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2017.01.04 Wednesday

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    源泉 No.164~165 『キリスト伝』より

    2013.12.27 Friday

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      『キリスト伝』より ジョゼッペ・リッチョティ著 フェデリコ・バルバロ訳
      源泉
      #164 これまであげた例は、ヨハネが、できごとを特に個人的に直接知っていて書いたという数多い証拠の、ほんの一部にすぎない。
      ヨハネは、共観福音書 にしるされていることをよく知っているが、意識してそれと違う道をたどろうとする。ヨハネはが目的としているのは、話を細かくいいつくすことではなく(20・25)、ただ、共観福音書にないことの、少なくとも一部を補おうとするところにある。計算すると、第四福音書** の話の百のうち九十二まで、共観福音書にはない。
       とはいっても、ヨハネの福音書と共観福音書との話の内容は、がっちりと一致している。ヨハネに、話を補い、正確にしようとする意図があったことは、よくわかる。受難の話の場合などが特にそうである。共観福音書では、剣の一打ちで、大司祭のしもべの右耳を切り落とした弟子はだれで、しもべはだれであったかをいわないが、ヨハネは、弟子の名はシモン・ペトロ、しもべの名はマルコス(18・10)と正確に書いている。イエズスが逮捕されてから、共観福音書によると、すぐ大司祭カヤファの邸につれていかれたようにとれるが、ヨハネは、表面上のこの不正確さをなおそうとするように、まず、「その年の大司祭だったカヤファの義父アンナのもとに、引いていった」(18・13)と知らせ、その理由もしるしている。
       共観福音書では、逮捕されたイエズスのあとにペトロがついていって、すぐ大司祭の庭に入ったようにとれるが、ヨハネは、ペトロが「もう一人の弟子」といっしょについていき、入口の前で外に残っていて、「もう一人の弟子」だけがすぐ中に入り、その弟子のとりなしで、ペトロも中に入れたことになっている(18・15~16)。ユダヤ人が邸の外にとどまっている間に、ピラトが総督館の中で、イエズスを訊問することも、ヨハネによってのみわかる。
       同様に、ヨハネは、共観福音書に書かれていない「この人を見よ!」の場面を書き残し、ピラトとユダヤ人との間の言い争いを伝え、ピラトが、むち打ちののちもイエズスを釈放したかったこと、ユダヤ人が「チェザルの忠実な家来」だと宣言することなども書き忘れない(18・23以下、19・4以下)。
       息絶えたイエズスには、ローマ式のすね折りを行わず、槍で胸をつきさしたことも、ヨハネだけが書いている(19・31~34)。かれはそのすぐあとで、こう書き加えている。「これを見た者が証明する―この証明は真実である。自分のことばが真実であることを、かれは知っている」(19・35)。事件の目撃者であったこの証人は、その少し先にヨハネだけがしるしているとおり、イエズスの母とともに十字架の足もとにいた「愛された弟子」である(19・25~27)。
       こういう詳細な、写実的な描写を読めば、最近の学者がつくりあげようとする比喩的・象徴的な仮説を裏付けるような背景は、少しも見当たらない。

      *共観福音書:新約聖書の四 つの福音書のうち、ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のこと。
      **第四福音書:ヨハネの福音書

