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2017.01.04 Wednesday

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    16 エジプトにて

    2015.12.28 Monday

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      カタリナ・エンメリック『聖家族を幻に見て』光明社刊より

      16 エジプトにて

       ヘリオポリスの途上で聖家族は、昨夜宿を貸してくれた善良な人に案内をしてもらった。一行はナイルの広い流れに架けられた非常に長くて高い橋を渡り、町の城門の前の広場に着いた。そこには柱の台座の上に牛の頭をした大きな偶像が立っていた。程遠からぬ所の高く聳えた木の下で聖家族は腰を下ろして休んだ。するとにわかに地震が起こり、その偶像を傾き倒してしまった。たちまち混乱と叫び声が民衆の間に起こり、近くの運河で働いていた人夫達が走り寄って来た。聖家族をここまで案内して来たあの善良な人はさらに一行を町へ案内した。すると町の神殿の偶像もまた転がり落ちてしまった。
       聖家族は低い柱廊の下に寝起きする場所を定めたが、そこにはほかにも既に住んでいる者がいた。向かいは中庭の二つついた偶像の神殿であった。ヨゼフは自分たちの住居のまわりで働いた。
       ヘリオポリスの北のゴーセンという小さな土地に大勢のユダヤ人が住んでいた。もちろん、その人達の礼拝も粗雑なものになっていた。そこに数人の者は聖家族と知り合いになり、マリアはその人達のためにいろいろな女仕事をして、パンやほかの食料を得た。しかし決してぜいたくなものや装飾品などの仕事は引き受けなかった。流行や虚栄を好む婦人たちが仕事を持って来た時、謝礼の金が差し当たってほしくても、マリアは仕事を受け取らなかった。するとかの女達はマリアに失礼な悪口を言った。
       自分の住居から程遠からぬ所にヨゼフは礼拝堂を建てた。すると今までそうしたものを持っていなかった近所のユダヤ人達は祈るために集まることができるようになった。
       しかし聖家族はエジプト人からいろいろと苦しめられた。偶像の転落事件で憎まれ、また迫害されたからである。
       天使の知らせによりマリアはベトレへム地方における幼児達の虐殺を知った。マリアとヨゼフは非常に悲しみ、既によちよち歩きをはじめ、今は一才半程になっていたイエズスは終日泣いていた。
       聖家族は間もなく僅かながらもその生活にゆとりができた。小机、低い椅子、またととのったパン窯を持つようになった。マリアはイエズスの寝台の隣りに寝たが、マリアは時々イエズすの前にひざまずいて祈っていた。
       ヨゼフは別の部屋で寝た。
       わたしはまた少年イエズスが始めて母のために井戸から水を汲んできたのを見た。マリアが祈っている間イエズスは革袋を持って忍び足で井戸端へ出て行った。マリアはイエズスがもどって来たのを見ると、言いつくせぬ程に感動したが、井戸に落ちると危ないから決して今後はしてはならないといましめた。イエズスはきっと気をつけるから、どうぞこれからもそうさせてくださいと答えた。
       ヨゼフはあまり離れていない所で働いていたが、何か道具を置き忘れてきたときは、少年イエズスがそれを持ってきた。イエズスはいろいろな事に気をくばっていたのである。
       わたしは、両親がイエズスと共に味わった喜びは、一切の困難を越えてなお余りあったと思う。イエズスはまったく子供らしかったが、しかし書き表し得ぬ程賢明でまた行いが正しかった。イエズスは一切を知り、そして理解していた。マリアとヨゼフはその事について時々非常に感動していた。
       少年イエズスは母の編んだ敷物を届けに行く途中で、よくいじめられたり、侮辱されたりした。しかし後になって聖家族は非常に愛されるようになった。他の子供達はイエズスに、いちじくやなつめ椰子の実をわけ、また多くの人々が聖家族の許へ慰めや助けを求めにきた。
       少年イエズスはいろいろな注文の品を届けて、ときには一マイルも離れたユダヤ人住居地までも行った。そこでイエズスは母の仕事の報酬としてパンをもらった。多くのいやな動物は少年イエズスに害を加えなかったばかりか、蛇までもまったくなついていた。ある時、他の子供達と一緒にユダヤ人住居地へ行った時、イエズスはユダヤ人の堕落について非常に歎(なげ)いた事があった。イエズスはマリアの作った褐色の着物を着ていた。 

