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2017.01.04 Wednesday

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    ビンゲンの聖ヒルデガルド

    2016.09.20 Tuesday

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      『ビンゲンのヒルデガルドの世界 種村季弘著 青土社発行

       

      1:十字軍と幻視者

       

      …  彼女は見た。けれども地上の眼で見たのではなかった。天上の視(ヴィジョン)においてしか見えない「天上のヴィジョン」を見たのである。彼女は見た、「一つのいとも大いなる輝きを。そこから天上の声がとどろき渡った。」
       声は告知した。
      「か弱き人間よ、灰の灰、黴(かび)の黴よ、汝の見るもの聞くものを言え、また書け! されど目にしたものを述べるのに、汝は(聖書)解釈の素養もなく、無学にして、語ることを恥じているのであるからして、人間の語り方によらずして、すなわち人間的作為の認識にも人間的解釈の意志にもよらずして、天上のヴィジョンにおいて汝に与えられた天分により言い書くがよい。どのように神の奇蹟においてそれを見かつ聞いたかを。さながらおのが師のことばに耳かたむけ、師の思い望む通りに、師の指し指示する通りに、それをまるごと伝える聞き手であるかのように、語るがよい。されば汝もまたそのようにせよ!汝の見かつ聞くものを、汝の好むようにでも、だれか他の人間の好むようにでもなく、すべてを知り、すべてを見、そのひそやかな決断の隠された深みにおいてすべてを秩序づける存在の意志にしたがって言え、また書け。」
       天上の声の告知している相手は、「無学」で単純なヒルデガルドという女性である。「無学」とは、とりあえずラテン語をこなさないという意味であろうが、それだけではない。スコラ学と聖書解釈学の正則を身につけた当時一般の教養とは無縁の、身分こそ修道女であるとはいえ一介の女性にすぎないという意味で「無学」なのである。にもかかわらずその彼女に突如として「聖書の、(旧約)詩篇の、福音書の、旧新約聖書を論じた他のカトリック文書の意味がひらめくように明らかになった。」
      ということは、この聖書解釈や神学文書理解が聖職者の通例の研鑽の成果ではないかということである。与えられた聖職者教育コースをこなした結果の認識ではなかった。告知を受けた側としてこの正規の道を通らないで得た啓示の例外性を、彼女はふたたび自分の「無学」を強調しながら告白する。「けれどもだからといって私は、これらのテクストの語義も、分綴法も、(文法法)文例も、時称も習得することはなかった。」
       ヒルデガルドのこの告白は明らかに、当時としてはまことに危険だった。教会の指定する神学的教養の道を通らずに、我流で直接(じか)に神を見たという。しかしかりに彼女の開発した見神技術が公認されるとすれば、中世の神学体系はその場から無用の長物となり、ついには否定されることになりかねない。つまりは教権体制にさからう異端である。事実ヒルデガルドは久しい間異端の疑いにさらされる。クレルヴォーのベルナールやエウゲニウス教皇の後援を得た後も、すくなくとも教権制度の傘下にある聖職者の大多数を敵に回さなくてはならないだろう。当時の聖職者たちの常套化したあり方を当てこすった「人間的認識の作為」や「人間的解釈の意志」に「無学」の「天上のヴィジョン」を対置させ、教権制度の停滞ないし腐敗をほのめかす彼女の戦略は、ことほどさように当初から由々しい危険をはらんでいたのである。
       危険は百も承知だった。だからこそむき出しの幻視をフォルマール修道士の「校正」という隠れ蓑にくるんだ。公開の時期にも慎重を期した。幻視の書は着手してから完成までに十年の歳月を要した。
       それも1141年の執筆開始から数えての韜晦(とうかい)の期間である。彼女の幻視力はしかし1141年に突然はじまったわけではない。それ以前の数十年に及ぶ沈黙の期間があった。序文には少女時代にはじまる幻視癖のことが回顧されている。
      「隠された奇蹟の眼の力と神秘を私がみずからの内面にまことにふしぎにも体験したのは幼年時代からのことだった。すなわち五歳の時以来のことで、それがいまに至るも変わらない。しかし私は、私と同じように修道院生活のなかに生きているごく少数の人たちを除くなら、だれにもそのことを言わなかった。神がその恩寵を通じて公開を望み給うた今日に至るまで、一切を沈黙をもって覆ったのである。」
       五歳の時に何を見たのか、ここでは具体的には言及されていない。それに、後年になってゴットフリート/テオードリヒ両修道士のまとめた『自伝』によるなら、幻視体験は五歳ではなくて早くも三歳の時にさかのぼるらしい。
       「三歳の時に私は魂の高揚するような大きな光を見た。けれども子供だったので、そのことを口外できなかった…五歳になるまでいろいろのものを見、なかにはそのまま素直に人に話したものもあるが、話を聞いた人たちは、それがどこから来て、だれに教わったのかと訝(いぶか)った。」
       人が訝るようにどんな体験があったのだろうか。やがて巷間に流布された少女ヒルデガルドをめぐるいくつかの伝説のなかにそれらしいものがある。
       五歳の時に彼女は故郷の牧草地で別の女の子と遊んでいた。ヒルデガルドが突然言った。
      「ほら、あそこに仔牛が一頭いるわ。なんてきれいなんでしょう。頭から爪先まで真っ白、でも頭と脚のところだけは斑点があって…ああ、背中にもいくらか黒いところがあるわ!」
       遊び友達の女の子がそちらを見ると仔牛などどこにもいない。するとヒルデガルドが一頭の孕んだ牝牛を指して言った。「だってそこにいるじゃない!」遊び友達の女の子は家に帰るとヒルデガルドの奇妙な「作り話」を母親に言いつけた。ところが牝牛が仔牛を産んでみると、斑のありかは正確に彼女の言い当てた箇所にあった。ヒルデガルドには、まだこの世に出ていない胎内の仔牛がありありと見えていたのだ。