      #165 ヨハネが、共観福音史家と違った道を歩いていることは、全体の内容からもわかる。共観福音史家は、ガリラヤでのイエズスの宣教に特に重点をおいているが、ヨハネは、ユダヤとエルサレムでの宣教を主としている。ヨハネの福音書にあるイエズスの奇跡は七つだけであるが、そのうちの五つまでも、共観福音書には載っていない。ヨハネは、イエズスの行ったことよりも、むしろかれの教養上の思想、特に、ユダヤの権威者との議論などに紙面をさいている。この議論には、ヨハネの本全体にわたってそうであるが、共観福音書には全くといっていいほど出てこない特色ある概念が出てくる。たとえば、光、やみ、水、この世、肉体などという象徴的な概念、あるいは、命、死、真理、正義、罪などという抽象的概念である。
       ヨハネの福音書は、共観福音書の伝承には従っていないが、しかし決してそれを見失っているのではない。ルナンは、ヨハネの本に、「かれ独自の伝承、共観福音書の伝承と並行する伝承」があるといい、ヨハネの立場は、「自分が扱っている問題がすでに周知のことであると知っている作者の態度である。かれは、すでに書かれている多くの事柄に賛成しつつも、自分にもそれにまさる報道があると知り、すでにあるものを全く気にせずに、自分独自のものを伝えようとする」といっているが、このことばは正しいといってよい。
       しかしそれがすべてではない。ヨハネは、ことばには表わしていないが、読者にすでに周知の事実として、間接的に共観福音書の伝承を用いているし、共観福音書にはヨハネの話によってだけ説明のつく暗示が載っている。ヨハネと共観福音書との二つの伝承は、互いにていねいに、「あなたとともにするのではないが、あなたなしにするのでもない」といっているようである。ヨハネは、イエズスの誕生やその私生活については一言も語らない。イエズスの母についても、他のマリアたちについては名をあげているのに、母マリアの名前はいわない。また、「ヨゼフの子イエズス」(1・45、6・42)という言い方を二度も用いているが、この奇妙ないいかたの説明は不必要と考えているようである。
       「イエズスは神の子キリストである」(20・31)ことを信仰させようとしてヨハネは福音書を書いたといわれるのに、この目的のためにまさに適切であると思われる「タボル山の変容」には触れていない。共観福音書には載っていない「天の神秘のパン」(6・25以下)について、ヨハネの本にはかなり長い話があるのに、最後の晩餐の時に聖体が設定されたことについては一言も触れていない。しかし、こうして書かないのは怠りのためではない。こうして表面的に背理と見えるものは、背理ではない。ヨハネは、すでに皆が広く知っている事実をくり返さないという理由だけで、自分の本を読む人々がもう共観福音書の伝承を知っていることを前提として話している。
       一方、共観福音書の伝承も、ヨハネの伝承を前提としている。共観福音書、特に前の二人は、エルサレムでのイエズスの宣教について少ししか語っていないのに、しかも、イエズスの、次のような嘆きのことばを伝えている。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打つものよ、牝鶏がつばさの下にひなを集めるように、私はいく度、あなたの子らを集めようとしたことだろう。しかし、あなたはそれを拒んだ」(マタイ23・37、ルカ13・34)。共観福音書だけでは、「いく度」ということばの説明がつかない。共観福音書では、ガリラヤにおけるイエズスの宣教だけが主として語られているからである。
       ところが、ヨハネの本には、イエズスが少なくとも四度、エルサレムに行ったことが語られているので、この「いく度」の説明がつく。したがって共観福音書も、暗黙のうちにヨハネの伝承を前提としており、こちらの側からも、「あなたとともにするのではないが、あなたなしにするのでもない」といっているようである。  

      源泉 No.161〜163『キリスト伝』より

      2013.12.27 Friday

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        #『キリスト伝』より ジョゼッペ・リッチョティ著 フェデリコ・バルバロ訳
        源泉
        #161 さて、重大なもう一つの問題について、新しい発見があり、それが誤った偏見を暴露した。現代の多くの学者にとって、第四福音書は「歴史の体面だけをかろうじて保っている神学上の定理」(ロアジイ)であるといっている。いいかえると、第四福音書は、比喩的・象徴的な本であって、神秘的抽象の世界だけを動き回っているので、その本にあるエピソードを、地理学的なわくの中に入れるのは単に表面の飾りで、中味は地形などと無関係なものだと、かれらはいうのである。
         こういう非難も、例のとおり、かれらの哲学上の偏見から出ている。その上、こういう非難をする学者の大部分は、机の前に坐っているだけで、パレスチナを詳しく調べるどころか、通りすぎさえもしていない。かれらは、考古学や歴史や地理をたいして重視しないが、これは、たいへん思慮に欠けたやり方だといわねばならない。
         ルナンでさえも、かれ一流の勝手なやり方であったとはいえ、キリストの伝記を書くにあたって、いく分はパレスチナの地理を調べている。そのルナンは、こう書いている。
         「第四福音書の歴史的概略は、思うに、ヨハネを中心とするグループがしっていたままのイエズスの生活であった。このグループは、その思い出をもとに共観福音書をつくり上げたクループよりも、創立者キリストの生活の、外部的な事情に通じていたと思う。」と。
         しかし、第四福音書を書いた人は、エルサレムの地理さえ知らないほど、パレスチナのことについては知っていないと、いわれつづけてきた。
         ところが、事実はその反対である。第四福音書を書いた人は、共観福音史家よりもその地の地理に詳しく、話の本筋にはかかわりなく省けるような点にまで、驚くほど詳細に立ち入っている。
         第四福音書にだけ出ているパレスチナの地理の指定は、少なくとも十はあって、そのうちの一つも、まちがっている証明はなく、むしろ、そのうちのいくつかは、思いがけないほど正確であることが立証されたので、その例をあげてみたい。 

