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    「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」

    2013.11.16 Saturday

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      カトリック中央協議会発行『カトリック教会の カテキズム』P821~P823より  

       主の祈り: 「み心が天に行われるとおり地にも行われますように」

      #2822 御父のみ心とは、「すべての人々が救われて真理を知るようになること」(一テモテ二・四)です。御父は、「一人も滅びない…ようにと、…忍耐しておられるのです」(二ペトロ三・九)。他のあらゆるおきてを要約し、み心のすべてを私たちに告げ知らせる神のおきてとは、神が私たちを愛してくださったように私たちも互いに愛し合うというものです。

      #2823 神は、「秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神のみ心によるもので、…あらゆるものが…キリストのもとに一つにまとめられます。…キリストにおいて私たちは、み心のままにすべてのことを行われるかたのご計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」(エフェソ一・九〜十一)。私たちは、このいつくしみの計画がすでに天上で行われているのと同じように地上でも完全に実現されますように、と心からお願いするのです。 

      #2824 御父のみ心は、キリストにおいて、またその人としての意思を通して、完全に、また決定的に成就されました。イエスはこの世においでになられたときに、「ご覧ください。私は来ました。…神よ、み心を行うために」(ヘブライ十・七)といわれました。イエスだけが、「私は、いつもこのかたのみ心を行う」(ヨハネ八・二十九)、ということがおできになります。イエスは死を目前に控えた苦悩の祈りの中で、み心に身をゆだね、「私の願いではなく、み心のままに行ってください」(ルカ二十二・四十二)と祈られます。なぜイエスは、「み心に従い、…ご自身をわたしたちの罪のためにささげてくださった」(ガラテヤ一・四)のでしょうか。「このみ心に基づいて…イエス・キリストのからだがささげられたことにより、私たちは聖なる者とされたのです」(ヘブライ十・十)。 

      #2825 イエスは「御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(ヘブライ五・八)。被造物であり、罪びとであり、しかもイエスに結ばれて神の子とされた私たちはなおさらのこと、そうでなければならないはずです。私たちは御父に、み心、すなわち、世にいのちを与えるという救いの計画が実現するために、私たちの望みを御子の望みに合わせてくださるようにお願いします。私たちには、その力は全くありません。しかし、イエスに結ばれ、聖霊の力に助けられるならば、自分の意思を神にゆだね、御子が常に選ばれることを選んで、御父のみ心にかなうことを行うことができるのです。 

      「私たちはキリストと一致することにより、キリストとただ一つの霊となって、キリストの心を心とすることができます。こうして、み心が天に行われるとおり地にも行われることになるのです」。 

      「(イエス・キリストが)謙虚であるべきことをどうお教えになるかが分かりますか。私たちの徳は自分の努力だけではなく、神の恵みによるものでもあると示しておられるではありませんか。同時にキリストは、祈る私たち一人ひとりに、世界全体のことに思いを馳せるようにと命じておられます。また、私のうちに、あるいはあなたたちのうちに『み心が行われますように』といわれたのではなく、全地に行われますようにといわれたのです。それは、地上の誤りが取り除かれて真理が全地を支配し、あらゆる悪が破壊されて再び徳が栄え、地上でも天上と同じようにいつまでも大切にされるためなのです」。 

      #2826 私たちは祈りの中で、何が神のみこころであるかを判断し、み心を行うための忍耐を得ることができます。イエスは、私たちが天の国に入るのはことばによってではなく、「私の天の父のみ心を」(マタイ七・二十一)行うことによってであると教えられます。 

      #2827 「神は…み心を行う人のいうことは、お聞きになります」(ヨハネ九・三十一)。主イエスのみ名によってささげられる教会の祈りには、大きな力があります。とくにエウカリスチアにおける祈りがそうです。エウカリスチアとは、聖母マリアやすべての聖人たちと心を合わせた執り成しのための交わりのことですが、その聖人たちは主のみ心を行うことだけを望む、主の「み心にかなう」方々だったのです。 

      「『み心が天に行われるとおり地にも行われますように』という言葉を、私たちの主イエス・キリストご自身のうちに行われるように教会にも、御父のみ心を果たされた花婿のうちに行われるようにキリストの花嫁のうちにも行われますように、と理解しても、間違いではありません」。  

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