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2017.01.04 Wednesday

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    62 イエズスとユダ、ヤコボの先生マリア

    2017.01.04 Wednesday

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      あかし書房 フェデリコ・バルバロ訳 マリア・ワルトルタ『聖母マリアの詩』上より

       

      62 イエズスとユダ、ヤコボの先生マリア(1)

       

       食事をとったり、マリアが機織りや針仕事をする部屋を見る。隣りの部屋は、ヨゼフの仕事場であるが、そこから勤勉な働く音が聞こえる。その代わりに、ここには全くの沈黙がある。マリアは、自分で織った羊毛の細長い布を縫い合わせている。幅はほぼ一メートル半、長さはその二倍で、ヨゼフのマントのために使うつもりらしい。菜園に面して開いているドアから、空色がかった紫の、小さなマーガレットのような花が咲き乱れている塀が見える。私は、その正確な名前を知らない。それを見れば秋のようであるが、木々は、まだ緑が濃く美しく、太陽のよく当たる壁についている二つの蜜蜂の巣から、蜜蜂はいちじく、ぶどうの木、割れている実で一杯のざくろの周りをブンブンと飛び回っている。
       木々の下に、イエズスは、ほぼ自分と同じ年ごろの二人の子供と遊んでいる。二人はちぢれ毛であるがブロンドではない。むしろ、一人は小麦色である。色の濃い小羊のような頭で、まん丸い小さい顔は皮膚の白さを目立たせ、紫がかった水色の大きな、非常に美しい目をしている。もう一人は、それほどちぢれ毛ではないが、色は暗い栗色で、目も栗色、顔色はもっと濃い小麦色であるが、頬はうすいバラ色をしている。小麦色の二人の中に、全くブロンドの小さい頭をしているイエズスは、もはや光輪のかかった感じがする。三人は仲よく遊んでいる。小さな車にさまざまの商品、枯れ葉、小石、かんなくず、小さな木片を載せて、商売ごっこをしている様子で、イエズスはお母さんのためにいろいろなものを買い、それらの品物を彼女のところへ持って行く。マリアは、ほほえみながら買物を受け入れる。
       それから、遊びが変わる。子供の一人がこう言い出す。
      「エジプトの脱出ごっこをしよう。イエズスはモーセ、私はアロン、おまえは…マリア(2)
      「だって、私は男だもの!」
      「それはかまわない。同じだ。お前は、マリアで黄金の仔牛の前で踊るんだ。仔牛は向こうの蜜蜂の巣にしよう(3)
      「私は踊らない。私は男で女役なんか、いやだ。私は信仰者で、偶像の前で踊ったりするもんか」
       イエズスが口を入れる。
      「じゃあ、そのことではなく、ヨシュアがモーセの後継ぎに選ばれるところ(4)にしよう。そうすれば、偶像崇拝のあんな汚い罪もないし、ユダも男になって、私の後継ぎになるのを喜ぶだろう。ねえ、うれしいでしょう」
      「そうとも、イエズス。でも、そうしたら、あなたは死ななければならない。だって、モーセはあとで死ぬから。こんなにいつも私を愛してくれる、あなたに死んでほしくない(5)
      「皆、死ぬんだ。だけど、私は死ぬ前にイエスラエルを祝福する。しかし、ここにはお前たちしかいないから、お前たちにおいて全イスラエルを祝福する」
       皆、承知する。しかし、すぐ問題が一つ起こる。あんな長い旅をしたのに、イスラエルの民はエジプトを出た時に持っていた車を、まだ持っていたか、どうか。意見は一致しない。それで母マリアに聞きに行く。
      「母さま、私がイスラエル人はまだ車を持っていたと言ったら、ヤコボはそうでないと言うの。ユダはどっちが本当か分からない。母さまはご存じでしょう」
      「そうです、イエズス。あの流浪民には、まだその車がありました。どこかに止まる時、ちゃんと車を修繕して、それに弱っている人たちを乗せたり、また、たくさんの民に必要だった食糧とか、他の物が載せられていたのです。手で運ばれていた聖櫃を別にして、他の物は、すべて車で運んでいたのですよ」
