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    3 わたしのあがないの業に皆あずかるように

    2015.05.30 Saturday

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       ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から 聖母マリアの汚れないみ心の『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)


      3 わたしのあがないの業に皆あずかるように

      イエズスが司祭たちに向けた願い
      「説教をするときに、無原罪のわたしの母について一言も言わないで説教をすることのないようにと、司祭たちにお願いしなさい。そして、あなたは心からわたしの国が来るように望みなさい。愛をふやすことにより、あなたの足りないところを補います。
       今生ぬるさの状態にいる司祭たちに、目覚めるように言いなさい。まずわたしとの内的一致の考えに目覚めてほしいのです。このことは、わたしを拝領しながら充分意識せず、わたしに深く近づこうとしない人に言ってほしいのです。
       ”主よ、わたしは、ふさわしくないのです”と、わたしに背を向けて言うのではなく、ふさわしくなって愛でもって祈り、わたしに会う心の準備をしなさい。
       わたしは、あなたみなが、こんなにいとおしいというのに、わたしの所へ来る人は、とても少ないのです。その少ない人たちぐらいは、もっと熱心にわたしの近くにいるようにしなさい。わたしをとても悲しませていることは、わたしに信頼を置いていないということです。信頼をなくして、信仰に何が役に立つというのでしょうか。心の中の勇気を目覚めさせるようわたしの子らに言いなさい。わたしにとり戦いの中でくじけることなく、ひっきりなしに戦っている魂は、何といとしいことでしょう。このことを司祭たちが皆にいわねばならないのです。その魂には、わたしの恵みが育まれています。わたしの母へより頼みなさい、母は教え導きます」。

      わたしの愛にとどまりなさい
      「あなたのつぐないの望みがあなたをわたしに近づけました。このあなたの望みが他の人にも与えられるよう願いなさい。たくさんの人がわたしに従うよう私が願いますし、また改心したいすべての魂を受け入れます。わたしに対してのあなたの愛が熱心で信仰深いものでありますように。わたしの声が聞こえるよう沈黙の中に長くいますように。わたしの愛の中に身を沈めた魂だけが、わたしのかすかな静かな声を聞きとれるのです。
       愛は休むことのない犠牲だけで燃える火です。わたしの国があなたとすべての上に早く来るよう望みなさい。あなたが寝るとき、一日の中で、このために何をしたのかを考えるようにしなさい。幼児期にあなたはお母さんの家から遠く離れて住んでいたとき、その知らない土地で、とてもつらかったのではないでしょうか」。
      「わたしのイエズスよ、それは郷愁なのでしょうか」。
      「そう、それは天の国へのつらい郷愁なのです。それを望まない人のために悲しみなさい。自分の気持ちだけに流されるのではなく、わたしだけを愛しなさい。あなたの魂が全部愛の精神でみたされますように。生まれたばかりの赤ちゃんのようにわたしを愛しなさい。聖母マリアが人ごみの中で、とても心配しながらわたしを探したように、わたしを探し求めなさい。そして、もし父親のようなよりかかれるものが必要な時は、わたしの父なる神を眺め、聖霊といっしょにわたしたちの愛と一致しなさい。
       心配はいりません。わたしの心は、あなたの休む場所なのです。そこで休むことを望むなら、あなたの望みはもうかなえられています。
       わたしがつらい失望を堪え忍ばなくてもよいように、わたしといっしょにいなさい。わたしの愛の中にいなさい。ほかの人もわたしのそばへ連れて来なさい。わたしたちは、一目でお互いが確認できる小さな集まりなのです」。
       このことばをとても悲しそうにおっしゃったのです、わたしの心は主に対しとても痛みました。
      「わたしの心は、わたしの呼びかけに応じる人がいないために、とても悲しいのです。このことに驚かないでください。でも、あなたのしているもっとも小さな一つ一つの犠牲は、人の救いに対するわたしの渇きをいやしてくれます。前にも言ったように、あなたの気持ちのままにするのではなく、わたしを愛しなさい。霊的に何も感じない霊的観想状態で唱えたただ一つの”天にまします”、または、ただ一つの”めでたし”は、恵みの喜びのあまりに熱心な状態で唱えたたくさんの祈りよりも効果があるということを、あなたの兄弟姉妹にも言いなさい」。
       主はわたしに短い祈りも教えてくださいました。この祈りは、サタンを退けるのによい方法なので、たくさんの人に広めるようにと頼まれました。イエズスの願いというのは、わたしたちが主の考えと、主の望みを全力を尽くして自分のものとするようにということです。

