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2017.01.04 Wednesday

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    贖宥(免償)について 9

    2016.09.03 Saturday

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       第二部 特殊贖宥


      第一章 聖年


       聖年(ユビレーウム)という言葉は、ヘブライ語の「ヨベル」が語源である。この「ヨベル」は山羊を意味し、更に転喩に依って山羊の角を意味する。旧約聖書をみると、ヘブライ語の聖年は、司祭達が、ヨベルという山羊の角の形をした喇叭(らっぱ)を鳴らして、これを告げ知らせたので、その喇叭の名称が、後に点じて、年の名称となったのである。ラティン語ではアンヌス・サンクトゥス(Annus Sanctus)(聖なる年)と言う。

       

       聖年の起源

       旧約聖書に依ると、天主は、イスラエルの民に対して、五十年目毎に一ヵ年を奉献するように、定め給うた。その年が聖年と呼ばれたのである。聖年は喜びの年であって、
      (一)その一年間、大地は休息しなければならなかった。それ故、種を蒔くことも収穫をすることも禁ぜられていた。だが、自然になり出たものを取りいれることは許されていた。このように大地が休息している間、家を建てたりいろいろの道具を造ったりした。
      (二)又聖年には、資産なり家屋なりを手放していた者は、それを取り戻すことが出来た。
      (三)ヘブライ人の血統を引く奴隷は、再び自由の身となった。
       このようにして、ひどい貧窮や奴隷の身分がイスラエルの一家又は一個人のどうにも変えようがない状態にならぬよう、財産や身分が元の状態に周期的に戻れるように、律法が取り計らっていたのである。(レビ記第二十五章第十節)
       旧約聖書にある聖年に依って、公教会は、宗教上の目的を以てキリスト教の聖年を設けた。
       贖宥を伴う聖年は、少なくとも今日公教会で行うが如き形式では、教皇ボニファチオ八世が始めた所であり、一三○◯年二月二十二日、「古人の確かなる言い換えに依れば」という大勅書を以て宣言したものである。その確かな言い換え(尤もそれに関しては、現存の文書には一言も誌した痕跡はないが)に依ると、彼以前に聖ペトロの聖座についた人々、即ち彼以前の教皇達は、百年毎に、ローマの大聖堂参詣の回数によって特別贖宥を授ける習いであったという。そこで、ローマへ巡礼して行った者、そして自分の罪を告白し痛悔して、もしローマ市民なら日に一回三十日間、他国人なら同じく日に一回でただ十五日間、使徒ペトロとパウロの聖堂を訪れた者は、聖年の贖宥を受けていた。
       当時の史家ジョバンニ・ヴェラーニは、彼の年代記に、ローマ市民の外にこの聖年の参詣に加わった巡礼者の数は二十萬に達すると、録している。その巡礼者の中に、ジョットもダンテ・アリギェーリもいた。前者は、聖年の宣言をしている教皇ボニファチオの肖像をラテラン大聖堂の大廻廊に描き、後者は、その「神曲」第一部地獄編と第二部煉獄編とに、この事を述べている。
       教皇クレメンス六世は、ローマ市民の懇願に応えて、聖年と次の聖年との間にある一百年の期間をただ五十年に短縮し、その後ウルバーノ六世は、人生の短さと、三十三年の御生涯の裡に永遠の父に対してアダムの負債を我等のために贖い給うた救主の、地上に於ける御生命とを考え合わせて、先の期間を更に三十三年に縮めた。(大教書「我等の救主」一三八九年四月)。
       このような措置を講じても、聖年の来ることは余りにも稀であり、信者の大多数はその恩恵にあずかることなく生きて、そのまま死んで行くことが判った。そこで教皇パウロ二世は、二十五年毎に聖年が来るように定めた。
       こうして、殆んど今日に至るまで続けて来たのであるが、遂に現教皇ピオ十二世には、ローマに於いて一九五一年に全世界にこれを及ぼされた。

       