      聖マリアの被昇天

      2015.08.22 Saturday

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        カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より

        聖マリアの被昇天

         聖母はその終わりが近いことを感じられたので、おん子の指示にしたがって、祈りにより使徒たちを自分の所に呼び寄せられた。聖母は今や六十三才になっていられた。キリストのご誕生の時は十五才であった。
         イエズスはご昇天の前に、聖母にその地上のさすらいの終りに際し、使徒たちに告ぐべきことを明かされた。また主は聖母がかれらに最後の祝福を与えるよう指示された。さらに神のおん子は聖母自身に二三の精神的な仕事を委任されたが、その仕事の成就後に天国への憧れが充たされることになるのであった。その当時、主はまだマグダレナに荒野に退くように指示され、マルタには婦人団体の創立を命じられ、ご自身はその援助者となることを約束された。
         さて、使徒たちは聖母の祈りによって天使からエフェゾに旅立つようすすめを受けた。
         ペトロは当時アンチオキア地方にいた。少し前までエルサレムにいて迫害を受けたアンドレは使徒の頭からほど遠くならぬ所にいた。わたしはペトロが壁に寄り寝ているのを見た。その時、一人の輝く青年が近づき、その手を取ってマリアの許に急ぐよう、なおその途中でアンドレアに逢うだろうと告げた。ペトロは寄る年波と疲労のためにその体はすでに硬張っていた。ペトロは起き上がって、手で膝を支えながら天使の言葉を聞いていた。それから立ち上がってマントを打ちかけ、着物を端折り杖を取って出発した。間もなくかれは、同じ出現に呼ばれたアンドレアに出会った。
         さらに進み行くうちにタデオといっしょになったが、だれにもまた天使が告げたのである。そうしてかれらはマリアの所に来たが、そこでまたヨハネにも出会った。かれは平素はエフェゾとその近在に留っていた。かれは少し前には聖地にいたが、そこへはしばしば旅をしていた。
         ユダス・タデオとシモンはお召を受けた時はペルシャにいた。バルトロメオは紅海の東にいた。かれは非常に如才ない美しい、色白の人で、高い額、大きな目、黒いちぢれた髪と二つに分かれたあごひげとを持っていた。この度は聖家族の親戚かあるいは知り合いの者だけが呼ばれたのでパウロには何のお召もなかった。―
         トマは聖母のご死去後になってやっと到着した。かれはお召しを受けた時はインドにいた。お召の天使がかれに現れた時には、芦の小屋で祈っていた。わたしはかれが大変質朴な従者とともに小舟に乗り水をずっと渡って行くのを見た。そしてかれは街には寄らずに陸地を横切って旅をつづけた。かれとともに、もう一人の弟子もいた。トマはお召を受ける前に、されに北方に旅をしようと決心していた。かれはこの計画を思い切ることができなかった。かれはいつもあまり多くのことをしようとしておそくなることがあった。それでかれはまず現在ロシアになっている地方への旅についた。そこで再びお召を受け、やっとエフェゾへ急いだのである。かれがいっしょにつれていた従者はタタール人で、かれが洗礼を授けたのであった。聖マリアの死後とトマはもはやタタール地方には行かなかった。後にはかれはインドで槍で刺し殺された。―
         聖母はすでに死に近づいていた。そしてその寝室の寝台に静かにやすんでいられた。わたしは婢が非常に悲しみ、時々部屋の片隅に跪き祈っているのを見た。わたしはまた二人の聖母の親戚の者が五人の弟子たちといっしょに到着したのを見た。皆は非常に疲れていた。多くの者は再び会うことのできた喜びと、悲しみに泣いた。