       わたしたちの歩みは、いっしょに進み、
       わたしたちの手は、いっしょに刈り入れ、
       わたしの心は、鼓動を合わせ、
       わたしたちの魂は、同じ思いをもち、
       わたしたちの精神の思いは、一つとなり、
       わたしたちの耳は、いっしょに静けさを聞き、
       わたしたちの目は見つめあって、一つのまなざしとなり、
       わたしたちの口びるは、一致して祈り、おん父のいつくしみをいっしょに呼びもとめます。

       ある日、朝祈っておりますと、聖母マリアがわたしにこうおっしゃいました、「サタンは人々の間で恐ろしい程の勝利を納めています。たくさんの人が自分たちの意志に反して、その網に落ちています。わたしを助けなさい。サタンの盲目的な憎しみが増えつづけ、信仰深い人までもその手に入れています」。

      イエズスの嘆き
       「親が子供に新しい洋服を買ってあげるとき、少なくともお礼ぐらいは、言ってもらえるのを期待しています。また、それが高かったので、子供に大切に着るように言います。永遠の父も洗礼の聖なる恵みという新しい洋服を与えました。でもあなたたちは、それを大切にしていないのです。
       この洋服の最初の美しさを、もう一度あなたたちに与えるのに、わたしより苦しんだ親はいるのでしょうか。わたしは、ゆるしの秘跡も定めたのに、あなたたちは、それを利用してはいません。これをあなたたちに与えるのに、わたしは、血の汗を流し、いばらの冠をかむり、この上ないつらい苦しみの十字架に釘づけられたのです。
       そして、最後には、みんながこわがらないでわたしに近づけるようにと、わたしは、布にくるんだ赤ちゃんのように、小さなホスティアに身をひそめています。新しい洋服を子どもに買ってあげるために、こんなに犠牲を払った親はいるのでしょうか」。

      あなたをどんなに愛しているかをごらんなさい。
       「わたしのよい先生で最愛のイエズス、わたしがあなたに話したいことをあなたはご存知でしょうが、わたしは、わたしの口からは言葉は出ず、ただ涙だけが流れ出ます。この涙はくいあらための涙です。わたしは、あなたの限りないいつくしみについて詩を書きたいのですが、その能力を持ち合わせていません。わたしの貧しさと価値のなさを知っていますので、あなたに何を差し上げたらよいのか、わかりません。わたしの主イエズスよ、わたしはあなたにわたしのすべての罪と、涙を流すという単調なことしか差し上げられないのです。この涙がわたしの心の音楽なのです。どうぞ聞いてください。このことにとても感謝しております。心臓の一つづつ打つこの鼓動は、わたしの罪のくいあらためです。その鼓動が、時にはむなしく打ち、わたしは、くいあらための足りなさを知っています。ですから、主よあなたが創造なさった一粒一粒の砂に、わたしのくいあらための念を入れることをお許しください。それから、わたしがあなたをどんなに愛しているかということを知っていただくために、風があなたのところへその砂を運んでいくようお許しください。このことが、あなたに捧げられるわたしのすべてなのです。どうぞ、主よ、わたしをおとりください」。
      (くいあらためがわたしたちをキリストに近づかせるということを兄弟姉妹に教えるために、今のことを書くようにと主は頼まれました)。
      「わたしの神よ、あなたのみもとにこの世のすべての罪を置いて、わたしはくいあらためをしたいのですが」。
      「その願いを強くもとめなさい。たくさんの人々をくいあらために目覚めさせ、わたしに近づけるからです。こうして、あなたもわたしのあがないの業に加わることでしょう」。