         
        #162 ヨハネの本(1・28)には、他の本には出ていない「ヨルダンの向こうのベタニア」が出てくる。ところで、ベタニア(11・18)は、エルサレムからわずか「十五スタディウム」(約2800メートル)しか離れていないのである。そしてエルサレムからヨルダンまでは、約40キロもはなれているのである。これは、昔、ベタニアが二つあったことがわかって―ベトレへムが二つ、ベト・ホロンが二つもあったように―解決した。
         ヨルダンの向こうのベタニアは、渡し船を使う川の渡し場に近かったので、その名も、「ベト・オニア」(船の家)からくるのではあるまいか。ここは渡し場であったから、オリゲネスは「ベタニア」とはいわず、写本から読んで「ベト・アバラ」(渡しの家)といった。最近、この地に昔の町の廃墟が見つかった。
         ギリシア語のヨハネ福音書(5・2)では、エルサレムの「羊門」のそばに、おそらくその町の区の名からとって「ベザタ」といわれる池があったと書かれている。この池は「五つの廊」に囲まれていたとある。五辺形の廊下がそこにあったのだろうか? まことに変な形である。その変な形のことから、現代のある学者は、この話が全部比喩的なものだと解釈し、池はユダイズムの霊的な泉のかたどりであり、五つの廊は、律法の五つの本のことであるといった。
         しかし、最近の発掘によって、このまことしやかな比喩の解釈も打ち砕かれた。
         すなわちこの池は、長さ120メートル、幅60メートルの短形をしていた「四つの廊」にかこまれていたが、それ以外にもう一つの廊下が、池の真ん中に渡っていて、池を二つに分けていた。
         ヨハネ(19・13)によると、ピラトは裁判の最中、「イエズスを外に連れて行き、敷石、ヘブライ語で、ガッパタといわれる所で裁判の席についた」とある。
         この場所はどこにあるのか?何年か前の発掘によって、はっきりしたことがわかった。「ガッパタ」とは、「敷石」の訳ではなくて、同じ場所の二つの呼び方であった。
         アントニア城にあったこの場所は、最近見つかったが、考古学的にみると、アントニア城をつくったヘロデ大王時代の、建物の特色を表わしている。

        163 歴史の二つの目は、地理と年代学であるという有名なことばを裏付けるように、ヨハネの福音書を見ると、地理の上での先に見た正確さと同じ正確さが、年代の上でも見られる。
        共観福音史家が、イエズスの生活について知らせるいわば内部的な年代を、ヨハネ福音書に出てくる年代と比較してみると、共観福音史家が、はくぜんと知らせる年代を、正確にしようとして、ヨハネが機会をのがすまいとしているという印象を受ける。
         共観福音書だけを見ると、イエズスの公生活は、一年か、それよりも少なかったようにみえる。これに対してヨハネは、はっきりとちがう三つの過越祭のことをしるして、イエズスの公生活が、少なくとも二年何ヶ月かであったことを教える。
         ヨハネ(2・11)では、イエズスが行った最初の奇跡が、共観福音史家がしるしていないカナでの婚宴の時にあったとしるしている。そのすぐあと(2・13以下)、イエズスの公生活の、威厳に満ちた行動として、神殿から商人を追い払った事件を載せている。しかし共観福音史家では、この事件がこの事件がイエズスの死の何日か前のできごとであるかのようにしるされている。
         パレスチナの歴史の、よく知られているある事件から計算すると、神殿から商人を追い出したこのできごとは、「神殿建築」が始まって四十六年後のことであると、ヨハネのことばからわかる(2・20)。
         最後に、共観福音書のイエズス受難の話を読むと、イエズスが弟子とともにヘブライ人の過越祭の宴会を行ったのは、死の前日の夜であったことがわかる。その宴会は、律法によって、ニザンの月の十四日に行われることになっていたから、イエズスが亡くなったのは、ニザンの十五日に当たることになる。
         ところがヨハネの方は、イエズスが殺される日の朝、ピラトの邸の前で群れをなしてイエズスを訴えていたユダヤ人は、まだ過越祭の宴会を行っていなかったと、特に注意している。ヨハネ(18・28)によると、そのユダヤ人たちは、小羊を食べる宴会の前に、「汚れ」を受けないように、総督官邸には入らなかったという。なぜなら、異教徒の家に入ったら、その夜行う宴会が汚されるのを恐れたからである。するとこの場合、イエズスが亡くなったのは、ニザンの月の十四日となる。その前日の晩餐は、ヘブライ人の過越祭の宴会とは別のものである。共観福音書もヨハネの福音書もまちがっていないことを証拠立てる論拠には、今ここでは触れないことにする。
         しかし、ヨハネが、共観福音史家がはっきりしるさなかったことを正確にして、しかもかれだけがはっきりと年代を示していることには、もう一度注意を喚起したい。

