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    3 わたしのあがないの業に皆あずかるように

    2015.05.30 Saturday

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       ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から 聖母マリアの汚れないみ心の『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)


      3 わたしのあがないの業に皆あずかるように

      イエズスが司祭たちに向けた願い
      「説教をするときに、無原罪のわたしの母について一言も言わないで説教をすることのないようにと、司祭たちにお願いしなさい。そして、あなたは心からわたしの国が来るように望みなさい。愛をふやすことにより、あなたの足りないところを補います。
       今生ぬるさの状態にいる司祭たちに、目覚めるように言いなさい。まずわたしとの内的一致の考えに目覚めてほしいのです。このことは、わたしを拝領しながら充分意識せず、わたしに深く近づこうとしない人に言ってほしいのです。
       ”主よ、わたしは、ふさわしくないのです”と、わたしに背を向けて言うのではなく、ふさわしくなって愛でもって祈り、わたしに会う心の準備をしなさい。
       わたしは、あなたみなが、こんなにいとおしいというのに、わたしの所へ来る人は、とても少ないのです。その少ない人たちぐらいは、もっと熱心にわたしの近くにいるようにしなさい。わたしをとても悲しませていることは、わたしに信頼を置いていないということです。信頼をなくして、信仰に何が役に立つというのでしょうか。心の中の勇気を目覚めさせるようわたしの子らに言いなさい。わたしにとり戦いの中でくじけることなく、ひっきりなしに戦っている魂は、何といとしいことでしょう。このことを司祭たちが皆にいわねばならないのです。その魂には、わたしの恵みが育まれています。わたしの母へより頼みなさい、母は教え導きます」。

      わたしの愛にとどまりなさい
      「あなたのつぐないの望みがあなたをわたしに近づけました。このあなたの望みが他の人にも与えられるよう願いなさい。たくさんの人がわたしに従うよう私が願いますし、また改心したいすべての魂を受け入れます。わたしに対してのあなたの愛が熱心で信仰深いものでありますように。わたしの声が聞こえるよう沈黙の中に長くいますように。わたしの愛の中に身を沈めた魂だけが、わたしのかすかな静かな声を聞きとれるのです。
       愛は休むことのない犠牲だけで燃える火です。わたしの国があなたとすべての上に早く来るよう望みなさい。あなたが寝るとき、一日の中で、このために何をしたのかを考えるようにしなさい。幼児期にあなたはお母さんの家から遠く離れて住んでいたとき、その知らない土地で、とてもつらかったのではないでしょうか」。
      「わたしのイエズスよ、それは郷愁なのでしょうか」。
      「そう、それは天の国へのつらい郷愁なのです。それを望まない人のために悲しみなさい。自分の気持ちだけに流されるのではなく、わたしだけを愛しなさい。あなたの魂が全部愛の精神でみたされますように。生まれたばかりの赤ちゃんのようにわたしを愛しなさい。聖母マリアが人ごみの中で、とても心配しながらわたしを探したように、わたしを探し求めなさい。そして、もし父親のようなよりかかれるものが必要な時は、わたしの父なる神を眺め、聖霊といっしょにわたしたちの愛と一致しなさい。
       心配はいりません。わたしの心は、あなたの休む場所なのです。そこで休むことを望むなら、あなたの望みはもうかなえられています。
       わたしがつらい失望を堪え忍ばなくてもよいように、わたしといっしょにいなさい。わたしの愛の中にいなさい。ほかの人もわたしのそばへ連れて来なさい。わたしたちは、一目でお互いが確認できる小さな集まりなのです」。
       このことばをとても悲しそうにおっしゃったのです、わたしの心は主に対しとても痛みました。
      「わたしの心は、わたしの呼びかけに応じる人がいないために、とても悲しいのです。このことに驚かないでください。でも、あなたのしているもっとも小さな一つ一つの犠牲は、人の救いに対するわたしの渇きをいやしてくれます。前にも言ったように、あなたの気持ちのままにするのではなく、わたしを愛しなさい。霊的に何も感じない霊的観想状態で唱えたただ一つの”天にまします”、または、ただ一つの”めでたし”は、恵みの喜びのあまりに熱心な状態で唱えたたくさんの祈りよりも効果があるということを、あなたの兄弟姉妹にも言いなさい」。
       主はわたしに短い祈りも教えてくださいました。この祈りは、サタンを退けるのによい方法なので、たくさんの人に広めるようにと頼まれました。イエズスの願いというのは、わたしたちが主の考えと、主の望みを全力を尽くして自分のものとするようにということです。

       わたしたちの歩みは、いっしょに進み、
       わたしたちの手は、いっしょに刈り入れ、
       わたしの心は、鼓動を合わせ、
       わたしたちの魂は、同じ思いをもち、
       わたしたちの精神の思いは、一つとなり、
       わたしたちの耳は、いっしょに静けさを聞き、
       わたしたちの目は見つめあって、一つのまなざしとなり、
       わたしたちの口びるは、一致して祈り、おん父のいつくしみをいっしょに呼びもとめます。