         家に入る時に、その旅のマントや杖、袋、帯等をとり、白い長い肩着を巾広く襞(ひだ)ゆたかに足のところまで下げ、自分たちが持って来た文字の書いてある巾の広い帯をした。そして感激に充ち溢れて挨拶をするためにマリアの寝台に近づいた。しかし聖母はほとんど僅かの言葉しか話すことができなかった。―
         わたしはここに着いた人々が、各自の持ってきた器に入っている飲み物以外には何もとらなかったのを見た。かれらはまた家の中では眠らず、家の外の壁沿いの柱に差し掛けられた簡単な家根の下で眠った。
         わたしはかれらが家の前の部屋に、ミサ聖祭と祈りのために場所を準備したのを見た。そこにはまた祭壇ももうけられた。
         さて、使徒たちは一同揃って聖母にお別れをするためにその寝室に入った。その間弟子と婦人たちは前の部屋に立っていた。
         マリアはきちんとお坐りになった。使徒たちは一人一人その寝台の前に跪いた。マリアは祈りをし、十字に交叉したおん手をもって祝福された。弟子や婦人たちにもまたこのようにされた。聖母はなお皆をいっしょに集めて語り、イエズスがベタニアでご自分に命じられたことを行われた。ヨハネにはそのおん体の処置について指示を与えられた。またその着物を婢(はしため)とたびたび手助けに来ていた近所のもう一人の婦人にお分けになった。わたしは聖母が戸棚を指さすと婢がその方に行きそれを開きまた閉ぢているのを見た。
         さてペトロはすでにわたしがベトサイダの池のほとりの教会で見たような様式でミサを捧げた。祭壇にはランプの代わりにローソクがともっていた。この式の間ずっとマリアはその寝台の上に坐ったままでいた。
         ペトロは他の人々に聖体を授けた。ヨハネはその時聖血の入っている杯(カリス)を皿の上にのせて運んだ。この杯は晩餐の時と同じような形をしていたが、小さくて鋳物のように白かった。その柄は二本の指でやっとつまめるほどの短さであった。タデオは小さな香炉を運んだ。まず、ペトロは聖母に終油の秘跡をお授けした。それは現在行われているのと同じであった。それから聖体をお授けしたが聖母は誰にも支えられずにお受けになり、再び横になって祈られた。次にまた起き上がられるとヨハネが聖杯をお渡しした。
         聖体拝領後マリアはもはや語られず、ただ天を見つめていられた。顔は乙女のように輝きほほえんでいた。わたしはその部屋の屋根はもはや見えなかった。ランプは空中にかかっているようであった。そして一条の光線がマリアから天のエルサレムおよび聖三位の玉座に達した。その光線の両側に、天使たちの顔が見える光雲が輝いていた。聖母はその腕を天のエルサレムの方に差し伸べられたが、その体は寝台の上に高くあげられたので、わたしはその下を見通すことができた。
         その時身体から輝く姿が立ち上がったようであった。すると天使の二つの群がこの姿の周りに集まり、いっしょに昇って行った。そしてその姿が体から離れると、体は腕を組んだまま寝台に戻った。
         大勢の聖(とうと)い霊魂たちがマリアをお迎えにきたが、その中にわたしはヨゼフやアンナ、ヨアキム、洗者ヨハネ、ザカリア、エリザベトたちを見た。マリアはこの友人たちに伴われておん子の方に昇って行かれた。おん子の傷は、おん子をとりまく光よりも遥かに美しい輝きを放っていた。
         神のおん子はそのおん母を迎え、王笏を与え、全地球をくまなくお示しになった。その時非常に嬉しいことには、煉獄から解放された沢山の霊魂たちが天国をさして上って行った。そしてわたしは毎年聖母の被昇天の祝日にこの浄めの場所から、大勢の聖母の崇敬者が解放されるという確信を受けたのである。