       こうして問題が解決される。子供たちは、庭の奥まで行って、そこから、詩編の歌を唱えながら家の方へ来る。イエズスは先頭に立って、銀の鈴のような声で詩編を歌う。その後ろに、ユダとヤコボとがついて来るが、聖櫃の位に上げられた手押車を支えている。けれども、アロンとヨシュアのほかに、人民の役もしなくてはならないので、紐で小さいおもちゃの車を足につけて、本当の役者のような、まじめな顔をして進んで来る。棚の下をずっと通って、マリアの部屋のドアの前に来ると、イエズスが言う。
      「母さま、通る聖櫃に挨拶して」
       マリアはほほえみを浮かべて立ち、太陽のきらめきの中に、輝かしく通る御子の前にお辞儀をする。
       それから、イエズスは、家、むしろ庭の一番端になっている小山の側に登って、小さな洞窟の上に立ってイスラエルに話す。神の命令と約束とを繰り返し、ヨシュアを指揮者として指定し、自分のそばに呼び、こんどはユダも小高いところに登る。イエズスはユダに元気をつけ、祝福する。それから板をもらい—これはいちじくの葉っぱであるが—そこに賛歌を書くまねをして、それを読む。全部ではないが相当の部分で、本当に葉っぱに書かれているかのように読んでいる。それから、自分を泣きながら抱くヨシュアにいとまを与え、小さい丘の端まで登って、そこから全イスラエル、すなわち、地面にひれ伏している二人を祝福し、それから短い草に横になって目を閉じて…死ぬ。
       ほほえみながらドアの所に立って、これを見ていたマリアは、横になって固くなった彼を見ると大声で叫ぶ。
      「イエズス、イエズス、立ちなさい。そんなかっこうやめて! あなたのお母さんは、死んだあなたを見たくない!」
       イエズスはニコニコして立って、母の方へ走って行って接吻する。ヤコボとユダもやって来る。マリアはこの二人もなでる。
      「あんな長くてむずかしい詩編と、その祝福を全部、どうしてイエズスは覚えていられるの!」とヤコボが聞く。
       マリアがほほえんで「彼は記憶力がよくて、私が読む時に注意しているから」と簡単に答える。
      「私は学校で注意しているけれど、あんな長いうめき声を聞くと眠くなる。それなら、私にも覚えられるかしら」
      「できますとも、安心して」とマリアが答える。
       だれかが面の戸を叩く。ヨゼフが足早く庭を突っ切って戸を開ける。
      「あなた、アルフェオとマリアに平和!」
      「あなたたち皆にも、祝福あれ」
       妻と一緒のヨゼフの兄である。力強いろばがひっぱる田舎風の車が道に止まっている。
      「よい旅行でしたか」
      「よかった。子供たちは?」
      「マリアと一緒に庭にいます」
       子供たちは、お母さんたちに挨拶のためにもう走って来ている。マリアもイエズスの手を引いてやってくる。
      義理の姉妹たちが接吻を交わす。
      「子供たちは、おとなしかった!」
      「非常にかわいらしく、とてもおりこうでしたよ、親戚は皆、お元気ですか?」
      「皆元気です。カナから挨拶といろいろなおみやげを送っています。ぶどう、りんご、チーズ、卵、蜜、そして…ねえヨゼフ、お前がイエズスのためにほしがっていたものをちゃんと見つけた。車の上の丸いかごの中にある」
       アルフェオの妻が笑う。その大きく開いた目で自分を見ているイエズスの上にかがんで、空の切れはしのように青く澄んだ目の上に、接吻して言う。
      「あなたのために、何を持って来たか分かる? あててごらん」
       イエズスは考えるが分からない。私は、ヨゼフにうれしい驚きを与えるために、わざと知らないふりをしているのではないかと思う。ヨゼフは丸い大きなかごを運んでくる。イエズスの前に置き、ふたを留める紐を解いて開くと、全く白い泡のような小さな羊が、きれいな干し草の中に寝ている。
       イエズスは、うれしそうにびっくりした”おお!”の声を上げて、小さな動物を早速、抱こうとするが、しかし、すぐ振り向いて、まだ地面にかがんでいるヨゼフの方へ走り寄って、感謝しながら抱いたり接吻したりする。
       二人の小さな従兄弟たちも、今、目覚めてバラ色の鼻面を上げて、お母さんを探して鳴き始めた子羊を感嘆して眺める。小羊をかごから出して三つ葉の一握りをやると、羊は柔和な目で見回して食べる。
       イエズスが言い続けている。
      「私のため! 私のため! お父さんありがとう!」
      「そんなに気に入ったのか」
      「おお、とっても! 真っ白で、清い、おお、この小さな雌羊!」
       小さな腕を小羊の首にかけ、ブロンドの頭を羊の顔に寄せて、そのまま幸せそうにじっとしている。
