利益を求めてはいなかった。人間の世のどんな報いも期待せず、むしろ、さまざまの苦労と出費を背負う。彼らが求めたのは、神が自分たちのことを忘れず、永遠の救いを与えてくれることだけであった。未来に、人間からのどんな報いも期待しないで、旅行の決心をした時も、何の心配もなかった。あなたたちだったなら、どれほどの心配を数え上げたことだろう。
”知らない国々を通って、分からないことばを話すいろいろな国の中で、それほどの旅がどうしてできよう? 私たちのいうことを彼らが信じるだろうか。私をスパイだと思って投獄するのではないか。さまざまの荒野、川、山々を通るに当たって、だれが助けてくれるだろうか?それに、あの暑さ…高原の風…沼地によくある熱病…それから、大雨の時にあふれる水、ちがう食べ物、ちがうことば、そして、そして…”
あなたたちはそう考えたかもしれないが、あの人たしはそうではなかった。ただ真実は、聖なる大胆さをもって言う。
『神よ、あなたは、私たちの心の中まで読まれる。私たちがどんな目的を追求しているかも、ご存知である。私たちは自分を全く、御手の中に委託する。世の救いのために肉体となったおん身の第二の位格(ペルソナ)を拝む、という超人間的喜びだけを与えたまえ』
そして、遠いインド(1)から歩き出した。鷲と禿鷹しかすまないモンゴルの山脈から、神が折々の風と川のうなりによってしか話さず、氷河の限りない広がりの頁に、ふしぎなことばを書いている、そんな所から出発した。ナイル川が生まれ、水色の動脈のように地中海をめざして進むその土地から出発して、山の頂きも、森林も、水のない、しかし、海よりも危険な乾いた大洋などは、彼らの歩みを阻むことはできなかった。その星は、続いて夜を照らし、寝ることさえも、彼らを拒んだ。神を探す時には、人間的な習慣が、超人的な緊迫事態の前に消えるのである。
あの星が、知恵者たちを北と東と南の地方から呼び、神の奇跡によって、三人とも同じ所へ向かわせ、何千マイルも歩いた後に、一点で合流させ、聖霊降臨の時のような奇跡によって、彼らに、互いの話が分かるという恵みを与えた。ちょうど、唯一のことば、神のことばだけが話されている天国のような喜びを、前もって味あわせたのである。
彼らが、一度だけ激しい狼狽に襲われたのは、星が姿を消した時だった。しかし、その時でも、”実際に偉大な人々であった”謙遜な彼らは、そのことが起こったのは、他人の悪さのため、つまりエルサレムの堕落した人々が、神の星を見るに値しない人々のためであるとは考えず、自分たちが、神に背いたのではないかと恐れおののき、反省して、すぐに詫びる気持ちでゆるしを請う。
けれども、良心から、どんな咎めを感じない。観想に慣れた魂を持っている彼らは、それだけ敏感な良心を持ち、それは透明な鏡のように、毎日の出来事を影のように写す。良心が、彼らの師となり、その師の声は、最も小さい過ちさえも指摘し、何よりも自己満足を咎めるものであった。そのために厳しい、どんな曇りもないその鏡の中で、自分自身を見、その鏡は偽らないと知って、安心させられて元気を取り戻した。”私たしの中には、神に背くことは一つもない”と感じることは何と喜ばしいことか! 神が忠実な息子の心を嘉して眺め、祝福すると感じると、ここから信仰と信頼、希望と剛毅と忍耐とがまたあふれてくる。”今は嵐が荒れ狂っているが、神は、私を愛し、私がその愛に答えると知っておられるので、続いて私を助けるのを怠るはずはない”すべての行為の女王である正しい良心から来る平和を持っている人々は、このように考えるのである。
私は、彼らが、”実際、偉大な人々であったので謙遜であった”と先ほど言った。その代わりあなたたちの生活では、何が起こるのか。だれかが、偉大であるためでなく、他人よりもいくらか勢力をもっているので、その勢力を、愚かな偶像にして自分が偉いと思い、決して謙遜に至ることはない。だれかがある偉い人の執事であるため、ある有名な事務所の受付とか、小さな村の役人であるためとか、つまり、だれかの僕であるために、神様のようなポーズをとるあわれな人間となる。こうような人間は軽蔑されるだけである。
