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2017.01.04 Wednesday

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    ミサの聖なる犠牲 ③

    2015.12.21 Monday

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      マリー・アン・ヴァン・フーフへ
      祝されし童貞聖マリアのメッセージにより解説された
      ミサの聖なる犠牲(The Holy Sacrifice of the Mass)③

       天におけるあなたへの報いは大きいでしょう! 聖体の前で5連のロザリオを祈る人は皆、他の条件が満たされているならば、全免償を受けることができるということを覚えておいてください。

       天のおっしゃるところによれば、私たちは人類の歴史上最悪の日々を生きています。ノアの時代よりも、ソドムとゴモラの時代よりも更に悪いのです。ですから、現代、とりわけ神御自身の家の中で広がっている非礼と無関心に対して戦うために、できる限りのことは何でもしようではありませんか。立ち上がりましょう、そして、証しましょう! 私たちは、現代のこのような教会の状況の中で、自分たちが場違いなことをしているように感じることがあるでしょう。しかし、それを償いとして私たちの神なる主へ献げましょう。主が耐えなければならない非礼と無関心への償いとして。


      ミサの聖なる犠牲

      III. なぜ私たちは毎日 ミサに与るべきなのか?

       毎日ミサに与ることの重要性は、聖母によって1950年の8月15日と10月7日に、マリー・アンに対して次のように強調されました。「可能であれば、毎日秘蹟を受けなさい。」さて、これは正しいのですから、私たちの優先順位において何が間違っているのでしょうか? 私たちが毎日、神にお献げすることのできる最大の祈り、最大の犠牲はミサなのです。多くの聖人は、私たちはただ単に時間をうまくやりくりしていないのだと私たちにおっしゃいました。毎日ミサに与ることができるように、時間をやりくりすることができるのに、それをしない人は、毎日怠惰の罪を犯すことになるかもしれません。確かに毎日ミサに与ることは、しばしば私たちにとって大きな犠牲です。しかし、本当に努力するならば、それは、はたして過大な要請でしょうか?

       私たちは被造物であり、私たちの神に対する第一の義務は、神への礼拝、崇拝、称賛、感謝です。しかし、私たち自身だけでは、これらの礼拝をふさわしい仕方で献げることは決してできないのです。神は私たちに無限の価値を持つミサに与ることによって、私たちの祈りと試練を最も完全にする方法を与えてくださっているのです。もし私たちが世界中を歩いて巡礼して、あらゆる聖堂を訪問しても、この犠牲は一回のミサに熱心に与ることには及ばないでしょう。ミサに与ることは、カルワリオの丘に居合わせることなのです。なぜならミサは、カルワリオの血の出ない延長だからです。キリストは完全ないけにえです! 私たちは、私たちのために十字架につけられた御子以上に聖父なる神をお喜ばせするものを献げることはできません。

       もし近代技術がタイム・マシンを発明して一人一回百ドルで運行すれば、人は一時間実際に聖主の磔刑と死に立ち会うために、カルワリオに行くこともできるでしょう。多くの人々が列を作っているところを想像して見てください。しかしながら、私たちのほとんどは、どんな日でも自由にミサに与ることによって、無料でカルワリオに行くことができるのです。それに加えて、聖体を拝領すれば、イエズスは肉体的に私たちのところに来られ、私たちの霊魂の中で十五分間ともに過ごされるのです。 私たちの信仰はどこにあるのでしょうか? 私たちの優先順位はどうなっているのでしょうか?

       今日では、教会の建築や補修に使われるよりも多くのお金が、ポルノや不法な麻薬に費やされています。悪魔は私たちが毎日ミサに与るのを止めさせるためなら何でもやるでしょう。
       あなたは人々が毎日のミサに与れない百万もの異なった言い訳や理屈づけを聞くでしょう。ある人は言うでしょう。遠すぎるとか、時間を取られるとか、仕事に行かなくてはとか、あまり体調が良くないとか。
       審判の日において、熱心に与った平日のミサの数よりも、私たちの罪に対する大いなる弁護、私たちのためになるより大いなるものはないでしょう。なぜ私たちは日曜のミサを含めないのか? 日曜のミサに与ることは義務として要求されていることで、それに与らないことは大罪であるからです。平日のミサは自由になされる神への献げものであり、義務づけられたものではなく、付加的な犠牲が私たちの側に必要となるからです。
       
       私たちが私たち自身、あるいは私たちの家族に贈ることのできる最大の贈り物は、おりにふれて私たち又は家族の救いのために、ミサを立てていただくことです。私たちが私たちの両親に、生きておられようと亡くなっておられようと、贈ることのできる最大の贈り物は、彼らのためにミサを立てていただくことです。これは父の日、あるいは母の日、あるいは両親の誕生日のための最大の贈り物です。私たち平均的なカトリック信徒は、30年間を煉獄で過ごすと諸聖人の伝記によって教えられています。

       私たちのほとんどは、亡くなった親族や友人のために祈ることやミサを立てていただくことを、彼らの死後一、二年すると忘れてしまいます。
       
       あなたはかつて、あなたの守護の天使のしてくださったことへの感謝として、ミサを立てていただいたことがありますか? 彼に何と多くのものをおっているか、考えてみてください! あなたはかつて、父の日に父なる神へ、母の日に聖母へ、ミサを立てていただこうと考えたことはありますか?

       ミサ、ミサ、ミサ、もし私たちが良く与った一回のミサのい価値を認識しさえすれば、それを妨げる深刻な理由がない限り、私たちは毎日のミサに欠席することはないでしょう。諸聖人は天国への四つの鍵は、ミサ、ロザリオ、茶色のスカプラリオ、十字架の道行きであると私たちにおっしゃいました。そして、これらのうち最も重要なのは、毎日のミサなのです!

       親愛なる読者よ、もし、あなたがすでに毎日ミサに与っているならば、どうかそれを続けてください。あなたが日々行うことのできるそれより偉大なことはありません!
      もし、あなたがまだ毎日ミサに与っていないならば、そして、それが可能であるならば、どうか真剣に考慮してください。なぜなら、あなたが日々行うことのできるそれよりも偉大なことはないからです。あなたの救霊のため、神のため、家族のために、キリストの神秘体のため、罪人の回心のため、煉獄にいる気の毒な霊魂たちのために。

       教皇ヨハネ・パウロII世聖下は、司教たちにその司法権のもとに、司祭がトリエント・ミサを献げることを許可するよう勧めることによって、より多くのトリエント・ミサを献げる許可を与えられました。もし、あなたがこれらの特典ミサに与ることができるのなら、何としてもできる限り、しばしば可能な時はいつでもそうしてください。
       
       聖父なる神があなたを祝福なさいますように。そして神なる聖霊が、神なる御子が私たちに与えてくださった最も偉大な贈り物であるミサの聖なる犠牲を、私たちが正しく評価するよう導いてくださいますように。 

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