         聖母が死去された時は第九時で、それはイエズスが十字架上でご死去になった時間と同じであった。ペトロとヨハネはマリアの聖き霊魂の栄光を見たに違いない。と言うのは二人は顔を上に向けていたからである。他の使徒たちは地上に跪き、ひれ伏していた。聖母の体はその目を閉じ、胸の上に手を組み、輝いてその寝台の上に休まれた。
         婦人たちは体を布で掩(おお)った。そしてヴェールを被って家の前の部屋であるいは跪きあるいは坐って祈った。使徒たちもまた首に巻いた巾の広い布で頭を包み、祈りの位置に並んだ。かれらはいつも二人ずつで聖き体の頭と足の傍に跪き祈った。わたしはその日かれらが何度も交替したのを見た。使徒たちはまた十字架の道も歩いた。
         アンドレアとマテオは、マリアとヨハネが十字架の道のキリストの墓の場所として作った小さな洞穴に埋葬の準備をした。この洞穴は主の墓のように大きくはなかった。やっと人が立てるほどの高さであった。墓の周りには、柵を回らした庭があった。道を斜めに降りて行くと、中には祭壇のような石造りの聖屍台があった。カルワリオ山の留はほど近い岡の上にあった。しかしそこには十字架は立っておらず記念碑に十字架が彫り込まれていた。
         アンドレアは特に墓所で多く働き、墓の前に扉を取りつけた。
         聖骸は婦人たちの手で埋葬の準備が行われたが、その中にはベロニカの娘や、ヨハネ・マルコの母親等がいた。かの女たちは香料や新しい薬草の入った壷を持ってきた。そして家を閉じ灯をともし、奥の方の間で働いた。この間使徒たちは表の方の部屋で、一部お者は家の外で斎唱で祈りをした。婦人たちはちょうど主の埋葬のように、大きな感慨と畏敬とをもって仕事を行った。かの女たちは聖骸を長い棺のような籠の中に置いた。聖骸は輝き、また空の包みのように軽かったので、苦もなく手の上にのせることができた。おん顔は生々といて血色がよかった。婦人たちはまた髪を少し切り、聖遺物として各自が戴いた。
         聖骸がその白い衣服の上に、さらに白い布で巻かれる前に、ペトロは次の間でミサ聖祭を捧げ、使徒たちに聖体を授けた。
         次いでペトロとヨハネは儀式のマントを着て部屋に入った。ヨハネは油の入った器を持ち、ペトロは聖骸の額、手、足等に祈りの言葉とともに十字架の印に油を塗った。さて婦人たちはマリアの聖骸をすっかり布で巻いた。頭には処女の表徴として、白や紅や空色の花の冠を置いた。また冠に囲まれお休みになっている神のおん母の顔が見えるように、透き通った布をその上に掛けた。こうして準備が終わると聖骸は雪のように、白い木の棺の中にねかせられた。その蓋は中窪みになっていて、ぴっちりと閉じられた。そして上下と真中で灰色のバンドで棺に結びつけられた。すべては極めて厳かにまた感動の裡に行われたが、恐怖とおののきの中に行われたイエズスの埋葬の場合よりも、その悲しみの感情ははるかに人間味豊かにあらわされていた。
         さて、棺は半時間ほど離れた所にある墓に運ばれた。六人の使徒が聖骸を運んだ。
         他の者たちは祈りながら棺の前に進み、婦人たちはこれにしたがった。また棒の先につけて火籠もいっしょに運ばれた。
         墓の洞穴の前に棺台が下ろされると、四人の使徒が棺を持ち上げて洞穴の中に運び、主の墓のように窪みのある聖骸台のうえに置いた。一同は一人ずつ洞穴の中に入り、聖骸の前に跪いて敬意を表しお別れをした。それから墓は網戸をもって閉じられた。洞穴の入口の前に使徒たちは溝を掘った。その中に、一部は花が咲き、一部はすでに実がついている灌木を植えた。そして水をやり、ぎっしりと隙き間なく植えたので、ただ横側からこの繁みを抜けて洞穴に入ることができるだけであった。
