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    源泉 No.164~165 『キリスト伝』より

    2013.12.27 Friday

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      『キリスト伝』より ジョゼッペ・リッチョティ著 フェデリコ・バルバロ訳
      源泉
      #164 これまであげた例は、ヨハネが、できごとを特に個人的に直接知っていて書いたという数多い証拠の、ほんの一部にすぎない。
      ヨハネは、共観福音書 にしるされていることをよく知っているが、意識してそれと違う道をたどろうとする。ヨハネはが目的としているのは、話を細かくいいつくすことではなく(20・25)、ただ、共観福音書にないことの、少なくとも一部を補おうとするところにある。計算すると、第四福音書** の話の百のうち九十二まで、共観福音書にはない。
       とはいっても、ヨハネの福音書と共観福音書との話の内容は、がっちりと一致している。ヨハネに、話を補い、正確にしようとする意図があったことは、よくわかる。受難の話の場合などが特にそうである。共観福音書では、剣の一打ちで、大司祭のしもべの右耳を切り落とした弟子はだれで、しもべはだれであったかをいわないが、ヨハネは、弟子の名はシモン・ペトロ、しもべの名はマルコス(18・10)と正確に書いている。イエズスが逮捕されてから、共観福音書によると、すぐ大司祭カヤファの邸につれていかれたようにとれるが、ヨハネは、表面上のこの不正確さをなおそうとするように、まず、「その年の大司祭だったカヤファの義父アンナのもとに、引いていった」(18・13)と知らせ、その理由もしるしている。
       共観福音書では、逮捕されたイエズスのあとにペトロがついていって、すぐ大司祭の庭に入ったようにとれるが、ヨハネは、ペトロが「もう一人の弟子」といっしょについていき、入口の前で外に残っていて、「もう一人の弟子」だけがすぐ中に入り、その弟子のとりなしで、ペトロも中に入れたことになっている(18・15~16)。ユダヤ人が邸の外にとどまっている間に、ピラトが総督館の中で、イエズスを訊問することも、ヨハネによってのみわかる。
       同様に、ヨハネは、共観福音書に書かれていない「この人を見よ!」の場面を書き残し、ピラトとユダヤ人との間の言い争いを伝え、ピラトが、むち打ちののちもイエズスを釈放したかったこと、ユダヤ人が「チェザルの忠実な家来」だと宣言することなども書き忘れない(18・23以下、19・4以下)。
       息絶えたイエズスには、ローマ式のすね折りを行わず、槍で胸をつきさしたことも、ヨハネだけが書いている(19・31~34)。かれはそのすぐあとで、こう書き加えている。「これを見た者が証明する―この証明は真実である。自分のことばが真実であることを、かれは知っている」(19・35)。事件の目撃者であったこの証人は、その少し先にヨハネだけがしるしているとおり、イエズスの母とともに十字架の足もとにいた「愛された弟子」である(19・25~27)。
       こういう詳細な、写実的な描写を読めば、最近の学者がつくりあげようとする比喩的・象徴的な仮説を裏付けるような背景は、少しも見当たらない。

      *共観福音書:新約聖書の四 つの福音書のうち、ヨハネ伝を除くマタイ伝、マルコ伝、ルカ伝のこと。
      **第四福音書:ヨハネの福音書

      #165 ヨハネが、共観福音史家と違った道を歩いていることは、全体の内容からもわかる。共観福音史家は、ガリラヤでのイエズスの宣教に特に重点をおいているが、ヨハネは、ユダヤとエルサレムでの宣教を主としている。ヨハネの福音書にあるイエズスの奇跡は七つだけであるが、そのうちの五つまでも、共観福音書には載っていない。ヨハネは、イエズスの行ったことよりも、むしろかれの教養上の思想、特に、ユダヤの権威者との議論などに紙面をさいている。この議論には、ヨハネの本全体にわたってそうであるが、共観福音書には全くといっていいほど出てこない特色ある概念が出てくる。たとえば、光、やみ、水、この世、肉体などという象徴的な概念、あるいは、命、死、真理、正義、罪などという抽象的概念である。
       ヨハネの福音書は、共観福音書の伝承には従っていないが、しかし決してそれを見失っているのではない。ルナンは、ヨハネの本に、「かれ独自の伝承、共観福音書の伝承と並行する伝承」があるといい、ヨハネの立場は、「自分が扱っている問題がすでに周知のことであると知っている作者の態度である。かれは、すでに書かれている多くの事柄に賛成しつつも、自分にもそれにまさる報道があると知り、すでにあるものを全く気にせずに、自分独自のものを伝えようとする」といっているが、このことばは正しいといってよい。
       しかしそれがすべてではない。ヨハネは、ことばには表わしていないが、読者にすでに周知の事実として、間接的に共観福音書の伝承を用いているし、共観福音書にはヨハネの話によってだけ説明のつく暗示が載っている。ヨハネと共観福音書との二つの伝承は、互いにていねいに、「あなたとともにするのではないが、あなたなしにするのでもない」といっているようである。ヨハネは、イエズスの誕生やその私生活については一言も語らない。イエズスの母についても、他のマリアたちについては名をあげているのに、母マリアの名前はいわない。また、「ヨゼフの子イエズス」(1・45、6・42)という言い方を二度も用いているが、この奇妙ないいかたの説明は不必要と考えているようである。
       「イエズスは神の子キリストである」(20・31)ことを信仰させようとしてヨハネは福音書を書いたといわれるのに、この目的のためにまさに適切であると思われる「タボル山の変容」には触れていない。共観福音書には載っていない「天の神秘のパン」(6・25以下)について、ヨハネの本にはかなり長い話があるのに、最後の晩餐の時に聖体が設定されたことについては一言も触れていない。しかし、こうして書かないのは怠りのためではない。こうして表面的に背理と見えるものは、背理ではない。ヨハネは、すでに皆が広く知っている事実をくり返さないという理由だけで、自分の本を読む人々がもう共観福音書の伝承を知っていることを前提として話している。
       一方、共観福音書の伝承も、ヨハネの伝承を前提としている。共観福音書、特に前の二人は、エルサレムでのイエズスの宣教について少ししか語っていないのに、しかも、イエズスの、次のような嘆きのことばを伝えている。「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打つものよ、牝鶏がつばさの下にひなを集めるように、私はいく度、あなたの子らを集めようとしたことだろう。しかし、あなたはそれを拒んだ」(マタイ23・37、ルカ13・34)。共観福音書だけでは、「いく度」ということばの説明がつかない。共観福音書では、ガリラヤにおけるイエズスの宣教だけが主として語られているからである。
       ところが、ヨハネの本には、イエズスが少なくとも四度、エルサレムに行ったことが語られているので、この「いく度」の説明がつく。したがって共観福音書も、暗黙のうちにヨハネの伝承を前提としており、こちらの側からも、「あなたとともにするのではないが、あなたなしにするのでもない」といっているようである。  

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