あの三人の知恵者たちは、実際に大いなる人物であった。まず、超自然の徳によって。第二に、その学問によって。最後に、財産によって。けれども、一つのほほえみをもって天体を創り、これを小麦の粒のように天にまく、いと高き神に対して、自分は、この世の埃の中の埃、皆無に等しい者と感じている。
自分たちの住まいともなっているこの天体を創り、限りない天才の彫刻師の傑作のように、指先で、やさしい丘々の冠、向こうに地球の背骨とも見える山脈、川が脈となり、大洋がその心臓、森林がその服、雲がそのヴェール、水晶の氷河はその飾り物、エメラルド、オパール、トルコ石などが、その宝石となり、水が森林と風と一緒に、主に賛美の大讃歌を歌う被造物の不思議を見て自分の空しさをなおさら意識した。
同じく、いとも高き神と比べて、自分たちの学問知識の空しさを感じ、自分たちの知識はすべて神を泉とし、物事を見る二つのひとみよりも、力強い目を与えられた神、物事の中に人間の手で書かれなかった神の考えによって刻まれたことばを、読める心の目をくださった神のみ前に自分の無知を感じた。
自分たちの富も、宇宙の持ち主と比べて、何だろう? 神こそは、天体と惑星とに、鉱物と宝石を、愛する人の心に、尽きることのない富をまく。人間の富の、何と空しいことか!
そして、ユダヤの最もみすぼらしい町の、貧しい家の前に着いた知恵者たちは、”そんなことがあるものか”と言って、頭をふらずに、背中、膝、とくに心をかがめて拝む。
あそこに、その貧しい壁の向こうに、神がおられる。いつか会えると、あえて希望することもできず、いつもこいねがっていたあの神がおられる。全人類の幸せのために、”皆”の永遠の幸福のために、おお、ずっとこいねがっていたこと、暁も日暮れも知らないあの世で、いつか見、知り、所有するということだけ、絶えず願っていたあの神が!
神の心でもある、幼な子の心は、地面にひれ伏して、”聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな!我らの神なる主、祝されよ。天のいと高き神に栄光、その僕たちに平和”と祈る三人の声を聞いておられるだろうか、と愛にふるえる心をもって考える。そして、その夜から次の朝にわたって、神なる幼な子の謁見にあずかるために、最も熱心な祈りをもって心を準備するあの三人の知恵者たちは、聖なるホルチアを顕示する処女の膝である、その祭壇へ、あなたたちのような、世俗的な心をもって近づくのではない。
彼らは、眠りや食事さえも忘れた。最も美しい服を着るにしても、それは人間的な虚栄心のためではなく、王たちの王に最高の尊敬を表わすためである。この世の君主たちの宮殿に入る時、高官たちは最も美しい服を着て入る。それなら、自分たちは、最高の祝いの服を着けて、この王様の所へ行くべきではないか? これ以上の祝いは、自分たちにとって、またとあろうか。
おお、遠い自分たちの国では、自分たちと同じくらいの身分の人々のために、たびたび着飾って出かけた。それは、それらの人々に対しての、尊敬の祝いの気持ちを表わすためであった。それなら、最高の王の足元に、謙遜な心をもって緋衣と宝石、絹と貴重な羽をささげるべきではないか。
あの幼な子は、埃にすぎない自分たちのために、星たちをかえりみなかった。できれば、自分たちは地面にひれ伏して、この体を小さな子供の足の敷物にしたいほどである。
彼らは謙遜で寛大であった。上からの”声”に全く従った。その声は”お生まれになった王に贈物を運べ”と命令した。彼らは、”あの幼な子は大金持ちで、こんな物を必要としない。神だから死を知らないであろう”と言わない。そして、言われたとおりにする。この知恵者たちは、救い主の貧しさを助けた最初の人たちである。明日、外国に避難しなければならない人にとって、その黄金は、何と大事だったか! 近いうちに殺されるであろう人にとって、あの没薬は、何と貴重であろう! 人間のさまざまの淫乱の悪臭を嗅がねばならない人にとって、あの香は、何と敬虔な贈物であったろう!
