スポンサーサイト

2017.01.04 Wednesday

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    第十四章 教会側とマスコミ ②

    2015.12.31 Thursday

    0
      『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)
       第十四章 教会側とマスコミ 

      さて、先の山内夫妻の訪問の四日後、五月十七日から七日間、ほかならぬエバンジェリスタ神父の指導のもとに姉妹たちの聖修が行われることになった。これは先に調査を依頼した伊藤司教がエバンジェリスタ神父の便宜をはかるためにも賛同した企画であった。私はその間、三重県鈴鹿市の教会から、話題の聖母像をめぐる出来事に関する講演を頼まれ、留守にしていた。姉妹笹川は、これも御摂理の許されたことと思われるが、ちょうど母危篤の知らせを受け、黙想第一日の終わりに郷里へ帰った。こうしてエバンジェリスタ神父には一週間も、誰はばからず弁舌をふるう場が残されたのであった。
       旅から戻った私は、姉妹たちの異様な沈黙と重苦しい雰囲気におどろかされた。数日後の日曜、ミサを終え、朝食をすませた私の居室に姉妹たちが集まって来た。あらたまって語り出すところを聞けば、エバンジェリスタ神父の黙想指導によって、自分たちの信念はぐらついてしまった。との告白である。姉妹笹川の異常性格による超能力のはたらきによって万事が作為されたことは明らかである、と専門の神学者から理路整然と説き明かされてみれば、何の反論も出せぬ自分たちとしては、その判断を信じその意見に従うほかないのである、という。
       私は咄嗟に「そんなばかなことはありえない」と答えたものの、あとから思案して、又聞きでただ否定してみても、根拠のある反論とはならない、と気づいた。やはりエバンジェリスタ師のそれほど確信にみちた意見というものを直接委しく聞いた上で、あらためて事の真相を確かめなければならない、と思い返した。姉妹たちにしても、その道の権威の自信にみちた解釈で説き伏せられれば、心情的信頼はもろくも覆(くつがえ)され、信念の失せる不安に陥っても、無理からぬこと、と今は静かにかえりみられる。しかし、この暗く閉ざされた空気の中で、私自身の心の動揺もただならぬものがあった。マリア庭園の花をみても木をみても味気なくむなしく、絶望に近い灰色がすべてを蔽(おお)っていた。自らも足元をすくわれる動揺を全く否定できず、人間の信念というもののはかなさに、暗澹たる心地であった。
       二日ほどして、私は二人の上位姉妹を伴い、エバンジェリスタ師の意見を直接たずねるべく、上京した。そして神学院の応接間に迎えられ、二時間ほど話を交わした。
       彼は、姉妹笹川の日記による研究レポートを引いて説明し、彼女はもともと生まれつきの異常性格であった上に、仏教からカトリックへの改宗以前にも超能力者であったことが判明し、改宗後もこうした超能力を発揮したものと分かった、という。聖母像の手の傷やそこから流れ出た血、汗や涙の現象すべてが超能力によって惹き起こされたものである。すなわち、彼女は自分の血を像の手に移しかえることができ、涙も自分の涙を転写したものである。などと、密教の修験の例を援用して、得々と説明された。
       聞き終わって私は、つまり今後の研究課題は、彼女のいわゆる ”超能力” と聖母像の客観的現象とにいかなる密接な因果関係があるか、ということであろう、と胸にきざんで、一応引きさがった。この高名な神学者の説は、すべてにおいて、私を納得させるに不充分なものであった。
       