       ある日、朝祈っておりますと、聖母マリアがわたしにこうおっしゃいました、「サタンは人々の間で恐ろしい程の勝利を納めています。たくさんの人が自分たちの意志に反して、その網に落ちています。わたしを助けなさい。サタンの盲目的な憎しみが増えつづけ、信仰深い人までもその手に入れています」。

      イエズスの嘆き
       「親が子供に新しい洋服を買ってあげるとき、少なくともお礼ぐらいは、言ってもらえるのを期待しています。また、それが高かったので、子供に大切に着るように言います。永遠の父も洗礼の聖なる恵みという新しい洋服を与えました。でもあなたたちは、それを大切にしていないのです。
       この洋服の最初の美しさを、もう一度あなたたちに与えるのに、わたしより苦しんだ親はいるのでしょうか。わたしは、ゆるしの秘跡も定めたのに、あなたたちは、それを利用してはいません。これをあなたたちに与えるのに、わたしは、血の汗を流し、いばらの冠をかむり、この上ないつらい苦しみの十字架に釘づけられたのです。
       そして、最後には、みんながこわがらないでわたしに近づけるようにと、わたしは、布にくるんだ赤ちゃんのように、小さなホスティアに身をひそめています。新しい洋服を子どもに買ってあげるために、こんなに犠牲を払った親はいるのでしょうか」。

      あなたをどんなに愛しているかをごらんなさい。
       「わたしのよい先生で最愛のイエズス、わたしがあなたに話したいことをあなたはご存知でしょうが、わたしは、わたしの口からは言葉は出ず、ただ涙だけが流れ出ます。この涙はくいあらための涙です。わたしは、あなたの限りないいつくしみについて詩を書きたいのですが、その能力を持ち合わせていません。わたしの貧しさと価値のなさを知っていますので、あなたに何を差し上げたらよいのか、わかりません。わたしの主イエズスよ、わたしはあなたにわたしのすべての罪と、涙を流すという単調なことしか差し上げられないのです。この涙がわたしの心の音楽なのです。どうぞ聞いてください。このことにとても感謝しております。心臓の一つづつ打つこの鼓動は、わたしの罪のくいあらためです。その鼓動が、時にはむなしく打ち、わたしは、くいあらための足りなさを知っています。ですから、主よあなたが創造なさった一粒一粒の砂に、わたしのくいあらための念を入れることをお許しください。それから、わたしがあなたをどんなに愛しているかということを知っていただくために、風があなたのところへその砂を運んでいくようお許しください。このことが、あなたに捧げられるわたしのすべてなのです。どうぞ、主よ、わたしをおとりください」。
      (くいあらためがわたしたちをキリストに近づかせるということを兄弟姉妹に教えるために、今のことを書くようにと主は頼まれました)。
      「わたしの神よ、あなたのみもとにこの世のすべての罪を置いて、わたしはくいあらためをしたいのですが」。
      「その願いを強くもとめなさい。たくさんの人々をくいあらために目覚めさせ、わたしに近づけるからです。こうして、あなたもわたしのあがないの業に加わることでしょう」。

      キリストの光
       ある日、誰かがわたしたちの友だちのことを、「あの人は輝きがない」といいました。わたしがこの批判で愛徳に背いたと思い、びっくりしました。それでわたしは、主に目を上げました。そして主はわたしがひとりの時、こうおっしゃいました。
      「あなたの心が少しでもわたしの心を傷つけたかと心配するとき、わたしはとてもうれしいのです。わたしは《キリストの光》です。わたしはいけにえの最高峰であり、あわれみの深遠と無限の広がりであり、よい模範であり、忍耐の神であります。また、わたしは、善であり、あなたたちへ注がれるあわれみそのものなのです。このようなことを他の誰が自分のことについて言うことができるでしょうか。わたしだけが《キリストの光》です。父とともに一体となっているのは、わたしだけなのです。そして、すべてのことをあなたたちのためにしました。そのことにより、全世界の人が従うべき光となりました。わたしは、人間の弱さに力を分け与えるものです。わたしの人性は、全世界の人を納得させ導くものとなりました」。
      「わたしのイエズス、あなたを愛し、礼拝します。それをしない人の分までも」
       イエズスがわたしに言われました、「あなたは、わたしがわたしのところへすべての人をどんなに呼んでいるか、また、天のインスピレーションをすべての人が聞くようにとわたしがどんなに待っているかを知っています。わたしはあなたを祝福し、また、祈りとつぐないの行いで助けようとしたすべての人も祝福します。その人の上にも、わたしの恵みをたくさん注ぎます。わたしの愛にこたえる人に、何かを与えないということができるでしょうか。愛で一杯のわたしの心は、《民衆》にひかれます。あなたたちに、わたしのひとりの人間であることをわかって欲しいし、そうであると信じるよう、あなたたちの使う言葉をわたしも使います。あなたの愛が理屈からのものでないことを知っています。また、そうでないと、わたしにとっても価値あるものとは、いえないのです。わたしたちの心臓の鼓動が一致しているとき、わたしたちの愛は計算できる限りのあるものではないのです。そのことをよくわかりますか。人間的な常識でわたしに接するということは、むずかしいことではないでしょう。このことは、わたしに対するあなたたちの信頼を起こすことに役立つはずです。」