彼らは、謙遜で寛大、従順、また互いに尊敬深かった。徳はいつも、他の徳を産む。そして、神を対象とする徳から、隣人を対象とする徳が生まれる。彼らの互いの尊敬はすぐれた愛である。皆の代わりに話してくれるように、だれよりも先に、救い主の接吻を受け、その小さな手をにぎる名誉が、一番年寄りに委ねられる。他の人たちは未来に、また会えるかもしれないが、年寄りにとっては、神に戻る日が、もう近いので、この世では、もう会うことはあるまい。残酷な死のあとに、このキリストに会い、天へ昇る時には、救われた人々と一緒について行くだろうが、この世では、もう会うことはない。それならば、彼のしわだらけの手に委ねる、あの幼な子の小さな手のぬくもりは、旅の糧の代わりとなるだろう。
他の二人には、どんな妬みも見られず、むしろ、年寄りの知恵者に対しての尊敬を表わす。あの人は長く生きたので、いろいろな手柄も多い。幼い神は、それをご存知である。父のみことばである幼な子は、まだ話さないが、しかし、そのゼスチュアは、もうことばである。年寄りを自分の最も愛するものとして選んだ。その無邪気なことばは、清い尊いものである。
しかし子らよ、このヴィジョンから、また、他の二つの訓戒が考えられる。
まず”自分に委託された役割”に留まるヨゼフの態度である。ヨゼフは”純潔”と”成聖”の守護者、また、後見人としてそこにいるけれども、何も横取りしない。お辞儀と尊敬のことばを受けるのは、イエズスとマリアである。ヨゼフは、彼女のために喜び、自分が脇役におかれていることを気にしない。ヨゼフは”義人そのもの”である。そして、今もその態度をとる。決してあの謁見の香の煙に酔うことはない。彼はいつまでも謙遜で正しい人である。その贈物を喜ぶが、自分のためではない。それは、自分の浄配と、かよわい幼な子の生活を、もう少し楽にできると考えるからである。ヨゼフには何も欲もない。自分は労働者として労働を続ける。しかし、自分の愛である”その二人”にいくらかの安楽と慰めのあることを喜ぶ。ヨゼフも知恵者たちも、あの贈物が逃避生活のために将来役に立つであろうことを、今は知らない。それは逃避の生活では、財産は風に吹き散らされる雲のように消え、祖国へ戻れば家具も知人たちも何も失って、ご託身を見たその家の壁しか残っていないその時のために、大いに役立つであろう。
ヨゼフは、イエズスと、神の母の守護者であるにもかかわらず、どんなに謙遜か、神の、あの僕たちのあぶみを支えたほどである。ヨゼフは、人の暴力によってダヴィドの子孫として、そのすべての財産を奪われたので、貧しい大工にすぎないが、いつまでも王の子孫で、王的な気品のある方である。彼について、実際に”偉大なる者であったので謙遜であった”と言われるのである。
そして、最後のいかにもやさしい訓戒は、まだ祝福を与えるのを知らない幼な子に、その聖なるゼスチュアを教えるために、イエズスの手をとるマリアである。
イエズスの手をとって、それを動かすのは、いつもマリアである。今でも。今、イエズスは祝福することを知っているが、時としては、その釘に刺された手が、疲れと落胆のために落ちる。祝福するさえ、むだであると知っているから。あなたたちは、私の祝福さえも空しくする。あなたたちは、私を呪うので、時としては怒りを抱いて落ちるこの手に接吻して、怒りを取り除くのはマリアである。なお、私の母の接吻! その接吻に、だれが抵抗できるか。母マリアは細いけれども愛深く強い、その指をもって私の手首をつかまえて、無理にでも祝福させる。私は、私の母には何も拒めない。だからあなたたちは、私の弁護をいただくために、まずマリアのところに行くべきである。
マリアは、あなたたちの女王である前に、私の女王である。そして、あなたたちに対しての彼女の愛は、私の心さえも知らない寛容さがある。彼女は、ことばなしにでも、自分の涙の真珠と私の十字架―幼な子の私の手をもって空中にしるさせた―との思い出をもって、あなたたちを弁護し、私にやさしく勧告する。”あなたは救い主だから救いなさい”と。
