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2017.01.04 Wednesday

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    47  マリアの被昇天 2

    2013.08.16 Friday

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      47  マリアの被昇天  つづき 『マリアの詩 下』フェデリコ・バルバロ訳 あかし書房より 

      頭を垂れたヨハネの疲れた顔に、マリアを失った苦しみと、光栄あるマリアの運命への歓喜とが浮かんでいるが、もはや歓喜が苦しみに勝っている。

       「神よ、私の神よ、ありがとうございます! 感謝いたします! こんなことが起こるだろうと予感していたので、被昇天の様子は何一つ見落とさないように起きているつもりだった。しかし徹夜が三日も続いた!被昇天が近づいた時、苦しみと疲れとがないまぜになって、睡魔が私に襲いかかった(3)…。神よ、あなたご自身が望まれたその瞬間を、多分私が乱さないように、またそれほど苦しまないようにということだったのでしょう…それだ、確かにあなたのおぼしめしだった。あなたの奇跡がなければ見られなかったことを、私に見せてくださった。

       マリアは、もうこれほど遠くになっても、すぐ近くにいるかのような光栄に入った。光栄あふれる姿を私に見せてくださった。そして、イエズスも! おお、いとも幸せな思いもよらないヴィジョン! あなたのヨハネへの神なるイエズスの賜物の中の賜物! 最大の恵み! 私の先生である主がまた見えたこと! 母のそばにおられるイエズスを見た!

       天のエルサレムの最大の星であるあなた方が、ここで輝いている。天国とはどんな所でしょう。天使たちと聖人たちの喜びはどれほど大きいか。お母様が御子と一緒にいるのを見る喜びは、これらの人たちの苦しみのすべてを皆無にするだけではなく、私の中にも、悲しみよりも平和がある。私が神に頼んだ奇跡のうち二つが実現した。光栄のうちに一緒になったお二人を見たことで、私の大きな苦しみはなくなった。神よ、このために感謝します。最後の審判の後、肉体のよみがえりの後、死後、天に昇った霊魂とまた一緒になる聖人の運命はどんあものかと、いとも聖なるものであっても人間であるマリアによって見せてくれたことについて感謝します。

       死ぬ時、天に昇った霊魂が、また肉体と一緒になるところを見せてくださったことも感謝します。私は、信じるために見るという必要はなかった。先生のどんなことばでも、いつも難く信じていたから。だが、何百年か何千年かの後には、塵となった肉体がどうして再び生きる体となれるか、多くの人が疑いを持つに違いない。

       私は、最も気高いすべてにかけて誓うが、イエズスは神としての自分自身の力によって生き返っただけでなく、その母も死の三日後―それが死と言えるなら―生き返り、そして霊魂にまた合わさった肉体で、御子のそばに、天における永遠の住まいに落ち着いたと言える。私は『おお、すべてのキリスト者たちよ、世々の終わりの肉体の復活を、霊魂と肉体との永遠の命とを、聖人たちにとって幸いであり、痛悔せずして死んだ罪人にとっては恐ろしいその命を信じなさい。私はこれをあなたたちに証(あかし)できる。いつの日か、霊魂と体とともに新しい永遠の世界に、太陽なるイエズスと、すべての星の中の星マリアのそばにいられるように、聖なる生活を送りなさい』と言う。神よ、感謝します! いますぐマリアの残した物を集めます。マリアの服からこぼれ落ちた花を、寝床に残っているオリーブの枝を集めてとっておきます。そうだ、待ちぼうけをくった私の兄弟たちに助けと慰めとを与えるのに役立つに違いない…」

       落ちて、あちこちに散らばっている花びらを一つ一つ集め、服の裾を持ち上げて中に入れ、部屋に戻ったその時に寝床の上の花をしげしげと見て叫んだ。

      「もう一つの奇跡! イエズスとマリアの二人の人生における不思議の、もう一つの感激的な比較である! 神であるイエズスは自分でよみがえり、己の意志だけで墓石を倒し、自力で天に昇った。 いとも聖なるものであっても人間の娘にすぎないマリアは、天に昇るために天使たちによって道がつけられ、その助けによって天に上げられた。

       キリストの場合は、体がまだこの地上にあった時に霊魂がその体を生かした。敵たちを黙らせるために、すべての弟子たちの信仰を固めるために、そうあるべきだった。マリアの場合は、いとも聖なる体がもはや天国の入口に至った時に霊が戻った。マリアにとって、これ以上何も必要としなかったから。神の無限の知恵の完全な力よ!…」

       ヨハネは、小さな寝床に残された花と枝とを布に集め、それに外に落ちていたものを加えて、例の箱のふたの上に置いた。次に、箱を開けてマリアの小さな枕と寝床の毛布を置き、台所に行って錘(つむ)と杼(ひ)、食器などを集めてきて他の物と一緒にし、箱のふたを閉めた。小さな台に腰かけ、つぶやく。

       「さあ、私にとってもすべてが果たされた! これからは、神の霊が私を連れていく所へ、どこでも自由に行ける。行く!…先生が人間に与えるようにと私にくださった神のみことばをまくこと、愛を教えること、人間のために何を行ったかを知らせよう。その生贄と秘跡と永久に続く儀式とを。これにより、私たちは御聖体のイエズス・キリストと全く一致して、命令されたとおりにその儀式と生贄とを繰り返す。すべて、完全な愛の賜物である!愛を愛させること、私たちがかつて信じ、今も信じているとおりに他の人たちも信じるように。(4) 主のための収穫と漁が豊かであるように、愛の種を蒔くこと。

       これは、マリアが最後の時に私を愛する人と呼んで言われたことである。愛する人である私は、この世で先生とその母とを愛することはもうないので、万民の中に愛をまきに行く。愛は私の武器と教えである。私は愛によって悪魔とありとあらゆる邪教に打ち勝ち、多くの人々をキリストに導くことができるに違いない。こうして、この世で完全な愛であったイエズスとマリアとを継続する」


      (3)この著作では、ある外典書また伝記にあるように、墓もなく、奇跡的にみずみずしいまま残った花もなく、他の使徒たちの不思議な集まりもない。処女マリアと一緒に住んでいたヨハネだけが、そこに眠りに負けながらもいたのである。

      (4)ヨハネ第一4・8~16。ヨハネ第二全章。


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