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2017.01.04 Wednesday

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    40 一人の律法学士との対話

    2016.01.25 Monday

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      マリア・ワルトルタ著『イエズスに出会った人々(二)』あかし書房刊より (フェデリコ・バルバロ訳編)

      40 一人の律法学士との対話

       タリケアという小さな半島から一マイルほど離れたヨルダン川の右岸に降り立つと、熱心もののシモンと二人の従兄弟が出迎えた。
      「先生、小舟で分かりました…。おそらくマナエンも目印の一つになったかもしれません」
      「だれにも見つからないように夜出発し、だれとも口を利きませんでした。信じてください。あなたがどこにおられるかと、多くの人に聞かれましたが、私はただ皆に『出発なさいました』と伝えただけです。あなたの所在については、小舟を用意した漁師のせいで分かったのだと思いますが」
      「弟のバカめが!」と、ペトロがわめく。
      「話すなと言っておいたのに! それに、ベッサイダへ行くと言ったのに! しゃべったり、おまえのひげをむしり取ると言ったのに! 絶対に、そうするぞ、そうしてやるぞ。もうこれから平和や休息や孤独とは、おさらばさ!」
      「よしよし、シモン。私たちはもう休息の日々を過ごしたではありませんか。その他に、私が目的としていたこと、つまり、おまえたちに教え、慰め、また、おまえたち同士やカファルナウムのファリサイ人との間に、いざこざが起こらないように、おとなしくさせることもできました。さあ、私たちを待っている人たちのところへ行きましょう。その人たちの信仰と愛とに報いを与えるために。この愛も、心をなごませるものです。私たちは憎みがゆえに苦しみます。ここには愛だけがあり、そのために喜びがあります」
       ペトロは、垂れた帆のように、しょんぼりしてしまう。イエズスは、”治してほしい”と顔に書いてある病人の輪のへ行き、一人ずつ、変わらぬ忍耐強さと慈悲深さで次々と治す。病身のいたいけな子供を抱え上げる律法学士にも同じ態度を取る。この律法学士はこの後、話し始める。
      「ごらんなさい。あなたは逃げようとしても無駄です。憎しみと愛は、いち早く見つけ出します。ここでは雅歌に言われているとおり、愛があなたを見つけました。あなたは雅歌の花婿のようです。町を巡回する番兵も気にせず、スラミスの娘が花婿を捜すように、皆があなたのところへやって来ます(1)
      「なぜ、そんなことを言うのですか、どうして?」
      「本当だからです。あなたは憎まれているので、あなたのところへ来るのは危険です。ローマはあなたを見張っています。神殿があなたを憎んでいるのを知らないのですか」
      「人よ、なぜ私を試みるのですか。あなたのことばには、わなが仕掛けられています。神殿とローマとに私の返事を知らせるために。私は下心があって、あなたの子供を治したわけではありません」
       律法学士はやんわりととがめられ、恥ずかしそうにうなだれて告白する。
      「あなたは人間の心の真実をありのままに見ていると分かりました。ゆるしてください。あなたが本当に聖であるのがよく分かりました。おゆるしください。ここへは、私の心に他人が置いたパンだねを発酵させながらやって来ました…」
      「パンだねが発酵するには、あなたの中に下地があったからです」
      「そうです、そのとおり…だけど、今はパンだねなし、いえ、むしろ新しいパンだねで出直します」
      「知っています。それは心配していません。ほとんどの人は自分の意思で罪を犯します。他人の意思による場合も多いが、正しい神に裁かれるはかりは違うに違いない。律法学士のあなた、正しい人でありなさい。これからは、あなた自身が他人に腐らされたからと言って、他人を腐らせてはいけません。世間があなたに圧力をかけるかもしれないが、その時は死から救われた生きる恩寵であるあなたの子供を見て、神に感謝しなさい」
      「あなたに感謝」
      「また、神に、すべての栄光と誉れ。私は神のメシアで、だれよりも先に神をほめたたえ、その光栄を探します。そして、だれよりも先に神に服従します。なぜなら、人間は真実をもって神に仕え、神の光栄のために働けば、己を卑しくすることはなく、罪に支配されることこそ己を卑しくするものです」
      「よくぞ、おっしゃいました。いつもこのようにお話しになるのですか、皆のために」
      「皆のために。アンナにも、ガマリエルにも、道端に横たわっている癩病者にも、ことばは同じです。真理は同じだから」
      「では、お話しください。あなたの一言、あなたの恵みが欲しくて、皆ここへ集まっているのですから」
      「それでは話しましょう。自己の信念を正直に考える人から、私に偏見があると思われないように」
      「私が抱いていた信念はもう死にましたが、正直言って、こう考えていました。あなたに逆らって、神に仕えようと思っていました」
      「あなたは真実です。だから、いつも偽りではない神を理解するという恵みが与えられました。けれども、あなたのそういうふうな信念はまだ死に絶えてはいない。はっきり言っておきます。あなたの考え方は、草焼きされた雑草のようです。一見、死んだように見えるけれど、根はまだまだ生きています。それに、大地がその雑草を育て、露は新芽、若葉を伸ばそうとします。こんなことが起こらないように警戒すべきです。そうでなければ、また雑草に覆われてしまいます。あなたの中でイスラエルはなかなか根絶やしにできるものではありません」
      「イエスラエルは死なねばなりませんか。邪悪な木ですか」