      両親へのメッセージ
      「あなたにお願いするのですが、昨年わたしが教えたことを書いて欲しいのです。それは、教皇の教えと同じです。それは、またとても重要なことですから、もう一度くり返します。
       わたしの心のたのしみである母親であるあなたが、その使命を果たすとき、その功徳は、決して司祭の崇高な役目の功徳に劣らないということを知りなさい。両親であり、母親であるあなたがたは、あなたに任せた崇高な役目を受けなさい。あなたたちは、わたしの王国に人をたくさん住まわせるよう招きを受けているのです。あなたたちの胸やひざ元からわたしの聖なる教会の拡張が始まるのです。わたしの王国はあなたたち母親の小さな子に教える配慮に比例して栄えるのです。あなたたちの仕事は、他のどの仕事よりも責任のある重大なものです。あなたたちがたくさんの人を永遠の救いに導くように、あなたたちの手にその仕事を任せました。この重大な責任ある仕事に特別な恵みを与えます。
       あなたの指導司祭を通して、教皇にこのわたしの願いを知らせなさい。
       教皇を通して唯一の祝別を両親に与えます。子どもの誕生のときには、この家族の上に特別な恵みを与えます。」
       このように主がわたしに話しておられるとき、母であるわたしの心にもこの恵みで一杯にしてくださいました。主は、教皇を通して、これから両親に祝福を与えることを望んでおられるのですが、この恵みの喜びはことばでは書き表せません。

      ミサ聖祭の存続
       ある日、ミサのとき、主はこう言われました。「あなたに平和…でもわたしの平和が何であるか知っていますか。世が与えられない平和のことをわたしは言っています。この平和は、その肉体を魂の崇高な要求に従わせる人だけがわたしの平和を受けるのです。わたしは、この世に神として、人間として、自分自身を現わしました。わたしの体を受け、わたしの血を飲んでいる人は、みんなこのことを知っています。わたしの人性の心は、神の本質と、あなた自身の心と融合して、鼓動します。わたしと一緒に生きる人は、わたしを賛美せずにはいられません。この賛美は、わたしのあがないの業の成果に貢献します。これを続けることは、あなたたちを聖化します。それは、天と地との永遠の関わりで、終わりのない”いけにえ”を行う人の上にあふれる恵みを与えます。
       忍耐づよいたえざるわたしの愛に近づきさえすればよいというのではなく、その愛と一体となるべきです」。

      願いと犠牲
       別なとき、イエズスはこう話されました。
      「あなたが人のことについてわたしに頼んでいるとき、わたしはあなたの願いを聞いていないと思いますか。もしそうだったら、わたし自身が自分の救いの業に邪魔することになります。確かにわたしは、あなたたちみんなを同じより方では招かないのですが、わたしがたくさん与えた人からは、たくさんのものを要求します。
       基本的なことは、わたしのもとへ連れてきた人のために、あなたたちは犠牲をしなければなりません。犠牲は、あなたの業に一つの光を与え、そこから、わたしの永遠の望みを知ることができるようになります。このことについては、もう話しました。望みは、犠牲までも含めるすばらしい手段なのです。例で示しましょう。子供たちは優秀な生徒になりたいと思い、そのことのために一生けんめい勉強します。母親は、母であることを望んでいるので、もうすでに犠牲の姿勢があります。同じく科学の絶え間ない研究にもあてはめられます。スポーツ選手は、一位になることを夢見て、スポーツのためにすべてを犠牲にします。家族の父親は、家を建てようとするとき、そのためにたくさんの犠牲を払います。ですから、あなたに言いますが、心の願いは、自己犠牲を伴います。望みと犠牲とは分けることができないのです」。
       ある日、夕方のミサにあずかり、聖堂に長い間おりますと、戸じまり担当のシスターが、わたしがそこにいるのに気づかずに間違って聖堂の鍵を閉めてしまいました。わたしは主とともにそこで過ごしました。わたしたちふたりだけでした。神とわたしの切願の祈りだけでした。わたしは精神を集中して煉獄の霊魂が一刻も早く神のみ顔を見られるようにと、一心に祈っておりました。そのとき、聖母マリアがこのように話されました。
      「あなたの願いと信仰が報われます。今まで煉獄から少なくとも一つの霊魂を救うのに、アヴェ・マリアを三回と唱えていてくれましたね。これからは、あなたの望みが叶えられ、十人の霊魂が救われます」。
       その好意をはっきり理解できず、また、お礼の言葉すら口から出ず、ただ、「あわれみのおん母よ、ありがとうございます。本当にありがとうございます。数多くのご好意に感謝いたします」というため息だけがもれました。わたしの罪のくいあらため、また、涙を増やし、わたしは泣きました。あの心の行き届いた優しさに、誰れが涙を流さずにいられるでしょうか。