       


        1095年、教皇ウルバヌス二世は全ヨーロッパのキリスト教徒に聖地イェルサレムの奪回を呼びかけた。これが十四世紀にいたるまでくり返し行われた十字軍遠征の端緒となる。当時トルコの支配下にあった聖墓所在地イェルサレムの奪回が、この行動のさしあたっての目標であることはいうまでもない。
       ウルバヌス二世の呼びかけは、ヨーロッパ全土に未曾有の反響を呼び起こした。あらゆる階層の出身者からなる何万人にもおよぶ男たちが、なかには国家や君主に命じられたわけでもないので、たちまちにして十字誓願に応じた。妻子を置き去りにし、家財産を捨てて、勇躍、冒険的な遠征に旅立ったのである。騎士の指導者に率いられたものもいた。なかには掠奪目当てのごろつきとして未組織の群れをなすものもいた。いずれも重い木の十字架を担ぎ、あるいは象徴的に布製の十字の徽章だけを肩につけて、生還のおぼつかない長期の旅路に出立した。目的地に到達する前に落命したものは数知れない。…

        一方、聖地における最初期十字軍の勝利もつかの間だった。およそ半世紀後の1140年代には、十字軍の成果と東方におけるその支配地はほぼ壊滅している。ふり返ってみれば十字軍とは、無数の兵士の死と巨額の経済的損失を後にのこす暴挙にほかならなかったのである。精神的虚脱とやり場をうしなった暴力衝動はヨーロッパに逆流してくる。さなきだに中世世界では小諸侯間の私闘や掠奪は日常茶飯事である。掠奪対象としては僧院でさえ例外ではなかったのである。
       ヴィジョン公開に踏み切るまでのヒルデガルドの半生には、ざっと以上のような恐怖と暴力が外界に荒れ狂っている。山上のディジボーデンベルク修道院はたしかに静寂と沈黙のうちに閉ざされていた。外界から侵入してくるものはなく、こちらからも出てゆかない。それはしかし、兵士やならず者が奇蹟的にここを素通りしたというかぎりでのつかの間の楽園にすぎず、いったん彼らの泥足が踏み込んでくればひとたまりもなかったのである。
       十二世紀の僧院はいわば丸腰だった。暴力に対する自前のいかなる防御策も持たなかった。当然のことながら、切り取り強盗がいつ襲ってきてもふしぎのない状況のなかで、軍事的防御策を講じない僧院は存続を危ぶまれた。そこで多くの僧院が世俗の僧院管理人(Vogt)と契約する。僧院管理人は一定の契約金と引き換えに、僧院の外部にある寺領地管理と軍事的保護を請負った。
       建前はそうでも、この保護者はやがて強者の地位を乱用するにいたる。僧院が僧院管理人を保護者に指定するというより、僧院管理人が僧院を管理の傘下に指定するのが、もっぱらの実情になる。多くの寺領地がこうして僧院管理人の手に掌握された。僧院機構全体のなかで主人としてふる舞うのは、もはや僧侶ではなく、むしろしばしば世俗の僧院管理人なのだ。そのうえ僧院管理人職は家職として引き継がれる場合がすくなくない。僧院の自立性はうしなわれ、いよいよ悪代官(Vogt)がはびこる。専横な保護者がイヤでも、外敵から身を守るには悪名高い僧院管理人に依存するほかなかった。げんにディジボーデンベルク修道院も、ヒルデガルドが同院を離れてからのことではあるが、1154年に世俗の管理人と契約を結んでいる。
       後にヒルデガルドが創設する(1143年)ルーペルツベルク女子修道院はしかし例外的に僧院管理人と契約しなかった。諸侯の庇護ももとめなかった。あらゆる世俗的権力の上にあるものと直接(じか)に交渉した。神聖ローマ帝国皇帝バルバロッサに請うて、皇帝の万能の「保護状」を手中にするのである。ヴィジョンは神から垂直に、世俗的保護もまた皇帝から垂直に、中間的媒介者なしに受容した。…

       

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      「卵形または火焔太鼓形の宇宙像」のヴィジョン

       

       

       

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      「生命の始祖」のヴィジョン

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