      キリストの光
       ある日、誰かがわたしたちの友だちのことを、「あの人は輝きがない」といいました。わたしがこの批判で愛徳に背いたと思い、びっくりしました。それでわたしは、主に目を上げました。そして主はわたしがひとりの時、こうおっしゃいました。
      「あなたの心が少しでもわたしの心を傷つけたかと心配するとき、わたしはとてもうれしいのです。わたしは《キリストの光》です。わたしはいけにえの最高峰であり、あわれみの深遠と無限の広がりであり、よい模範であり、忍耐の神であります。また、わたしは、善であり、あなたたちへ注がれるあわれみそのものなのです。このようなことを他の誰が自分のことについて言うことができるでしょうか。わたしだけが《キリストの光》です。父とともに一体となっているのは、わたしだけなのです。そして、すべてのことをあなたたちのためにしました。そのことにより、全世界の人が従うべき光となりました。わたしは、人間の弱さに力を分け与えるものです。わたしの人性は、全世界の人を納得させ導くものとなりました」。
      「わたしのイエズス、あなたを愛し、礼拝します。それをしない人の分までも」
       イエズスがわたしに言われました、「あなたは、わたしがわたしのところへすべての人をどんなに呼んでいるか、また、天のインスピレーションをすべての人が聞くようにとわたしがどんなに待っているかを知っています。わたしはあなたを祝福し、また、祈りとつぐないの行いで助けようとしたすべての人も祝福します。その人の上にも、わたしの恵みをたくさん注ぎます。わたしの愛にこたえる人に、何かを与えないということができるでしょうか。愛で一杯のわたしの心は、《民衆》にひかれます。あなたたちに、わたしのひとりの人間であることをわかって欲しいし、そうであると信じるよう、あなたたちの使う言葉をわたしも使います。あなたの愛が理屈からのものでないことを知っています。また、そうでないと、わたしにとっても価値あるものとは、いえないのです。わたしたちの心臓の鼓動が一致しているとき、わたしたちの愛は計算できる限りのあるものではないのです。そのことをよくわかりますか。人間的な常識でわたしに接するということは、むずかしいことではないでしょう。このことは、わたしに対するあなたたちの信頼を起こすことに役立つはずです。」

      両親へのメッセージ
      「あなたにお願いするのですが、昨年わたしが教えたことを書いて欲しいのです。それは、教皇の教えと同じです。それは、またとても重要なことですから、もう一度くり返します。
       わたしの心のたのしみである母親であるあなたが、その使命を果たすとき、その功徳は、決して司祭の崇高な役目の功徳に劣らないということを知りなさい。両親であり、母親であるあなたがたは、あなたに任せた崇高な役目を受けなさい。あなたたちは、わたしの王国に人をたくさん住まわせるよう招きを受けているのです。あなたたちの胸やひざ元からわたしの聖なる教会の拡張が始まるのです。わたしの王国はあなたたち母親の小さな子に教える配慮に比例して栄えるのです。あなたたちの仕事は、他のどの仕事よりも責任のある重大なものです。あなたたちがたくさんの人を永遠の救いに導くように、あなたたちの手にその仕事を任せました。この重大な責任ある仕事に特別な恵みを与えます。
       あなたの指導司祭を通して、教皇にこのわたしの願いを知らせなさい。
       教皇を通して唯一の祝別を両親に与えます。子どもの誕生のときには、この家族の上に特別な恵みを与えます。」
       このように主がわたしに話しておられるとき、母であるわたしの心にもこの恵みで一杯にしてくださいました。主は、教皇を通して、これから両親に祝福を与えることを望んでおられるのですが、この恵みの喜びはことばでは書き表せません。

      ミサ聖祭の存続
       ある日、ミサのとき、主はこう言われました。「あなたに平和…でもわたしの平和が何であるか知っていますか。世が与えられない平和のことをわたしは言っています。この平和は、その肉体を魂の崇高な要求に従わせる人だけがわたしの平和を受けるのです。わたしは、この世に神として、人間として、自分自身を現わしました。わたしの体を受け、わたしの血を飲んでいる人は、みんなこのことを知っています。わたしの人性の心は、神の本質と、あなた自身の心と融合して、鼓動します。わたしと一緒に生きる人は、わたしを賛美せずにはいられません。この賛美は、わたしのあがないの業の成果に貢献します。これを続けることは、あなたたちを聖化します。それは、天と地との永遠の関わりで、終わりのない”いけにえ”を行う人の上にあふれる恵みを与えます。
       忍耐づよいたえざるわたしの愛に近づきさえすればよいというのではなく、その愛と一体となるべきです」。