      わたしは心をさがしています
       徹夜の祈りの静かな精神集中のとき、主はわたしに近づき、こうおっしゃいました。「平和があなたとともにありますように。今、わたしは人の心を探しに行くのです」。主がわたしから離れて行くのを見たとき、わたしは泣きじゃくり、とぎれ声でこう叫びました。「どこへ行かれるのですか、わたしの愛するイエズス」「心を探しに行くのです」。そのときわたしは主の変わらない望みを知ることが出来ました。主は心を探しておられるのです。

      人を救うのにわたしを助けなさい
       ある日、イエズスはわたしにこう話されました。
      「たくさんの人がわたしのところへ来るよう望みなさい。これだけがわたしの唯一の要求なのです。それをわたしは、どんなに望んでいることでしょう。人の無関心にどれだけわたしは苦しんでいることでしょう。そのことをあなたは、わかってくれれば…わたしを愛するというのは、そんなにむずかしいものなのでしょうか」。
       この質問にわたしの罪の深い苦しみだけをもって、答えることはできました。
      「でも、あなたのくいあらためは、わたしをとてもうれしくさせてくれます。この大きな奇跡を理解できますか。あなたの愛とくいあらためは、わたしをとても喜ばせます。神であるわたしを。
       たくさんのほんとうにたくさんの他の人がその罪をくやむのを望んでいます。これはわたしの最大の喜びです。あなたのくいあらためを罪人の心の中で神の甘いはちみつに変わる花粉として、わたしは集めます。
       罪人というのは、怠けもので、自分自身の魂を救うのに何もしないのです。ですから、人の罪をつぐなうよう努める人たちよ、あなたたちは、花から花へと花粉を集めに行きなさい。わたしがそれを甘いはちみつに変え、罪人の魂に注ぐことができるように、あなたたちの願いは、実を結ばないということはありません。
       残念なことに、死の床についていても、神の計り知れない愛をわかろうとはしない魂もあります。とても残念な悲劇なのです。そのことを理解するようにしなさい。わたしの母の愛の炎がそのようにならないようにと望んでいます。
       わたしのあがないの業に加わりなさい。わたしが同じことを何度もいうことをおかしいことと思わないでください。神のことばは唯一であって、同じであるということを忘れないように。あなたたちにわたしのたくさんの魂を救うのを手伝うようにお願いします」。 

      2 神が先生の学校で

      2015.05.27 Wednesday

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         ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から 聖母マリアの汚れないみ心の『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)


        2 神が先生の学校で


        教会内で

        「わたしの主よ、あなたの足元にわたしは鎖でつなぎました。もうこの絆をほどきたくありません。わたしの主よ、わたしはここにおります。あなたともう離れないよう、この世のものを断ち切りました。わたしがどんなに貧しく、小さなものとなり、生活しているか、ご存知でしょう」。
        「これからは、ますます小さいものであるように」という主の声。そして、少したって、わたしの心に、「さげすまれたわたしの子に祈りなさい、慰めなさい」というマリアさまの声が聞こえました。
         このことばを思いかえしました。悪霊の言えないことばでした。悪霊は決して祈りなさいと言うことが出来ないからです。それでも、心の中に不安が生じました。教会から帰りながら、「マリアさま、そのとこをお望みなら、あなたのおん子にたどりつけるよう、わたしを導いてください」と祈り続けました。
         あのことばは、次の日になっても消えることはなく、ミサ中わたしは祈り続けました。「マリアさま、どのようにすればよいのでしょう。わたしはとても小さく、弱いものです。わたしのそばにいてくださいますか」。

