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2017.01.04 Wednesday

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    聖グリニョンド・モンフォール著『聖母マリアへのまことの信心』山下房三郎(トラピスト会司祭)訳1980年発行

    2013.07.18 Thursday

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      63 こうした中で、主よ、わたしはあなたのほうに向きなおって、愛情こめて嘆き訴えさせていただきたいのです。キリスト信者の大部分が、しかも、もの分かりのいい人たちでさえ、あなたと御母マリアとの間には、お互いを結び合わすキズナが必然に存在していることを、すこしも理解していません。主よ、あなたはいつも、マリアとともにおられ、マリアはいつも、あなたとともにおられ、あなたから離れることができません。もしマリアがあなたから離れると、マリアはもうマリアではありえなくなるのでしょう。
      恩寵によって、マリアはスッカリあなたに変容し尽くされていますので、生きているのはもはやマリアではなく、存在しているのはもはやマリアではない、と言えるほどなのです。イエズスよ、あなたこそ、ただあなただけが、マリアのうちに生き、支配しておいでになるのです ― 天のすべての天使、すべての聖人のうちにおけるよりも、もっと完全な仕方で。
       ああ、あなたがマリアのうちにあって、受けておいでになる栄光と愛を、すこしでも理解することができましたら、その人はきっとあなたについて、またマリアについて、これまでとちがった考えを持つようになるでしょうに。太陽から光を引き離すほうが、火から熱を引き離すほうが、むしろ容易だと思われるぐらい、それほど緊密にマリアは、あなたと一つになりきっておられます。いいえ、それどころではありません。天国のすべての天使、すべての聖人をあなたから引き離すほうが、あなたからマリアを引き離すよりも、むしろ容易なのでございましょう。マリアは、ほかの被造物よりも、もっと熱烈にあなたを愛し、もっと完全にあなたに栄光を着せておいでになるからです。

      64 いとも愛すべき主よ。こうした現実にもかかわらず、地上のすべての人が、あなたの聖なる母マリアのことに関して、あまりに無知である、あまりに忘却のやみに沈んでいる、ということは、なんとも驚くべきこと、なんとも痛ましいことではないでしょうか。わたしは、異教徒のことや、偶像をおがんでいる人たちのことを言っているのではございません。この人たちは、もともと、あなたをごぞんじないのですから、マリアさまのことを知ろうとしないのは当然です。わたしはまた、異端者や離牧者のことを言っているのでもございません。この人たちは、あなたからも教会からも、離れているのですから、マリアさまに信心をしないのも当然でございましょう。
      わたしがここで言っていますのは、カトリック信者、しかもカトリック信者の中でも、インテリ階級にぞくする学者先生のことです。この先生がたは、ひとに真理を教えることを、一生の職業としていながら、あなたのことも知らねば、あなたの聖なる母マリアのことも知っていないのです。たまに知っていても、それはあくまで、純理論的で無味乾燥な、不毛でうるおいのない認識でしかありません。
      この先生がたは、マリアさまについて、マリアさまへの信心について、ごくごくまれにしか話しません。マリアさまをあんまり尊敬すると、それは信心の乱用である、あなたへの侮辱である、と言っているのです。たまたま、マリアさまを熱烈に崇敬している者が、マリアさまへの信心について、この信心は、イエズス・キリストを完全に見い出し、愛するための、まちがいのない確実な手段である、危険のない最短の道である、欠陥のない清らかな方法である、本人しか知らない秘訣である、と心をこめて、力づよく、納得のいくまで、しばしば話しているのを、この先生がたが見たり聞いたりしてごらんなさい。さっそくかれらは、このマリア信心家に向かって、くってかかり、こう言うのです ― そんなことはない、マリアをそんなにほめそやしてはいかん、マリアへの信心には、本質的に大きな欠陥がある、この欠陥を取り除くために大いに努力せにゃいかん、信者大衆を、マリアへの信心に投入するために説教するよりも、むしろイエズス・キリストについてこそ説教すべきだ、と。そして自分らの説を証明するために、あらゆるウソの理論を展開しているのでございます。
      イエズスよ。ときたまかれらは、あなたのお母さまへの信心について話しているようですが、それはマリアへの信心を強め、納得させるためではなく、かえってそれを、ぶッこわすためなのです。この先生がたは、マリアへの信心をもっていないのですから、とうぜんあなたに対しても、本当の、心からの信心をもっていません。
      かれらは、ロザリオ、聖母の肩衣などへの信心用具を、それは女、子供の信心だ、無学信徒専用の特許品だ、そんなものがなくても、天国へはちゃんと行ける、などとクサしています。ロザリオをとなえたり、または何か聖母に対して信心の務めを果たしている者が、不幸にもかれらの手に落ちますと、かれらはすぐに、この聖母信心家の洗脳にとりかかります。ロザリオのかわりに、痛悔の七つの詩編をとなえたらどうか、とすすめるのです。マリアへの信心をやめて、かわりにイエズス・キリストへの信心を増強するように、とすすめるのでございます。
      愛すべきイエズスよ。この人たちは果たして、あなたの精神をもっているのでしょうか。このように行動することが、ほんとうにあなたを喜ばせることなのでしょうか。あなたのごきげんをそこなうのではなかろうかと恐れて、あなたのお母さまを喜ばせるために、ありったけの努力を投入しないことが、果たしてあなたを喜ばせることなのでしょうか。
      あなたのお母さまへの信心が、あなた自身への信心にとって、ほんとうにさまたげとなっているのでございましょうか。あなたのお母さまは、ご自分にささげられる栄光と賛美を、ひとり占めにしていらっしゃるのでしょうか。あなたのお母さまは、天上天下、まったくひとりぼっちなのでしょうか。あなたにとっては縁もゆかりもない、赤の他人なのでしょうか。あなたのお母さまを喜ばそうと努力することは、それだけあなたを不愉快にすることなのでしょうか。あなたのお母さまへの奉仕に献身し、あなたのお母さまを心から愛することが、そのまま、あなたへの愛から自分を引き離し、遠ざけることにつながるのでしょうか。

      65 それなのに、愛すべき主よ。学者先生の多くが、その高慢の罰として、わたしが今さき書いたことがみんな事実でもあるかのように、マリアさまへの信心からまったく遠ざかり、まったく無関心を決めこんでいるのでございます。どうか、主よ、マリアさまに対するこの人たちの悪感情と冷淡な態度から、わたしをまもってください。かわりに、あなたがお母さまマリアに対していだいておられる感謝、尊敬、愛のお気持ちを、わたしにも分け与えてください。わたしがもっと近くからあなたを模倣し、あなたにつき従うようになれば、それだけいっそうあなたを愛し、あなたの栄光をあらわすことができるからです。

      66 これまでいろいろ書きてまいりましたが、あなたの聖なるお母さまのほまれのためには、まだひとことも言っていないような気がいたしますので、どうか主よ、マリアさまをふさわしくたたえるお恵みを、わたしに与えてください。マリアさまへの賛美を妨害する敵 ― それは同時にあなたの敵 ― が、どんなに多くてもかまいません。わたしは、敵の頭上に、聖人たちとともに、大声を張り上げて次の聖句を投げつけてやりたいのです。「神の御母を侮辱する者が、どうして神のあわれみを期待できますか」(パリのギョーム)

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