子らよ、知恵者たちのヴィジョンに表れている”信仰の福音”であることを観想し、あなたたちの霊的な糧のために、これに倣いなさい」
1944年3月3日
イエズスが言われる。
「次のことだけを書きなさい。何日か前、あなたは、私に聖地を見ないうちに死にたくないと言った。しかし、あなたは今、”その地”を見ている。私がそこにいて、私の現存をもって聖別していたその時のとおりに。憎しみ、または愛からくる二十世紀にわたってのさまざまの破壊の後、もう昔の姿ではない。そのため、今、パレスチナに行く人は、それが見られず、あなただけが見られると考えよ。だから残念に思わないで良い。
そう一つ言いたいことは、私について語っているさまざまの本が、今までとても好きであったのに、今、何の味も感じないと嘆いているが、このことも、今のあなたの生活によるのである。
あなたは私の業によって、その時代のいろいろな出来事の真相を知っているので、人間の研究による著作は色あせて見えるのである。場所とか、出来事、あるいは感情の、人間による描写は、いつでも不正確で不完全である。特に、現代の合理主義が多くの事柄をこんなに枯らしてしまった時、だれかが私を通して見、知る場合は、他のどんな記述も冷たく満足を与えずに、むしろ反感を起こさせるのである。
もう一つのことは、今日は金曜日である。私は、あなたが私の苦しみを新たに生きるのを望む。心と肉体とにおいて、その苦しみを新たに生きること、これで充分である。平和と愛をもって苦しみを耐え忍びなさい。あなたを祝福する」
注
(1)欄外に著者は次のように書いている。インドと言うことばで、今のトルキスタン、アフガニスタンとペルシャの一部を指していると後で説明が会った。
54 三人の博士の礼拝 つづき
2014.03.01 Saturday
あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より
知恵者の中の一番の年寄りが皆に代わって話をする。前の十二月の夜、空に異様な輝きの星を見つけた。天体図には、その星がしるされていず、それについて何も言っていない。その星には名前もないので、だれにも知られていない。その時に、神のふところから生まれて、人間に話すために花咲いたものだった。しかし、人間は心が地に向かっていたので、その星に気をつけなかった。そのような人間たちは神へ目を向け、天の屋根に火の天体をもって、神がしるすあのことばを読む術を知らなかった。
その代わりに自分たちは、それに気をつけ、その声を知ろうと努力した。わずかの眠りさえも犠牲にして、食事さえも忘れて、黄道帯の研究に没頭したのである。天体の合、時間、季節、過ぎ去った時と天文学上の組み合わせが、その星の名前と意味とを表わした。その名は”メシア”で、その秘密とは、”メシアが、この世に来られた”ということである。自分たちは互いに知らずに、救い主を拝むために出発したのである。山と砂漠を超えて、多くの谷と川を渡って、星の導く方向へ行くために、夜旅をしてパレスチナの方へ来た。自分たちは一人ひとり地球の違う所から出発しているのに(3)星がその方向へ行くのだった。このようにして、三人は死海の彼方で合流した。神のおぼしめしが自分たちをそこに集め、そこから各々自分の国のことばを話していたにもかかわらず、永遠なるお方のはからいによって、互いに相手の言うことを理解して、一緒に旅を続けたのであった。