        祈りの一時間目
         わたしは、毎日教会に行って祈れるよううまく日中を調節することを考えていました。祈るため、最初は、横の戸口から入り、聖霊の花よめであり、ハンガリーの保護者である聖母の祭壇の前にいて、ごあいさつしました。「わたしの母なるアヴェ・マリア、わたしはあなたの子どもです。忠実でなかったカルメル会員です。わたしを助けに来てください。あなたのおん子のもとへわたしを導いてください」。
         大きな教会には、わたし一人だけで、以前には一度もしたことはなかったのですが、主の足元にひざまづき、こう尋ねました。「ここは、わたしたち二人だけでしょうか」。
         わたしの中で悲しみにあふれた声が聞こえてきました。「そう、残念ですけれど。わたしたちの仲間がふれるように努力しなさい」。
        「わたしの主よ、心より願います。あなたのみ前にいるとき、わたしの中であなたのみわざとわかるよう、わたしの足りなさから、わたしを助けてください。わたしは、今までどの改心者もしたことのないような、自分の罪を悔やみ、深くあなたを愛したいのです。最愛のイエズスよ、わたしの生活の日々で、悔い改めの涙を流さない日がないように、あなたに対して感謝と愛であふれますように、わたしのイエズスよ、わたしを低くしてください。生活のいっときも、自分がどんなに貧しいものであるかを悟らせてください。わたしの主よ、わたしはこの世でもうすでにあなたのそばで生きていけるという思いにうれしさで心臓が止まりそうです。今がこんなに幸せなら死んだ後はどうなることでしょう。でも、どんな目で自分のたくさんの罪を主はごらんになるのでしょう」。
         言いようのない苦しみがわたしを襲っていました。わたしは心より主に祈りました。主は、わたしの罪を、あわれみ深い愛の中で消してくださるという強い気持ちをわたしに一瞬の間に与えてくださいました。
         家に帰る途中、主がそばにおられることが深く感じられ、主がおっしゃっている言葉が聞こえました。「ゆるぎのない信仰をわたしに委ねなさい。あなたの愛が止むことのないように、日中ばかりでなく、夜もわたしを愛するように。わたしたちの愛する母により頼みなさい。わたしがどうすれば喜ぶかを知っています。たくさんの恵みを願いなさい。より頼めば、より多くのものを受けます。たくさん頼むことで、制限したりする心配はいりません。わたしを喜ばせることです。たくさんの人がわたしに近づくよう望みなさい。自分をすてなさい。このことを何度も頼みます。わたしのあがないの業にあずかりたいのなら、わたしにいつも一致しているように。わたしの母にすべてを捧げなさい。わたしに奉献されたもののためにもです。わたしの心よりの願いは、みんなの罪をなくすことなのです。わたしのところへいらっしゃい」。

        始めるのはむずかしい
         ある日、礼拝の聖時間のため教会に行きますと、恐怖に陥れるような考えで悪魔のささやきがわたしを苦しめました。わたしは当惑してこう祈りました。
        「主イエズス、わたしの中で何が起ころうとしているのでしょう。どれが本当なのでしょう」。
         次の日、聖体拝領のとき平和な気持ちになりました。イエズスを礼拝して一日を過ごしました。たくさんの洗濯物があったので、洗濯をしながら、何と自分はみじめなものでしょう。とても主を助けることなど出来ないという考えがうかびました。
         こんな考えにとらわれていたとき、主は、わたしにまた、話されました。「わたしにすべてを委ねなさい。この方法でしかあなたはわたしを助けることはできません。自分自身を小さく貧しいものとしたとき、わたしの望みがわかるようになります。心配しないで注意深くお聞きなさい。あなたに大きな犠牲をしてほしいのです。木曜日と金曜日を司祭のためにパンと水で過ごして欲しいのです。」主は、わたしに司祭の数までおっしゃいました。
         「それとその日は、わたしの前で四時間過ごし、わたしを傷つける侮辱のために、特別に苦行をしなさい。たくさんの誘惑があなたを苦しめるでしょうが、心配しないでください。わたしの恵みは、あなたといっしょです。わたしに深く信頼しなさい。このことがわたしの心の中に入る秘訣です。たくさんの人がもしわたしの心の渇きを知ってくれれば…少なくともあなたは、心臓の鼓動の動悸の度ごとに自分の罪を悔やみ、また、わたしから遠のいている人のために、つぐないをしてください。もし、あなたの愛が足りないと思ったら、わたしの母に頼みなさい。わたしに対しての愛をあなたの心の中でもう一度一杯にしてくれることでしょう。わたしお十字架の傷を思い起こすことにあきてしまうことのないように。この傷はいつもあなたに力を与えます。永遠の父に自分をささげ、三位一体とともに生きるようにしなさい。
         誘惑に対しての隠れ家をわたしの母のマントの下に求めなさい。今あなたを絶えず苦しめている誘惑から、守ってくれるでしょう。あなたに会った人がみな、あなたの愛と善良さで一杯になるようなへりくだった人でありますように。謙遜の中にいつも自分がいるように、聖母マリアに祈りなさい。あなたのまわりの人をわたしのところへ導けるような話し言葉を、聖母マリアから習いなさい。
         犠牲とは、目的に連れて行く渦巻く車輪のようなものです。わたしに愛を求めなさい。わたしから汲みとり、特別にわたしが喜んで受ける小さな犠牲をわたしにしてください。小さなことだけしかわたしに捧げられないことで、心配はいりません。むしろ、あなた自身、小さいものでありなさい。ワインの中の一滴の水のようにわたしと融合しなさい」。
         主にわたしは言いました。「主よ、わたしは駆けだしものなのです」。
        「不安を感じなくてもよいのです。今からやり始めなさい。あなたは、若い時にとても勉強をしたかったのですが、機会がなかったのを憶えているでしょうか。それをさせなかったのは、わたしです。あなたに何も知らないでいてほしかったのです。そのかわり早く成熟するよう望んだのです。その時から、あなたに対して、はっきりした計画がありました」。
        「主よ、あなたの恵みを何と無駄にしてしまったことでしょう。わたしは別の道を行くために、あなたから遠ざかったことでしょう」。
        「何ヶ月か前に、あなたはある公立の学校に入ろうとしていたのではないでしょうか。でも、わたしはあなたの通り道について、わたしの学校に呼び寄せたのです。だから、わたしの学校で満足して勤勉な生徒でありなさい。あなたの先生はわたしです。わたしから学びなさい。あなたと朝から晩までいっしょです。」
        「はい、主よ、でもわたしは、まだ先生の劣等生です」。
        「ええ、そのとおりです」という主のお答え。そしてわたしが主を傷つけた幾つかの例を見せてくださいました。たとえば、あるとき、聖堂がすぐそばにあったのに、あいさつをほかの人にして主にすることを忘れたことなどです。また、聖堂で主にあいさつするのに、片ひざをつくとき、愛をこめてしなくてはいけないこと、主を忘れてしまうということは、主を深く傷つけるということも教えてくださいました。そのとき、主のおっしゃったことに対し、深い悔やみの念を感じ、わたしは涙があふれ出ました。