         次の日の夜マリアはその体も天に召された。わたしはその夜大勢の天使や聖人たちが墓の前の小庭で祈り、詩編を唱えているのを見た。
         わたしは天から巾の広い一条の光線が墓の上に降り、その中に三つの天使たちの栄光の群と、その群の真中にマリアの霊魂が漂うように降って来るのを見た。そのかれらの前を、輝ける傷をもったイエズスが進まれた。わたしはそこに居合わせた者の内どれだけの人々がそれを見たかは知らない。ただわたしはかれらが驚いて見上げ、あるいはおののきつつ地上に顔を打ち伏せたのを見ただけである。この示現がますます明らかになった時、墓の洞穴からまた一条の道が開いた。マリアの霊魂はイエズスの前を通りすぎ、巌をを通って墓に入り、その変容した体とともに輝きつつ昇った。そして凱歌高らかに天のエルサレムに戻って行き、この天の示現はすべて消え去った。
         その後使徒たちが斎唱で祈りをしている時にトマが到着した。彼は、聖母をすでに墓に運んでしまったことを聞いて非常に悲しんだ。かれは痛く泣き崩れ、あまりおそくきたことをどうしても諦めることができなかった。痛々しき涙の裡にかれはマリアの聖なる霊魂がその体から離れた場所に打ち伏し、また祭壇の前でも長い間跪いていた。
         使徒たちは、トマが着いた時もその斎唱を止めなかった。かれらがトマの所に来ると、トマを抱き起こして抱擁し、パンや蜂蜜や飲物等を小さな壷から出してすすめた。それから一同はかれを伴って灯を持ち洞穴の墓に赴いた。二人の弟子が灌木を傍らに押し退けると、トマは中に入り棺の前で祈った。ヨハネが棺を縛っていた三本の紐を解いた。かれらは蓋を取り傍らに置いた。非常に驚いたことには、聖骸布はもぬけの殻のようにそこに残っていた。ただ僅かに顔と胸の所だけが開いていた。使徒たちは驚いて上を見上げた。ヨハネは、
        「聖母はもうここにいられないぞ!」と叫んだ。他の者たちもまた中に入って来て、手を挙げ、地に打ち伏して泣きかつ祈った。かれらは前夜の光雲のことを思い出した。さて、かれらは覆いの布を全部棺の中から遺物として取り出した。
         帰りの道はずっと祈り、詩編を唱えつづけた。
         わたしはまた一同が家で礼拝を行っているのを見た。―その数日間、かれらは時々輪を作って集まりお互いに自分らのいた土地の様子や経験したことなどを語り合った。
         使徒たちが再び旅立つ前に、墓の洞穴の周囲に土塀を築いてまったくその中に入られぬようにした。しかし洞穴の後方から、その後壁に通ずる低い道を掘りあけた。そして壁に一つの窓をあけて、そこから聖骸台を見ることができるようにした。この道は聖婦人たちだけが知っていた。墓所の上には木造の礼拝堂が立てられた。中にある小さな祭壇は石造りで、石段の上に立っていた。その祭壇の後ろにはマリアの肖像を刺繍した布が下げられていた。墓前の庭や十字架の道は、使徒たちの祈りの聖歌の裡に美しく整えられた。
         またマリアが祈り、憩われた部屋は小聖堂に作り直された。婢は前の家に住み、二人の弟子が近所に住む信者たちの牧者として残された。―
         使徒たちはマリアの家で厳かな儀式を行ってから、涙と抱擁の中にお互いに別れを告げた。
         その後なおかれらはここで祈りをしに各自でたびたび訪れてきた。わたしはまた信者たちが他の場所に聖母の家の形に似せて小聖堂を建てたのを見た。
         また十字架の道とマリアの墓は長い間キリスト信者から熱心に訪れられた。  