        40 ナザレトのマリアは、ヨゼフと話し合う

        2013.12.25 Wednesday

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          あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より

          40 ナザレトのマリアは、ヨゼフと話し合う

          著者のことば
          五十三日の後、御母マリアは、この本にしるしてほしいと言われて、今のヴィジョンを現された。マリアを見るのは嬉しいことで、私の心に新たな喜びが生まれる。
              
                   *      *      *
           
           ナザレトの小さな庭を見る、マリアは、よく繁ったりんごの木陰で糸を紡いでいる。りんごは、赤くなりかけた子供の頬のように、丸いバラ色の実で枝もたわわになっている。
           しかし、マリアは決してバラ色ではない。ヘブロンで血色のよかった頬の色も消えてしまい、象牙の青白さで、唇だけが薄い珊瑚色のカーブを描いている。うつむいているまぶたの下に暗いかげりがあって、目のふちは、長く泣いた人のように腫れている。下を向いて仕事をしているので、その目は見えないが心に悩みのある人のように、時々ため息をついているのを聞く。どの花も新鮮さから、まだ朝のうちであると分かるが、もう相当に暑くて、マリアは白い麻の服だけを着ている。頭に何も被っていないので、りんごの枝の中でたわむれる太陽が、ブロンドの頭に小さな光の光の輪を作り、髪の毛は純金のように見える。
           家の中からも、隣からも、どんな音もしない。庭の奥にある水槽に流れる水の一筋のささやきしか聞こえない。
           だれか、突然に入口のドアを叩くので、マリアはいささか驚いて立ち上がり、錘(すい)をおいて開けに行く。服は、ゆったりした広い服で腰の丸みを隠せない。
           ドアの前に立っているのは、ヨゼフである。マリアは、唇まで青くなる。今、その顔は貧血でホスチアのように白い。マリアは悲しそうな、もの問いたげな目で見ている。ヨゼフは、こいねがうような目つきである。マリアは口を開く。
          「ヨゼフ、こんな時間に? 何か必要なことか、言いたいことがあるのですか? さあ、どうぞ」
          ヨゼフは入り、後ろ手にドアを閉め、まだ話さない。
          「ヨゼフ!話してください。私から何を望みますか?」
          「あなたのゆるしを」と、ヨゼフはひざまずこうとしてかがむ。しかし、いつもちょっとでも人に触るのさえ、つつしみ深い彼女が、今は彼肩をぐっとつかまえて、それを妨げる。
           マリアの顔は真っ赤になったり、雪のように白くなったりしている。
          「私のゆるしとは? 私は、あなたをゆるすことなど何もありません。ヨゼフ、ただ、私の留守の間ここでしてくださったことと、私に対しての愛のために、あらためて感謝するばかりです」
           ヨゼフは彼女の顔に目を向ける。その深い眼窩の奥に二つの大きなしずくができ、目のふちに一瞬止まって、それから頬とひげにころがるのが見える。
          「マリア、ゆるしてください。私はあなたのことを信用しなかった。今、分かった。(1) 私は、これほどの宝をあずかるに値しない人間です。私の愛は足りなかった。あなたに真相を聞かないで、心の中で不正に、あなたを訴えました。自分自身を愛しているようにあなたを愛さず、神の律法に背いたのです(2)…」
          「おお、そんなこと!あなたは何も、そむいていない!」