        天の国は、力によって得ます
        「くり返しますが、自分を変えるようにしなければなりません。わたしはあなたを助けますが、自分の勤めを果たすように精一杯自分も努力するようにしなさい。わたしの母により頼みなさい。聖母も助けてくださいます」。
        「そうします、主よ。聖母を愛するようにします。おん子を助け慰めるようわたしを招いてくださったのも、聖母なのですから。あのお声がわたしの悲しみを打ち破り、深い痛悔の気持ちを起こしてくださったのです」。
        「それが最初の出会いの大きな一歩でした。わたしの母は特別な方法であなたをわたしにあずけたのです。あなたや他の人を創造したときから、わたしはあなたを待っていました」。
        「わたしの神よ、どうぞ、わたしを遠ざけることのないように」。
        「あなたは自分で離れていったのです。どうしてわたしがあなたを遠ざけましょう」。
        「わたしのイエズスよ、そのためにわたしは、みじめな状態にいました。どうぞよい先生のイエズスよ、わたしを導いてください」。
        「自分の思いをなくしなさい。何度もあなたに言います。あなたは夫を亡くして、まだ大きくなっていない子供たちに一時間でもあなたの手助けをするよう言っていたことを思い出してみなさい。たったの一時間でもあなたは、ほっとすることができたでしょう。それから、子どもたちはいろんな口実であなたを少しも助けてくれないとき、あなたはなんと悲しい思いをしていたことでしょう。わたしもたくさんの子供たちがいます。もしわたしのためにその子たちが一時間だけでも手助けしてくれたら、どんなにうれしいことでしょう。わたしは特に、わたしに奉献された魂のこと、わたしから選ばれた人のことについて考えています。その人たちは、この世的なもので心が奪われています。どんな方法であなたがわたしを助けるか、わたしに聞かないで、わたしのどの渇きをいやせるほどの機会も利用しなさい。その人たちのために祈りなさい。」
        「主よ、わたしは精一杯あなたを愛したいですし、また、あなたを愛していない人のためには、あなたを愛したいのです。目を閉じますと、この罪人であるわたしのために忍耐をもってたくさんの苦しみを受けてこられたあなたが見えます。あなたの愛にかなった人がたくさんいますのに、どうして、ふさわしくないわたしを選ばれたのでしょうか」
        「わたしのあがないの業が役立つように、罪がたくさんある人の中から選ぶのです。その人がわたしの恵みに応えるとき特別な恵みを与えます。わたしと共に生き、わたしのために生きる人は、あなたにしたように、この世からその人々を引き抜きます」。
        「わたしの主よ、あなたの望みは、わたしの望みでもあります。主よ、わたしをすきなようにお使いください」。
        「わたしのところへ全力を尽くして、罪人を連れて来なさい。このことにだけ専念するように。奉献された人は、目をそらさないでわたしの目の悲しみ、わたしだけを見るように。わたしの心の中に、もう一度新しいいのちに生まれさせるために、その人を迎え入れます。わたしがその人から望んでいるものは、わたしに対しての全き信頼です。わたしの愛は限りないのです。
         あなたがわたしの足もとにひざまずき、今までだれもしたことのないやり方で自分の罪を悔やみ、わたしを愛したいと言っているのを聞いて、わたしはどんなにうれしかったことでしょう。あなたの単純なことばが、わたしの心の奥深くに届いたのです。こういうことをするのに特別な教えなんかいらないということをあなたも知っているでしょう。あなたのことばが永遠の父にとっては、どんなに喜びだったことでしょう。
        あなたの人生のいっとき、いっときが、このようでありますように。聖霊は、あなたの性格をみながら、あなたの悪い部分をとり除き、あなたを導いてくれます。自分を救うために自分を改めますように。わたしの王国は、力でもって得るということを、あなたはよく知っていますが、決して何度も失敗することでくじけることのないように。そのことがあなたを謙遜にさせます。十字架のしるしをするときは、ほかのことを考えずに、いつも三位一体のことを心に置くようにしてください。あなたに今話していることは、みんな知らせなさい。わたしの五つの傷を賛美するため、つづけて五回十字架のしるしをして、この五つの傷を黙想するようにしなさい。いつも打撃で血まみれになっているわたしの目を見つめなさい。あなたからも、わたしはその打撃を受けました」。
        「ああ、わたしのイエズスよ、どうぞ、そのようにおっしゃらないでください。わたしの胸が裂けます。わたしをあわれんでください」。
         別な時に、主は、こうおっしゃいました、「無駄に話をしないように気を付けなさい」。