      「お前たちにも二頭つれて来た」とアルフェオは子供たちに言う。「だが、それは小麦色だ。お前たちはイエズスのようにきちんとしていないから、白かったら、すぐ汚してしまう。これはお前たちの群れにして一緒に番すれば、このいたずら小僧たち二人も、道で石を投げたり、ブラブラしたりしないだろう」
       二人の子供は、車の方へ走って行き、うす黒い二頭の羊を見る。
       イエズスは自分の羊と一緒に残り、それを庭に連れて行って水を飲ませ、羊は、ずっと前から知っているようについて歩く。イエズスは羊に”雪”という名前をつけて呼び、羊は、うれしそうに鳴いて答える。
       お客たちは、食卓につき、マリアはパン、オリーブ、チーズなどを運んでくる。また、よく分からないが、りんご酒か、蜜の水が入った壷も置く。ただ、薄い薄いブロンドの液体と見える。皆が食事をとりながら話しているうちに、子供たちは三頭の羊と遊ぶ。 イエズスはほかの羊たちにも、飲み水と名前を与えたかったので一緒に集める。
      「ユダ、お前のは”星”と呼ぼう。額にそのしるしを持っているから。お前のは”炎”と呼ぼう。枯れそうなエリカのような色をしているから」
      「うん。そうしよう」
       大人たちに向って、アルフェオが言う。
      「これで子供たちの絶えないけんかを解決したと思う。ヨゼフ、お前のアイデアが私を照らした。こう考えたのだ。”私の弟は、イエズスの遊び相手に小さな羊をほしがっている。私はあの二人のいたずらっ子のために二頭買おう。こうすれば、頭のこぶと膝のすりむき傷のために、他の親たちとの絶えまのないゴタゴタや苦情がなくなって、おとなしくなるだろう。学校へも行くし、それから、羊と遊んだら、静かにしていてくれるだろう”と。
       今年は、お前もイエズスを学校へ上げるべきだ。もう、その時になった」
      「私は、絶対にイエズスを学校へはやりません」と断固としてマリアが言う。このような調子でヨゼフよりも先に話すのを、初めて聞いた。
      「なぜ! 子供が、その時になったら、成人の試験を受けなければならないから、いろいろ習うべきだ…」
      「あの子は、もう知っています。そして、学校へは行きません。もう決まったことです」
      「それは、イスラエルで例のないことではないか」
      「初めてのことかもしれないが、しかし、そうするつもりです。そうでしょう、ヨゼフ」
      「そのとおり。イエズスにとって、学校へ行く必要はありません。マリアは神殿で教育を受けた。律法の知識では、本当の先生と変わらない。私も、そう望んでいる。マリアが、その先生であればよい」
      「しかしそうすれば、お前たちは子供を甘やかすのではないか」
      「そんなことはない。イエズスは、ナザレトの一番よい子です。彼が泣いたり、わがままを言ったり、逆らったり、尊敬を表わさないことなど、見聞きしたことがありますか」
      「それはそうだ。けれど続いて甘やかせば、いつかそうなるだろう」
      「子供たちを自分のそばに置く、というのは甘やかすことではない。大事なことは良識と良い心をもって、子供を愛することです。私たちはイエズスを、このように愛している。そして、マリアはこの辺の先生よりも学問があるので、イエズスの先生となればよい」
      「しかしね、そうしたら、あなたのイエズスは、大人になって蠅さえも、こわがる女の子みたいになるだろう」
      「いいや、そんなことになるはずはない。マリアは分別のある女で、男らしく彼を教育できよう。私も卑怯者ではなく、男らしい模範を与えるのを知っている。イエズスは心と体とに欠点のない子です。身も心もまっすぐな力強いものとして成長するにちがいない。安心して、アルフェオ。私たちに家族の面目を失わせるようなことはありません。私がそう決めたので、これだけで充分です」
      アルフェオが、「どうせ、マリアが決めたのだろう。そしてお前は…」
      「そうだったら悪いと言うのか。相愛している二人が、同じ心、同じ望みを抱くのはよいことではないか。愛があれば、一人が望んだら、もう一人もそれに同意する。マリアが愚かなことを望んだら、私は”いや、それはだめだ”と言う。しかし、彼女は知恵にあふれることばかり望んでいるので、私はそれに賛成し、私は、それを自分のものとする。私たちは、最初の日と同じように相愛し、命あるかぎりそうするにちがいない。そうでしょう、マリア!」