       一方、教区長として責任の重圧をいよいよ感じる伊藤司教は、問題をロターリ教皇大使にはかったところ、東京大司教に頼んで調査委員会をつくり正式に調査を始めるがよい、とすすめられた。さっそく事はそのように運ばれたが、もちろんかの神学者エバンジェリスタ師はその主要なメンバーの一人となったのである。
       伊藤司教は調査委員会の指示をうけて、カトリック界の公報機関であるカトリック新聞に、”秋田の聖母像の崇敬について、公の巡礼的団体行動を禁止する” 旨の公示を出した。
       その同じ頃、一九七六年六月十三日、姉妹笹川は調査委員会のリーダーエバンジェリスタ師に個人的に呼び出され、丸一日、誘導尋問や説得に次ぐ説得、つまり洗脳を受けた。彼はすでに自分の意見として、湯沢台の姉妹たちをはじめ、各方面に、”姉妹笹川は特殊な精神分裂症であり、守護の天使を見るのは、自分で自分に語っている二重人格的構成をもつ精神分裂の一種にほかならない。指導している神父が、彼女を利用してマスコミにものを書いたり、事業の利益をはかったりしているのは、許しがたい罪である” などと言明していた。しかし姉妹笹川本人にたいしては、その歓心を買うためか、非難めいたことは一言もいわず、慈父のごとき言動を示した。姉妹笹川は次のように回想している。「弟と妹につきそわれて来た私を、エバンジェリスタ神父様は両腕をひろげてにこやかに迎えてくださいました。たっぷりの朝食をすすめられまるでお父様のような優しさに私たちは感激しました。
       それから一対一になって、午前中いっぱい、午後は五時過ぎまで、息つく間もない説得をうけました。
       私は精神異常とでも宣告されるかと、ひそかに覚悟していましたが、そのような言葉は一つも出ず、超能力の持ち主だ、と言われて、はじめて聞く話にびっくりしました。何のことかと伺うと、潜在意識のことからこまごまとと説き、すべての不思議な現象は、私が無意識に超能力をもって惹き起こしている、とのことです。
       ― では悪魔から来ているのですか。だったらどうかそんなものは取り除いてください。
       ― 悪魔ではない。あなたは知らずにしていることだから、罪はない。
       ― でも、私はそんな特別な人間になりたくありません。それに、多くの人をだましているとおっしゃるなら、おそろしいことです。どうかそんな能力を取り除いてください。
       ― ともかくあなたが悪いのではなく、最初に天使のことなども真に受けて、ことをこんなにエスカレートさせた長上に責任がある、といえます。守護の天使などというのも、あれは、あなたが自分自身に語りかけているのです。
       だから、今後はそんな出現を無視すればよいのだ、という警告でした。
       ところが、それから十一時の御ミサにあずかったところ、思いがけず守護の天使のお現れがありました。あわてて、無視しようと目をつぶったりしましたが、”恐れなくともよい” といつものお声を耳にしたとたん、何とも言えぬ心の安らぎを感じました。
       午後のお話の始めにエバンジェリスタ神父様にその報告をしたところ、今までずっと続いて来たことだから急に終わるわけにはゆかない、私の指導を受ければ、これもすべて解決する…とまた延々とおさとしがつづきました。
       私は何よりも、自分で知らぬこととはいえ、多くの人を欺く結果になっている、と言われたことに、恐ろしいショックを受けていました。おしまいには、疲労困憊で倒れそうな有様になったので、電話で知らされた妹が迎えにかけつけてくれました。
       帰途のタクシーの中で、私はもうすべての気力を失い、このまま死ぬのではないか、と考えていました。
       妹の心づくしの夕食も目に入らず、机にうつ伏せにして両手を頭にあてととき、思わぬ触感にビクリとしました。髪の毛が恐怖のあまりか、文字通り逆立っていて、汗と脂でコチコチになった毛が針金を植えたようにこわばり、指も通らぬ有様になっています。
       驚愕の一瞬のあと、こんどは急に目がさめたような反省が湧いてきました。”これは何という有様か。これでも信仰をもっているのか。すべては神様が許されて起こったことであり、すべてを神様はご存知ではないか。自分であれこれ思い煩うなど、それこそ自分にとらわれているではないか…”こう思った瞬間、胸がスーッと開けたようで、笑いたい気分さえこみ上げてきました。泣き笑いのうちに手を上げてみると、髪の毛もしなやかさを取りもどしていました。
       翌日から伊藤司教様のおはからいで、心身の検査を兼ねて桜町病院に入院しました。ベッドに横たわってみると、もう精も根もつき果てた感じで、三日三晩食べることも起きることもできず、診察もそれぞれの医師が出向いて来られる有様でした。
       三週間後、二人の姉妹の迎えを受け、修院へ戻らずそのまま矢立温泉へ療養に行きました。
       いくらか体力をとり戻して修道院に戻っても、以前とまるで違う空気が待っていました。それからは、まるで針のむしろにくらす心地でした。よく生き抜いて来た、という気が今になっていたします。でも入院中からして、体力も気力も衰え切った時は、もうこのまま召されたほうがどれほど幸せか、と何度思ったことでしょう。…」
       しかもこれは、十年の歳月に痛みをやわらげられた上での控え目な述懐である。
       表面上、人びとは親切であった。病院の医師も、面とむかっては精神異常を否定し、ノーマルだと断言しつづけたが、委員会への報告には、特殊なヒステリー性をほのめかしている。
       修道院の目上も修友も、やさしくいたわってくれるが、今や自分の信用は地に落ち、ことごとに疑いの目でみられていることを、痛いほど感じさせられる。
       指導司祭としての私の洩らした”十字架上のキリストは、誰からも信じられず、見放されていた”との一言に、必死にすがる支えを見いだしていた、とのちに告白している。
       不信の中の孤独というあらたな試練の日々が、始まったのであった。

      スポンサーサイト

      2017.01.04 Wednesday

      0