        6 聖なる司祭職の授与

        2015.08.07 Friday

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          カタリナ・エンメリック『キリストのご受難を幻に見て』光明社刊より

          六、聖なる司祭職の授与

           主はさらに、聖なる種々の奥義について教えられ、使徒たちが主の記念として、世の終わりまでこの聖なる秘跡を続けていくよう仰せられた。さらに儀式と授与の要点を語り、この秘跡を次々と他の者に伝えていくようにとお話しになった。また主は、残った聖体をいつ、再び拝領すべきか、いつ、聖母に、お授けすべきかについてさしずされた。しかし聖霊が降臨したならばかれらが自分で、聖餐を聖別するように仰せられた。
           さらに主は司祭職や、塗油、聖油の作り方および聖油について教えられた。また油をいかに混ぜるか、いつ塗油かについても多く語られた。また主は帝王の塗油についても言い及ぼされ、不正な帝王でも、塗油によって他のものと違った神秘的な権力を持つに至るようになるものである、とお教えになった。
           主は固い油と、液状の油を空の小箱に入れて、両方を混ぜられた。次いでわたしは主がペトロとヨハネに塗油されるのを見た。主は食卓の中央から少し端の方に寄り、二人の上におん手を、まず肩に、次いで頭に置かれた。その間、二人は両手を合わせ、親指を組み合わせていなければならなかった。次に二人は主の前に深くかがんだ。主はその親指と、人差し指に塗油し、さらに頭にも油で十字架を印された。
           主はこの印は世の終わりまでかれらにとどまろうと仰せられた。さらに小ヤコブ、アンドレア、大ヤコブ、バルトロメオも司祭職を授けられた。
           わたしは―とても言い表すことは出来ぬが―イエスがこの塗油によって何か重大なもの、超自然的なものを与えられるのを見た。主はさらにかれらが聖霊を受けて後、まずパンとぶどう酒を聖別し、また他の使徒たちにも塗油するようにと仰せられた。わたしはその時ペトロとヨハネが聖霊降臨の日に、あの大洗礼に先立って、他の使徒たちに掩手(あんしゅ)し、またその後八日目に、他の大勢の弟子たちに同様に掩手したのを見た。またわたしはヨハネがご復活の後始めて聖母に、聖体をお授けしているのを見た。その後、この出来事を記念し、使徒たちはいつも祝い日として祝った。教会では、もうしていないが、凱旋の教会ではその日は、今なお祝われている。聖霊降臨の始めのころは、ヨハネとペトロだけが聖なる秘跡を聖別しているのを見たが、後には他の者もみなするようになった。
           主は青銅製の鉢の火も聖別された。それは過越しの窯(かまど)のある部屋に安置してある聖体のそばに保存された。
           主が聖なる晩餐のご制定の際行われたことはすべてきわめて秘密のうちに実施され、また、秘事として伝えられ、今日まで教会に存続している。しかし、聖霊のご教示により、必要に応じて、それに種々加えられている。
           これらの聖なる儀式が終わってから、杯(カリス)と容器は、聖別された油で塗られた。それからペトロとヨハネによって、そのすべては、幕で広間と仕切られている部屋へ持っていかれた。この部屋は今や至聖所となった。聖体は窯の祭壇の少し上の壁のうちに安置された。その後、アリマテアのヨゼフとニコデモは使徒たちの不在の折、この広間を守った。
           イエズスはさらに長い話をされ、また多くの祈りを非常に熱心にお唱えになった。それはあたかも、天のおん父とお話しになっておられるようであった。主は非常な熱心と、愛に満ち溢れられた。弟子たちもまた、喜びと熱心に燃えていた。かれらはいろいろなことを尋ね、主はそれにお答えになったが、すべてこれらの事柄のいくつかは、聖書に出いていると思う。またこのお話しの間、主は一番そば近くに座っていたペトロとヨハネに二・三の事柄を語られた。それは後に他の者にもその理解が可能になってから知らせるようにと仰せられた。主はまた、ヨハネが他の者よりも長生きするだろうということをヨハネにだけお話しになった。さらにまたヨハネに七つの教会、王冠、天使および未来のある出来事を意味する意味深いたとえについて語られた。他の使徒たちは主がヨハネに特別の信頼を示しておられたのでヨハネに対してほのかな畏敬を感じていた。
           また主は、裏切り者について、何度か語られた。ユダがちょうどその時していることをお話しになった。わたしは主が使徒たちに告げられた通りのことをユダがその時やっているのを見た。ペトロはまたもや本気になって、自分はどんなことがあっても主に従い抜くことを誓った。すると主は、「シモン、シモン、サタンはおまえをほしがっている。サタンはおまえを麦のように選び別けようとしている。しかしわたしはおまえの信仰がゆるがぬように祈った。おまえがいつか全く改心した時に、おまえの兄弟たちを力づけよ」と仰せられた。
           しかしイエズスがさらに、ご自分が行く所にはかれらはついて来ることはできぬと仰せられると、ペトロは死んでもついて参りますと言った。するとイエズスは、「本当におまえは鶏が二度鳴く前にわたしを三度いなむだろう」とお答えになった。主はかれらに迫っている苦しみの時に注意して「わたしはおまえたちを、財産も靴も袋もなしに、派遣したが、おまえたちは何か不自由したことがあったか?」とお尋ねになるとかれらは「いいえ」と答えた。主はさらに続けられ、「今は袋や財布のあるものは、それを持っているように、またなにももっていない者は自分の着物を売って刀を買え、なぜなら聖書の『かれらは悪時をしたものもうちに数えられた』と言う言葉が今こそ成就されねばならぬから、かれについて書き記されていることはすべて成就に近づきつつあると仰せられた。かれらはすべて物質的なことに解釈した。そしてペトロは主に二振りの刀をお見せした。それは短くて幅の広いものであった。イエズスは「もうたくさんだ。さあでかけよう」と言われた。
           そこに聖母とクレオファのマリアおよびマグダレナらが来て、人々が主を捕らえようとしていると言ううわさがあるから橄攬山(かんらんざん)に行かぬようにひたすらお願いした。しかしイエズスは、二言三言かの女たちをお慰めになり、すばやくそのばを通り抜けて歩み行かれた。それは、多分晩の九時ごろであったろう。
           一同はペトロとヨハネが、けさ早くいった道を通って、橄攬山に向かった。