          「いいえ、マリア。私がそのような罪のために非難されたなら、自分自身を弁解したはずだが、あなたには、その弁解をゆるさなかった。あなたの言うことを聞かずに決断しようとした。疑心の侮辱をもって、あなたに対して罪を犯しました。マリア、疑い一つでも、もう侮辱です。疑う人は、よく知らない人です。私は、そうすべきであったのに、あなたを知ろうともしませんでした。それも…私の苦しみのために…拷問の三日間のために、私をゆるしてください、マリア」
          「いいえ、私はあなたをゆるすべきことは一つもありません。そればかりか、私こそ、あなたに負わせた苦しみのためにお詫びします」
          「おお、本当に苦しかった!何という苦しみ! ごらん、今朝はもみあげが白くなり顔にしわができたと言われた。この日々は十年よりも長かった! しかし、マリア…あなたが配偶者である私に、あなたの光栄を隠すほど謙遜であったために、私はあなたのことを疑ったのです」
          ヨゼフは、ひざまずいていないが、しかし、そう見えるほど、かがんでいるので、マリアはその頭に小さな手を置き、ほほえむ。ちょうど赦免を与えるかのように見える。それから言う。
          「私が全く謙遜でなかったならば、人間の滅びのもととなった傲慢の罪を消すために来られる”期待されているもの”を懐胎するに値しなかったでしょう。それから、服従…神は私に、この従順を望まれました。それは非常に辛かった。あなたを考えて。それによって、あなたに加えられた苦しみのために、けれども、私は服従するしかありませんでした。私は神の婢です。僕たちは受ける命令に異議をはさむことはできません。ヨゼフ、ヨゼフ、僕は血の涙をしたたらせても、命令に忠実でなければなりません」
           マリアは、こう言いながら静かに泣く。どんなに静かにか、かがんでいるヨゼフは一滴が地面に落ちるまで気がつかないほどである。
           ヨゼフは頭を上げ―彼に初めて見ることであるが―自分の強い手にマリアの小さな手を握りしめ、その指先に接吻する。
          「今からできるだけ早くしなければ…」ヨゼフはこれ以上、言わないが、マリアの体にまなざしを送る。彼女は真っ赤になり、相手の視線に体の形をさらしたくないかのように真っ直に腰かける。
          「早くしなければ…私はここに来て結婚を完成しよう(3)…来週に、いいでしょうか?」
          「あなたのなさることに、すべて従います。ヨゼフ。あなたは家の頭で、私はあなたの婢です」
          「とんでもない。私こそ、あなたの僕です。私はあなたの胎内に成長する私の主の幸せな僕です。あなたはイスラエルのすべての女の中で祝せられた者です。今晩、親戚に知らせましょう。それから…ここに来たら、すべてを整えましょう…迎えるために。おお、私は、私の家にどうして、神を迎えうるか? 神が私の腕の中に? あまりの喜びのために、私は死ぬほかない…私はあえて彼に触ることさえもできないでしょう…」
          「私にできるように、あなたにもできるでしょう。神の恵みによって」
          「しかし、あなたは、あなたです。私はあわれな一人の人間、神の子らの中に最も貧しい者!…」
          「イエズスは、貧しい私たちのために来られるのです。神が豊かにするために、私たち最も貧しい者、そして、そのとおりであると認めている私たち、二人のところに来てくださる。喜びなさい、ヨゼフ。ダヴィドの子孫に期待されていた王が与えられ、私の家は、ソロモンの宮殿よりも豪華なものになるでしょう。なぜなら、ここに天が降り、私たちは、ほかの人間がもっとあとで知る平和の奥義を、神とともに味わえるからです。主は、私たちのところで育ち、私たちの腕は成長するあがない主の揺りかごとなり、私たちの労苦は、彼に糧を与えるでしょう。おお、ヨゼフ、やがて私たちを、”お父さん、お母さん”と呼ぶ、神の声を聞くでしょう。おお…」
           マリアは喜びで泣く。何と幸せな涙。
           ヨゼフは今、その足元にひざまずいて、床のれんがを覆うマリアの広い服の上に頭を垂れて泣く。

