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    ミサの聖なる犠牲 ②

    2015.12.21 Monday

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      マリー・アン・ヴァン・フーフへ
      祝されし童貞聖マリアのメッセージにより解説された
      ミサの聖なる犠牲(The Holy Sacrifice of the Mass)②

       天は私たちに次のように警告されています。私たちのうちの多くの者が、司祭の不足、あるいは真のミサがもはや有効でなくなるほどの変化を被ることによって、ミサに与ることができなくなるであろう、ということです。それゆえ私たちはそれができるうちに、与ることのできる、あらゆるミサに与るべきです! 聖ドミニコは神の母から、神が多くの人々を聖母のロザリオと聖母の茶色のスカプラリオによって救うことを聖母に御許しになる日が来るでしょうと言われていたことを覚えておいてください。

       これらの日々は近い将来であることを私たちは告げられています。なぜなら、私たちのうちのほとんどの人は、私たちが今、黙示録の終わりの日々にいるのだということに気付いていないからです。サタンはゆっくりと、しかし確実にミサを破壊しようとしています。立ち上がり、証しましょう! 私たちが神のくださった最も完璧な贈り物、ミサの聖なる犠牲を真に有り難く思っていることを神にお見せしましょう。

       毎日、あるいはできる限りしばしばミサに与ることによって。もし私たちが肉体的にミサに与ることができない時には、その時、世界のどこかで立てられているミサに一致することができます。もし私たちが熱心に与ったそれぞれのミサの真の価値を知れば、あるいは理解すれば、私たちはミサに与ることなく一日を始めることはないでしょう。ミサは地上における最も偉大な行為です! それは人類の歴史上に起こった最も偉大な行為の延長であり、それは毎日私たちの祭壇の上で続いているのです。

      サンクトゥス(聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな)
       天は次のことを私たちにお求めになりました。それは、オルド・ノヴス・ミサにおいてサンクトゥスから主の祈りを唱えるまでの間、右手を旨に当てておくということです。これは、オルド・ノヴス典礼では削除されてしまった全ての十字架の印の埋め合わせをするためのものです。

      奉献
       奉献はミサの最も本質的な部分です。ここにおいて司祭は、奉献の言葉によって、聖父なる神と聖霊、聖マリア、聖ヨゼフ、諸天使、諸聖人に伴われた十字架上のキリストを現実に祭壇上にお連れします。天はマリー・アンに、奉献の時に次のように唱えるようにおっしゃいました。「おお、至聖なる三位一体よ、今日、そして、わが生涯の全ての日々において、わが心のうちに座し給え」ここにおいて私たちは、先になした捧げ物をとって、それを完全な犠牲である十字架上のキリストと一致させます。キリストの十字架刑における全面的な捧げ物と一致した私たちの捧げ物が、私たちが聖父なる神に捧げうる最も完全な祈りにして犠牲となるように。

      聖体奉挙
       これはとりわけ、司祭が聖父なる神の栄えと誉れのために、至聖なる三位一体との一致のうちにキリストの御体と御血をお捧げする、最も完全な感謝の祈りです。ミサに出席している私たちはアーメン「そうでありますように」と答えます。これがミサの典礼の締めくくりです。私たちはここで神に感謝します。御子イエズス・キリストによって、キリストと共に、キリストのうちに全ての被造物を聖なるものとしてくださったことに対して。

      平和の挨拶
       平和の挨拶は、オルド・ノヴス・ミサにおいて、神に対して非礼であり、神への敬意をそらせるようなやり方で行われています。ミサのこの時点においては、パンとぶどう酒は聖変化しており、私たちの主は現に祭壇上におられるのです。それゆえ、私たちは握手したり、言葉を交わしたりするべきではありません。しかしながら、愛徳は最も重要な徳であり、もし誰かが手を差し伸べて握手を求めてきたら、その場合はそれを拒絶すべきではありません。この、いわゆる平和の挨拶にできるだけ関わらないようにしたからといって、それで愛徳にかけているということにはなりません。

      神の小羊
       このとき既に跪いていない場合は、次のように唱えられる時に跪くべきです。「世の罪を除き給う神の小羊」三回唱えられる「神の小羊」において、私たちはそれぞれ各一回、右手で私たちの胸を打つべきです。