      「そうですとも、ヨゼフ。こんなことにならなければよいが、しかし、一人が死んで一人が残っても、つづいて相愛するでしょう」
      義理の姉は口をはさむ。
      「二人の言うとおりです。ああ、私が教えることができたら!…学校では、善いことも悪いことも習う。家ではよいことだけ教えることができる。もしもマリアが…」
      「お姉さん、何でしょう?どうぞ遠慮なくおっしゃってください。私が、あなたをどんなに愛しているか、ご存じでしょう、あなたの気に入ることができれば、どんなにうれしいか」
      「まあ、ただ私が言いたいことは…。ヤコボとユダとはイエズスよりも少ししか年上でない。二人は、もう学校へ行っているが、しかし何を知っているか…それに引き換え、イエズスは律法をもうよく知っている。こんなことちょっと言いにくいけれど、もし、あなたがイエズスに教えている時に、あの二人にも一緒に教えてくだされば…私としては、そうすれば二人とも、もう少しよく、知識深くなると思う…。三人は従兄弟で、兄弟にように互いに愛し合うとしたら、すばらしい。そうしてくだされば、私はどんなにうれしいか!」
      「ヨゼフも同じ意見で、また、あなたのご主人もそうだったら、私はかまいません。一人のためにも、三人のためにも話すのも同じです。一緒に全聖書をおさらいするのも喜びです。いつでもいらっしゃい」
       静かに、静かに入って来た三人の子供が、すべてを聞いて判決を待つ。
      「あいつらは、あなたの堪忍袋の緒を切らせるでしょう。マリア」とアルフェオが言う。
      「いえ、いえ。私といればいつもよい子にしています。私が、あなたたちに教えれば、よい子で聞いてくれるでしょう?」
       二人は、マリアのそばに走り寄って、腕をその首に回し、小さい頭を寄せて、ありとあらゆる ”約束” をする。
      「アルフェオ、試させてください。あなたも、この試しに不満はないでしょう。毎日、午後から夕方まで、ここに来ればよい。それで充分でしょう、信じて。私は、あきさせないで教える術を知っています。子供たちを夢中にさせると同時に、気ばらしを与えるべきです。彼らから、何かを得たいならば、彼らを理解し、愛し、また愛させるべきです。あなたたちは、私を愛しているでしょう、そうでしょう?」
       返事は二つの大きな接吻である。
      「ごらんのとおりです」
      「よし、分かった。私にはあなたに ”有難う” しか言えない。しかし、イエズスは、自分のお母さんがほかの子に気を配るのを見ればどう思うだろう。ねえ、イエズス、お前はどう思う?」
      「私はこう言います。”毎日、私の扉の前で立って気をつけ、門前を離れず、私の言うことを聞く人は幸せである”(格言8・34)。知恵の場合と同じように、私の母の友だちである人は幸せで、私は、私が愛している人が、彼女の友だちであるのはうれしい」
      「しかし、あんなことばを、だれがあの子に言わせるのか?」
      とびっくりしたアルフェオが聞く。
      「だれも、兄さん。この世の人、だれも」
       ここでヴィジョンが終わる。
            *     *     *
       イエズスが言われる。
      「こうしてマリアは、私、ヤコボとユダの先生となった。このために親戚関係のほかに、学問と一緒に育っただけでなく、一つの幹から出た三つの枝のように育った。兄弟のように、相愛したのである。イスラエルで比類のない先生、私のやさしい母が、知恵の座、”まことの知恵の座” の私の母が、私たちに、この世のためと天のための知識を教えた。私が ”私たちを教えた” というのは、私も二人の従兄弟と同じように、彼女の生徒だったからである。この世に共同生活をする、という表面の下に、サタンの探りにもかかわらず、神の秘密についての ”調印” が守られたのである。
      あなたは、このやさしい心、安らぐヴィジョンを見てうれしいでしょう。今は平和の中に、イエズスはあなたとともにいる」

       


      (1)ルカ2・40。
      (2)モーセの従兄弟で癩病にかかった。
      (3)脱出32章参照。
      (4)荒野27・12~23、第二法31~34。
      (5)”未来の使徒、アルフェオの子、小さなユダが答える”と欄外に著者が書いている。

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