          (1)マテオ1・19~24。
          (1)レビ19・18。
          (1)マテオ1・19。 

          6 神のお告げ 『聖家族を幻に見て』

          2013.12.23 Monday

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            光明社発刊 カタリナ・エンメリックによる『聖家族を幻に見て』より
             
            6 神のお告げ

             わたしは神のお告げの祝日にちょうど神のお告げの視幻を見た。それはマリアが結婚して間もないころで、彼女はナザレトの家にいたが、ヨゼフは不在であった。かれは自分の荷物を取りに二頭のろばを曳いてチベリアデに向かっていた。
             家にはアンナとその婢、それにマリアと一緒にいた二人の乙女がいた。アンナは新しい家具を備えつけていた。
             夕方になると一同は低い丸いテーブルを囲み、立ったまま祈ってから野菜を食べた。アンナは長い間家の中であちらこちら働いていたが、マリアは階段を上って自分の部屋に帰った。そして長い白い羊毛の祈祷服を来て帯をしめ、黄がかった白いベールを頭にかけた。
             すると召使が入ってきて腕の多いランプに灯を入れて出ていった。マリアは低い机を壁の傍らからもってきて部屋の真中においた。その上に小さな丸いひじ当てをおき、手を机に支えながら、寝所に背中を向けてひざまずいた。部屋の扉は右側にあり、床の上にはじゅうたんが敷いてあった。マリアはベールを顔の前に垂れ胸の上に手を組んだ。
             かの女はこうして長い間非常に熱心に祈っていた。救世の約束の王について祈り、その来臨に際して幾分かかかわり合いを持つことを願って、天を仰ぎ、われを忘れて長い間ひざまずいていた。それから頭を胸にたれてさらに祈った。
             マリアがふと自分の右の方を見た時、そこにブロンド色の髪をなびかせた光輝くひとりの青年を認めた。それは大天使ガブリエルであった。その足は地についていなかった。天使は光と輝きに充ち満ちて上の方からマリアの方へ降ってきた。建物は隅々まで光にあふれ、ランプはまったくうす暗くまばたくばかりであった。天使は話しかけた。マリアは答えたが顔をあげなかった。天使がふたたび語ると、マリアは天使から命じられたように、ベールを上げて天使を見た。そして言った。「わたしは主の婢です。あなたの仰せのようにわたしになりますように。」
             その時マリアは深い脱魂状態にあった。居間の天井はもはや見えなかった。
            家の上には光雲が漂い、一条の光線が開けた天まで伸びていた。この光の源に至聖三位の姿があった。マリアが「仰せのようにわたしになりますように。」と言った時、翼に蔽われ、人の容貌をもった聖霊の姿が現れた。そしてその胸と手から三本の光線が流れ出てマリアに降り、かの女の胎内で一つになった。その瞬間マリアはまったく透明に輝き、不透明なものは、夜がこの光の奔流の前から遠のいていったかのようになった。
             天使が光と共に消え去ってのち、天からの光の中から、緑の葉のついた無数の白いばらの蕾がマリアの上に降り注いだ。マリアはまったく自己のうちに没入し、人となった神の御子を、自分自身のうちに小さな人間の光の形で見つめていた。
             この神秘が起こったのは真夜中頃であった。
             しばらくしてからアンナと他の婦人達が入ってきたが、マリアがわれを忘れた脱魂状態にあるのを見てまた出ていった。
             この女は立ち上がり、壁の方の小さな祭壇の前に行き、そこでしばらく祈り、明け方になってやっと横になって休んだ。マリアはちょうど十四才を少しこえたぐらいであった。マリアは救い主を宿した事を知った。また救い主はその国の人々の王となるが、その王国はこの世のものではなく、人類救済のために苦しみかつ死ななければならないという事も知った。
             アンナは特別の恵みによってこの事を心の内にマリアと分かちあっていた。
             エルサレムでは婦人は神殿に入れないがナザレトではいまは違う。かの女自身が神殿であり、至聖なる神がその中に住まわれたのである。

            5 マリアの結婚 『聖家族を幻に見て』

            2013.12.23 Monday

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              光明社発刊 カタリナ・エンメリックによる『聖家族を幻に見て』より