そして、一緒にエルサレムへおもむいた。その理由は、メシアはエルサレムの王、ユダヤ人たちの王であるはずだったからである。しかし、その町の空の上で、星が姿を消し、自分たちの心は、苦しみに砕かれ、神にでも背いたのではないかと反省した。けれども、心に安らぎをおぼえて、自分たちが拝みに来たユダヤ人の王が、どこの宮殿で生まれたのか、ヘロデ王に尋ねた。王は祭司たちと律法学者の頭たちを呼んで、メシアが、どこに生まれるかを聞かれた。その人々は、”ユダヤのベトレへムで”と答えたので、自分たちがベトレへムに向かって、あの聖なる町を後にすると、星が、また現れて、昨晩は以上な輝きを増したのだった。空はすべてが火事のようで、その星は、他の星たちのすべての光を集めたかのように光って、この家の上に止まった。こうして自分たちは、そこに救い主がお生まれになったと分かった。今、自分たちの貧しい贈物をささげ、合わせて自分たちの心もささげるつもりである。自分たちは、その聖なる人間性を持つ、神の子を拝むという無上の恵みをいただいたので、生涯、神に感謝をささげる。後に、ヘロデ王も拝みに来る望みを持っていたので、帰りに報告に行くつもりであると一部始終を話す。
「これは、王者にふさわしい黄金で、香は、神としてふさわしい。これは母よ、没薬(もつやく)です。理由は、あなたの御子が、神の他に人間で、肉体と人生の苦さと、死ぬという避けられない運命を知るであろうから。私たちの愛は、今のことばを言いたくはなかったし、その霊が永遠であるように、その肉体も永遠であると考えた。しかし、婦人よ、私たちの天体図がまちがっていないならば、あなたの子は救い主で、神の子キリストで、この世を救うために、この世の悪を背負い、そのあがないとして死に就くであろう。この没薬は、その時のためです。その聖なる肉体は腐敗を知らず、復活の時まで、くずれずにそのまま残るように。私たちのこの贈物のために、彼は、私たちのことを忘れず、ご自分の国を与えて、ご自分の僕たちを救ってくださるようにです。今のところは、私たちが聖別されますように、お母様はあなたの幼な子を”私たちの愛”に与えられ、私たちの上に、天の祝福が下りますように、その足に口づけすることをおゆるしください」
知恵者のことばのために、波立つ心に打ち勝って、その喪の預言の悲しみをほほえみに隠したマリアが、子供を差し出す。幼な子を一番年寄りの腕におき、彼が接吻すると、他の二人に渡す。
イエズスは、ほほえみ、三人の小さい鎖とか房にたわむれ、ピカピカ光る黄色いもので一杯の開いている小筥を不思議そうに見、太陽が没薬のふたのダイヤモンドに射して、虹をつくるのを見て笑う。
それから三人は、マリアに子供を返して立つ。マリアも立つ。一番若い知恵者が、僕たちに出るように命令してから、お互いに挨拶を交わす。三人は、もうしばらく話しつづける。この家から離れる決心が、なかなかつかない。感激の涙が、彼らの目に浮かんでいる。最後に、マリアとヨゼフに送られて出口の方へ行く。
子供が下りたがり、三人の中の一番年寄りに小さい手を伸ばし、彼と、手で支えるためにかがんでいるマリアとに、つかまってよちよち歩く。イエズスは、太陽が床に描く線を、小さい足でトントン踏みながら笑う。
出口に着くと―その部屋は、家の端から端までも長かった―三人は、もう一度、ひざまずいて、イエズスの小さな足に接吻して、いとまを請う。子供を支えているマリアが、その小さい手をとって、それぞれの知恵者の頭に、祝福のゼスチュアをさせて動かす。マリアの指導でイエズスの小さな指が切るしるしは、もはや、十字架のしるしである。(4)
それから、三人は階段を下りる。キャラバンは、そこに全部支度をして待っている。馬の飾り鋲(びょう)は、日暮れの太陽に輝く。めったに見られない、この光景を見ようとして、広場には人が群がる。イエズスは、小さな手をたたいて笑っている。お母様は、子供を広い欄干にもたれさせて、落ちないように、胸に抱いている。ヨゼフは、三人と一緒に下り、二頭の馬とらくだに乗る時に、それぞれのあぶみをおさえる。今は、僕たちも、皆、乗物に乗っている。出発の合図がされると、三人は、最後の挨拶に乗物の首にかがむ。ヨゼフはお辞儀をする。マリアもそうして、また、別れと祝福のゼスチュアにもう一度、イエズスの小さな手をとって動かす。
注
(4)ギリシア文字のT(タウ)である、(エゼキエル9・4~6、黙7・2~3、9・4)。
1