      「よみがえるために死ぬべきです」
      「霊的な輪廻ですか」
      「霊的な進化です。いかなるものにも輪廻はありません」
      「輪廻を信じている人がいます」
      「それは間違いです」
      「ヘレニズムは私たちの中にもこういう考え方を植えつけ、知識階級の人たちはいかにも気高い糧のように受け入れたり、誇りにしています」
      「六百十三の細かい掟のうち、ただ一つ違反したがために破門を宣告するような人たちにとっては背理であり、矛盾です」
      「本当です…しかし、そのとおりです。憎んでいるにもかかわらず、その人のまねをしているのが実情です」
      「それでは、あなたたちは私を憎んでいるのだから、私のまねをしなさい。そうすれば、あなたたちは大助かりです」
       律法学士はイエズスのこの気の利いたしゃれを察知し、機知に富んだ笑みを浮かべる。人々は口をあんぐりあけたままで聞いている。離れたところにいる人たちは、前にいる人たちに教えてもらう。
      「ここだけの話ですが、あなたは輪廻についてどうお考えですか」
      「さっき言ったとおり、間違いです」
      「存在しているものは、皆無に帰せないので、生きるものは死んだものから生まれ、死んだものは生きるものから生まれるという考え方を支持している人がいます」
      「実際、永遠であるものは皆無に帰せません。だが、あなたの話から察すると、創造主自身に制限があると思っているわけですか」
      「いいえ、先生、それは考えただけでも、神を冒涜するものです」
      「あなたの言うとおりです。では、決められた以上の数の霊魂はあり得ないのだから、ある霊魂が別の体に生まれ変わるのを認めていると考えますか」
      「考えられないはずですが、なおかつ、そう思う人はいます」
      「その上、悪いことに、そう考えるのは、あるイスラエル人なのです。未信者はいろいろ誤解をしているけれど、霊魂の不滅性を信じています。イスラエル人は、過ちすべてを除外して信ずるべきです。不滅性を未信者風に考えると、いかにも卑下されたものとなります。神の知恵は限りなく霊魂たちを造ることができます。霊魂は創造主から〝有〟にのみ移行し、いつの日か、死活の判決を聞いて命が終わり、また創造主へと戻ります。それは本当です。裁きのときに送られるところに永遠に残ります」
      「あなたは煉獄を認めないのですか」
      「認めます。どうしてそういう質問をするのですか」
      「あなたが『死んだ人は送られたところに残る』と言われたからです。かえって、煉獄は一時的なものです」
      「私はその煉獄を永遠の命の考えに結びます。煉獄は言ってみれば縛られて気絶しているような状態です。煉獄で一時的に止められ、それから霊は完全な命、限りない命に達します。そうしたら、残りは二つしかありません。天と深淵、天国と地獄だけです。霊魂も二つで、〝幸せな人々と滅びた人々(2)〟ですが、その国でどんな霊魂も再び肉を帯びることはありません。これは最終の復活の時まで続き、その時には霊魂が肉体へ入り、不滅のものは死ぬべきものに入るという循環が閉じられます」
      「永遠のものの循環ですね」
      「永遠のものは神だけです。永遠とは始まりも終わりもないということで、それは神です。不滅とは、生き始めたときから継続して生きるということで、人間の霊はそれです。つまり、永遠のものと不滅のものとの違いはここにあります」
      「あなたは〝永遠の命〟と言われるが」
      「そうです。人は命を与えられたとき以来、その霊は恩寵また意志によって永遠の命に至るのです。これは永遠ではない。命は始まりがあることを前提としています。だから〝神の命〟とは言えません。なぜなら、神には始まりがないからです」
      「それで、あなたは?」
      「私は人間でもあります。神の霊に、人間の肉体とともにキリストの霊魂を合わせたので私は生きます」
      「でも、神は生きるもの(3)と言われているではありませんか」
      「実際、神は死を知らず、尽きることのない命です。神の命ではなく、ただ〝命〟です、これだけ、今言ったことはニュアンスだけですが、知恵と真理はこのように微妙に現れます」
      「異邦人や異教徒にもこのようにお話しになるのですか」
      「このようにではありません。分かるはずがないから。あの人たちに、子供を相手にするように、太陽だけ見せます。でも、その太陽の成り立ちの詳しい説明はしません。イスラエルのあなたたちは目が不自由でも愚か者でもない。何世紀も前から神の指があなたたちの目を開き、知恵が霧を払っています」
      「先生、そのとおりです。それなのに、私たちは盲目で愚かです」
      「そうです。己をそうしたのです。おまけにあなたたちを愛している人の奇跡を望まない」
      「先生、まあ、先生」
      「律法学士よ、これは本当のことです」
       律法学士は黙ってうなだれる。
       イエズスはこの人をそこに残したまま立ち去る。色とりどりの小石で遊び始めた律法学士の子供とマルジアムの頭をなでて行ったイエズスは、伝道するよりも、そこここに集まった人たちとの対話を専らにしている。だが、これも絶えざる伝道と言ってよい。なぜなら、様々の疑問を解き、いろいろな考え方を照らし、既に話したもろもろのことをまとめたり広めたりしているからである。こうして時が過ぎていく。

      (1)リンボのこと。マテオ25・31~46。
      (2)ワルトルタの著作によれば、キリストの最初の到来のとき、太祖たちのリンボを閉じ、大再臨のときには幼な子のためのリンボを閉じる。そのため、マテオ25章と同じ様に天国と地獄だけが残る。
      (3)エレミア10・10。集会の書18・1。ダニエル4・31、12・7。 

       

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