              5 マリアの結婚

               ヨゼフは六人兄弟中の三番目であった。その両親はベトレへムでダビドの生まれた大きな家に住んでいたが、以前から残っているのはおもな壁ぐらいであった。
               ヨゼフの父はヤコブと言った。少年のヨゼフはその時八才ぐらいであった。かれはほかの兄弟達とはまったく違っていて、頭がよく物覚えも早かったが、単純で静かで敬虔であ野心らしいものは持っていなかった。ほかの兄弟達はかれにいろいろな悪戯をして、どこでもよく突き倒した。
               かれらは薮や灌木や果樹の生えている仕切られたそれぞれの小さな庭を持っていたが、兄弟達はヨゼフの小屋で時々こっそり草花を踏みにじったり抜いたりした。またヨゼフをいつもあなどっていたが、ヨゼフはじっとこらえていた。
               ヨゼフが廻廊で壁に向かってひざまずいて祈っていると、かれらはヨゼフを突き倒した。ある時かれがこうして祈っていると、ひとりの兄弟がヨゼフの背中を蹴ったが、ヨゼフがそれに気付かずにいた。その兄弟はヨゼフが倒れるまで繰りかえし蹴ったので、わたしはヨゼフが神に心を奪われていたのだと知った。しかしヨゼフは仕返しもせず穏やかに別の所に行き、静かな場所を探すのだった。
               両親はヨゼフの様子をほんとうは満足しなかった。かれが才能にふさわしい世間の仕事を身につける準備をするよう望んでいたが、ヨゼフには少しもそんな様子がみられなかった。
               かれは十二才ぐらいになると、後程キリスト誕生の場となったベトレへムの厩の洞穴とは反対側にある洞穴に、人に知られない祈祷所を持っているたいへん敬虔な何人かの老婦人たちとたびたび一緒にいるようになった。かれは時折りここに来て老婦人達と一緒に祈った。その近くに一人の大工がいたが、ヨゼフはその手伝いにいき、また仕事を教えてもらい、こうして大工職がかれの身についていった。
               兄弟達の憎しみが非常につのってきたので、ヨゼフは十八才の頃遂に夜中に家出をしてしまった。ベトレへムの一人の友人がかれの逃亡を助け、別の衣類を持って来てくれた。
               その後ヨゼフはリボナにいた。かれは一軒の非常に貧しい家庭で生活のために働いていた。そこの人達はむしろを付けた仕切りを作っていた。ヨゼフはこの人達にいろいろ手助けをして、木を集め束にして運ぶ仕事をしていた。
               両親はかれがさらわれたのだろうと思い込んでいたが、兄弟達がかれを探し出したので、ヨゼフは両親とうまくいかなくなった。かれはこの貧しい家庭に留まり、ヨゼフの兄弟達が恥じていた卑しい仕事をつづけた。
               その後ヨゼフは別の所に移った。そこは裕福な家庭で、ヨゼフは前よりもよい仕事をしていた。かれはいつも敬虔でまた謙遜であった。
               ヨゼフはだれからも愛され、大事にされた。最後にかれはチベリアデに住むある人の所で働いて、水辺の家に一人で住んでいた。
               その間に両親はとっくに死去し兄弟は四散してしまい、二人の兄弟だけはまだベトレへムに残っていたが、父の家は人手に渡り、全家族は急速に没落していった。
               ヨゼフは救い主の来臨を熱心に祈っていた。その時一位の天使が現れて、かつての太祖ヨゼフが、当時エジプトにおいて神のみ旨により穀倉の管理者となったように、今やあなたにもまた救世の穀倉が委ねられることになっていると告げた。しかしヨゼフはその事を持ち前の謙遜から少しも理解できず祈りつづけるのであった。そうこうするうちに急にかれはマリアと結婚するためにエルサレムに呼ばれて行った。
               結婚のため神殿から出なければならなかった乙女達はマリアの他にまだ七人いた。
              アンナはこの折にエルサレムのマリアの所に行った。マリアは神殿を去る事を望まなかったが、みなはマリアに結婚するようにと言い聞かせた。