        一週間の時間割り
        「あなたに一週間の指導をします」。

        月曜日 「この日は、煉獄の霊魂のために使うように。あなたのすることは全部、その霊魂の助かりを願ってするように。わたしと一致して、その霊魂が一刻も早くわたしの顔を見られるように祈りなさい。あなたにきびしい断食をするようお願いします。そのことをあなたにだけお願いするのではなく、わたしの望みとその他の示しも、ほかの人にも広く知らせなさい。
        月曜日に聖マリアの汚れないみ心の炎により頼み、パンと水で断食する人は、煉獄にいる司祭の霊魂を救います。また、わたしのこの願いに従おうとする人は、死後、わたしの母により八日目以内で煉獄より救われます。わたしの母自身がわたしの五つの傷の名により、あなたたちのために得たものです。わたしの母のみ心の愛の炎の約束をわたしも守ります」。

        火曜日 「この日は、あなたの家庭のための日です。家族をわたしの母にまかせなさい。あなたの家族をわたしの母が守ります。」
        「わたしの主よ、わたしはとても眠いのです。もしもわたしが目を覚ませず自分の夜の約束の祈りの時間を守れなかった時は、どうなることでしょう」。
        「目をさましてくださるように、わたしの母に祈りなさい。母もよく、昼も夜も祈りをして、寝ませんでした。あなたは、自分の家族に責任があるということをよく知っていますね。家族の一人一人の性格をみながら、わたしのもとへ連れて来るように。わたしの恵みがその人たちの中にあるように絶え間なく祈っていなさい。あなたのとてもやさしい保護者は、聖ヨゼフであるように。助けを願うことも忘れないようにしなさい。聖ヨゼフの徹夜の祈りは、家族にたくさんの恵みをもたらします」。

        水曜日 「聖職者の召し出しの日です。たくさんの若もののために司祭職をわたしに願いなさい。あなたが願った人すべてが与えられます。多くの若者の心の中には、このような望みがあるのに、その願いを達成するよう助けてあげる人がいないのです。信仰のうすいものであってはなりません。あなたの徹夜の祈りがその若者にも多くの恵みをもたらします」。

        木曜日 「この日は、祭壇の秘跡に対するつぐないにあてなさい。四時間わたしの前にいるように。特に熱心にわたしに祈り、わたしに投げつける傷を治しなさい。わたしの苦しみ、血の汗、わたしの受難に身を沈めるように。そうすると、あなたの魂は力を得ます」。

        金曜日 「心にある全部の愛を尽くして、わたしの苦しみの中に沈むように、あなたが朝起きた時、わたしが夜中に苦しみを受けて寝れなかったことを考えてみなさい。日中は、ほんの少しもわたしにやすみをくれなかった十字架の道行きについて、考えてみなさい。もう力のなくなったわたしをカルワリオへ追いやったのですから、どんなに多くのことを皆がわたしにしてくれたとしても、しすぎということはないのです。みんなのために、みんなの救いのために、最後までわたしは苦しみました。
         それで今日は、十二時から三時までわたしの傷を礼拝するようにしなさい。そして、出来るかぎりわたしが十字架から下ろされた時間まで、断食を守るようにしなさい。すべての人に言いますが、わたしの犠牲を黙想するとき、心の中に恵みが増えます」。

        土曜日 「この日はわたしの母に捧げられた日です。この日は、特に大きないつくしみをもって、わたしの母を尊びなさい。すべての恵みの母なのです。天の国の天使や聖人たちが熱心にしているよう、この地上においても、マリアが賛美されることを望みなさい。死に瀕している聖職者たちのために、聖なる死の恵みを願いなさい。天の国で、あなたのためにその霊魂が、主の前で仲介者となり、そして聖母は死のときにあなたを迎え入れます。あなたの徹夜の祈りをそのために使いなさい」。