      特別聖年
       だが、このような、順当に周期的に行われる聖年の合間に、特別聖年と呼ばれるものがあることを、歴史は伝えている。特別と云われるわけは、通常の例に依らず、公教会が大いなる喜び又は悲しみに際した時、特別の状況の下に全世界の信者に対し、或は又、特殊の理由に依り或る範囲内の信者に対し又は或る限定した地方に対して、教皇が許可されるからである。
       こういう訳で、例えばピオ五世は、トレント公会議の活動に天主の祝福を仰ぐために、一五六◯年全世界に聖年を宣し、レオ十三世は、一八七九年、教皇に選ばれた際、第一回の特別聖年を宣し、一八八一年には、教会を迫害する敵を屈服する為、天主の佑助けを求めて第二回の特別聖年、更に一八八六年には、ロザリオの聖母の仲介によって前同様の御恵みにあずかるために、第三回の特別聖年を宣言した。ピオ十一世は御自分の司祭叙品式五十周年を記念して、一九二九年一月六日から十二月三十一日までを聖年とし、次いで「人類救済の第十九回百年祭」を祝うため、一九三三年から一九三四年にかけて聖年とした。
       聖年につきものの儀式は、聖扉の開閉式で、これに就いては、既に十五世紀以来記録が残っている。聖扉は、ローマ四大聖堂のいずれにも右手に在る。御降誕の祝日の前日、教皇は舁輿にのって聖ペトロ大聖堂の前庭に赴き、先回の聖年が終わった際壁に塗り籠めた聖扉の前に立ち、「我に正義の扉を開き給え」という句を歌いながら、銀の槌で三度その聖扉をたたく。教皇に続いて内赦院の枢機卿がその聖扉をたたくが、これは唯二度である。壁は前以て切ってあるので、崩れ落ちる。すると内赦院の参事会員等が閾(しきい)を除け、教皇が先ず第一に、右手に十字架を捧げ左手に燈をともした蝋燭を持って、この扉を通る。この儀式は同様に他の三大聖堂に於いても行われるが、聖パウロ大聖堂では主席枢機卿が、ラテラーノの聖ヨハネ大聖堂と聖マリア大聖堂(マジョーレ)ではそれぞれの枢機卿が、これを執り行う。聖年が終わって聖扉を閉ざす際には、これとは逆の儀式を行う。教皇は閾に少しの漆喰を三度ふり掛け、その上に、聖年を記念する聖牌を納れてある三個の石を据える。それから扉を塗り籠め、次回の聖年までそのままにして置く。

       

      聖年の意義

       聖年とは、恩寵と哀憐の時期で、その期間中、これを布告する大勅書や教令に述べてある特定の行為を信者たちが果たせば、その行為に付随している荘厳な全贖宥を教皇がその信者に授与し、一方又その贖宥を得ようとする信者達のために聴罪司祭に格別の権能を付与するものである。
       聖年の贖宥は、幾多重要な特権を伴い、且つその贖宥の宣言にも獲得にも荘厳な儀式があるので、通常教会の授ける全贖宥とは趣を異にし、それだけに又この贖宥は、他のものよりもっと有効且つ確実である。

       

      聖年に於いて守るべき諸規則
       その規則は、聖年宣言の大勅書に依って決まるのであるが、それは、ベネディクト十四世が幾つかの大勅書で発布したものと大体同じである。
       聖年の贖宥を得るために必要と規定される条件は、一般に全贖宥を得るに必要とされるものと同様である。換言すれば、告白、聖体拝領、聖堂参詣及び祈りが、これである。特別聖年の場合は、これに断食と施興とが加わる。
       この贖宥を得るには、先ず最初にその意向を固めることが必要であって、後で積極的な行動を以てこの意向を翻しては駄目である。
       聖年の贖宥獲得に規定された諸行為を果たすには、順序は構わないが、少なくともその諸行為ののち最後に果たすものは、聖寵の状態に於いてなし遂げねばならない。その聖寵の状態を得るには、秘蹟に依る赦免は必要でなく、完全な悔俊の行為があれば充分である。(聖庁内赦院、一九二四年七月三十一日)
       規定された条件は、教区司教の定めた所を守りさえすれば、一部分或る司教区で行い、又一部分他の司教区で行ってもよい。

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