               一人のもはや歩く事のできない身分の高い老司祭に聖所の前に来てもらって燔祭が捧げられた。その司祭が聖書の前に坐って祈っていると、示現のうちにその手が「イェッセの根から出た一本の枝が花を開く」と書いてあるイザヤ書の預言の箇所に置かれた。そののちダビド家の者で未婚の男性がことごとく神殿に呼ばれた。たいていの者は立派な着物を着て、マリアに紹介された。その中にはいつも救い主の来臨に自分もひと役加わる恵みを熱烈に祈っているベトレへム出身のたいへん敬虔な一人の青年がいた。かれはマリアと結婚したいという非常に大きな望みをいだいていた。しかしマリアは泣いていてだれも望まなかったので、司祭長は一同に枝を与え、祈りと生贄を捧げる間めいめいの手に持たせた。次いで全部の枝が神殿の聖所に置かれ、それに花の咲いたものがマリアの夫になる事になった。
               かの若者はその間神殿の一室に入り、両手を拡げ声をあげて神に祈っていたが、かれの枝も他の者のように花が咲かなかったので激しく泣いた。
               若者達はその後神殿を去ったが、この若者はカルメル山に行き、そこで救い主を待ちつつ祈りの日を送った。
               司祭達はダビドの子孫でまだ呼び出し洩れの者がいないか、さらにあらゆる記録の巻物を調べた。するとベトレへムの六人兄弟が記載されていて、その中の一人が行方不明になっている事がわかったので、さらに調査すると、ヨゼフがサマリアのある所で小さな流れの辺りに住み、そこである主人の下で大工仕事をしている事がわかった。かれに神殿へ出頭するようにとの知らせがもたらされ、ヨゼフもまた一番よい着物を着てきた。
               かれにも枝が渡されたが、それを祭壇の上に置こうとすると百合のような白い花が咲き開いた。そして聖霊のような光がかれの上に降った。人々はヨゼフをマリアの所につれて行くと、マリアはかれを夫として受け入れた。
               結婚式はエルサレムのシオン山の、いつもそんな式が挙げられる一軒の家で行われた。祝いは七日か八日間続いた。神殿につとめていた婦人達やマリアの遊び友達だった乙女達もそろってきたし、またヨアキムやアンナの親戚も大勢来た。
               マリアは、高く黒く細い眉、秀でたひたい、黒い長いまつげのあるうつむき加減の大きな目、美しい筋の通ったやや高い鼻、非常に上品な愛らしい口許、程よい身丈でその歩みはまことに軽くしとやかで、真面目であった。
               結婚後ヨゼフは用事のためベトレへムにもどり、そのときマリアは十二人あるいは十三人の婦人達や乙女達と共にナザレトのアンナの家へ帰った。皆は歩いていった。
               ヨゼフもそこに加わって、アンナの家で祝いが開かれ、いつもの家人の外に六人ばかりの客と四、五人の子供が招かれた。
               ヨゼフとマリアはその後ナザレトの自分の家に移った。ヨゼフは家の表側の台所の前に三角形の離れの部屋を持っていた。二人とも非常に物静かで、いつも祈っていた。ある時、アンナはナザレトへ行く用意をして、マリアに持っていく包みを抱え、平地を過ぎ灌木林を抜けてナザレトに向かった。それからマリアは別れの時がくるとたいへん泣き、少しばかりの道をアンナを見送って行った。
               マリアは糸を紡いだり、縫いものをしていたが、その縫い目はあらかった。着物はあまり縫い目がなく幅もののままであった。また刺繍をしたり、白い短い棒で編み物をしたり織り物をしたりした。
               マリアはたいへんあっさりと煮たきをし、そのあいだパンを灰のなかで焼いた。二人は羊の乳を飲み肉も食べたが、たいていは鳩だけだった。
               ナザレトの家は門からはあまり離れていなかった。前には小庭があり、近所に井戸があり、そこへは三つ程の段を下りていかなければならなかった。その家は丘に建てられていたが、丘の中に掘り込んで建てられたではなかった。家の後ろの方には丘を掘り割りにして作った狭い道があった。上の方には小さな木枠をはめた窓が丘の方に開いていた。家の後ろの部分は三角形で、前の部屋よりも高まっていた。その土台は岩に切り込み、上の方は簡単な壁でできていた。後ろの部屋にマリアの寝室があり、ここで神のお告げが行われたのである。
               この後ろの部屋は家の他の部分とは炉で仕切られていた。屋根は尖らず高くなく、その周囲はずっと平になっていたので、へりを歩く事ができた。上の方は平面で、煙り穴と、小さな被いの付いた筒があった。 
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