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    聖グリニョンド・モンフォール著『聖母マリアへのまことの信心』デルコル神父訳1993年度版

    2013.07.19 Friday

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      63 ここでわたしは、おお愛するイエズスよ、あなたの方をふり仰いで、キリスト信者のほとんどが、学問のある者もない者も、あなたとあなたのおん母との間に、どれほど深い結びつきがあるかをよく理解していないという点について、心から嘆きたいのです。
       主よ、あなたはいつもマリアと供にあり、おん母は、もう、マリアという存在は生きていないと云える程に、恵みによって、あなたご自身に変化しておられるのです。おおわたしのイエズスよ、どんな天使よりも、どんな聖人よりも、おん母の中において、より完全に生き、治められるのは、あなたです。ああ、もし、この美しいおん母によって、あなたがどれほどの愛と栄光とを受けておられるかを知ったら、きっと世の人々も考え直すでしょう。
       太陽から光をひきはなし、火から熱をとるほうがもっと容易であろうと思われる程に、聖母は、あなたと強く一致しておられます。いや、それどころではなく、すべての天使と聖人とはあなたから引き離すほうが、マリアおひとりを引き離すよりも容易でしょう。マリアこそは、どんな被造物よりも熱くあなたを愛し、誰よりもよく、あなたに栄光を帰しておられるからです。

      64 こう考えてくると、愛するわたしの主よ、この世の人々が、あなたの聖なるおん母に対して、これほどに無知であると知るのは、嘆かわしく、驚くべきことではありませんか。と云っても、わたしは今、あなたを知らないからおん母をも知ろうとしない、偶像崇拝者や異教徒を相手にしているのではありません。また、あなたと、そしてあなたの聖なる教会から離れて、しぜんに、おん母をないがしろにする異端者や離教者について話しているのでもありません。わたしが、誰について話しているかと云えば、カトリックの信徒たち、いやそればかりではなく、人々に真理を教えることを恥としているカトリックの教師たち(*20)についてです。
       これらの人々は、冷たい理論と、血と熱もない冷淡さでしか、あなたとあなたのおん母hとのことを考えようとしません。聖なるあなたのおん母と、そのおん母に対する信心について、あまり話そうとしません。それはなぜかと云うと、おん母をあまり尊ぶことは、あなたへの侮辱になると、かれらは云うのです。そうでしょうか?聖なるおん母を深く信心しているある人が、この信心は、迷いのない確実な手段だ、危険のない近道だ、完全に清い道だ、キリストへの愛に至る不思議な神秘だ、と見事に証明したとします。すると、先に云った人々は、その信心家をけなし、聖母に対する信心について、そういうふうに話してはいけない、それは迷いになりやすい、むしろその信心を弱めるように努めて、人々をイエズスにだけ向けさせなけらればならないと申します。
       かれらも、時々は、あなたのおん母について話しますが、それはその信心をすすめるためではないのです。かれらは、マリアへの信心をもっていないから、当然、あなたへの信心ももっていないわけです。ですから、ロザリオとか、スカプラリオとかは、無学者か老婆の信心の道具であって、救いのためにかならずしも必要なものではないと申します。聖母を信心している人が堕落するようなことがあると、これ見よと云わんばかりに、聖母への信心をやめて、七つの詩編をとなえよとか、イエズス・キリストへの信心をせよなどとすすめます。
       おお、愛するイエズスよ、この人たちが、本当にあなたの精神をもっていると云えるでしょうか? かれらのこのやり方は、あなたをお喜ばせするでしょうか? あなたのお気に入らないのではないかと恐れて、あなたのおん母のお気に入るように努力しないことが、果たしてよいことでしょうか? おん母への信心が、あなたへの信心をさまたげるでしょうか? おん母への尊敬は、おん母のためだけのものでしょうか? 聖母のお気に入るように努めることは、あなたへの愛から遠ざかることになるのでしょうか?

      65 それなのに、愛する主よ、学者と云われる多くの人は、わたしが今云ったことを肯定するかのように、人々を、聖母への信心から引き離そうと熱を入れています。それは、かれらの傲慢の罰ではなくて何でありましょう。
       主よ、かれらのそういう考え方から、私を守ってください。そして、わたしがあなたを模範とし、あなたに従えば従うほど、あなたを愛し、あなたの栄光のために働くことが出来ますように、わたしを守ってください。あなたが、あなたのおん母に対して抱いておられる感謝と尊敬と愛の気持ちを、わたしたちにも分けてください。

      66 またわたしのつたない手を導き、「聖なるおん母にふさわしい尊敬と称賛とをささげられるように恵みを与えてください」(*21)
       わたしも、聖人たちと共に、こうとなえましょう、「聖なるおん母を侮辱する者は、神のあわれみを願う資格がない」と。(*22) 

      *20 ここでモンフォール師は、当時(1680~1715年)のマリア信心の危機について話す。前にあった出過ぎた信心に反対するためとはいえ、カトリックの博士たちでさえ、これと正反対の極端に流れてマリア信心を非難していた。モンフォール師も、マリア信心の乱用といつわりの傾向をはげしく非難している(本書90-104条)が、一方では、まことの信心を正しく紹介するように努力している。このマリアに対する信心は、キリストに対する中心的な礼拝と競争する同じ程度もものではなく、キリストと一致し、キリストに似たものとなり、マリアを通じて、キリストに奉献されるためである。
      *21 聖ボナヴェントゥーラのことば。
      *22 パリのギョームGuillaume師のことば。

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