      願いと犠牲
       別なとき、イエズスはこう話されました。
      「あなたが人のことについてわたしに頼んでいるとき、わたしはあなたの願いを聞いていないと思いますか。もしそうだったら、わたし自身が自分の救いの業に邪魔することになります。確かにわたしは、あなたたちみんなを同じより方では招かないのですが、わたしがたくさん与えた人からは、たくさんのものを要求します。
       基本的なことは、わたしのもとへ連れてきた人のために、あなたたちは犠牲をしなければなりません。犠牲は、あなたの業に一つの光を与え、そこから、わたしの永遠の望みを知ることができるようになります。このことについては、もう話しました。望みは、犠牲までも含めるすばらしい手段なのです。例で示しましょう。子供たちは優秀な生徒になりたいと思い、そのことのために一生けんめい勉強します。母親は、母であることを望んでいるので、もうすでに犠牲の姿勢があります。同じく科学の絶え間ない研究にもあてはめられます。スポーツ選手は、一位になることを夢見て、スポーツのためにすべてを犠牲にします。家族の父親は、家を建てようとするとき、そのためにたくさんの犠牲を払います。ですから、あなたに言いますが、心の願いは、自己犠牲を伴います。望みと犠牲とは分けることができないのです」。
       ある日、夕方のミサにあずかり、聖堂に長い間おりますと、戸じまり担当のシスターが、わたしがそこにいるのに気づかずに間違って聖堂の鍵を閉めてしまいました。わたしは主とともにそこで過ごしました。わたしたちふたりだけでした。神とわたしの切願の祈りだけでした。わたしは精神を集中して煉獄の霊魂が一刻も早く神のみ顔を見られるようにと、一心に祈っておりました。そのとき、聖母マリアがこのように話されました。
      「あなたの願いと信仰が報われます。今まで煉獄から少なくとも一つの霊魂を救うのに、アヴェ・マリアを三回と唱えていてくれましたね。これからは、あなたの望みが叶えられ、十人の霊魂が救われます」。
       その好意をはっきり理解できず、また、お礼の言葉すら口から出ず、ただ、「あわれみのおん母よ、ありがとうございます。本当にありがとうございます。数多くのご好意に感謝いたします」というため息だけがもれました。わたしの罪のくいあらため、また、涙を増やし、わたしは泣きました。あの心の行き届いた優しさに、誰れが涙を流さずにいられるでしょうか。

      わたしは心をさがしています
       徹夜の祈りの静かな精神集中のとき、主はわたしに近づき、こうおっしゃいました。「平和があなたとともにありますように。今、わたしは人の心を探しに行くのです」。主がわたしから離れて行くのを見たとき、わたしは泣きじゃくり、とぎれ声でこう叫びました。「どこへ行かれるのですか、わたしの愛するイエズス」「心を探しに行くのです」。そのときわたしは主の変わらない望みを知ることが出来ました。主は心を探しておられるのです。

      人を救うのにわたしを助けなさい
       ある日、イエズスはわたしにこう話されました。
      「たくさんの人がわたしのところへ来るよう望みなさい。これだけがわたしの唯一の要求なのです。それをわたしは、どんなに望んでいることでしょう。人の無関心にどれだけわたしは苦しんでいることでしょう。そのことをあなたは、わかってくれれば…わたしを愛するというのは、そんなにむずかしいものなのでしょうか」。
       この質問にわたしの罪の深い苦しみだけをもって、答えることはできました。
      「でも、あなたのくいあらためは、わたしをとてもうれしくさせてくれます。この大きな奇跡を理解できますか。あなたの愛とくいあらためは、わたしをとても喜ばせます。神であるわたしを。
       たくさんのほんとうにたくさんの他の人がその罪をくやむのを望んでいます。これはわたしの最大の喜びです。あなたのくいあらためを罪人の心の中で神の甘いはちみつに変わる花粉として、わたしは集めます。
       罪人というのは、怠けもので、自分自身の魂を救うのに何もしないのです。ですから、人の罪をつぐなうよう努める人たちよ、あなたたちは、花から花へと花粉を集めに行きなさい。わたしがそれを甘いはちみつに変え、罪人の魂に注ぐことができるように、あなたたちの願いは、実を結ばないということはありません。
       残念なことに、死の床についていても、神の計り知れない愛をわかろうとはしない魂もあります。とても残念な悲劇なのです。そのことを理解するようにしなさい。わたしの母の愛の炎がそのようにならないようにと望んでいます。
       わたしのあがないの業に加わりなさい。わたしが同じことを何度もいうことをおかしいことと思わないでください。神のことばは唯一であって、同じであるということを忘れないように。あなたたちにわたしのたくさんの魂を救うのを手伝うようにお願いします」。 

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