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    聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ 第十章 思いがけぬ訪問

    2015.09.24 Thursday

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      『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』 より (安田 貞治 神父著 エンデルレ書店 発行)

      第十章 思いがけぬ訪問

      ”湯沢台の聖母の出来事”と題した私の原稿を、伊藤司教は日本で有名な神学者二、三人に見せて回られたが、反応はきわめて消極的であり、むしろ、否定的な声がつよく聞かれた。より詳細な調査が必要であり、とされる以上に、神学的にあまり意味のないものとして、軽くあしらわれたのであった。
       しかしともかく結果としては、これまでここの小グループの姉妹(シスター)たちの間で、ひそかにささやかれていた事実が、世間に溢れ出ることになったのである。
       一九七四年十一月三日、突然聖体奉仕会の姉妹たちに、東京から電話がかかった。カトリック・グラフの編集部の一記者と名乗る人から、”うわさの出来事”について取材訪問をしたいとの申し込みであった。驚いた姉妹たちは、遠慮を申し出たが、相手は強硬であった。司教によって極秘を命ぜられているから、とひたすら逃げの一手を打つ苦労話を聞かされて、私は、それではよい解決法になるまいと考えた。
       当時カトリック・グラフという雑誌の編集方針は、宗教の因習にとらわれたいかがわしい部分を摘発して、カトリック界の刷新をはかろうと、進歩的使命に意欲を燃やしているごとくであった。 
       ここでわれわれが当面しているような、一般の常識とかけ離れた超自然的な出来事を、ただ秘密のヴェールでおしかくしてジャーナリストの自由な想像にまかせるのは、賢明なやり方ではない。それでは、わざわざ誤解の種をまくようなものではないか。想像をたくましくした報道がまかり通ることになっては、カトリック界のみならず、社会全体にひろがる悪影響をおそれなければならない。
       そこで私は、姉妹たちに説き、自分が責任をとってこの件に対応することにした。
       やがて記者を迎えた日、姉妹たちはちょうどマリア庭園の石拾いということで、全員外出していた。ひとりで応接する私に、その記者氏は、ここに聖母像にまつわるふしぎな出来事のうわさを聞いて事実を確かめに来たので、協力してほしいと申し出た。
       それに応えて私は、それまでの経過をかいつまんで述べた。
       まず姉妹(シスター)笹川が前年の三月、突然全聾となってこの修道院に移って来たこと。その後、彼女の左手に聖痕のような傷が現れたこと。七月の初金曜日の未明、守護の天使に導かれて聖堂に入り、聖母像の右手に同じ傷のできているのを見たこと。御像を通じてメッセージを受け、その御手の傷から血が流れるのを見、姉妹たちも確認したこと…などを語った。
       私の説明は、本来信仰を同じくする相手の心に、すんなり入って行ったようだった。ミイラ取りがすぐミイラにならぬまでも、態度に頭からの否定の固さが消え、ノートをとるペンの構えにきびしさがうすれてゆくのが見てとれた。ともかく出来事を正直に報告させてもらう、と約束する彼に、私は、一応司教の許しを得るように、と念を押しておいた。そして早くも十二月号のカトリック・グラフ誌に、「秋田に聖母が出現!の噂を追う」と題した、写真入のトップ記事が現れたのであった。

       記事の内容

      ひと昔前のことになるから、今はもう記憶される方も少ないであろう。記事の主な部分を(私自身のこれまでの記述との重複は避けて)ひろってみれば、次のようなものであった。
       まず在俗会としての聖体奉仕会の位置する地形を述べ、「戦前まではおそらく踏み入る人とてない深閑とした霊山だったことだろう」と想像している。
       次に「守護の天使に導かれて」と題して、”姉妹笹川”が聖母像の前ではじめてお告げを耳にしたこと、次に第二、第三のメッセージとして、忘恩の世に対する祈りのすすめと天罰の警告を紹介する。さらに、御像の掌の傷について、姉妹たちの証言を列挙している。
       結論には「この”秋田事件”が果たして奇蹟なのかどうか、いまの時点で断定することは不可能である」とことわった上で、この種の話は世界各地に多く存在する、と述べ、コメントを援用する。―
      「これらの共通点について、東京放送秘書部のハリー・J・クイニー氏はこう説明する。『出現の場所は、ほとんどの例が周囲に山があったり盆地があること。これは秋田県の場合、該当するといえるでしょう。もう一つの条件は、現れ(に会っ)た当人の生活が貧しいことです。日本は経済発展がめざましく、貧しいとはいえませんが、姉妹笹川の生活はロザリオを熱心に唱える素朴なものだったと想像することができます』
       さらにクイニー氏によれば、
       「誰に出現があったか」「どの場所で…」はことさら問題にならないという。
      『出現があったから、その人が偉いのではありません。本人によればすばらしい恵みにはちがいない。けれど、その人は聖者でもなんでもなく、単なる神の召使いなのです。
       最も大切なことは、メッセージの内容。それがもし教会のドクトリン(教義)に反しないならば、教会はその内容を一人でも多くの人に伝える義務がある。秋田県のメッセージには、全人類災難の予告と、回心が呼びかけられているし、実際に、予言が実現(耳の治癒をさす)したのだから、メッセージの信憑性はかなり高いと思いますね。』
      (原著者注: ここにいう”耳の治癒”は天使の予言による一時的なそれで、聖母に告げられた完全な治癒はまだ後のことになる)
       記事では、次に教会側の見解が加えられる。
      「一方、カトリック教会側は、今世紀日本で初めての”聖母出現”のニュースにとまどいながら慎重な態度を見せている。代わって教義学の権威として知られるイエズス会のE・ネメシェギ神父が答えた。
      『このような話は、とくにヨーロッパに多い。国民性にもよるでしょう。が、教会が詳しく調査をして、超自然的な働きが確かにあったと認めるケースはほとんどない。精神的、または心理的錯覚によって起こる場合が多いからです。
       しかし明言できることは、神だけには奇蹟を行い得る力がある、ということです。もちろんその場合、神にふさわしい意味と目的がなければなりません』
       ここで、先の会見の際私の語った言葉が引用されて、記事は締めくくられている。
       「この目的について、安田神父は『現代を救うためには信者が目を醒まして祈ることだ』と前置きして次のようにいう。
       『姉妹笹川の耳が治ったことは、メッセージが正しいかったことの証明です。また、十字架印の傷という客観性もまる。
       これから先、どんな奇蹟が起こるか、知らされていないが、私は祈りの体制づくりに全力を尽くしたい』(取材と文・米田記者)」
       このようにして、山の小さな修院の中で極秘にされていた事実は、一つの衝撃的事件として世に知られることになった。これは私どもの思い及ばなかった神のはからいによるものであった。
       ところが、これを皮切りにして、摂理は翌年早々に、こんどは聖母像から涙が流れる、というさらに瞠目的事件をもって、世の関心をいやが上にそそられることになった。
       議論は沸騰した。人間の作為によるものとして、現象の超自然性を断固否定する嘲声が、神の働きかけを素朴に信じようとする声を圧倒した。とくに教会の聖職者の側からは、一様に無視ないしは否定的態度が示された。…やがて十年の検討を経て、当該地区長である伊藤司教により事実の超自然性が公式に認められたにもかかわらず、今なお多くの聖職者が先入観にとらわれた領域にとどまっている。

       聖母マリアも、聖書にしるされている「反対のしるし」となっているのであろうか。 

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