      聖体拝領
       絶対に手で聖体拝領してはなりません! 絶対に平信徒の侍者から聖体拝領してはなりません! 聖体は司祭の聖別された手によってのみ、あるいは例外的なケースでは、正しく叙階された助祭…男性でなければならず、女性であってはなりません…によってのみ、取り扱われるべきものです。聖体に対する不敬に加わるよりも、席に留まって霊的聖体拝領をする方が良いことです。天は跪いて聖体拝領することが望ましいとおっしゃっておられますが、もし司祭がそれを許可しない場合は、聖体拝領の直前に片膝を落として十字架の印をするべきであるとおっしゃっておられます。

       そして、このとき私たちの主に対し、次のように申し上げます。「われらは跪くことを望めども、今このときそれをなすこと能わず」と。聖体拝領の時、このこと(跪くこと)をめぐって司祭と言い争ったりしないようにするのが望ましいことです。なぜなら、このようなことをすればつまづきを引き起こすことになるでしょうし、私たちは聖体における主に対して正しい敬意を払うことを常に意識しているべきであるからです。
       
      最後の祝福
       最後の祝福の時は、跪いているのが最も良いことで、たとえ現代のオルド・ノヴス典礼が立っていること許しているとしても。なぜなら、とりわけ最後の祝福は、司祭の行為を通じての私たちの主の祝福であるからです。天は次のことを明確にしておられます。すなわち、天の方々は私たちに真理を護ることを期待しておられるということ、しかし、また私たちは常に神への敬意を忘れるべきではないということ、いつどこで、私たちの立場を明らかにすべきかということをわきまえておくべきであるということです。

       場合によって、それはミサの後、司祭に個人的に話す時であることもあるでしょうし、あるいは、彼に手紙を書く時であることもあるでしょう。天はまた、決して司祭を批判しないように、しかし彼のために祈るようにおっしゃっておられます。なぜなら、悪魔は彼らを平信徒よりも強く意識しているからです。司祭たちがそのようにより強く誘惑されるのは、彼らがキリストの神秘体においてイエズス・キリストを代行しているからです。

      感謝
       聖体拝領の後、およそ15分間、聖体は私たちと共に(溶けずに)留まっておられるということを覚えておいてください。聖体が私たちの体内で完全に溶けるにはおよそ15分かかるのです。それゆえ、この15分間、私たちの体はまさしく生ける聖櫃となるのです。私たちはミサの後も席に留まり、正しく聖体拝領後の祈りを唱え、御子の御体、御血、御霊魂、御神性という神が私たちにくださったこの麗しき贈り物に対し、感謝を捧げるべきです。われらの主に対し、愛と償いの生ける作用として一回の聖体拝領から次回の聖体拝領の時まで、留まり続けてくださるようお招きすることはとても良い考えです。

       多くの人々は、ミサの後ほとんど待つことができずに出て行って、寄り集まって友人と他愛もないおしゃべりをしています。これはイエズスに対する大いなる非礼であり、私たちはこのことについて、いつの日か責めを負わねばならないでしょう。私たちがこの悪い例に加わらないように祈りましょう。仕事や義務のあるために行かなければならない場合は、教会の中で短く感謝を捧げ、仕事に行く途中かあるいは帰宅してから聖体拝領後の祈りを唱えるのが良いでしょう。

      ミサの後
       天は私的啓示を通して、三回の「天使祝詞」をロシアの改心のために祈るように勧めておられます。また、一回の「元后憐れみ深き御母」の祈りと、「聖ミカエルの祈り」を唱えること、そして「至聖なるイエズスの聖心、我らを憐れみたまえ」と3回となえることを求めておられます。他の人々が公にこれらの祈りを唱えていない場合は、黙祷でこれらの祈りを唱えることができます。ミサの前後にロザリオを祈る時間があれば、それは最も喜ばしいことです。もしそれが、まだあなたがたの教会において公に祈られていないのであれば、多分あなたがそれをミサの前か後に祈ることを最初に始めることができるでしょう。

        

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