        日曜日 この日のために、救い主は、わたしに何の時間割もお与えになりませんでした。
         

        8 イエズスとマリアの願いと約束

        2015.05.10 Sunday

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           ハンガリー国でのご出現 1961~1981年 エリザベット・サントの霊的日記から
          聖母マリアの汚れないみ心の― 『愛の炎』より (愛心館 ・世のひかり社発行 デルコル神父監修)
          8 イエズスとマリアの願いと約束
          1 わたしの第一の願いは、わたしの子の五つの聖なる傷を公けに礼拝することです。それは、個人的な信心のことではなく、共同体的な礼拝でなければなりません。
          2 五つの聖なる傷に対する信心について、イエズスとマリアは、いっしょに次のようにおっしゃいます。
          「わたしの聖なる五つの傷を礼拝するために五回十字架のしるしをして、天のおん父のあわれみに、わが身をゆだねなさい。わたしが受けたむち打ちのために―このむち打ちは、あなたたちからも受けたのです。―血まみれになったわたしの目をいつも眺めなさい」。
          3 あなたたちの家庭で聖時間を守りなさい。木曜日と金曜日を特別な恵みの日と考えて、この日には私の子に対する尊敬のために苦業しなさい。また、聖体訪問をなさい。この聖なる時間には好きな祈りかロザリオをとなえて、賛美歌を歌いなさい。この信心業をはじめる時、わたしの子の尊い傷を記念するために五回十字架のしるしをし、ローソクを一つともしなさい。
          4 教皇に対するわたしの願い。わたしの心の愛の炎の祝日は、二月二日の主の奉献の日に祝うように。
          5 神としての、わたしの望みに従って創造の業に協力する両親に対しては、わたしは、教皇を通して特別な祝福を与えます。この特別な祝福は両親のためだけです。
          6 守るべき日以外にミサ聖祭にあずかるときに、このミサをある人のために捧げるなら、その人の上に、わたしの愛の炎は輝きます。このミサ聖祭に、あなたたちが熱心にあずかるほど、それだけ悪魔の目はくらまされます。
          7 わたしは、臨終にいる人と煉獄に苦しんでいる霊魂にも、わたしの愛の炎から豊かな恵みを与えたいのです。わたしの望みは次の通りです。すなわち、あなたたちの時間を適当に分けて、夜となく昼となく燃えるわたしの心の愛の炎に対して、ふかい信頼をもって祈り、いつも誰かがいるようにしなさい。そうすれば、あなたたちの隣人の誰も地獄におちるものはいないと、わたしは約束します。あなたたちの祈りが熱心であればあるほど臨終にいる人たちが、自分の運命を決定するために新しい力を得るでしょう。
          8 月曜日、パンと水だけの断食をする人は、ひとりの司祭の魂を煉獄から解放します。木曜日か金曜日に聖時間をする家庭で、家族の誰かがパンと水だけの断食をするなら、その家族の亡くなった一員を死んでから八日以内に煉獄から救い出す恵みが与えられます。
          9 わたしの汚れない心の愛の炎を考えながら、めでたしの祈りを五回となえる人は、ひとりの霊魂を煉獄から救い上げることになります。また、十一月の間めでたしを一度となえる人は、十人の霊魂を救い上げることになります。
          10 これからのち、わたしに対してするすべての祈りに次の願いを加えなさい。
           「ああ、聖母マリアよ、あなたの愛の炎の恵みを 全人類のうえに、今も臨終のときも輝かせてください」。
          マリアのみことば
           この祈りで、あなたたちは、悪魔の目をくらますことになります。
          「わたしの子らよ、神であるわたしの子の腕は、あなたたちを打とうとしています。わたしはもうそれをとめられない程です、わたしを助けなさい。あなたたちが、わたしの愛の炎を呼び求めるなら、わたしたちは、いっしょに世界を救うことができます」。
          イエズスのみことば
           「以上のようにするとき、わたしの母のやさしいほほえみは、全世界を照らすでしょう」。
          マリアのみこころのロザリオ
           はじめに、救い主の五つの聖なるおん傷をたたえるために、わたしたちは、五回つづけて十字架のしるしをします。
           ロザリオの大きな珠では(一回)、
          「悲しみにみちたマリアの汚れないみ心、あなたに願い求めるわたしたちのために、お祈りください」と祈ります。
          小さな珠では(十回)、
          「おん母よ、汚れないみ心の愛の炎によって、わたしたちをお救いください」と祈ります。
          おわりに三回次の祈り(栄唱)をします。
          「栄光は、父と子と聖霊に、はじめのように、今もいつも世々に、アーメン」。
               ☆       ☆       ☆
          参考として(例えば管理人の場合、下記のようにしています。):
          めでたし 聖寵(せいちょう)満ちみてるマリア 主(しゅ)おん身(み)とともにまします。
          おん身は 女のうちにて祝せられ、ご胎内(たいない)のおん子イエズスも祝(しゅく)せられたもう。
          天主(てんしゅ)のおん母 聖マリア、罪人(つみびと)なるわれらのために
          今も臨終(りんじゅう)のときも祈りたまえ。
          また、おん身の愛の炎の恵みを 全人類に与えたまえ。 アーメン。